騎士の務め、その1~平穏~
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ミリアザールがアルネリア教の主力を率いて大草原で魔王掃討を行っている頃、中原にはやはりアルネリアの勢力が遠征を行っていた。
これはアルネリアの勢力全体から見ればごく小規模であり、総勢で千にも満たぬ小規模の遠征である。各国へ災害援助や協定、仲裁を行うアルネリア教にしてみればこの程度は日常茶飯事の出兵であり、取り立てて騒ぐほどのことでもない。
だがこの遠征は、ミリアザールの中では非常に大きな意味をいくつか持っていた。一つには出兵先がクルムスであること。今回はクルムスの新王女、レイファンの依頼を受けての出兵である。領地内に多数の魔物の出現が相次ぎ、兵士の被害が徐々に大きくなっていると。そのため魔物の討伐を行うので、人的援助が欲しいとレイファンは申し出たのである。アルネリア教の庇護を受ける事をレイファンは即位後いち早く申し出たため、ミリアザールも今回の出兵を決定したと言う事である。
本来なら、新しく即位した諸侯はアルネリアにまで出向き、何日か洗礼をしながら過ごして聖女の恩恵を受けるのが習わしである。実際彼らがミリアザールに合えるかどうかは彼女の腹一つなのだが、会えた時にはその国には大きな庇護が約束されるとされ、一種の御利益のようなものになっている。もっともミリアザールが会うと言う事はそれだけ見所がある諸侯という事になり、ミリアザールが何もせずとも繁栄をするのであろう。
だがレイファンは即位後、まだアルネリアへの訪問は果たしていない。それは内乱の後処理が余りに忙しいと言う事で、まだ十分な時間が確保できないのである。またクルムス自体の立ち位置も中原においてはまだまだ微妙であり、国家転覆を企てたり、前政権に対する恨みを持つ者も少なくない。信頼できる側近や兵士の少ないレイファンにとって、そんな中で国を空けることは自殺行為にも等しかった。ミリアザールもその事情はラインから聞いて納得しているので、今回のやや不躾な申し出を受けたのである。
アルネリアからの援助が受けられると聞いてレイファンは喜ぶ半面、疑ってもいた。彼女にとってはアルネリアの援助は打てる策の一つであり、必ずしも成功する事をあてにしてはいない。もちろん援助を受けることで国が助かるのは事実であったが、何の見返りもなくそのような事をアルネリア教会が行うとはレイファンは考えてはおらず、またラインがアルネリアにいるとも知らない彼女は、その意図を一人読み抜こうとしているのであった。
そんな中、ジェイクはクルムスへ出兵する遠征隊に同行する事になった。国をまたいでの出陣はジェイクにとっても初めてであり、相手の規模によるが、凱旋は夏前になる可能性も十分にあった。これは学生、しかもまだ低学年に属する者としては異例である。だがそれもやむをえない。ジェイクは今回の遠征の結果では、正規の神殿騎士団への昇格が提示されているのだ。
外周勤務になる騎士という身分をすっ飛ばしての神殿騎士団任命は、アルネリア教会の長い歴史の中でも特例ではあったが、ジェイクは既に周辺騎士団の隊長格と模擬剣では互角に渡り合う程に成長しており、グローリアの実技演習でも彼の相手が出来るのはミルトレ、マリオン、それにクルーダスくらいである。ジェイクは自然学園の注目と期待を浴びることになり、彼自身が意識していなかったとしても、もはや彼は教官達までもが一目置く存在となっていた。
そして正規の神殿騎士団任命の話もどこからどう漏れたものか、既に学園の噂である。ジェイクの元には休み時間ごとに人が訪れ、勝手気ままな事を述べていった。
「ねぇねぇ、いつ出発なの?」
「6日、いや、7日後かな」
「従騎士はつくのかい?」
「まだ正規の騎士じゃないからつかないって」
「クルムスって治安がまだ悪いんでしょ? 大丈夫かな?」
「軍隊にちょっかい出す奴なんてそうそういないと思うけど・・・」
「いいなぁ。どうやったら神殿騎士団に任命されるんだい?」
「さあ? 俺に聞かれてもな・・・たまたまだよ」
「リア充爆発しろ」
「今の、ブルンズだろ!」
そんな勢いで過ぎる彼の日々に変わりはなく、朝は神殿騎士団と剣の稽古に励み、学園に行き、終わると周辺騎士団の中で騎士としての業務を補助する。その後深緑宮に帰ると、彼は再び誰かと剣の稽古に励むのだった。
だがさすがに連日飽きもせず彼の元に訪れる人々にジェイクは辟易したのか、彼は休み時間になるとラスカルやリンダ、ロッテに押し寄せる人波をせき止めさせ、自分は窓やどこかから脱走するというのが日課になっていた。
