呪印の秘密とアルフィリースの過去、その1~友情~
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「完全に出るタイミングを逃したわね・・・」
その件のシスターは自分の敵をとっとと片づけ、事の成り行きを見守っていた。ちなみに彼女に襲いかかった連中は、顔の原型がわからない程度にはボコボコにされ、身ぐるみはがれて全員馬小屋の肥溜めに放り込まれている。
「目には目を、歯には歯を、クソッタレにはクソッタレってか」
そんな教義は、アノルンが属する教会にはもちろんない。
「にしても、あそこまでの使い手なのね。うちの神殿騎士団の大隊長くらいには強いんじゃない?? それに・・・」
投げたダガーの不自然な飛距離と威力。20m近い距離をあんな風には飛ばないだろうとアノルンが考えていると、
「あ、シスターいた!」
「わ」
不意にアルフィリースに声をかけられ、驚くアノルン。
「シスター、皆に色々聞かれる前にもう行かない? またおだて上げられるのは嫌だよ、私」
「そ、そうね。じゃあ行きましょう」
やや面喰いつつも、アノルンは馬を連れてくる。そしてさっそく馬に乗り、そそくさと町を後にしようとする2人。だがその時、門衛の老人に声をかけられた。
「お前さんたち」
「何? 門衛さん」
「何か急がれるみたいじゃからもう引きとめんがの。ミーシアには寄るんじゃろう? あそこではワシの息子が宿屋をやっておる。もし泊まるんならこのジジィの手紙を見せるとええ。タダで泊めるように一言書いてあるからの」
「ホント? ありがとう、おじいさん!」
「何の何の、これでこの町もしばらく平和じゃろうからな。そのお礼にしては安すぎるくらいじゃ」
「じゃあありがたく使わせてもらうわね。え~と、おじいさんの名前は?」
「ビスじゃよ」
「ありがとうビスさん、私はアルフィリースよ。じゃあまた縁があったら会いましょう!」
「おうよ」
門衛のビスは、笑顔で手を振って送り出してくれている。アルフィリースも人に親切にされて、すっかりご機嫌のようであった。
***
その後、イズの町を後にしてしばらく進んでいたが、シスターの口数がいやに少ない。アルフィリースが話しかけても、生返事がほとんどである。アルフィリースはアノルン訝しみ、やや心配そうに彼女の方を見る。
「どうしたの、シスター?」
「ん、いや何でもない」
「何でもなくはないでしょう、体調が悪いんじゃないの? 休憩しましょうか?」
「いいよ・・・いや、やっぱり休憩しよう」
意を決したようにシスターがアルフィリースの方を向いた。いつになく真面目な表情に、何事かとアルフィリースも構えなおす。
「そこの岩のとこに行こう」
このあたりは草原が多い。大陸の中ほどに位置するため昔から開けており、通る人影もかなりの数だ。前にも後ろにも隊商が見られるし、馬のいななきも多い。このような状況で道端で腰を下ろすわけにもいかず、2人は少し街道をはずれ、街道から見えない人気のない岩の上に腰かけた。
アノルンが渋そうに話を切り出す。
「アルフィ、アンタには答えにくい話題かもしれないけどさ。聞いてもいいかな?」
「私に答えられる範囲で良ければ」
アルフィリースも話題の重要性を感じ取ったのだろう。表情は真剣である。
「今日朝ね、悪いとは思ったけどアンタの体の刻印を一部だけど見たのよ」
「やっぱりそうなのね。それで?」
「あんたのは普通の刻印じゃない。民族の儀式や、あるいは罪人の証で刻印を入れることはある。ほかにも、魔術とか、家柄でね。王族だって、そういう刻印を王の証とする国家もある」
「・・・」
「私も専門家じゃないから詳しくはわからないけど、あんたのは呪印の類いだった気がする。しかも魔術を封印する、封呪の類いだ」
「・・・で?」
「封呪の印ってのは、体に施す刻印としては最も強い種類だ。体の魔力の循環を阻害するから本人にもかなりの負担を強いるが、その分効果は高い。それをアンタ、両腕のほぼ全面に掘ってるね?」
「・・・背中と胸の一部にもよ」
「それだけアンタの魔力が強大ってことだ。通常腕を一列で一周する程度で、並の魔術師ならば半永久的に魔法が使えなくなる。そんなものをそれだけ広範囲で封印しながら、アンタはなおかつ魔術を用いたね?」
「なんでそう思うの?」
「飛んだダガーの飛距離。投げ方に対して、あんなに飛ぶはずがない。風の魔術か何かを使ったはずだ」
「そこまでわかるんだ。で、どうする? 私を始末する?」
「アンタ次第だ」
アノルンの目線が一層鋭くなる。
「アンタ、本当は何をしたい? それほどの力があればだいたい何でもできるだろ? 国に士官するもよし、魔術教会に属するもよし。どうやっても引く手数多になる。なんだったら力で人を従えて、魔王みたいな君臨の仕方もある」
「・・・私はね」
アルフィリースがふと遠い目をする。
「自分が何をしたいのか、何をすべきなのか・・・まるでわかってない」
