戦いの合間、その8~リサ、楓の場合~
「これは・・・最近の遠征も含めた任務報告ですね・・・え?」
「既にミランダ様の印章が押してある。ということは巡礼側には報告済みですが・・・は?」
エスピスとリネラも書類を覗くなり頓狂な声を上げた。そこに書いてあった事実がドライド同様、彼らにとっても信じられないものだったからだ。
「アルネリアの調査部隊、20名が・・・全滅?」
「しかもこれは二度目だ。『リストリア国、アルムの丘にある屋敷の調査報告について』か。聞いたことのない場所だが、一度目は在住の騎士達が報告をしている・・・だがこちらも死者7名、重症者3名。生きている者は一様に発狂し・・・なんだこれは?」
エスピス、リネラが驚いたのも無理からぬ。アルネリア教会は本来守る事に特化した集団。まして調査程度の任務では、何よりも「生きて帰る事」が優先される。その状態でなお全滅とは、よほど尋常ではない事が起きたに違いない。
そもそも調査部隊とは魔王の存在などを調べる部隊である。以前アルフィリース達が最初に魔王を倒した時にも調査部隊がアルネリアから派遣されていたが、その時はたった10名だった。今回は20名。しかも今回はかなりの腕利きを派遣したことが書類には述べてあった。
そこまでエスピス、リネラが書類を確認したところで、ドライドは顔色を変えながらその場を立ち上がった。
「こうしてはおれんな。何もこの書類には付加された記述はないが、この案についてミランダ様がどのようにお考えか、早急に問いただしてくる」
「我々も行きますか?」
「いや、それには及ばん。それよりもお前達には片付けてほしい案件が山ほどあるのだ。差し当たってはその書類の山を分類して重要度別に仕分けしてくれるだけでも助かるし、他にもお前達が独自に考えたり、請け負っている仕事があるだろう? そちらに集中してくれれば良い。何、内政ごとき私とマナディルで片付けるさ。そのための我々なのだからな」
ドライドはそこまで言うと、普段の慎みも忘れてミランダの元へ駆けて行ってしまった。本来こういった仕事はもっと下の立場の者が請け負えれば良いのだが、どうにもアルネリア教会は取りまとめる立場にある者が少ない気がする。口無しや巡礼など秘匿性の高い任務に就いている者達の実務内容が表向きと違いすぎるから、と言われればその通りだから仕方ないのだが。
今回も死者の家族に対する死亡報告について、どのようにごまかすか、あるいは情報を操作するかでドライドは頭を悩ますのだろう。
そして急ぎ足に出ていくドライドと入れ違いで入ってきたのは、なんとリサだった。
「今の足音と風体。確かアルネリアのドライド大司教だったようですが、随分とお急ぎのようですね。向かっている先はどうやらミランダの元ですか」
「リサ殿。いらしていたのですか」
リサはミリアザールの命令によって、この深緑宮への出入りが自由に行える。一つ制限を設けるとすれば、それはリサがセンサーの能力を無暗に使用しない事。だがこれは特に魔術などで制限をかけているわけではなく、完全にリサの行動に一任されていた。
そうでなくとも、たとえば執務室のように重要な機密を扱うであろう部屋への出入りはリサも許可が必要だし、そもそもそういった部屋には防音の魔術などは予め頑丈に施してある。リサとても自由にセンサーを張り巡らすことは困難であることには違いがない。一方でテトラスティンの使い魔などが深緑宮へ来訪することもあるが、それはミリアザールが許可しているからであり、そうでなければ蟻の子一匹通さぬほど深緑宮は元来警備が固いのである。
ゆえにリサのように深緑宮に出入りを許可された一般人というのは前例がほぼないに等しく、最初は深緑宮勤めの者達も扱いに困ったが、徐々にその存在にも慣れてくると、この深緑宮を日々荒らしまわる小さい暴君共の扱いを任せるようになっていた。
今回も来訪の目的は彼らの世話かと思ったのだが、本日はミリアザールの方針で子供たちは深緑宮の外へとピクニックに出かけている。これを指揮するのは子育ての練習も兼ねてベリアーチェが先導しているが、中々に出立前から苦戦しそうな勢いだった。だから今日深緑宮には子供たちはいないし、リサにも当然連絡はいっているわけであり、何らかの用事があるとエスピスもリネラも思ってはいなかったのだ。
「今日こちらへの用向きは? ジェイク殿の凱旋もまだ先でしょう」
「ええ、それは知っていますしが。今日はアルフィリースの使いとして、ミランダの元へと話合いに訪れていました。何分アルフィリースもミランダも忙しいようで、この健気なで献身的な私が働いているというわけです」
「はあ・・・そうですか」
