戦いの合間、その5~フェンナの場合~
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アルフィリース達の出陣に合わせ、シーカー達の居住区も俄かに慌ただしくなる。
「おい、今回の要請は何人だ?」
「30人。だが急な出陣ではないそうだぞ」
「とは言っても、今は俺達も色々な所へ出稼ぎに出ている。30人をそこからさらに捻出するには、結構骨が折れないか?」
「今建設中の家屋の建築を一端とり止めればなんとなんるさ。それよりも今は人間の通貨が必要だ。何をするにしても人間の世界は金がいるからな。交換する物を持たない我々にとって、人間の世界での労働は貴重だ。そう言う意味ではアルフィリース殿の提供する仕事は得難い収入源だ」
「確かにそうだ。だが出陣となればオルバストフ様とハルティニアス様の許可が必要だ。それに人選はシャーギン様がなさるだろうな」
「ああ。それに建築に関してはロクスウェル様の許可がいる」
「隊長はフェンナ様になるかな?」
「さあ。オーリかもしれんな。最近、奴の戦闘技術の向上には目を見張るものがある」
「確かに。王族でもないのにあの戦い方は凄い」
「よほどウィラムが殺されたのが堪えたんだろうな・・・」
「もう言うな。俺達の仲間も大草原から逃げる時に大勢死んだ。俺達の命があるのはフェンナ様のおかげなんだ。あの方が長老達を強硬に説得していなければ、俺達はあそこで全滅していただろう」
「その通りだ。そしてどっちにしても新しい動きがありそうだ。今度も良い方向に物事が進めば良いがな」
シーカー達がひそひそと話し合うのは、アルフィリースの傭兵団から来た依頼についてだった。アルフィリースの要請を受けての出陣の可能性。前回スラスムンドでの任務ではあまり出陣の人数は裂かれなかったが、成果は上々だった。シーカー達は戦いを好む種族ではないが、その戦闘力は人間達より遥かに上である。弓の技術もそうだし、魔力が人間のそれとはけ桁違いだからだ。
前回の依頼ではフェンナの顔を立てるためわずか10人程度を寄越しただけのシーカーだったが、彼らに対しアルフィリースは十分な報酬を支払った。現在アルネリアの敷地内で暮らすシーカー達にとって、人間の通貨は非常に貴重である。本来通貨を持たず、物々交換で生活してきた彼らにとって今売り込みに使えるのは自らの体とその能力だけである。
シーカー達は森の生活における薬草の知識やあるいは魔術、弓の作り方使い方、魔獣や魔物の知識などを効率的に売り込み、あるいは労働力として純粋に働く者もいた。彼らが世の中に出ることで多少の混乱は起こったが、そこは世界一治安が良いとも言われるアルネリア。大きな騒ぎにはならずに、ほとんどが収束された。
これらの働きの影には、もちろんフェンナの精力的な活動があってこそである。幸いなことに彼女を後押しするのは族長のオルバストフ、第一王子ハルティニアス、第二王子シャーギンであったから、いかにシーカー達が引っ込み思案で慎重な民と言えど、族長たちに絶対的な忠誠を誓う彼らでは逆らうべくもなかった。第五王子ロクスウェルだけは慎重に事を運ぶようにとフェンナや、ともすれば暴走しがちなシャーギンを諌めたが、彼とて基本的な姿勢はフェンナと同じである。最初にあれほど揉めたことが嘘のように、今は積極的に動く方向へとシーカー達の意識は向いていた。
それらをアルフィリースはフェンナとやり取りをしながら上手く調節し、今回の出兵に向けて、兵を前回より多く借りたいとの意向を示したのである。狭い集落の事、族長たちが会議に入ると噂はすぐに飛びかい、民たちはどうなることかと噂をしあった。その中で、我こそはと弓矢の手入れに入る者がいる事もまた新しい変化だったのだろうか。
族長達の居住区から鈴の音が一度響くと、簾のように葉を垂らしただけの入り口からぞろぞろと人が出てきた。会議が一度休憩に入ったのだろう。その中ほどに姿が見えるのはフェンナ。彼女が出てくると、その傍には今や見張りから正式な護衛へと昇格したオーリと、フェンナに新しく使えることになったアミルが彼女の元に駆け寄る。
「いかがでしたか、フェンナ様」
