少年達、その35~始末~
「何!?」
声を上げたのはグラスライブの腹心の騎士だった。オブレスの目からは既に生気が抜け、死にかけであることは誰の目にも明白だったのだ。まさか、その状況で突然右手が動くなど思ってもみなかったのだ。そしてその右手の槌が、オブレス自身に振り下ろされるとも。
オブレスが槌を振りおろし自分を打ち付けると、オブレスは糸の切れた人形のように、ぐったりとしたままグラスライブに向けて突進を始めた。いや、むしろ何か見えざる糸によって引きずられているとも言えたかもしれない。
そのオブレスに向けて騎士は素早く剣を抜き、深々と剣を突き立てた。そのまま体当たりした騎士はオブレスの進路をふさごうとしたが、オブレスの体は自分よりはるかに大きいその騎士をもってしても、まるで止まろうともしなかった。
「お前達、加勢しろ!」
騎士隊長でもあるその男の声で、周囲の騎士達も次々にオブレスに剣を突き立てる。だが、それでもオブレスは止まる気配を見せない。その段になって、初めてグラスライブは自分に向けて突進するオブレスに気が付いた。グラスライブはエルシアのいる寝室へ入ろうとするところだったのだ。
グラスライブは目を閉じたまま、死人のような顔をして自らに突進してくるオブレスを見て愕然とした。
「何をしているのです、早くその子供を止めなさい!」
「と、止まりません! すごい力で」
「司祭、お逃げを!」
「逃げよと言われても――」
その寝室はグラスライブ自身が、少年達が自分から逃げないように厳重に封鎖した部屋。今さら逃げようとして逃げれるものではない。そのようにしたのは、他ならぬグラスライブなのだから。
自分の部屋を慌てて見回すも、当然脱出口など見つかるはずもない。初めてグラスライブに恐怖の色が浮かぶ。
「お、お前達。その子供を八つ裂きにしなさい!」
「は? しかしこの体勢では・・・」
「我々が剣を持つ手を放せば、この少年の突撃はさらに加速してしまいます」
「ならばあなた達ごと――」
恐怖にかられたグラスライブは、自ら魔術を唱え始めた。彼が使える中で、もっとも防御力の高い魔術である。その詠唱を聞いて、オブレスを止めようとしている騎士達が叫ぶ。
「正気ですか、司祭! そんなことをすれば我々も――」
「死にはしません!」
グラスライブのその声と共に魔術が発動した。グラスライブとオブレスの間に巨大な光の盾が出現する。正当な手順で唱えられれば、物理障壁と魔術障壁を兼ねる高位の魔術。当然その光の盾は自らに交じろうとする異物を許さず、魔術に巻き込まれた騎士達は吹き飛ばされる。もし彼らが神殿騎士として常に一定の防御魔術を自らに施す習慣が無ければ、彼らの四肢は千切れ飛んでいてもおかしくない。
「ぎゃあっ」
「ぐぉう!」
騎士達は吹き飛ばされ、グラスライブは魔術の発動を認識して安心したが、肝心なことを彼は忘れていたのだ。先ほどオブレスが槌で叩いた石は、全て魔術の影響を無視したということを。
「これで・・・は?」
グラスライブが形成した光の盾を突き抜けて、オブレスが姿を現す。その速度はなぜかあまり早くないが、それだけにグラスライブにさらなる恐怖をもたらすことに十分な効果を与えることとなった。
グラスライブの顔が恐怖に歪む。
「なぜ、なぜ止まらないのです! オブレス、あなたは育てた恩も忘れて――」
だがオブレスは何も答えない。ただグラスライブに向けて進むのみ。グラスライブの腹心であった騎士は律儀にも主人を助けんとするが、皮肉なことにグラスライブ本人が張った光の盾が邪魔となって部屋の中に入れない。
そうするうちにも、オブレスの体はグラスライブに近づいていく。そしてグラスライブはエルシアの寝ているベッドに躓き、後ろに転ぶ。そして仰向けになったグラスライブに、オブレスがのしかかる格好になる。
「グラスライブ様!」
「は、はやく私を助け――」
オブレスの右手が、ちょうどグラスライブの胸に当たる。すると、その腕がグラスライブの胸にめり込み始めるのだ。オブレスの右腕はグラスライブの皮を破き肉を裂き、骨を砕き分けなおも進む――。
「だ、誰か。私はまだこんなところで死ねな・・・ぐぅえええぇえええ」
グラスライブの断末魔とも苦悶ともつかない声が、骨を砕く音と共に部屋に響き渡ったが、誰も何もできずその声を聞くだけだった。やがてグラスライブ自身が唱えた光の盾が消えるとその様子が全て明らかになったが、それはグラスライブ自身が魔術を維持できなくなったことを示していた。
そしてその場にいた全員が見たものは、体の半分以上をグラスライブにめり込ませたオブレス。苦痛に満ち溢れ、絶叫しながら死んだであろうグラスライブと、対照的に穏やかな顔で成すべきことを成して死んだオブレスとは、まさに対象であった。オブレスとて決して望んだの結末ではないのかもしれない。だが、その表情は満足気であった。たとえ、誰もその理由を理解できないとしても、その結末が正しくないとしても、彼は人としてやるべきことをやったという充足感に包まれ死んでいたのだ。