彼女はポツリポツリと話し始めた。
「私の生まれは農家よ。貧しくはなかったけど、その日のご飯にも困らない程度のごくごく普通の家で育ったわ。でも私には普通じゃない力があった。小さい頃は、その力を自分のために使うことが悪いとも思わなかったわ」
アノルンは真剣な面持ちでアルフィリースをという人物を測るかのようにじっと見ている。
「自分で制御しきれないってこともあったけど、それで遂に人を死に至らしめたわ。私たちの村に落ちのびてきた戦争の敗残兵だった。村人に乱暴しようとしたところを見逃せなくて・・・でもそれがまずかったみたい。ほどなくして私は多数の魔術士に囲まれたわ」
アルフィリースの生きる世界ではそれが当然だった。昔は魔術士は魔物や魔王に対抗する力として重宝されたが、過去に国を操り、世界中に戦争を仕掛けようとした魔術士がいた。その魔術士は征伐されたが、多大な犠牲を出したその事件以降、人々は魔術の危険性を認識し、魔術士は一般の人々から不当な扱いを受けることが多くなる。
遂には弾圧、迫害にまで発展するほど一般人と魔術士の対立の溝は深まったが、魔術士達は自分達の管理を徹底することにより、人々の信頼を取り戻そうとした。そのために作られたのが魔術教会であり、強い魔力を持つ者はより厳しく自分を律し、かつ管理されなければならないというのが現在の常識である。
そのため魔術の力を悪用しようとする者には、魔術教会が例外なく自分達で制裁を行うことにしている。魔術教会には魔術士狩りを専門に行う部署まであるくらいだ。
だが一方で、力の大小はあるとはいえ、本来魔術の力は誰でも持っているものである。普通は専門の知識を学び、然るべき修行をすることでしか発現しないが、たまに生まれつき魔術が使用できるような素質に恵まれる者もいる。それほどの才能ある者は、たいていは占星術や予知を駆使して存在を察知され、生後間もなく然るべき場所に引きとられる。人を死に追いやるほどの力の持ち主が放置されるなど通常はありえないのだが、そういった意味ではアルフィリースは例外だった。異端、と言い換えてもいいだろう。才能に恵まれることが常に幸せとは限らない。
そうやってアノルンが考える間にも、アルフィリースは淡々と話し続ける。
「魔術士10人くらいだったかしら。それでも私の魔力の方が断然強くって、あっという間に倒してしまったの。ああ、殺してはいないわよ? そんな必要が無いほど、私の方が強かった。そこに通りがかったのが私の師匠」
「ちなみに師匠の名前は?」
「アルドリュース」
「まさかアルドリュース=セルク=レゼルワーク!?」
「そうよ」
世界に名だたる魔術士は沢山いるが、アルドリュースという魔術士は特殊であった。彼は若くして凄まじい力を発現させたが、若干20歳にして魔術の修行を放棄。魔術教会を脱退した後、そのままとある国の騎士団へと入隊し、今度は武術で将軍職の一歩手前である千人長にまで上り詰めた。
さらに文官としても力を発揮し、特に内政の分野における治水工事・都市計画などにおいて、いまだに彼の提唱した案が世界中で参考とされている。宮廷にも民衆にも人気があり、国王にも評価され伯爵号まで与えられたが、なぜか30代半ばにて全ての地位を返上して出奔。そのまま野に姿を消した。
何を考えていたかわからないという点変人、奇人とも言われるが、同時に半ば伝説的な人物である。まさかそんな人物にアルフィリースが育てられているとは、アノルンの想像を大幅に超えていた。いや、むしろそれほどの人物が、アルフィリースを育てる必要があったのかもしれない。
アルフィリースはなおも続ける。
「私、師匠にはあっさりやられちゃってね。魔術士のくせに武術まで超一流なんだもん、反則みたいな強さだったわ。で、それから師匠預かりになって、人里離れて暮らすってことを条件に処分は免れたわ。他にも色々事情はあったみたいだけど、師匠は話してくれなかった。その時に、この封呪を師匠から施されたの」
そういってアルフィリースはぐいっと袖をまくってみせる。だがアノルンが見たところ、右と左で文様の形式が違うように見える。
「右と左で違うのがわかる? 左は師匠の施した呪印。右は、私が自分で施したものよ」
「自分で? そんなことができるの?? それ以上に、正気の沙汰じゃないわよ!」
呪印は施す者にも受ける者にも大きな代償を求める。施す者には何らかの機能廃絶、たとえば味覚の消失や寿命の短縮である。そして受ける側には消えることのない多大な苦痛である。ゆえに呪印は魔王や強大な魔物の封印や、罪人への最高の刑罰として用いられるのが通例だ。それを、自分で自分にかけるなんて、正気の沙汰とは言えない。
アルフィリースの表情は、その重大さを微塵も感じさせないほど明るい。逆にそのことがアノルンにとっては痛々しかった。アルフィリースはアノルンの内心を悟ったか、まくしたてるように話す。