アミルはフェンナよりもかなり高い身長から彼女を見下ろしながら、やや冷ややかともとれるその目線を彼女に降り注いだ。シーカーの中でもさらに濃青であるその瞳の威圧感に、フェンナが少しだけのけぞるように答える。
「ええ、まずまずの出来栄えね」
「その言い方なら出陣ですね。もっともそうなるのが自然な成り行きで、問題はすんなりと事を運ばせたくない、頭の固い年長者達の体面を保つだけの事でしょう。全く持って時間の無駄だ」
「オーリは厳しいのね」
オーリの辛辣な物言いに、フェンナが苦笑いをする。実際彼の言う事は的を得ているのだが、何事も急には変わらないことをフェンナは知っていた。それでも年長者達も現在の流れはそこまで疎ましくもないようで、何のかんの最後はフェンナの言う事がほとんど通るし、少なくとも彼女の意見が無視されることは決してなかった。それだけでも随分な進歩だと、フェンナは割り切って思えるようになったのだ。
だがフェンナの目指す先は、さらに果てしない。
「とりあえず今回は30人の出兵で落ち着きそう。そして今回はシャーギン様が直々に出陣されるそうよ」
「ふむ、しびれを切らしたというところか」
「あの方はシーカーには珍しく、血の気の多い方ですから。まるでスコナーの様」
アミルのやや侮辱ともいえる言い回しにオーリが渋い顔をするが、フェンナがいち早く制したのでオーリは何も反論をしなかった。オーリはウィラムを守れなかった自責の念から、やや酷薄とも言えるほどの性格を持った若者へと変貌を遂げたが、根は忠実で素直な人物である。族長達への尊敬の念は変わらないのだ。
一方でアミルというフェンナの女中は有能であったが、その言葉には投げれば刺さるのではないかというような鋭さがあった。フェンナも時々彼女の嫌味に心を千切りにされるような思いをしながら、彼女を従えて仕事をしている。だがこの上なく有能であるため、重宝しているのも事実。アミルは最近結婚したそうだが、どうやって新婚生活を営んでいるのか、フェンナには全く想像がつかなかった。夫はさぞ温厚で、聖人君子のような人物に違いないとフェンナは勝手に想像を膨らませていた。
フェンナは二人を従える立場でありながら、いつも二人の仲を取り持っているような錯覚に陥っていた。
「(根はいい人達なんですけどね・・・どうも気性が荒くて)」
フェンナはそれでも笑顔を絶やさずに、健気に仕事を続けるのに必死だった。それくらいしか、今は頑張れることがないのだ。
「とにかく、次の話し合いか、遅くともその次には出兵が決定するでしょう。私も今回はついていけるように話を進めて見るから、オーリは自分が使う部下を選んでおいた方がいいわ」
「承知した。既に使えそうな奴には目星をつけてある。奴らに一声かけておこうとは思いますが、せいぜい私の行為が無駄にならないようにしてください」
「う・・・頑張ります」
「きびきび働いてください。そうしないと、私達夫婦が生活する収入が得られないので」
「・・・しくしく」
フェンナはここにきて、アルフィリースが傭兵団を運営する苦しみを少しわかったような気がした。部下という者は自分達の主張だけは存分に行うが、いざ最終的な行動をするのは上役の方であり、彼らは好き勝手めいめいに囀っていればよいのだ。
フェンナは部下を持つようになって、初めてその苦労に直面していた。
「(私って、そんなに何でも言いやすいのかしら? あるいは威厳がないのでしょうか?)」
実際その通りなのだが、親しみやすさがフェンナの武器でもあることに彼女自身気が付いていない。また、彼女がその気になればシャーギンですらたじろぐほどの迫力を出せることにも、彼女は気が付いていなかった。
そして再び鳴った会議の合図に、フェンナは会議へと戻っていく。オーリとアミルはそれぞれ無言でその場を別々の方向に去ったが、アミルはどんどんと人気のない方向へと歩いて行き、ついには自分の住居へと戻ってしまった。
彼女の家には誰もいない。アミルの夫は手先が特に器用で、現在では人間の武器屋に住み込んで、新しい弓矢や工芸品の開発に従事している。大規模な物はアルフィリースがジェシアに頼んで開発させているが、アミルの夫の物は猟師の狩猟のためであったり、あるいは子どもが遊ぶ玩具としての用途、さらには家庭用の家具の作成であって、戦争用では決してなかった。
