騎士の務め、その7~成長する者~
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ラファティが土煙を巻きながら駆けつけた先には、まだ戦っている人影がいくつもあった。だがそれららは一様に一定の距離を取り、何かを避けるように魔物と人間が切り結んでいる。全体的にはクルムスの軍勢の方が優勢なようで、魔物はそう大した数ではない事をラファティは理解した。
そして彼らの中心で戦っているのは、一体の魔物と少年だった。
「ケキャキャキャ」
薄気味の悪い笑い声を立てながら、魔物がジェイク向かって鞭のような両手を繰り出していた。だが、のたくう蛇のようにうねる鞭を、ジェイクは一歩たりとも引くことなくその場で捌いていたのだ。
アルネリアの剣技は守備に優れる。これはアレクサンドリアと同じ意図の元に構成された剣技であり、そもアレクサンドリアの始祖がアルネリアの関係者であったのだから、当然と言えば当然である。騎士剣の原形は、およそがアルネリア教会由来のものであるのだ。
ただアレクサンドリアとアルネリアで異なる点と言えば、アレクサンドリアがフェイントを交えた剣技で相手を幻惑するのに対し、アルネリアの剣技は相手の武器の向かう力を御する事でその守備力を生み出す。
一般的に『受け流し』と呼ばれるこの技術は、比較的学びやすい守備の技術であり、多くの国で採用されている。だがその神髄を本当に理解している者は少なく、応用するとなると非常に難しい技術であった。なぜなら、守備に剣を差し出す段階で次の攻撃へと既に連携を行いにくいからだ。
効率よく『受け流し』を行うためには、相手の剣撃を見切って最小限の動きで相手の攻撃を弾き、かつ相手の隙を作り出して自らは攻撃するという、まさに言うは易く、行うは難しだったのだ。
ジェイクもこの剣技を学んでいるが、習得には程遠い状況である。にもかかわらず、ジェイクはほとんど完璧なアルネリアの守備の型を実践していた。これにはラファティも驚いたのである。
「(これは一体どういうことだ? まさか、ミリアザール様はこの事を予見してジェイクを・・・いや、それよりも限界か!)」
ラファティが現実を理解しようとする前に、ジェイクを助けるべきだと感じとった。ジェイクの周りには無数の折れた剣。魔物の鞭は想像以上に強力であり、対してジェイクが手にしたのはクルムスの下級兵士に配布されるような、なまくらな剣。魔物の攻撃には数度程度しか耐えられず、その剣はどれも中腹から叩き折られていた。そしてジェイクの周囲に用意された剣の数は、限界を迎えようとしていた。
「や、ばいっ!」
ジェイクが相手の鞭を受けると、剣がひしゃげた。ジェイクは咄嗟に傍にあった剣を掴むが、それが最後の剣である。ジェイクは覚悟を決めたが、彼の剣技はここにおいて最大級に進歩する。
「(こんな数回程度の防御で折れるなんて、まだ受け方に無駄があるんだ。もっと、もっと完璧に!)」
一見大雑把に見えるアルベルトの剣技をジェイクは思い出す。アルベルトは振れば必ず風圧が発生するほど大剣を使い、舞い落ちる木の葉を剣先に誘導しそしてそのまま柄に落とした。それも、何枚も連続で。いかに剣の動きに無駄がないか、ジェイクは見てきたのだ。
今、ジェイクはその動きをなぞるように実践しようとしていたのだ。現に、最初は数太刀受けた時に折れた剣が、今や10を超えても折れておらぬ。そしてもちろん背後のレイファンには毛先ほどの傷もついていない。
だが魔物の方にはまだまだ余裕があった。そのようなジェイクを見ても、なお耳障りな笑い声を立てながらジェイクに鞭を振るい続ける。まるで、魔物にとってジェイクは良い玩具であるかのように。だが玩具は生きているのだ。意地がある。
最後の剣が30太刀目で半ばから折れた。そこに襲いくる魔物の鞭を、ジェイクはなんと短くなった剣で受け流したのだ。必至ゆえの咄嗟の行動だったのだろう、ジェイクは無意識にその行動を行っていた。
