戦いの合間に、その11~マイアとノーティスと、妨害者の場合~
「おかしい・・・他に誰も来ぬとは」
「何体くらいにお声をかけたのです?」
「空を飛べるものは全員だ。サーペントなどは別としてな。何しろ急いだのだ。他の者にはろくろく連絡すらしていない。そんな時間はなかったし、手駒もあの精霊が一体だけだ」
「『全ての知識を司る竜』とまで言われた御方がそのような状況とは・・・本来なら真竜としては恥ずべきところなのでしょうけども」
「言うな、やむをえんさ。我々とても生き物だ。意見が違うこともあれば納得できない、認められない者もいよう。私は真竜としては完全に異端児だからな。それでも私も老いたのか、昔ほどに自らの意見を意地でも通そうとは思わなくなった。私の意見が採用されぬなら、それもまた世の中の流れなのだろうな、と」
「悲しいことをおっしゃいますな。貴方の意見はあまりに斬新的すぎるのです。ゆえに誰もその内容を理解することができない」
「言い方、伝え方が下手ということも考えられる。だが今回ばかりはそうも言っていられない。今回だけはな」
「一体何を言うつもりなのです?」
「直にわかる・・・が」
ノーティスが周囲を見渡しながらマイアに答える。だがその表情が段々と曇っているのをマイアは見逃さなかった。マイアとて鈍感ではない。またかつてはノーティスにもっとも近き真竜の一体であったのだから、彼女にはノーティスの考えがある程度わかる。
ノーティスは明らかに焦っていた。
「ノーティス様、これは・・・」
「うむ、私の目の届く周囲1000km圏内に飛んでいる真竜が一体もおらぬ。これは一体――」
「残念だが、誰も来ない」
二体のさらに上空から声が上がる。ノーティスとマイアがはっとして上空を見上げると、そこには少年が宙に浮いて立っていたのだ。マイアが警戒も露わに鋭い声を上げる。それもそのはず。飛翔の魔術が世の中に存在しないわけではないが、その高度には限界がある。非常の魔術は魔力の消費量も大きいし、ここはとうに魔術で来ることのできる限界を超えているのだ。
「何者!」
「・・・人間ではないな。ここに来るほどの飛翔の魔術を使うのは、英雄王でも無理だ。いや、オーランゼブルでもできるかどうか。一体貴様は・・・」
「ユグドラシル」
少年はいきり立つ二体を相手に、悠然とそう答えた。そして黒いローブをばさりとおろすと、その顔をあらわにした。その表情は相変わらずの無表情ではなく、少し焦っているように、また苦虫をかみつぶしたかのような表情であった。
ユグドラシルはため息をつくと、マイアは無視してノーティスに向き直った。
「困った真竜だ。賢しい奴とは思っていたが、まさかこれほど短期間で真実に辿り着くとはな」
「真実? 真実って何よ? それに他の竜は?」
「来ないと言ったろう。同じことを二度も言わせるな、時間の無駄だ」
「なんですって!? まさか――」
マイアが吠えたてるのを制し、ノーティスがユグドラシルを眺めながら慎重に言葉を選んで話しかけた。
「一つ聞きたい。仲間の真竜を殺してはいないのだな?」
「もちろんだ。私は殺生はせぬし、する必要もない。多少彼らの認識と記憶を操作し、お前の連絡がなかったことにさせてもらった。苦労したぞ、転移を駆使して移動する上位精霊を追いかけるのはな。常に後手に回らされてしまった」
「方法はどうあれ、誰も傷ついていないのならばいい。それよりも、真実・・・そうか。やはり私の仮説は正しかったのか。やはりオーランゼブルの目的は・・・」
そこまで言ってノーティスは口をつぐんだ。今になってノーティスはオーランゼブルのしていることの本当の目的、そして彼こそが正しいと確信を持ってしまったのだ。
認めたくない現実に項垂れるノーティス。その彼をの表情を、マイアがそっと窺う。
「ノーティス様、真実とは何のことですか?」
「・・・増える魔物、魔術の使えなくなった土地、そしてオーランゼブルの一見無謀とも思える魔王の量産、そして1000年以上行方をくらました事、消えたハイエルフの一族、そして――全てを合わせて考えると、答えはおのずとわかる」
「? 私にはさっぱり・・・」
「それは――」
「お話もそこまでだ、知識を司る竜よ」
ユグドラシルはローブを脱ぎ捨てると、その下に隠された体を露わにした。その体を見て、二体の竜は信じられない物を見たように、先ほどまで話そうとしていたことも忘れ、悲鳴を上げた。
「な、何よその体は!」
「それは一体・・・そうか、まさか貴様は!」
【それ以上語る口を貴様らは持たん】
ユグドラシルの殷々と響く言葉を聞くと、マイアとノーティスの口からは言葉が紡がれなくなった。慌てた二体が互いに顔を見合わせると、ノーティスはいち早くその場を離脱しようとした。このままではまずいと、彼は千年以上の間使おうとも思わなかったブレスを使用したのだ。
ノーティスの体表と同じく銀色の吐息は虚をついたのか、確実にユグドラシルに命中した。大爆発と轟音が響き、晴天の空に突然積乱雲が出現したかのように、辺りは煙りと銀の粒子に包まれた。
「(行け!)」
ノーティスが顎でしゃくるようにして、マイアを促す。
「(でも!)」
「(まだおそらくは倒していない! だがこのブレスは魔術を散乱させる効果を持つ。しばらくは時間が稼げ――)」