エスピスとリネラはリサの軽口にどう対処したものかと困っていたが、リサも彼らに用はないようで、話を続ける気もないようだった。ただ一つ、確認したいことがあっただけだ。
「ところで知りたい事が一つ。この廊下の突き当たりの部屋に通されている者達は、ミリアザールの知り合いですか?」
「ええ、そのようですね。確かにミリアザール様の印鑑で押された書状をもっていましたから。それが何か?」
「いえ・・・」
リネラはリサの疑問の意図を理解できなかったようだ。リサもまた表情には出さないが、ややその表情が緊張しているようにも見える。
「そうですか・・・リサがその部屋に行って、来訪者と話しても?」
「構わないと思いますが・・・ミリアザール様はまだご帰還されてませんよ?」
「ええ、むしろその方がよいでしょう」
「?」
首をかしげたリネラを余所に、リサはそちらの部屋に歩いて行った。エスピスとリネラは既に楓が積んだ書類の山に追われ、リサの後ろをついていくこともしなかった。
ただ楓はそっと執務室を抜け出ると、リサの後に続いたのだ。
「リサ殿、来客について何か思い当ることが?」
「いえ、何もありませんが、気になりはします。むしろ楓は何も気にならなかったのですか?」
「は?」
「なるほど、これは余程――」
余程なんなのだろうかと楓は聞きたかったが、リサはもはや何も言わず足早に目的とする部屋に向かっていた。楓は梔子も梓もいない今、実質の深緑宮の警備責任者である。ゆえに何かがあっては困るとなんとなくリサの後についていったのだが、その理由や目的については何も考えていなかった。
一方でリサの方は何らか思い当る節があるようだ。彼女は部屋が近づくとやや歩を遅くし、部屋に入る前に緊張をほぐすように一つ深呼吸をすると部屋をノックした。リサが人にわかるほどに緊張するなど、彼女にしては非常に珍しい光景である。
「失礼しますよ」
「入りたもれ」
リサが部屋に入ると、そこには用意されたソファーに優雅に腰掛け、自分で用意したであろうお茶をすする貴婦人がいた。いや、貴婦人というべきかどうかはわからない。彼女の服装はいわゆる貴族や身分の高い人間達とは異なり、いかにも古風であった。貴族であれば、あるいはそうでなくとも現在の服装の流行というものは、色合いに明るい色を用いる事が多い。それは世の中が比較的平和かつ裕福である事にも影響するだろうが、質素倹約を代表するような地味な色を用いることは少なくなった。それは農村部でも比較的そうで、彼女達は黄色や青といった数十年前までは一般に使用されなかった色の頭巾をかぶって仕事をする者が目に見えて増えたのだ。
だが今リサの目の前にいる女性は違う。彼女は何かの動物の皮をなめしたであろうローブを纏い、脚には大きくスリットをいれていた。胸元は大きく開けているが、首には大きなカラスの羽でも用いたのであろうマフラーをつけている。長く金の髪を後ろで結い合わせる髪留めも白であり、楓の目にはわからぬが、リサの感知の上では何かの生き物の骨に感じられた。だがリサの感じる上では、その女性が身に纏う衣服の一つたりともリサの知っている素材はなかったのだ。
そして色合いこそ地味であるが、女性が纏う威圧感というか雰囲気というべきか。女性そのものは妙に厳かな空気を纏い、圧倒的な存在感を持ってその場に座っていたのだ。周囲にいる男三人をリサが認識するのが遅れるほどに。
リサは自分でもなぜこの場所に足を運んだのかはわからないが、なんとなくそうすべきだと彼女の本能が告げていた。ここには必ず来て、そしてこの女性には会わねばならない、と。
「初めまして、ですね。私はリサ=ファンドランドと申します。不躾な訪問となりましたが、どうかお許しを」
「かく許しを請うまでもない。不躾にこの宮殿を訪問したのは妾ぞ。そなたに対してではないが、妾こそ詫びる事こそあれ、詫びられる謂れはない。そなたの訪問を歓迎しよう」
妙な古臭い言い回しで、名乗りもせず答える女性。だがリサはあえてその事を気には止めず、質問もしなかった。もっと他に聞くべきことがあると、リサはわかっていたのだ。だが、その内容が言葉に表現できない。何かを聞かなければならないのに、リサの口からは上手く言葉がでてこなかった。
「どうした、何か要件があるのではないのかえ?」
「あの・・・いえ、やはり今問うべきことではないですね。それに聞かぬ方がよいのかもしれません」
「不思議な子よ。妾が何者かをなんとなく察知しながら、かつ聞くべきことがありながら、それでも口にせぬか」
「そうですね。その方が人生面白いと思いますから」
「よかろう。そなたの知性と大胆さに免じて、妾はいつなりとも一つだけ、そなたの知りたいことに答えてしんぜよう。たとえそれがどのような質問であったにせよ、な。妾の言うたこと、夢と忘れるなかれ」
