少年達、その49~邪魔者~
「どうやって覚えたって言われても・・・詠唱と使う形のイメージだけしたらできちゃうし・・・」
「アルフィが使っているのは、そんなに簡単な魔術ではありませんよ。そんなに簡単に使えたら、周囲にとっても術者にとっても危険極まりない魔術なのですから。酷ければ、使えば体が反動ではじけてもおかしくないのです」
「うーん、でも本当なんだもん」
「ですから、そこのところを詳しくですね」
「ちょっと待って。先にあちらを片付けましょう」
エルザがアルフィリースとラーナを制するように動いたのは、目の前にマンイーターの本体が現れたからだった。既にスキュラの本体は絶命したのだろう。ラインが以前初心者のダンジョンで倒した時のように、マンイーターはとぼとぼと先ほどまでの凶行が嘘のように頼りなさそうに歩いていた。その様子は年相応に儚げであるが、エルザの表情は非常に厳しかった。
「全員攻撃の準備を。アレを見たままの少女だと思わないでください。あれは、大悪霊にも相当するだけの邪性を備えています。本人のその気がなくとも、滅殺せねば災いを周囲にまき散らすでしょう」
「専門家がそういうのならそうでしょうが・・・霊とはいえ幼子に総攻撃をかけるのは、いくらか遠慮されますね」
「その考えが甘い! 中にはわざと少年少女の姿をとる者もいるのです。今殺さねば、後々まで禍根を残すでしょう」
ラーナがためらいがちに魔力を集中させるのを見て、エルザが叱責する。エルザは巡礼の任務に従事した経験から、相当数の悪霊を屠る仕事を請け負ってきた。その中には部外秘となったほどの凄惨な事件も多々あり、同僚が死んだことは、前回のアノーマリーの工房に潜入した時ほどの被害はなかったにしろ、数多あったのだ。その経験が語る。この少女の悪霊は、今ここで完全に消滅させなくてはならないと。
だがその覚悟が周囲に無かったことが致命的だったのか。あるいはしょうのない事かもしれないが、魔術の使える面々が無防備に等しいマンイーターに向けて一斉に魔術を放つが、それらはマンイーターの前で何かに遮られるように消滅したのだ。
「何!?」
一番驚いたのはエルザ。放たれた魔術は様々だが、光、闇、炎、風と、最低4種類はあった。その全てを完全に遮断するのは、普通の出来事ではない。
だが魔術が掻き消えたその場所からは、赤いドレスに身を纏ったオシリアが出現した。
「危ない所だったようね」
オシリアはふわりとその場所に着地すると、マンイーターの頭をなでる。オシリアも少女の霊ではあるが、マンイーターよりは少し年上に見える。実際に頭も一つくらいは高いだろうか。マンイーターは何が自分の身に起ころうとしていたのかわかっている様子はなく、物欲しそうに自分の指を舐めていた。オシリアが何もなかったように、マンイーターを連れてその場所を去ろうとしたその時である。
「待て! その少女を連れて行くことは許さない!」
エルザが手で印を組み名がら、オシリアを呼び止めた。その声に発動させかけた転移を止めるオシリア。彼女は無機質な黒い瞳をエルザに向けると、色のない声で話しかける。
「・・・何か用がある?」
「大有りだ! その悪霊がどれほど被害を出したと思う? 今ここでそいつは消滅させてもらうわ!」
「なら背後から無言で撃てばいいのだわ。もっとも、それをさせるほど私は甘くないけど。それをいちいち声をかけるなんて、貴女は何を怯えているの?」
オシリアがにたりと笑ったのを見て、エルザはぐっと言葉に詰まった。確かにオシリアの言うとおり、転移の魔術の瞬間を狙い撃つのが最も効率が良かっただろう。なぜ自分がそうしなかったか、エルザにも理解できなかったからだ。
ただ躊躇われた。それは同情ではなく、本能的な恐怖だということをエルザは感じていた。今目の前にいる赤いドレスの少女。この少女がその気になれば、この場にいるほとんどは殺されてしまうだろうということに。エルザがちらりとアルフィリースの方を見たが、彼女もまた冷や汗を首筋に垂らしていた。まだ呪印は開放したままである。だがその彼女をもってしても、恐怖に囚われているらしい。
エルザが言葉に詰まっていると、彼女達の事情を察したかのようにオシリアが言葉を発した。
