戦いの合間、その4~マイアの場合~
「暇ですね・・・」
マイアはうろうろと動き回る人々の中、ピースが作るご飯に三食ありつくだけの存在だった。真竜は人への積極的な介入を良しとしない。その原則をしっかりと守ろうとするマイアだが、グウェンドルフと違い、彼女には音楽という無聊を慰める手段が存在しない。これはマイアにとって非常に苦痛なことだった。
マイアにはつがいが存在する。普段はそのつがいとやり取りするか、はるか天空から人の営みを観察して回ることこそ彼女が1000年以上続けてきた日課である。だがこうして人の中に存在しながら、人の生活に密接に関わることができないのは、さながら拷問に等しかった。
マイアがこの傭兵団に来てから体感した出来事には、実に様々な感動があった。人間はちょっとしたことで傷つき、また感動する。人の営みを米粒以下の大きさでしか捕えていなかったマイアには、非常に新鮮な事であった。
人間はとても食事をおいしく作る。一つの食材に対し、焼く、蒸す、煮るなど実に様々な調理を試みる。そしてその香辛料、味付けの多さときたら、まるで魔法を見ているかのようにマイアは錯覚したのだ。一つの肉がある時は甘く、そして辛くなる。普段大きな力を使わぬ限り食事をあまり必要とせず、せいぜい木の実や鳥を食べるマイアにとって、料理というものはただ腹を満たす以上の行為として新たな発見だった。
また人はよく喋る。彼らに許された言語はわずかしかないというのに、彼らは実によく意志を色々な人間と疎通した。マイアは生まれた時から当たり前のように自然や精霊と会話する事ができる。それらは会話と言うより、心と心のふれあい。いわゆる『念話』や『共感』に等しい。だが自然や精霊の語ることはあまり種類が多くなく、その伝達もほぼ一方通行であることが多い。ゆえに、マイアも一つ意識して見れば『会話』というものは生まれてこの方、同族程度しか交わしたことが無いことに気が付いた。
そんなだからマイアの生活は驚きと発見の連続であった。マイアにとって人間とは非常に興味深い観察対象となっていった。その中でアルフィリースという存在はまた格別に面白かったのだ。
「(アルフィリースという人間は非常に面白い。だらしないかと思えば、仕事を既に終えていたり。何も考えてないかと思えば、妙に的確な指示を出す。それに非常に自由だと思えば、つまらぬ悩みを抱えていたりする。つまらないというのはもちろん私や周囲の意見だけど、彼女にとっては一大事なのかも。
とりあえず、彼女の中には不思議なほどに二面性が同居している。よくあれで自我が保てているものだ。あるいはグウェンドルフの懸念通り、本当にアルフィリースの中には二人いるのだろうか?)」
グウェンドルフの不安。アルドリュースから伝え聞き、あるいはサーペントから報告があり、それはアルフィリースが時に見せる非情な一面。まるで性格が変化したとしか思えない変貌を遂げるアルフィリースの一面を、スラスムンドの戦いにてマイアはこっそりと放っていた使い魔にて確認している。もともとの目的は、いざという時にマイア自身がスラスムンドに出向いて彼女を助けるためだった。だがその結果はマイアが予想もしなかった結末となった。
スラスムンドでマイアが見たのは、普段のアルフィリースからは想像もできないような戦い方。確かに指揮官として非情な決断をする事の重大さを、その必要性を彼女は理解しているわけだが、だが容赦が無いわけではないし、決してアルフィリースは戦いを楽しみはしない。だがアルフィリースは戦いの最中、吹きすさぶ魔術の衝撃の中で確かに薄く笑っていたのだ。それはマイアが使い魔を通して見ていたからこそ、戦いの衝撃に影響を受けずに確認できたことだったかもしれない。
さらにもう一つ、マイアにはどうにもアルフィリースの戦い方において腑に落ちない点があった。
「(精霊、いえ大気に存在する元素とでもいうべき魔力の最小単位、魔素が収束するのが早過ぎる。戦闘中における髪色の変化は非常に珍しいが、理論上あり得ないことではない。だが、二色に変化するとはどういうことか。魔素が収束する事以上に、一度体の中に取り入れた魔素が一瞬にて体から抜け落ちるなど、そちらの方がありえない。一度体に入って魔素を体から抜くのは、通常であれば内臓を力づくで引き抜くにも等しい。そんなことをすれば、痛みのあまり人間は精神が崩壊してもおかしくない。そうならないための処置はあるにはるが、どれもこれも年単位の時間がかかるものだ。なのにアルフィリースはその場で魔素を入れ替えながら、平然としていた。
ああ、あの場にこの体で行っておくべきだった。使い魔を通じての情報収集はたかがしれる。この体さえあれば、真実に辿りつけたかもしれないのに!)」
マイアは一人悔しそうにため息をついた。やる事のない彼女は、一人で思考に没頭すると最後はいつもこの結論に落ち着き、ため息をつくことが習慣になっている。そんな彼女を悩み深き女性として傭兵団の面々は遠くから見守っていたが、アルフィリースから「さるとても高貴な方だから、うかつに近づかないように」との厳命だったので、誰もマイアを慰めに行こうとする者はいなかった。
そしてその物憂げな美女も、出陣の喧騒にてその存在が希薄になった頃、彼女の元に一匹の小鳥がやってくる。小鳥は不思議なことにいつからそこにいたのかマイアに気付かせることもなく、ただマイアの座るテーブルの上に可愛らしく首をかしげて止まっているのだった。
「あら、この小鳥・・・」
「お久しぶりでございます、天空竜のマイア様」