「機能廃絶はなかったんだけどね。その代わり、呪印で封じられた分の魔力を使おうとするたびに呪印の侵蝕が強まるようになったわ」
「それは」
「そう、本来の魔力を使うたびに苦痛が強くなるということ」
あっさりいえるような内容ではない。アルフィリースの抱える苦痛はいかほどかと想像し、アノルンは身を震わせた。
「そんな心配そうな顔しないで、今は大した苦痛じゃないから大丈夫。長いこと魔術も使わなければ痛みは段々なくなっていくし、ここ数年は使ってないから痛みは全くないわ。ときたま思い出したようにズキズキするくらいよ」
アルフィリースはかすかに微笑んでアノルンに説明した。
「でも私に呪印を施したせいで、師匠の寿命は短くなったわ。師匠は私のことを本気で気にかけてくれた初めての人間。でも私が殺したのも同然なの」
「・・・」
「その師匠の遺言よ。『自分の心の趣くままに生きなさい』だって。恨みごとの一つでも言ってくれればよかったと、何度も思ったけど。でも師匠は私を本当の娘みたいに扱ってくれて・・・私にとっては実の親以上だったわ。後で知ったんだけど、私のことを魔術教会に密告したのは実の親だったみたいだしね。だから自分で施した呪印は、師匠に対する誓いのようなもの。決してあの人が私にしてくれたことを忘れないように、と。そうでなければ、実の親を恨んでしまいそうだから」
「アルフィ、あなた・・・」
アノルンが悲しそうな瞳をアルフィリースに向けるが、アルフィリースは全く気がつかないふりをした。
「だから私は師匠がしてくれたように、他人にするつもりなの。この力は誰かのために使おうって。この力があれば誰か救える人がいるかもしれない。それが何か分からないけど、探してみようかなと思ってる。自分のために使うつもりはないの。たとえ今貴女に、ここで殺されるとしてもね」
「なんでアタシがアルフィを殺さないとならないのさ?」
「でもやろうと思えばできるよね? シスターって私より強いもの。それにシスターの本業って、そういったことじゃないの?」
アルフィリースがアノルンを真っ直ぐに見つめている。
「(この子はどこまで・・・アタシのことに気がついてるんだろう?)」
アノルンにもわからない。ただ彼女が想像していたよりも、アルフィリースははるかに鋭いようだ。そんなアノルンに構わず話を続けるアルフィリース。
「シスターって物腰が完全に戦士のそれだもの。そういうのって、見る人が見たらわかると思うわ。シスターは私を初めて見たとき非常に気になったって言ったけど、私もそれは同じだったのよ? だって一目見てなぜか勝てる気がしない相手が、シスターの恰好をして人助けをしていたのだから。旅をしていて初めてだったわ、私が全力を出しても勝てそうにない相手って。世間知らずでも、戦士としての直感はそれなりのつもりよ?」
「そうなの・・・やっぱりアナタ只者じゃなかったわね。でもそれは買い被りよ、アタシはそんなに強くないわ。それよりそういう事情で髪も黒いわけね?」
「そうかなぁ、私の勘って結構当たるんだけどなぁ。ちなみに髪は想像の通り、黒に染めてるわ」
「ちなみに元の色は何色なの?」
アノルンの純粋な興味本位の問いかけに、アルフィリースは少し困った顔をする。
「それは・・・答えてもいいけど、シスターのこともちょっとは話してよ?」
「アタシ? いいけど、答えられないことも多いわよ、仕事の都合上」
「じゃあね・・・ホントにシスターなの?」
「それは本当よ。れっきとした身分証もあるわ、ホラ」
「本当だ。しかも司教? 司教の上って・・・」
「大司教補佐、大司教、最高教主だけよ」
目を丸くするアルフィリースに、少しアノルンは自慢気に胸を張って見せる。
「本当に偉い人なんだ」
「敬ってへつらいなさい!」
「い や よ !」
アルフィリースにアノルンに向かって、おもいっきり「イー」をした。年齢に比して幼い仕草にちょっとアノルンは面喰ったが、まだ20歳にもならない女の子で、しかも一番遊びたい盛りの年ごろを山でこもって同世代の友達もなく暮らしたのだから、こういった掛け合いを全くしてきていないのだろう。
正直アノルンはアルフィリースと戦うつもりはあまりなかったが、必要ならばやむなし、と考えていた。必要とあればいくらでも冷徹になれる、また冷徹にならなければいけないことも彼女は充分に承知していた。それはアノルンが、長らく戦う者として得た経験でもあった。
実際、アノルンは巡礼の仕事として魔物討伐を請け負うこともあり、増援が間に合わないときは単独で討伐任務を行うときもあった。だがこういった自分に打ち解けたアルフィの仕草を見ていると、彼女は仮に自分がアルフィリースを殺そうとしても、彼女は本当に呪印を使うことはしないだろうと確信でき、アノルンはますます戦う気力を無くしていた。アノルンはこの随分と年下の、少女といっても差し支えないほどの女剣士を友人として考えるようになっていたのだ。
続く