戦いの合間、その6~マスカレイドの場合~
「それで? 私を四六時中見張って楽しいのかしら?」
「その質問は的外れだ。私にそのような感情は存在しない」
「あっそ、つまらない生き物ね。結局、ブラディマリアの命令ってことね」
「その通りだ。あのお方からはアルネリアへの潜伏、動向の把握と、貴様の監視を命じられている。協力を前提とした、な。ブラディマリア様はまだアルネリアという組織に対して、懸念事項があるとおっしゃっていた」
「懸念事項?」
マスカレイドはその言葉の真意をつかみかねた。マスカレイドはちらりとブラディマリアの姿を見たことがあるが、あそこまで圧倒的存在感、その実力差を感じさせる生物は早々存在しないと一目でわかったのだ。少女の姿でその力を抑えてはいるが、その状態ですらマスカレイドは一瞬たりともブラディマリアと同じ空間に存在したくなかった。
なぜなら、一度敵視された瞬間に自分の命を摘み取られるのは路傍の石を蹴飛ばすよりも簡単だと理解できたから。マスカレイドはセンサーでもなんでもないが、彼女が育った厳しい環境は彼女の直感力を育て上げた。どこにいれば生き延びるのに適していて、どこにいれば身の危険があるのかそのくらいは瞬間で判断できる。その直感を持って判じるブラディマリアの能力は、オーランゼブルよりもはるかに上。ミリアザールは比較にならぬし、真竜達と会ったことはないマスカレイドだが、おそらくその実力は真竜などよりもはるかに上だという想像をつけている。
そうなると、一つ疑問がマスカレイドの頭には残る。それほど圧倒的な存在であるというのに、そしてライフレスやミリアザールに恨みがある節も匂わせるのに、ブラディマリアは今までどこで何をしていたのかという事。
さらにそのことをさしおいて考えても、ブラディマリアがミリアザールに警戒心を持つ理由がわからない。ブラディマリアが本気になれば、この都市張り巡らせた防御結界ごとこの都市を灰に変えることぐらい、わけはないと思うのだが。そうさせない何かがオーランセブルという人物にあるのだろうと、マスカレイドは見当をつけていた。実際、彼女はオーランゼブルの術中にはないのだ。
疑問は次々に浮かび、そして膨れ上がる。マスカレイドは退屈だと思っていたユーウェインに、思わず話しかけてしまった。
「何を懸念していると言うの? ブラディマリアに心配事なんて、似合わない事この上ないでしょうに」
「具体的には知らぬ。だがミリアザール本人よりも、その周辺が問題になるだろうと我らがマドモアゼルはおっしゃっていらした」
「周辺、ねぇ。まあ千年も生きていれば、それなりに色んなところに知り合いがいるのでしょうけど。伝説にある幻獣あたりを集結させるとでもいうのかしら」
「あるいはそれ以上かもな」
ユーウェインの意味深な言い方に、マスカレイドはますますわけがわからなくなった。マスカレイドの頭の中には、真竜以上の強者は存在しない。まして、魔神という生き物すらヒドゥンに付き従うようになって初めて知ったのだ。
自分の持てる知識を総動員して答えを探すマスカレイドだが、その沈黙をどうとらえたのかユーウェインがその体を崩し始めた。
「あ、ちょっとどこに行くの? まだ話は――」
「私にはもうない。それよりも、気になる人物がアルネリアに近づいている」
「気になる?」
「その件の人物だ。ミリアザール以上の実力者だよ」
「なんですって?」
マスカレイドが驚く中、ユーウェインは地面にその身を溶け込ますように消えて行った。後には驚いた表情で思わず立ち上がったマスカレイドが残されたが、
「こうしてはいられないわ、さっそくアルネリアに網をはるべきね。ユーウェインに任せてもいいけど、それでは私の利便性を疑われてしまう。なんとしても私が直に確認しないと・・・フェンナのお嬢ちゃんをせいぜい利用させてもらいましょう」
マスカレイドはそそくさと再び外出用の衣服を纏うと、自分が吐いた唾の跡を足で消し、足早に外へと向かうのだった。
***
深緑宮は最近とみに忙しい。方々への出陣が活発になっているせいもあるが、本部であるアルネリアはその実務処理に追われる。ますは各国への調停者の派遣。他国の依頼にて魔物征伐の軍を出すにしても、ただ軍隊を送ればそれで済むというわけではない。アルネリアの出兵を受けるためには、それなりに準備が当然必要なのだ。
