戦いの合間、その2~アルフィリース、エクラ、ジェシア、ラキアの場合~
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「新しい依頼ですって?」
「ええ、しかも大口の」
エクラがやや興奮気味にその依頼の事をアルフィリースに告げる。アルフィリース達はスラスムンドより帰還後、新しい依頼の報告をエクラから受けていた。どれもそこそこ程度の内容だったが、中には彼女達を娼婦扱いしかしていないような失礼千万な依頼もあり、それらはリサの『報復リスト』なる、不吉な呼び名の頭脳の一画に分離整頓されるのだった。その引き出しが開けられる時、さぞかし多くの悲鳴が奏でられることだろう。
だがスラスムンドより帰還して間もなく、アルフィリース達には大口の依頼が一件舞い込んできた。それは何を隠そう、エクラの父である宰相ハウゼンによるものである。エクラの手にはその書状があるのだ。エクラはやや興奮気味にその書状を読み始める。
「いいですか、読みますよ? 『親愛なる娘、エクラよ。達者でやっているだろうか。傭兵としての生活はまた貴族の時とは随分と違うものになるだろうが、お前ならやっていけていると思う。心配事は尽きぬのだが、余計な心配は母親に任せておくとして、私は一つ案件をお前に頼もうと思う。
実はまだ国民には公になっていないが、ここ一年近く国内では魔物・魔獣による被害件数が三倍近い。原因追究には務めているが、それ以上に現場での対応が必要だ。ダレイドル侯爵は知っているな? 我らがミューゼ殿下のいとこに当たる方だが、どうにも放蕩な方でな。今までは平和であったから何事も起きなかったが、ここにおいて魔物討伐のために出陣されることになった。軍内でもそれなりに立場は上だし、あまりに人出が足らなさ過ぎてな。出陣願わないわけにはいかなかったのだ。
だが案の定問題が起きた。かの侯爵は連戦連敗。死傷者は多数出ており、しかも成果はないに等しい。おまけに魔物を追うのに集中するあまり、国境侵犯してしまったのだ。そのせいでダレイドル侯爵は魔物のみならず、国家間の戦争の火種になるやもしれぬのだ。だがかの侯爵は誇り高く、周りの者の諫言を聞き入れぬ。唯一殿下だけの言葉は聞くのだが、それも今回は効き目が薄い。ようやく援軍を送ることだけを承知させたのだが、誰も嫌がる状況でな。それでついアルフィリース達の事を話したのだが、殿下が大層気に入られてな。ぜひとも援軍に同行させてほしいと申しこんできたのだ。
ミューゼ殿下直接の依頼とも言えるが、お前達の返答を聞かせてほしい。一度べグラードまで足を運んではもらえないだろうか。依頼を受けるにせよ受けないにせよ、殿下はアルフィリース殿に会ってみたいそうだ。何一つ損はないのではないかと思われるが、検討してみてほしい。
では良い返事を期待している。
追伸 こちらに帰ってきたら母親の前に顔を出してほしい、随分と寂しがっている。愛しの娘に水の幸あれ ハウゼン』」
そこには簡潔ながら確かに愛する娘に向けた手紙があった。だがそれ以上に、今度はミューゼ殿下直接の依頼だという。一国の主の依頼ともなると事実上最上の依頼だが、興奮するエクラとは対照的にアルフィリースは思いの他慎重だった。
「エクラ、興奮するのは早いわ。まずその依頼の下調べが重要になるわ」
「ええ? 何を言うのですか、アルフィリース。ミューゼ殿下ですよ? あの中原一高貴で、あの人がいらっしゃらないと現在の社交会はないとまで言われたお方ですよ? 一体何を調べると言うのです」
「エクラって普段冷静だけど、時に何も見えなくなるわねぇ・・・どこの誰が頼んでこようと同じよ。私は自分が納得するだけの下調べをしないと気が済まない。まして戦争の可能性があるようではね。
これから下調べを開始するわ。現在魔獣討伐にそのダレイドル侯爵が出陣している場所を詳しく調べて。現地にはリサ、エアリー、それにロゼッタとロイドを派遣するわ。それに地図も持っていかせて。
傭兵団の方はダロンとエクラ、それにターシャに出撃準備をしてもらう。あと私もね。私はここで準備をジェシアとした後、ラキアとラインを伴ってベグラードに赴くわ。その結果次第では、準備は全て無駄に終わるかも。もっともそっちの方がいいかもしれないけど」