だが奇跡は二度起きない。ジェイクは半端な剣で相手の攻撃を受け流し、体勢を崩した。今度はジェイクの体勢を立て直す暇もなく、先ほどよりも数段速い鞭が彼の頭上に降り注いだ。魔物は完全にジェイクを弄んでいたのだ。魔物はジェイクを殺そうと思えばいつでも殺せた。そうしなかったのは、単にジェイクがもがくさまが面白いからなのか。魔物にとって意外だったのは、折れた剣でジェイクが攻撃を一度凌いだことだけであったのかもしれない。
だがその一度の防御が、戦闘において全く異なった結果を生むこともある。魔物の攻撃がジェイクとレイファンに届く前に、魔物はその体を文字通り八つ裂きにされていた。
「無事でしょうか、小女王」
魔物と彼らの間に割って入ったのはラファティ。彼は割って入りざま、一瞬で魔物を八つ裂きにしてみせた。
その斬撃はあまりに速く、何が起きたのかはジェイクですら視認が追いつかなかった。普段の手合わせではまだまだ手加減されていたことをジェイクは知り、ラファティの技量に悔し混じりの賛辞を内心で送らぜるをえなかった。
ラファティは悠然とレイファンに振り返ると、そっと膝まづいて地面に身をかがめていたレイファンに手を差し伸べた。
「申し訳ございません、女王。救援が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます」
「いえ。騎士殿のお心遣い、まことに嬉しく思います。それに、この小さき騎士殿が私の事を守ってくれましたから」
レイファンには既におびえた様子はまるで見せず、毅然とした態度でラファティの言葉に応えた。その行動にラファティもまた普段通りの対応をする。そういったやり取りをこの瞬時に切り替えられることを、ジェイクは凄いと思うのだ。これが生まれながらの王族かと、ジェイクは王というものを初めて見た気がした。ジェイクもまた自然と、そのたたずまいを正すのだった。
ラファティがレイファンの手をとろうとした時、ジェイクは細切れにした魔物の死体がなくなっていることに気が付いた。直後、ジェイクはとうに折れた自分の剣の鞘を体の右側に差し出していた。なぜそうしたかは自分でもわからない。ただ、それがジェイクの生存本能だったのだろう。
そして巨大な岩が衝突したごとき衝撃でジェイクは吹き飛んだ。もし鞘がミリアザールにより下賜された特別製でなければ、今頃ジェイクの頭は潰れたククスのように砕けていただろう。鞘は放射状に砕け、ジェイクはあまりの衝撃に意識が飛びそうになりながらも、必死に意識をつなぎ止めた。
「・・・来るっ!」
ジェイクは体をよじって何かを躱す仕草を取る。そしてジェイクの後ろにあった荷馬車が縦に切断され、続けてジェイクが体を逸らすと馬車は真一文字に切断された。その直後、ラファティがジェイクの吹きとんだ宙に向かって斬撃を高速で放つと、確かにその場所には手ごたえがあったのだ。何も無いはずの空間に、血の華が咲く。
「キャキャキャ!」
「こいつさっきの・・・保護色か!」
ラファティ見たのは、周囲と同じ色の何か。耳障りな笑い声はそのままに大気と同じく透明になった魔物は、その輪郭だけがぼんやりと見えるだけにすぎない。だが、その透明な何かの向うにあるはずの光景は見えず、確かにそこには何かが存在している事を示していた。
そして魔物は飛びずさり、周囲には召喚陣が浮かび上がる。通常より複雑で巨大な構成をした魔術の陣形は、それなりに巨大かつ知性の高い魔物が召喚される事を意味する。
「なるほど、こうやって後陣に突如として軍勢を出現させたか。それにしても、ここに来てこの魔物を繰りだすのか!」
もはや相手は魔物ではない。召喚する魔物が多岐にわたる段階で、既に魔王と認定される。その魔王が召喚したのは、通常ギルドなら一体仕留めて5万ペンドは支払われるであろう魔物達。二つ首の巨人グランテス。頭が獅子で胴体が鰐、尾が蛇のヌエ。湿地に生息する、酸を吐く7本脚の蛸に似た魔物ヘクトパス。いずれもギルドの討伐依頼が高額で出るような魔物、魔獣達ばかりだった。