それはアミルの夫の性格が温厚すぎるせいでもあるが、大した収入にもならぬその仕事をアミル自身が咎めないからでもあった。なぜなら、その方がアミルにとって都合がよかったからである。
「ユーウェイン、どこかしら?」
「・・・ここだ」
家に戻り、アミルはシーカーの民族衣装でもある肩掛けを無造作に放り出すと、その場に貞淑さのかけらもなく、どっかと腰掛け不躾にユーウェインを呼び付けた。その声に答え、家の一画に溜めて会った水がにゅるりと起き上がり、人型に変形する。
そのスライムとも言える有機生命体は、人の目や鼻や唇の様なものを形作るが、それらはいずれも不完全なまま、並の人間以上の知性を備えて流暢な言葉を発するのだ。
「いつまで待たせるつもりだ、マスカレイド。待ちわびたぞ」
「そう言いなさんな。これでも早く切り上げたのだから。あのシーカーの爺どもがぐずぐずとしやがるから、どうにも会議がまとまらなかった。結論は見えてるのに、面倒くさい連中だよ」
アミルが本来の姿であるマスカレイドを取り戻し、ぴかぴかに磨き上げた床にぺっと唾を吐いた。昨日夫のためにと磨き上げた床だが、そんなことはもはやどうでもよいかのような扱いをためらいもなく行うアミルこと、マスカレイド。
水のようなユーウェインはゆらゆらと体を漂わせながら、その彼女の豹変ぶりを見ていた。
「昨日は亭主の前でせっせと磨いていた床だったようだが?」
「演技も大変さ。あのバカで優しい程度しか取柄のないあの男は、こういった妻がお好みだろうからねぇ」
「その割には閨での乱れぶりは、素のようだが?」
ユーウェインが抑揚のない声で放った挑発的な声にも、マスカレイドはじろりと睨んだだけで、決して声を荒立てずに対応した。
「その方が男は好きでしょうよ。昼は貞淑な妻の、夜の豹変ぶりはさぞかし楽しいでしょう。実際、アタシの事が好きで好きでたまらないといった風じゃないのさ、あの人は」
「そのような事は俺にはわからん。生物かどうかも怪しいこの体ではな」
ゆらゆらとユーウェインは揺らめきながら、やはり抑揚のない声で続けるのだ。口らしき場所が何やら動いてはいるが、その声は口のような場所から発せられているかは本当に怪しい。なぜなら、ユーウェインにはいわゆる生物の発声器官があるようには、一部たりとも見えないからだ。
この何とも言えない生物がマスカレイドの知りうる唯一の協力者なわけだが、互いに主は異なる。マスカレイドは一応ヒドゥンの配下ということになってはいるが、厳密には違う。彼女には彼女の行動理念があり、ヒドゥンはそのために便利な場所を提供してくれるだけの関係だった。ただ力関係はヒドゥンの方が上だと彼女が考えているため、大人しく建前上は従っている。
一方でユーウェインは、忠実なるブラディマリアの部下のようだ。ブラディマリアの命とあれば、その場で自決も厭わないだろうほどの忠節は備えていそうだった。もっとも、その前にユーウェインにまっとうな生物としての思考があれば、の話だが。だが本人もそのことを自覚しているあたり、知性のようなものは明確に存在しているのだろうと、マスカレイドは思っている。
それでも逐一こちらの行動を見られているのは、マスカレイドとしても気味が悪い。確かにこの水に擬態できるユーウェインの能力をもってすれば、このアルネリア中に網を張ることも可能だろう。この町で起こる全ての出来事は、ユーウェインが知るところとなっている。だがどこからどこまでがユーウェインの知るところとできるかについては、マスカレイドは何も知らないし、ユーウェインも語ろうとはしなかった。ユーウェインもまた、マスカレイドを信用していないという事か、あるいは信用するなとブラディマリアに言われているのかもしれない。
共闘関係と言われると微妙な間柄の二人だが、今の所明確な行動目的はない。とりあえず押さえておいて便利そうな人物にマスカレイドは取り入り、ユーウェインはマスカレイドの小間使いのような立場で動いている。もっともユーウェインは完全にマスカレイドを小馬鹿にしたような態度であり、完全に見下していることがマスカレイドにもわかっていた。
続く
次回投稿は、6/26(火)19:00です。