アルフィリースの思わぬ冷静な意見に、エクラがぽかんとして口を空けていた。対するアルフィリースは何か気になることでもあるのか、手元の書類に目を通していた。朝から読まれ始めている書類の山はあっという間に仕分けが終わっており、アルフィリースは既に半分近くに目を通していた。そして不要な物は捨て、急ぐべきものは急ぎ、そうでないものは後回しになるように分類していたのだ。
その中の一つの書類と手紙に、アルフィリースは食い入るように見入っていた。そして独り言を漏らしたのだ。
「そっか、順調なのね・・・」
「アルフィリース、それは?」
「内緒。ただこっちの書類は気になる内容が書いてあるわ・・・でもまだ調査中だから。もう少しわかったことがあったらエクラにも相談するわね」
「?」
エクラはますますわからないと言った風に首をかしげた。何より、アルフィリースが自分に内緒でいつの間に何をしていると言うのか、エクラには全く理解不能だった。
ただアルフィリースは内緒で企むということが面白いとでも言わんばかりに、満足気に椅子に深くもたれかかり、一挙に片付けた書類を前に一時の休息を得るのだった。
そこにふっと現れたのはイルマタル。ノックがないのはいつものことだが、その目には涙が一杯に浮かべられている。ただ事ではないと感じたアルフィリースは彼女の元に駆け寄り、その涙をそっと拭ったが、涙は後から後からとめどなく流れてくるのだった。
「イル? 何かあったの?」
「わかんない~。でも涙さんが止まらないの。ママ、私どこかおかしいのかなぁ?」
「う・・・ん。熱はなさそうだけど、真竜を診せる事のできる医者なんていないもんねぇ。ミリアザールでも無理かなぁ?」
「体はどこもおかしくないの。でも、なんだか胸に穴が開いた気分・・・なんだろう。イルは大切なことをわかっていない気がするの」
イルの口調はいつもより大人びていた。それだけ彼女の中で何かが急激に起こっているのか、アルフィリースにはどうすることもできず、ただイルがなんとなく空をぼんやりと見上げるのを一緒に見てやることくらいしかできなかった。
***
「ええ、順調よ・・・そうね、そう。だけど・・・やはり時間がもう少し欲しいわ・・・ええ、きっと。半年以内に成果は・・・任せておいて、この仕事はしくじれないのだから」
アルネリア内、酒場の裏手。聖都アルネリアの中とて、人の目の及ばぬ場所、光の当たらぬ場所というものは存在する。そんな暗がりで衝立越しに話す男女が二人。正確には女の方がほぼ一方的に話している。男の方は何らかの合図を女の掌のその都度書くのみで、一言も発していない。どうやら女に対し男の方は伝えることは決まっているのか、話す必要が一切無いようだった。
「そう・・・現在はそういう方針なのね? わかったわ、上手くやるから・・・ええ、もう消えて。そうでないと、やっこさんのセンサーはやたらと優秀なのだから。どこに耳があるか・・・ええ、大丈夫よ。この時間、その可愛いセンサーさんは深緑宮に行っているわ。さしものあの子も、あの場所からでは町中に張り巡らされた結界が逆に邪魔になってどうしようもない。既に調べは済んでいるわ。
じゃあアタシはこのままね? ・・・そう、ならもう少し軍資金と装備の準備をお願いしたいわ。アタシの読みだと、もう少しで入用になるはずだから。心配しなくっても、アタシが今まで読みをはずして損させたことがある? ・・・そうよ、まだ投資を続けるの。彼女達はまさに奇貨よ。今までに見たこともないくらいの利率で我々に返してくれるわ。楽しみに・・・シッ! 行きなさい、誰か来るわ!」
女が促すと、男は音もなく消えた。そして女が適当に服をはだけさせると、そこにはラキアが現れたのだ。
「うん? ・・・そこにいるのはジェシアか?」
「あ、あら。ラキアじゃない。賭場の帰り?」
「賭場ってほどの物ではないが・・・どうでもいいだろ」
ラキアは少々決まりが悪そうに答えた。彼女は姉のマイアにこってりと絞られたが、それで彼女の賭け事癖が抜けるわけではない。合い変わらず賭け事好きな真竜は、今度はより慎重に、慎重にと賭け事に赴くようになっただけだった。
だがマイアもさすがにその事に気が付く。ある日こっそりとラキアの後をつけて、再びラキアの賭け事に興じる現場を押さえたマイア。だがマイアはそこでは何もせず、一端アルフィリースの元に引き返した。そして、仕事が終わって酒場で盛り上がるアルフィリース達に、非常に物騒な提案をしたのだ。
