騎士の務め、その3~王女と宰相~
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「ふう・・・」
ラファティとの相談を終えて、レイファンは私室で一人大きなため息をついていた。衣装はそのまま。カチューシャを外した彼女は窓際の椅子に腰かけると、そのまま目を閉じる。昨日も執務で睡眠時間は短い。ラファティとの会見を早めに切り上げられたため、彼女にとっては仮眠の時間が少し取れそうなのだ。
その彼女の元に、下女が冷やしたシナスの果汁を持ってくる。レイファンは酸味のきいたこの果実に、少量蜜を垂らして飲むのが好きだった。気分を落ち着ける効果もある。
下女が一礼をして下がると同時に、今度はラスティが入ってくる。
「おくつろぎの所を失礼します、レイファン様」
「ラスティ、どうしましたか。今は執務の時間外にて、入室は小姓が制限しているはずですが」
「いえ、我々も内々の話し合いが必要かと思いまして。多少小姓には無理を言いました」
ラスティの言葉に、なんとも生真面目な宰相だとレイファンはやや呆れ気味に一つ息をついた。自分が何も言わない時点で、心配ないという事だとレイファンは察してほしいのだが、まだこの宰相はそこまで気が回らない。真面目なのは良いことだが、もう少し自分の代わりができてほしいとレイファンは思うが、そもそもラスティの宰相任命はかなり突然の人材抜擢であり、ラスティがまだ宰相職に慣れぬのも無理はないと思われた。
近々貴族としての立場を侯爵に上げてやれば多少違うかとも思うが、クルムスにおいて侯爵とは王の縁戚である。そうでなければ多大な功を成した者なので、まだラスティには早すぎるというのがレイファンの意見であった。レイファンの縁戚が途絶えたわけではないし、国の運営においてレイファンはまだまだ自由な発言権を得ているわけではないのだ。
だからこそレイファンは公式の場での発言力を強めるために、完璧な王女を演じなくてはならなかった。ラファティと事前に打ち合わせたのもそう。明日の正式な軍議でレイファンが主導権を握るための打ち合わせである。話合いを私邸で行ってしまえば、その内容が決して外に漏れることはない。仮に漏れたとしても、裏切り者は突き止めやすい。そのことをラスティもわかっているからこそ、せめて二人の間だけでも綿密な打ち合わせが欲しいと思っているのだ。
レイファンもそのようなラスティの心遣いをわかるからこそ、多少の無礼も目を瞑る。内心ではかなりの不興を買っているのだが。
「打ち合わせは、夕刻以降ではだめなの?」
「できれば早急に動かしておきたい案件がありまして。王女は先ほどの指揮官であるラファティ殿をどう見ました?」
ラスティの視線を見るにつけ、レイファンはラスティがおそらく同じ意見なのだろうと察した。愚直な部下の考えることなど、簡単にわかる。
「ラファティ殿は素直な人柄のようですね。頭も切れれば腕も立つでしょうが、策略家ではない。今回の遠征を意図したのはもちろんアルネリアの最高教主でしょうが、彼はその役割を実行しているだけにすぎません。
彼の、いや彼らの意図するところはこうでしょう。彼らは今回の遠征を機に、ここ中原に楔を打ちたいのです」
「楔、と申しますと?」
「そもそも前回の戦争では、仲裁役としてのアルネリア教会は全く機能しませんでした。これはアルネリアの監視体制に問題がある事が明らかになりましたし、事実ザムウェドはアルネリアが介入する暇もまく壊滅したのです。これはアルネリアの大失態と言ってよいでしょう。
この失態は諸国も知るところとなり、今度のアルネリア記念総会にて糾弾を受けるのは必須。ひょっとするとアルネリアの庇護を疑問視するだけの行動もでるかもしれません。その前に、再び監視体制を見直したという事実が欲しい。だからこそ、ラザール家の二男であり、現在神殿騎士団の二番手であるラファティ殿を寄越してきたのです。今回の依頼は危険度ではなく、社会的側面としての意義の方が非常に大きい。
もう一つは、グルーザルドの動きが活発化しています。積極的に斥候を諸国に派遣していますし、国内もなんだかあわただしい。食料の備蓄に、最近では鉄などの金属も盛んに運び込まれています。そう、まるで戦準備のように」
レイファンがその情報をいつ掴んだのかはラスティもわからないが、彼女の情報収集に意義を唱えるつもりもない。それに、グルーザルドが戦争という方が余程気になる。
「グルーザルドが戦争・・・いずこの国とでしょうか?」
「さあ? グルーザルドの南側には蛮族の国がたくさん広がっていますし、グルーザルドは彼らの玄関口にあたります。南側の国境付近では諍いが絶えないと聞きますし、もちろんそちらの可能性もあります。ですが東か北と戦争をするのなら、我々クルムスは巻き込まれざるを得ないでしょう。街道の利便性から考えて、彼らは我が国を通過するはずですから」