まずは国としては通行証と、行軍途中の宿泊施設、もしくは軍営場所の手配。アルネリアの派遣兵にその辺で野宿させれば礼を欠くし、また軍隊規模の人間が急に動いても受け入れられる施設や町など早々存在しない。前もっての触れ、準備は常に必要である。
また突然アルネリアの軍隊が動いても、国境警備隊や街道警備隊の対応は慎重である。いかにアルネリアの通行証があると言ってもそれは個人が旅をする時に効力を発揮するものであって、一歩間違えれば侵略されることにもなりかねないほどの人数を、手形一つで「はいそうですか」と通すような警備兵はどこの国にも存在しない。
そのためにアルネリアは、まずは各国の依頼を受ける時には実情調査をさせるために、『調停者』と呼ばれる者達を派遣する。だがこれは表向きの事であって、各国の実情などミリアザールにかかれば筒抜けなのである。調停者は書類上、あるいは実際状の手続きをするだけであって、彼らが相手の国に着くころには実態調査のほとんどは終了している。元々、そうでなければ正確な戦力を送り込むことなどできようはずもない。諸国とて、あまりのアルネリア教会の手際の良さには裏がある事くらい承知している。
調停者が本領を発揮するのは、その依頼が終了した時。後始末は書類上の手続きだけではなく、各国からアルネリア教会に支払われる代償の調整である。アルネリアは決して慈善団体ではない。表向きはそうしてあるが、ミリアザールは必ずそれなりの代償を相手に要求する。それらが金品である事はまず絶対にないが、たとえばそれは王太子のグローリア留学であったり、あるいは特産物の独占販売権であったり、あるいは国内の人事権を一部拝借する、などである。
そういった一見表面にわからないような代償をミリアザールは各国から少しずつ貰い受け、そして諸国の政治体制へと深く根ざしていくのである。多くの国ではアルネリアのそういった行動の危険性について異論を唱える者が現れたが、それらは長続きしなかった。ミリアザールがそれらの権力を濫用することはまずもってなかったし、それに異論を唱える連中はたいてい自分の利権を保持したい者達だった。彼らは国にとって、あまり益にならない存在であることが多かったのだ。そういった者共は、自然に、あるいは意図的に排除されていくのが常であった。
そういった情勢の中、各国はアルネリア教会への依頼の仕方を知っていた。国家が現在の体勢になってからそれなりに時間も経っているし、どういったことを依頼すれば、どのくらいの代償になるのかはなんとなく想像がつくのだった。ゆえにアルネリアへの援助要請、または依頼などは比較的頻々に行われるものであった。普段はその依頼事態を選抜せねばアルネリア教会は立ち行かないのだが、ミリアザールは現在それらの大小を問わずすべてを請け負っていた。にも拘わらず自身もまた出陣するものだから、戦で飛び交う矢のごとく降り注ぐ各書類を前に、深緑宮で実務に追われる者がどのような思いをしているのか――
ではその様子を見てみることにしよう。
「エスピス、リネラよ・・・」
「はい」
「なんでしょう、ドライド様」
「茶が旨いな」
「そうですねぇ」
「ええ、本当に」
深緑宮に実務を行う文官として残されたドライド、エスピス、リネラの三人は書類はおろか埃一つ乗っていない清潔な机の上で、ゆるりとお茶を啜っていた。一見優雅な午後の談話、そういった体ではありそうだが--
「こんなに気持ちの良い木漏れ日の指す午後に、なぜ我々はここに座っているのだろうなぁ」
「本当に。これが常なら、弁当を持って保養地にでも行きたいですねぇ」
「そうですねぇ。行くなら海でしょうか、山でしょうか」
「まだ海は冷たかろう。行くなら山ではないか?」
「いやいや、冬眠明けの魔物が多数うろついているでしょうから、危険度で言えば海の方がはるかに安全です」
「でも山は過ごしやすい時期ですよねぇ・・・アルネリア近くの山を選べばそれほど危険もないでしょうし」
「どちらの良いものだな・・・隣の部屋さえ視界に入っていなければ、今すぐにでも出かけるのだが」
ドライドその言葉に、三人の空気と笑みが凍りつく。ちらりと見える扉の向こう、別室の机の上に見える大量の書類。山、山、山――そう表現するのがふさわしいほどの大量の書類。高さではなく気分として、ピレボスの山脈よりも高いのではないかと思わせるだけの書類の量だった。
つまり、ドライド、エスピス、リネラの三人は、現実逃避の真っ最中だったのである。
続く
次回投稿は、6/28(木)19:00です。