「アルフィリース? 私はちょっと今から町の一画を吹き飛ばしてきます。後処理をお願いしても良いかしら?」
唐突なマイアの馬鹿げた提案を、笑い飛ばすアルフィリース達。だがマイアの目は一向に笑っておらず、ただ笑顔だけが張りついたようにその顔に出ていた。そして体の前で揉み絞った手の爪が皮膚に食い込んでいるところを見ると、アルフィリース達はどうやらマイアが本気であることを悟り、慌てて傭兵団総出で彼女を制したのだった。
その一件があってからマイアより先にラキアの賭場の現場を押さえることが傭兵団の責務となったが、それでもラキアは賭け事に赴いた。むしろその辺の事情を察した胴元達がラキアを誘わぬように連絡を取り合ったのだが、ラキアはどこからどう聞きつけたのか必ず賭場に出没し、そして挙句には自分で賭場を作り上げる始末だった。
賭け事をする連中も元々そういった馬鹿な勝負や、危険な事が大好きな連中ばかりなので、中には積極的にラキアに協力する者も出る始末。ラキアになぜそこまで賭け事にのめり込むかとある時訪ねた団員がいたが、
「そこに賭け事があるから」
と、なぜか格好よさげな答えが返って来ただけで、結局のところ何の要領も得なかったのである。
そういうわけでラキアは新しい賭場の計画に勤しんでいたわけだが、そこをジェシアに見られたというわけである。実のところジェシアはラキアが裏で色々と動いていることに付いて何の証拠も得ていなかったし、実際問題としてこの事をマイアに話しても彼女には一銭の得もない。ジェシアは金にならないことは、爪先一筋ほども力を裂きたくなかったのだ。
だがそんなジェシアの性質などラキアは知らないので、良く喋るジェシアをただの噂好きの獣人程度にしか思っていない。彼女達二人はあまり仲良くはなかったのだ。そんな二人がこの裏路地で出会ってしまう当たり、巡り合わせは良いと言うべきか悪いと言うべきか。
ただ互いに挙動不審になるジェシアとラキアではあった。彼女達はもじもじとするばかりで、どちらもその場所を去る機会を逸してしまった。
「なによう、早くどきなさいよね」
「そ、そっちこそな。私は何も悪い事はしていない」
「私もよう」
そんな二人のもどかしいやり取りを見守る影が二つ。
「ルナティカ、殺る?」
「待て、まだ早い」
物騒な会話を行うのはルナティカとレイヤー。彼らは尾行の特訓中だった。ルナティカは尾行術の初歩からレイヤーに仕込んでおり、その練習台としてラキアを選んだのだった。そうとは知らないラキアだが、既にルナティカは先のマイアの一件があってから、実に一月以上は尾行をしている。だが真竜のラキアにして一切気付かれない所を見ると、やはりルナティカの尾行は完璧なのだろう。そしてルナティカにとって、ラキアは良い練習相手という判断だった。ジェシアとラキアが出会ったのは完全に想定外だったが、ジェシアの動きがおかしい事はなんとなくルナティカは知っていた。
そこにきてこの動き。完全にジェシアは何らかの秘密、それも団にとって大きく関わる秘密を抱いている事はルナティカにもわかっていたが、それが一体どういった類の物かは判断がつかない。ジェシアを問い詰め、あるいは殺してでも状況は好転するのか、あるいは取り返しがつかないのか。判断材料がないだけではなく、ルナティカは今までのその人生の本質上、自らの頭で判断する事が苦手だった。
「リサの判断をあおぐ。全てはそれからだ」
「師匠の貴女がそう言うのなら」
「我々は所詮剣だ、レイヤー。我々が現場で勝手な判断をすることはあってはならない」
「肝に銘じて」
そう言いながらも、レイヤーは秘かにジェシアの監視を続けることにした。そしてもしジェシアがゲイルやエルシアに何らかの害を成すようなことがあれば、レイヤーはジェシアを殺すつもりだった。何も直接殺さなくても、他人に依頼したり、事故に見せかけることはいくらでもできる。
そんな決意を顔色一つ変えずレイヤーが誓う頃、ルナティカがふっと気にかかることを口にした。
「そういえば、例の二人はどう?」
「ああ、そういえば・・・」
レイヤーは最近の自分の友人について思い出すのだった。
続く
次回投稿は、6/20(水)20:00です。