「北。北と申しますと」
「ローマンズランドでしょう」
ラスティは手に持っていた書類を落としそうになった。グルーザルドとローマンズランドが戦争などになれば、その二国の距離や属国も考えて大陸の1/3の国が何らかの形でその戦火に巻き込まれることになる。それに国としての規模も、この大陸での上位二つ。間違いなく、恐ろしい規模の戦争になるのだ。
「レイファン様、脅かさないでください。そんなことになったらこの大陸は破滅してもおかしくない。それに、グルーザルドがローマンズランドと戦争する理由が、具体的に何かあるのですか?」
「・・・ローマンズランドが見せる対外的な威圧行動。先月の事ですが、ローマンズランドの衛星都市であるヴィンダルで、ローマンズランドの大使が襲撃を受けるという事件がありました。ローマンズランドはそれを口実に軍隊の駐留をヴィンダルに認めさせ、かつ国境に監視の名目で軍隊を進めています。これはもう戦争の一歩手前の状況であると言ってよいでしょう。
またこれは速報ですが、スラスムンドが事実上の滅亡をしました。以後スラスムンドを巡って周辺諸国は争うことになるでしょう。そしてスラスムンドの西側は、ローマンズランドの属国ヴィンダルです。この機会をかの大国が逃すのでしょうか」
「う・・・む」
ラスティは難しい顔をして黙り込んでしまった。ラスティとしてはローマンズランドが戦争をするとどのくらいの規模になるのかで頭を悩ませていたが、レイファンの思考はまた違った。レイファンの思考癖として事実の表面を多角的な方向で見る思考と、その表面を食い破るようにして出来事の根底を探る方法の二通りがある。多くの人間が表面を一元的にしか見ることができないのに対し、レイファンの思考は非常に多岐に渡るものだった。
「(そう、本当の問題はなぜ今回のような出来事が起きたかという事。ローマンズランドは横柄な態度を取ることが多いが、それは国力が大きいという裏返し。アルネリアの干渉もほとんど受けないのは、国内の事情をかの教会に知られるのを防ぎたいという考えによるでしょうし、かの大国はアルネリアの援助を必要としないだけの国力がある。確かに事情が許せば私とてアルネリアの干渉は受けたくない。どうもあの教会は信用しきれない。聖女認定という制度も気に食わないけど、今の今まで教会としての趣旨が一貫しすぎている。最高教主も大司教も一定の年次ごとに移り変わっているのに、主義主張がどの時代も同じだ。これは気味が悪い。
今回の事もそう。ラファティ殿がこれほど我らの国の内情を知るのも、密偵のようなものが国の中に潜伏していればこそ。アルネリアの施設そのものが密偵の役割をしているだけではなく、一般人にも同じような者が紛れ込んでいるのだろう。でなければ、まさか唐突に降って湧いた戦場の選定の話にまで遠征軍の面々がついてこれるはずがない。我々とて詳細な地図を知ったのは、つい先日の事だというのに。
それでも今回のアルネリアの援助を受けなければならないのは、背に腹が変えられないから。それにグルーザルドに対してアルネリアは積極的な援助を申し出ているし、人間側としての彼ら獣人の玄関口に当たるクルムスはアルネリアの影響から逃れられないだろう。
だがローマンズランドは違う。彼らは背後をピレボスの山々に守られ、資源は属国から調達できる、かの国がそういった視点で過去の侵略行為を繰り返したせいだ。ローマンズランドは自国の分析を良く行い、その武力・人的資源については何の不足もない事を知っていたが、その広大な国土に対する農作物の生産力が絶対的に不足していることを知っていたのだ。そして、ローマンズランドはその後侵略を繰り返し、属国を含めた生産力が一定に達した段階で彼らは侵略を止めている。これ以上の侵略をせずとも、大陸で最強の国である事を保てると自覚したからだ。
だからこそ、今回のローマンズランドの行動は腑に落ちない。今さら侵略行為を再開することに、一体何の意味があるんだろう……いや、アルネリアの監視下にないからこそ、侵略を行った? だとすれば、あの国は誰かの意のままに操られることにもなるけど、そんなことを一体誰ができるのだろう。でも、それはムスター兄上も同じだった。もしかすると、ラインはその事情を探りに行ったのではないのかしら)」
レイファンの思考は途中からは全て推論である。だがその思考は非常に的を得ており、もし彼女の思考過程を黒の魔術士達が見ていたら、拍手を送ってもおかしくないほどだった。だがレイファンが気に掛けるのは、ローマンズランドの侵攻よりもラインの安否だった。
「(彼は今頃、どこの大地で元気にやっているかしら。もし私の想像通りだとしたら、相当危ない事を調べていることになるわ。でもきっと彼なら望んでそういった状況に身を置くのでしょうね。ああ、この国と王女という身分に囚われるこの身が恨めしい。ここから身を投げて魂だけになれば、今すぐにでもあの人の元に飛んでいけるのだけれど)」