先ほどまでとは明らかに違う軍勢を繰りだしてきた魔王に、ラファティはある確信をする。
「(この魔王、明らかに知性がある。後陣を狙い、奇襲をかけてきた。そしてレイファン女王を真っ先に狙うとは、危険極まりない魔王だ。こんなやつがここにいるのは偶然か? いや、それよりもこのクラスの魔王がもし黒の魔術士達の制作物で、しかも量産できるとしたら我々は・・・)」
ラファティが内心で焦りを覚えたが、それをジェイクが察したかのように彼の背後に拳をとん、と突いた。
「ラファティ、しっかりして。ラファティが冷静でないと俺が困る」
「う、うむ」
「問題は今、こいつをどうするかだよね? こいつはさっき細切れにしたはずだけど、この早い再生を見る限りではどうやら急所にダメージはなかったみたいだ。だから倒すには確実に急所を突かないと」
「それが問題だ。どこに急所があるか、皆目見当がつかん。先ほどはいつもの癖で、人間の急所を全て両断するつもりで連撃を放ったのだが」
「いつもの、ね」
ラファティがさらりと述べた物騒な言葉に、ジェイクが小さな言葉で反復した。いつも笑顔でゆるやかな態度のラファティだが、彼はやはり修羅場をくぐって来た戦士なのだ。だが今はそんなラファティに恐れを抱くよりも、頼もしいの一言に尽きる。
だがそれ以上に、ラファティは次に放たれるジェイクの言葉に驚いた。
「ラファティ、俺があいつの急所がわかるって言ったらどうする?」
ラファティは驚いてジェイクの方を見た。ラファティはセンサーでこそないものの、気配や殺気にはかなり敏感で、その点ではブラックホークのレクサスに似た剣士である。それに急所の存在する敵には、必ずその部分を庇う動きがあるが、この敵は保護色。その動きが非常にわかりにくく、ラファティをもってしても現時点では発見のしようがなかったのだ。
だがジェイクは相手の急所がわかると言う。さしものラファティもジェイクの言葉に賛同しかねたが、戦場で騎士たる者が冗談を言うとも思えない。
「・・・本気なんだな?」
「もちろんだ。でも、それには――」
「わかっている、周囲の魔物が邪魔なんだろう? それは俺がなんとかしよう。それよりも、ジェイクは敵の急所を貫くことだけに集中しろ。俺が相手の動きを封じるまで、レイファン女王の護衛に専念するんだ」
「心得た」
ジェイクは一歩後退し、レイファンの傍に行って彼女を助け起こした。丁度その時、ラスティ率いるアルネリア・クルムスの精鋭部隊が到着したのである。
「無事ですか、レイファン女王!」
「もちろんです、ラスティ。騎士達の見事な働きにより傷一つありません。それよりも彼らの援護を。ここからが正念場のようです」
「おお!」
ラスティの目の前には、彼も戦争の教書でしか知らぬような、平和であった中原にはほとんど縁の無い凶悪な魔物が並ぶ。だがそれらを前にラスティは怯むでなく、むしろ剣を高々と掲げて味方を鼓舞した。
「者ども剣を抜け! 小女王の目にその雄姿を見せよ!」
「「「おおおっ!」」」
ラスティの激の元、一斉に剣を抜く精鋭達。ラスティは以前ムスターと戦った時の戦場を思い出す。あの時の経験があるから、今こうやって先頭で指揮が取れる。もしあの経験がなければ、あの絶望的な戦場でさらに立ち向かう騎士を見ていなければ、こうやって指揮を執ることはできなかったろうとラスティは思うのだ。
「かかれ!」
ラスティの号令と共に、一斉に精鋭達が突撃を開始した。同時に魔王はさらなる召喚陣を起動しながら、自身は保護色へとさらに身を溶かし、姿を消したのだ。その魔王に、二体の魔獣を斬り倒しざま突進したラファティが肉薄した。
「貴様の相手は俺だ!」
ラファティがいつも冷静な仮面を脱ぎ捨て、吼えていた。
続く
次回投稿は、6/12(火)20:00です。