そして今日もジェイクはいち早く脱走した。講義の最後の方は脱走の準備のため、教官の話など半分も頭に入っていない。元々大して頭に入ってもあらず、基礎魔術学講座など彼にとってはちんぷんかんぷんであり、後でネリイに教えてもらおうなどとずるい事を考えている最中であった。
そして彼は最近訓練場の一画にある木の元で休むのが日課となっている。彼は低学年でありながら訓練場への出入りを自由に許可されており、また前回の学園内で襲撃されるような事態があったことからも、彼は学園内のほとんども場所へ立ち入ることができる鍵の束を渡されている。それは彼が学園から信頼されている証でもあるし、おかげで彼はほとんど誰も立ち入ることのできない訓練場でゆっくりと休むことができるのだった。
唯一、彼の休憩に割って入ってくる者といえばただ一人いるのだが。
「やあ、また来たね」
ジェイクは訓練場の木の麓に行って寝転ぼうと画策していた。普段なら剣を振ろうかと考えるのだが、最近大規模な遠征が続きアルネリア事態が手薄なため、日々の業務と遠征準備が忙しく、休憩時間が足りていないのだ。そのため今日はゆっくりしようと思った矢先に、木の上にいる級友を見てしまったのだ。
「なんだ、ドーラか」
「なんだとは御挨拶だね」
ジェイクの皮肉にも笑顔で返すドーラ。ドーラは転校してきてから既に三月近くが経過したが、不思議なことに最初はあれほどジェイクが抱いた嫌悪感も、最近では薄れてきている。ドーラはジェイクがどれほど不遜で嫌悪感を前面に出しても彼はにこにことして笑顔を崩さず、また彼の事はネリイが非常に気に入っているため、自然と顔を合わせる機会も多い。
また芸術を愛し、上品な振る舞いの美少年ドーラは人気者であり、優雅であることだけはジェイクも認めていた。それにドーラの奏でる音楽は確かに一級であり、それはジェイクの耳にも心地よい。今ではドーラの笛の音は、ジェイクにとって休憩中に聞く分には、むしろ緊張を解く意味でも悪くないとまで思えるようになっていたのだ。
「ドーラ、授業は? 確か俺とは違う選択だから、音楽の歴史だろう?」
「少し早目に終わったんだよ。それに音楽の歴史なんてつまらない。音楽は、音を奏でていくらだろう。この次は授業も無いし、このままここでサボるつもりだ」
「案外悪い奴だな、お前」
「真面目なだけの奴じゃ、つまらないだろう?」
ドーラの愛嬌のある返事に、ジェイクも少し微笑む。
「それに僕は吟遊詩人みたいなものなのさ。街から街へ、道から道へ。渡り歩くのが性に合っている。楽士なんてそんなものだと思っているのだけどね。僕は楽士になりたいのだよ」
「変な奴。どこか一所にとどまりたいとは思わないのか?」
「そう思った事もあるよ。でも、人生で一回だけかなぁ・・・」
その言葉にますます変な奴だとジェイクは思った。この少年は時々妙に大人びた表情をする。ジェイクはその意味をふと気にするのだが、彼には預かり知らぬ思いがドーラにはあるのだとその度思い知らされる。
ジェイクはこの音楽以外大した取り柄もない級友を、不思議な面持ちで見つめていた。最初になぜあれほど悪印象を抱いたのか、今ではジェイク本人にもわかりかねる。
「ジェイク、もうすぐ出陣だね」
「あ、ああ。そうだな」
「もう聞き飽きた質問かもしれないけど、君は今回の遠征をどう思うんだい?」
「そうだな・・・今回の遠征はアルネリア教会の勢力拡大だ。元来アルネリア教はグルーザルドにもその勢力を伸ばしていた。グルーザルドのドライアンやその先代が協力を申し出たからな。だが前回の中原の戦争で、アルネリア教会はその役割であるべき仲裁を全く果たせなかった。これはクルムス内にある責任者の問題でもあるが、獣人側のザムウェドとの連絡能力にも問題があり・・・」
「いやいや、一般的な意味合いってことじゃなくて」
ジェイクの誰かの受け売り臭い情勢説明を遮り、苦笑いのドーラがジェイクに話しかけた。
「君自身がこの遠征に抱く思いは何なんだい、ってことさ」
「・・・俺はこの遠征で成果を出して、正規の神殿騎士に昇格したい。何が成果なのかはわからないけど、とりあえず与えられた任務はこなす。そして無事に帰ってくるつもりだ」
「控えめな発言だね。敵の首を十は挙げたいとか言うと思ったけど」
「敵の首を取ることが騎士の務めじゃない。騎士の務めは、人を守ることだと教えられた」
「それは神殿騎士団にかい?」
「いや、周辺騎士団の、平隊員のおっさんが言ってた。でも俺もそう思うし、生きていないと何も成し遂げられないと思う」
「君の周りは良い人間が多いねぇ。羨ましいよ」
そのドーラの言の意味をジェイクが知ることはない。またドーラも話す気はないのか、彼は笛を吹くだけであった。だがその音色はどこか悲しく、ジェイクはただそこに黙って立ちつくし、ドーラの笛の音が空に融けるのを聞いていたのだ。
続く
次回投稿は、5/31(木)21:00です。