マイアに口の動きだけで促すノーティスの背中から、突如として煙を割るようにして道ができた。その先には、無傷であろうユグドラシルがゆっくりとこちらに寄ってくる。
「(行けぇ! こいつの目的はわからんが、少なくとも俺達にとっては敵だ!)」
「(くっ)」
マイアはその場を一も二もなく脱出した。その後には二度、三度と轟音が響く。きっと後ろでは壮絶な戦いが繰り広げられているのだろう。
だがマイアは後ろを振り返る事もせず、全力で飛んだ。やがて羽が風圧で軋むほどまで飛ぶと、彼女はこれ以上は飛べない事を自覚して後ろを振り返ったのだ。そこには誰の姿も見えなかった。ノーティスの戦いの痕跡すらも見ることができないほどの距離。
「(もう、大陸の半ばまでは来たかしら)」
マイアはラキアほどではないにしろ、かなりの速度で飛ぶことが可能だった。彼女よりも速く飛ぶことのできる翼をもつのは、真竜でも5体とはいまい。
その彼女が全力で飛んだのだ。彼女の後ろからついてくるものなど、いないのが道理だった。マイアは羽を休めるために人型に幻身し、人目につかぬようにそっと地上に降りた。
「(ノーティス様は無事かしら)」
まだ声は出ない。「沈黙」系の魔術だとマイアは見当をつけるが、この類の魔術は時間経過と共に効果が弱まる。大人しく効果切れを待つのが得策というものだろう。
「(ノーティス様は何のために私達を集めようとしたのだろう。それに真実とは)」
「ノーティスはお前達を先導して、オーランゼブルの味方をさせるつもりだったのだ」
マイアが振り返るよりも早く、彼女はユグドラシルに首をねじり上げられていた。マイアは形こそ人間だが、その体重は真竜である。幻身である程度体重や質量といった調節はできるが、見た目通りというわけにはいかないのだ。だから彼女は普通のベッドには寝転がらないし、物の扱いには最新の注意を払っている。
そのマイアを軽く片手で持ち上げるユグドラシルの方が余程異常なのだ。それに、先ほど自分の頭の中で考えたことに対する返答があった事に、マイアは非常に驚いていた。真竜である自分の思考を読み取ることがそれほどたやすくできるのかと、マイアは首を絞めあげられる苦しさよりもその疑問が優先された。
「(な、なぜ――お前は一体?)」
「私が誰かはどうでもよい、決して話すつもりもないしな。心配するな、ノーティスは殺しておらん。奴はこの大陸に必要な人材だ。ただ今少し、真実に気が付くのが早すぎた。これはよくない、よくないのだよ。少しの間、奴にはこの世界を退場していてもらう。
それにお前の考えくらい、容易に読めるさ。真竜といえど、その思考回路が並はずれて特殊で複雑というわけではないのだから。それに真竜など私にとっては――」
「(私をどうする気!?)」
マイアは絶体絶命の危機に瀕していることがわかりながらも、強気の姿勢は崩さなかった。ノーティスはグウェンドルフよりも年が上の真竜である。純粋に戦闘向けの能力を有しているのはグウェンドルフでも、その力は並みの真竜よりもはるかに上。
そのノーティスがたやすくやられたとなれば、もはや自分ごときでは敵対すべくもない、と。それでもあがくのは、彼女の気の強さゆえか。
だがユグドラシルは極めて冷静に、自分の話を聞くつもりがマイアにない事を悟ると、まるで子をあやすかのようにマイアに穏やかに話しかけた。
「別にどうもせん。今まで通り、アルフィリース達の護衛をお前には努めてもらおう。まだ彼女にはいざという時の護り必要だ。まだアルフィリースは弱い。英雄王に攻められれば、ひととまりもなく敗北するだろう。やがてアルフィリースがライフレスと互角に戦うための戦力をそろえるまで、お前の協力が必要となるのだ。
ただ、ここであった出来事はお前には忘れてもらう。もちろん私の事のもな」
「(そうそう都合よくいくわけ――)」
マイアが反論しかけたその瞬間、マイアの体がびくん、と一つ跳ねると、その後は全身の力が抜けたようにぐったりとしてしまった。そのマイアの耳元でユグドラシルが何事かをゆっくりと語りかけると、マイアの瞼が重たげに上がり、そしてユグドラシルの問いに頷くようにして彼女はふらりと立ちあがった。
「よし、理解したな・・・では行け。もはやお前はここであったことを思い出すこともない」
その言葉にマイアは頷くと、ユグドラシルの起動した転移の魔術にてその姿を消した。ユグドラシルは周囲に誰もいない事を確かめると、ふうと一息を入れる。
「危なかった・・・一つ間違えれば全てが台無しになるところだった。ノーティスの奴め、優秀なのは良いが、優秀すぎるのは考え物だな。完全に余計な力を使ってしまった、まったく・・・私の力に余分に割けるものなどないというのに。全ては来たる時のため・・・どうせなら、そこまで考えを及ばせてほしいものだと言うのは、贅沢な要求か」
ユグドラシルの表情は相変わらず変わらなかったが、彼の声は安堵に満ちていた。だが、誰もそのことを知る者はいない。それこそが、ユグドラシルの望むものだったのだ。
ユグドラシルは再び黒いローブに身を包むと、懐からいつぞや道端でもらったようにククスの実をかじりながら、歩いてその場から姿を消すのだった。
続く
次回投稿は、7/8(日)18:00です。
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