鳥が突如として話したことで、マイアの目が鋭く光る。その瞬間、彼女はその鳥をゆったりとした服の裾に隠すと、人に気取られぬように自室へと戻った。そして周囲には念のため防音の結界を張り巡らせてから、その鳥を取り出したのだ。
「もういいわよ、ピートフロート。元の姿に戻りなさい」
「私の名前を覚えていて下さったのですね。光栄です」
鳥の姿が塵となって崩れると、中から跪いたピートフロートが現れた。その態度を見て、逆に顔をしかめるマイア。
「なぜ私に人間式の礼儀を取る? 人に毒され過ぎではないの、妖精の分際で」
「これも、人に紛れて生きるためには必要な処世術という奴で」
「言うものね。発生から20年足らずで上位精霊となった、妖精界の異端児が。ノーティス様の影響かしら?」
ぎろりと睨むマイアだが、普通の動物や魔獣、魔物さえ怯えさせる真竜の睨みをピートフロートはさらりと流す。
「彼の方の影響も少なからずありましょうが、それ以前に私の性格でしょうね。これでも千年以上、上位精霊をやっておりますもので」
「ふん、確かに生来の性格がないと無理でしょうね。上位精霊は自然により近い存在。その思考や態度までやがて自然と同化していくから、感情に無駄な揺れがなくなっていくものね。
で、こんなところに来るということはノーティス様の命令だと思うけど、お金の無心かしら」
「我が主人はそのように思われているのですか・・・というか、そんな事をしていたのですか?」
マイアのその言いように、さすがに情けない表情をするピートフロート。だがすぐに気を取り直すと本題に入る。
「えーと、ともあれノーティス様より伝言です。『次に双月が共に満ちる時、我々の憩いの湖に集合されたし』。これは貴女に限らず、他の真竜にも伝言として伝えられています」
「・・・この事をグウェンドルフ族長は知っているの?」
「いえ。あの人は現在、先代の眠る場所に赴いています。今は連絡が取れないかと」
「族長が不在の時に好き勝手するのね。いかに我々より年上の真竜とはいえ、完全なる越権行為だと思うけど? それにあの人の事を信頼しているのは現在の真竜でもわずか。イルマタルの両親であるルネスやフィーガードなどは決して集まらないと思うわ」
「ええ、彼らは決して来ないでしょうね。というか、来れないと思います」
ピートフロートがあっさりといった言葉に、マイアは違和感を覚える。
「ひっかかる言い方ね。何かあるの?」
「・・・お二方は殺されました」
項垂れながら語るピートフロートの言葉に、マイアの息が止まりそうになる。
「な・・・なんですって!? 私の妹分とその夫が殺されたというの!?」
「残念ながら」
「誰に? いつ!?」
「現時点では何も申せませぬ。このことに関してノーティス様は緊急に話したいことがあるとして、今回の招集を決定されたのです。本来なら族長であるグウェンドルフ様に決定権はありますが、今は不在。このことも知らないでしょう。その場合、あの方の代理に関してはまだ何も取り決めがありません。弟分であるサーペント殿が適正なのでしょうが、あの方は魔女であるフェアトゥーセ殿と恋仲。真竜として決定権を持つ者としては、既に不適格でしょう」
「む・・・確かに」
ピートフロートの言い分は尤もなので、マイアは言葉に詰まってしまった。だがそれにしてもノーティスが何を知っているのか、あるいはなぜ妹であるルネスが誰に殺されたのか、マイアは気になってしょうがない。
「ともあれ、ノーティス様が招集する理由はわかったわ。私も必ず参上しましょう。だけど、その間アルフィリース達の守りが一時おろそかになるわ。私の代役が務まる者などそういないだろうし、どうしたものかしら」
「英雄王がその言葉を聞いたら怒るでしょうね」
ピートフロートが苦笑いをし、マイアは思い出したように手を叩いた。
「それもそうね・・・でも結局奴も敵の仲間なのよ? どこまで信頼してもいいのかしら」
「私はかの英雄王が活動していたころより少し知っていますが、結構あれはあれで律義な所がある男です。一度決めた事を簡単に反故にするようでは王は務まりませんし、今のところ大丈夫だと思います。オーランゼブルの命令も変更されるような気配もありませんし」
「本当にそうならいいのだけど。どちらにしてもノーティス様の集まりはアルフィリースにも無関係ではないでしょうし、時期を考えると私も間もなく向かわなくてはならないわ。貴方はどうするの?」
マイアの双眸がピートフロートを射抜いたが、彼はその真竜の瞳に動じることなく答えた。
「もう伝達するのもマイア様で最後ですし、私は逆にしばしここに留まろうかと。私が残ればノーティス様にはいざという時につながるでしょうし、多少抑制にもなるでしょう。アルフィリース達を手伝えることもあるかもしれません」
「上位精霊のあなたが残るのならそれもいいわね。ではここは任せるわ」
「ええ、そうしてください。ではお気をつけて」
ピートフロートが手を振るのに合わせ、マイアは足早に自分の部屋を出ていった。ピートフロートはくるりと部屋を見渡すと、とりあえずマイアのベッドに図々しくも身を投げ出した。
「あーこれで任務完了っと、しばらく休ませてもらっちゃいましょう。まったく、私の主人は精霊使いが荒いんだから。だけどどうやってアルフィリース達に挨拶したものですかねぇ・・・まあ寝て起きてから考えましょうか」
そう言ってピートフロートは人の部屋でくつろぎながら、速やかな居眠りに入るのだった。
続く
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