「確かに、今回のことはこのマンイーターの独断先行だわ。私もドゥームも、オーランゼブルとあなた達の協定を積極的に破るつもりはないし、マンイーターの行動があなた達に被害を及ぼしたなら相応の罰を受けることになるでしょう。
だけど今回はここまでだわ。どうやらあなた達に被害が直接あったわけではなさそうだし、こちらはマンイーターの実体をやられている。もうここらで痛み分けということにしておかないと、私が戦わないといけなくなる。それはきっと、どちらにとっても良くないわ」
「・・・何が私達に不利益なんだ?」
エルザの精一杯の抵抗に、オシリアはくすっと笑って見せる。その小馬鹿にしたようにオシリアはエルザを見下すような目線を投げかけると、
「わかってるくせに。私がアルフィリース達は協定の上で見逃すけど、アルネリア教会に関しては何の躊躇もしないわ。そうなるとこの場で死ぬ可能性が高いのは、自分達二人だってことに。アルフィリースに感謝なさい。もし彼女が私に攻撃していれば、どさくさに紛れて私は貴女達二人を殺していたから」
オシリアが楽しそうに笑うのを見て、エルザは怒るよりも肝が冷えた。オシリアの言葉は、まるでアルネリアの訓戒のごとく重みを感じたからだ。高位の魔術士の言葉はそれだけで魔力を帯びるというが、オシリアもまたそうなのかもしれない。
エルザの顔色が蒼白になるのを見てオシリアは満足したのか、今度はアルフィリースに目線を向けた。
「よく私を攻撃しなかったわね」
「・・・よくわかんないけど、無駄だと思った」
「あら、賢いわ貴女。きっと周囲が貴女に思うより、貴女はずっと賢いし直感にも優れているわ。正解よ」
「何なの、貴女。普通じゃないわ。ただの悪霊には見えないし、むしろドゥームとかいうのよりずっと・・・」
ずっと、何なのだろうとアルフィリースは適切な言葉を自分で探せなかった。オシリアには当てはまる言葉を自分は持たない事に、アルフィリースは今気が付いたのだ。言いようのない不安、そして絶対的な力の差ではなく、相性が悪すぎるとアルフィリースは感じたのだ。そして同時に、オシリアに何らかの親近感も感じてしまう。アルフィリースは言いようにない自分の感情に、正直戸惑っていた。
この段階でエルザはなんとなく感じ始めていたが、オシリアの悪霊としての段階は最上位である第五位に相当する。自由意志を持ち、かつ人間に明確な敵意を持つ悪霊。以前イネイブラーという大悪霊を征伐した時と同等以上の戦力が、オシリアの討伐には必要ということに。
それでもエルザの頭の中になかった可能性。もしオシリアが、イネイブラーとは比較にならぬほどの上級の悪霊であったなら。そして軽薄な性格に隠れてわかりにくいが、ドゥームは彼女を指揮する立場であり、ミリアザールをもってしても殺しつくせなかった事を。
幸いなのは、オシリアもアルフィリースと同じように戸惑っているのか。彼女もまたこれほどまでに饒舌にしゃべる自分に、内心驚いていた。ドゥームとすら、ここまでは話さない。ドゥームがあまりにぺらぺらと話すからかもしれないが、それでも語るだけの執着をオシリアは持たないのだ。それだけに、なぜ自分がアルフィリースに対する執着を持っているのか、オシリアは不思議でしょうがなかった。以前ちらりとアルフィリースを見た時にはオーランゼブルが注目している女だという事しか知らなかったが、その時から少し気になる点はあったのだ。
「ドゥームね。あれは人間の部分も交じっているし、正直私の方が悪霊としては格上。でも、非常に面白い存在ではあるわ。生者と死者の間の存在。常に彼岸に立ち続ける彼ならではの感情、視点は私を飽きさせることがない。でなければ、私がとうの昔に捻り潰しているわ。
そして同時に貴女と話すのは初めてだけど、どうやら私、貴女の事が嫌いみたい。ここで殺しちゃおうかな・・・」
オシリアの瞳が黒色に転じ、ざわりと空気が揺れる。アルフィリース達が異常を感じ一歩下がると、すうとオシリアの手が上がり、掌がアルフィリースの方を向いた。アルフィリースが何事かと身構えるが、その時にはリサの方が速くアルフィリースに飛びついていた。
続く
次回投稿は、5/10(木)7:00です。