レイファンがそっとバルコニーの下を見る。だがそう高くもなく、生垣に囲まれたこの庭ではせいぜい怪我を追う程度だと彼女は自覚した。
「(むしろ生傷が増えるだけで、彼には嫌われてしまいますね)」
「王女・・・レイファン王女!」
ラスティが自分を呼ぶ声で、レイファンは思考の海からふっと帰ってきた。そこには不安そうに、だが最近眉間に皺を寄せることが多くなったラスティの顔があった。
「あ――ごめんなさいね。少し考え事をしていました」
「時々レイファン様にはそういったことがありますね。お疲れではないのですか? 多少ご自愛いただければと思いますが」
「大丈夫、倒れるほどに疲れているわけではありません。それに、私の休憩を邪魔した貴方には言われたくないですわ」
少し意地悪なレイファンの言葉に、ラスティは困惑気味にうろたえた。誠実な自分の部下を虐めすぎたかと、レイファンはくすりと笑うと質問を続けた。
「他に何か案件はありましたか?」
「はい。本当に今回の戦、小王女は出陣されるつもりなのですか?」
ラスティの言葉に、レイファンは強く頷いた。
「ええ、もちろん。その必要性については、何度も説いたはずですが」
「ですが、わざわざ王宮を空けてどのくらい不平不満を言いふらす者がいるかを確かめようなど、危険だと思うのですが」
「心配無用。ここ数か月の調査にて、彼らにはまだ本格的なクーデターを起こすだけの結束力や発想もない事がわかりました。私としては、私がいないことで不満を彼らに漏らしてもらい、逆に不敬罪に問いたいのです。加えて私や貴方がいなくとも、女王の番犬達は機能することを宮廷に知らせておきたいのです」
「確かに、そのために私は人を集めているのですが・・・」
ラスティはレイファンの命令にて、彼女とラスティの命令だけに従う兵士達を集めていた。元々のレイファンの親衛隊が前進だが、それでも王宮全体に監視の目を行き届かせるには数が足りない。だからと言ってレイファンは恐怖政治を敷きたいわけではなく、彼女としては彼らに物々しい恰好をさせないために親衛隊には貴族としての立ち振舞いを学ばせ、ブロッサムガーデンで咲き誇る薔薇の花を左胸につけさせた。親衛隊は勝利の花束を意味する『ブルーウィン』という命名を与えられ、以後彼らは中原にて最も華麗な騎士達として有名になっていくことになるのだが、まだ今は発足段階。練度も信頼度合いも、ラスティの見立てでは足りぬ。
だがレイファンはやや強硬に主張した。
「確かにラスティの言う通り、今回の行動は一種の賭けです。ですが、私は全ての物事が計算通りに動くとは思っていません。時に我々には賭けが必要なのです」
「それは存じております。ですが、今回はあまりに時期尚早なのでは?」
「私は分の良い賭けだと思っているのですけどね。何と言っても、アルネリアが援助に付いている遠征ですから。それだけでも反乱など起こしにくいでしょうし、仮にこの状況で反乱をおこす度胸のある者がいたとしましょう。確かにアルネリアは純粋に魔物征伐の要請で動いていますし、内政不干渉がアルネリアの表向きの原則。
ですが、反乱を成功させたとしても、アルネリアはクーデターで成立した国家には援助はしません。そのような政権が長続きしないことは、歴史が証明しています。ちょっと頭の回る人間ならわかることですし、それがわからぬ愚か者に、私が国を盗られるほど間抜けに見えますか?」
レイファンが余裕の笑みでお茶を口に運んだので、ラスティはただ頭を下げて彼女の意に従った。確かにレイファンの言う通り、間抜けに国を盗られるレイファンではないとラスティも思う。レイファンの執政者としての能力は十分すぎるほどであり、現在では王宮内の評判もうなぎ上りである。この上昇気流にこれからも乗って行くであろう王女に対し反乱を起こすなど、正気の沙汰ではない。
だがラスティが懸念するのは、いつの時代にも何かにつけて物事を批判したがる人間はいるということだ。レイファンが完璧であればあるほど、普段なら指摘されない様な些細な失敗まで指摘されてしまう。その事がラスティには恐ろしい。
「(本当に、何事もなければよいのだが)」
ラスティが頭を下げる中で、またしても眉間に皺をよせながら悩む。このままでは眉間の皺が元に戻らなくなるのではないかと、ラスティ自身も心配が尽きない。
レイファンはそんなラスティの心中を知ってか否か、カップをかたりと置くとラスティに質問した。
「心配と言えば、私にも一つ心配があります」
「それはいかような」
「先ほどの少年騎士・・・ラファティ殿が連れているのはなぜかと訝しんでいましたが、彼が私の護衛を務めるというのは本当なのかしら?」
続く
次回投稿は、6/4(月)21:00です。