「そうですか。それはありがたく好意として受け取らせていただきます。では近いうちに、また」
それだけ言うとリサはぺこりとお辞儀をして部屋を後にした。慌ててその後に楓も続き、部屋には女性と男三人が残された。女性が黒い瞳を、壁にもたれかかるように立っていた男に向ける。男は体表も日焼けしたように黒く、そして黒く長い髪をざんばらに伸ばし放題にしていた。髪が長いからまだいいが、上半身は裸である。布のズボンも黒、裸足であり、体表も合わせて全身黒づくめだった。
女性に向けてその男が話かけたのだ。
「今のガキ、何しに来たんだろうな。冷やかしか?」
「・・・あの童はな、我々が何者かを察知したうえで質問する意味がないと察し、この場を後にしたのだ。目こそ見えぬが、童が『気』にて語ろうとしたことを全て理解したよ。盲目のセンサーというだけではない。いまだにああいった人間が存在することに驚くのう」
「確かに。今の世に生きる人間とは少し違う気がした。それに認識阻害だけではなく、ここまで押し殺した我々の気に反応しました。かつて私を祭っていた巫女達に近い雰囲気だったといえます」
部屋の隅で胡坐をかいていた男が答える。年のころは中年だが、体は非常に引き締まっており、鋭い目元が印象的だ。頭もそり上げており、これまた非常に威圧感のある存在だった。その男は女性に対して、敬語にも近い言葉遣いで答えたのだ。
黒づくめの男が聞き返す。
「巫女ねぇ。俺なんざお前と違って誰にも崇められたことがないから、昔の人間の事なんざしらんがね。大して人間なんぞ変わりやしねぇって」
「そう思っているのはお前だけだぞ。人間は中々に興味深い。空からいつも見ているとよくわかることもある」
「鳥の旦那はそうかもしれんがね。確かに数は増えた気がするよ。まるで羽虫みてぇだ」
「羽虫に文化は作れんよ。建物など、千年前はこのような形をしていなかった。美しいとさえ思う」
「どっちにしても俺らが撫でりゃ壊れる程度のものだ。大したことはねぇ」
「よすがいい」
女性が止めたので、男たちは会話を止めた。女性はカップを置くと、語気を一つ強める。
「我々がここに来たのはその必要があるから。決して人間に敵対するためではない事を忘れるな。彼らとはできる限り良好な関係を築くがよい」
「貴女にそうしろと言われればそうしますがね。ミリアザールの手前もあるのだし」
「果てしてこの駄犬が言うことを聞くかどうか」
「んだとぉ!?」
黒づくめの男がもう一人、赤い髪を逆立てた男に食って掛かる。だが女性がぎろりと睨むと、噴き出ようとした二人の殺気が、塩をかけられた菜のようにしなしなとしおれた。
「ジャバウォック、ロックルーフ。身内で争うな、余計な力はとっておけ。今回はそれだけの相手になるだろう」
「シュテルヴェーゼ様がそう言うならそうしますがね。この駄犬によっく言い聞かせてください。私は大人ですから、ええ、自分からは手を出しませんが、売られた喧嘩は買いますからね」
「言いやがるぜ、鳥の旦那。ここは大空じゃないんだ。飛び立つ前に、その羽をもいでやる」
「やめよ、というておる」
再びぴりっとした空気が部屋に充満しかけたが、やはりシュテルヴェーゼの一喝でその争いは止まった。一連のやり取りを見て、残りの坊主頭の男が楽しそうににやにやと笑っていた。
「懲りない奴らだ、お前は。千年以上前と何も変わらん。全く成長してないな」
「気持ちが若いと言ってくれ、レイキ。成長してないのはこの駄犬だけだ」
「よく言うぜ、キレたら俺より見境がないくせによ。昔大空から雨のように魔術で固めた羽を降らせて、一つ山を破壊したのはどこのどいつだ」
「だからやめておけ。それ以上はシュテルヴェーゼ様が本気で怒るぞ」
レイキは相変わらず笑っていたが、シュテルヴェーゼは変わらず瞑想をするかのように黙ってじっと目を瞑っていた。それだけの行為では彼女の心理は読みがたいが、そもそも彼女が本気で怒る時も表情は変わらないので、相当に怒っている可能性もあったのだ。
この三人は知っている。かつてシュテルヴェーゼに叩きのめされ、その弟子となった彼らには十分な畏怖を彼女に抱いているのだ。
それきり沈黙が部屋に訪れたが、彼らはもはや何も言わぬ。ただ彼らは、ミリアザールの帰還を坐して待っているのだ。一つだけ、シュテルヴェーゼはぽつりと漏らした。
「あの強情娘がジャバウォックに助けを請うなど余程であろうなぁ。ただそれでも師匠であるに助けを求めないあたり、なんとも妾も嫌われたか。まあよいさ。妾としてもそろそろやるべきことをやる時期なのだ。あの馬鹿者も動いているようだしな・・・」
口の中で呟かれるその言葉を三人の男も耳をそばだてて聞いていたはずだが、誰も応えを返すことはなかった。
続く
次回投稿は、7/2(月)19:00です。