まるで肉のオブジェとも言うべきその一種怪しい美しさを放つ衝撃的な姿に、多くの者達がへたりこんだ。誰もが予想しなかった結末。どうしてこんなことになったのかもほとんどの者が理解できないまま、終わりは訪れた。誰もこんな結末は望んでいなかったであろう。おそらく、オブレス以外を除いては。
その沈黙を真っ先に破ったのは、意外な事にソール。
「し、司祭様―!!」
ソールは転がり込むように寝室に飛び込むと、グラスライブの死骸に抱きついた。そのまま「おおお!」と声にならない泣き声を上げながら泣きじゃくるソール。その姿を呆然と見つめる『兄弟』の仲間達と騎士達。そして何も気づかぬように眠り続けるエルシア。グラスライブの部屋にこれだけの人間がいながら、声を上げるのはソールだけというなんとも異様な空気と沈黙が部屋に漂っていた。
だからなのかもしれない。この部屋で起こっている異変に、神殿騎士達でさえ最初は気が付かなかったのだ。部屋で起こる異変に、最初に気が付いたのはソール。
「・・・?」
ソールは、自らがすがる死体がぴくりと動いた気がしたのだ。ソールが泣き止むに従い、少しずつそれに気づいた者達が顔を上げる。
「ソール・・・どうした?」
「司祭様が動いた気が――」
ソールが全ての言葉を言い終わらぬうちに、オブジェのように固まっていたグラスライブが突然むくりと起きあがる。その光景に、多くの者が後ろに一歩後ずさった。中には後ろに転げた者もいる。傍にいたソールは現実感のない光景に、逆にきょとんとしていたが。
その者達を前にして、グラスライブがかっと目を見開いたのだ。
「ふう、困りましたねぇ」
「司祭・・・さま?」
グラスライブは大きくため息をつくと、首を曲げながらぽきぽきと肩を鳴らした。そのグラスライブはオブレスが体にめり込んだまま立ち上がると、周囲をきょろきょろと見回したのだ。
「困りましたよ、これは。今まで私は、こんな些末な事に囚われていたなんて。私はなんて時間を無駄に過ごしてきたのでしょうか」
「司祭様、何を無駄に過ごされてきたのですか?」
ソールは純粋な気持ちで問いかけた。いや、純粋というには少し違うかもしれないが、ソールはグラスライブによって壊れたとはいえ、彼なりにグラスライブに依存し従うようになったのであり、それはある意味ではこの上なく純粋な忠誠だった。
また、ソールに応えるグラスライブの声もまた穏やかだった。そこまでは普段通りのやりとりだったかもしれない。だが司祭が次に放つ言葉は、実に恐ろしい意味を帯びてきていた。
「ソール、私は我慢をし過ぎていたのです。今まで私は少年達に対する行為は本能が要求すると言えど、恥ずべき行為だと心のどこかで制限をかけていました。ですが、もうそれも終わりです」
「・・・司祭様?」
「私は我慢するのを止めます。ソール、まずは手始めに、あなたから食べてあげましょう」
その瞬間、グラスライブの腹ががばりと大きな口のように裂け、彼は抱き着くようにソールに覆いかぶさった。ソールは抵抗する暇もなくされるがままにその行為を受け止めたが、周囲もまたあっけにとられてその光景を見ていた。
周囲がはっと我に返ったのは、グラスライブの腹が咀嚼を始め、その口から血が大量に漏れた時。グラスライブがぺっと吐き出したソールの手が、他の少年達の足元に転がった時に、初めて大量の悲鳴が上がった。
「う、わぁあああああ!」
「化け物だ!」
「逃げろぉ」
誰かが言ったその言葉で、蜘蛛の子を散らすように一斉に部屋にいた人々は四散を始めた。それは神殿騎士の一部でさえもそうであり、あまりに一斉に人が入り口に殺到したため、入り口では転んだものが後に続く者によって突き飛ばされ、踏まれ、それは散々な有様であった。
部屋に残った神殿騎士達はこの異常の原因はさておき、目の前の異形に対して人々を守らねばという責務ゆえの踏みとどまりだったが、それでも自らが仕えてきた司祭の変化に対する動揺は隠せなかった。彼らは剣を抜こうにもそれらはオブレスに突き立てたままであり、オブレスはグラスライブに取り込まれて一体化したため、武器を持たぬ状況であった。彼らは遠巻きに、異形と化したグラスライブの変貌を見守るしかなかったのだ。
そうするうち、グラスライブの変貌は本格的に始まっていた。彼の脂肪は分厚く、醜く変形していき、もはや足は増加する体重を支えることなど不可能といわんばかりに潰れてなくなった。そして増加する体積は見る間に部屋を埋めんばかりに増え、増加する脂肪に目は覆われ、まるでスライムの塊のようになったグラスライブが、どこからともなくくぐもった声を上げる。
「私はぁ、我慢を止めるぅ。もっと遠慮なくぅ、人々を愛するぅ。だから私とぉ、一つになりなさいぃい!」
グラスライブだった者の体から、手が一本伸びてくる。それは最も近くにいた、自分の腹心であった騎士隊長に伸びる。
「くっ」
騎士隊長は自らに伸びる手をかいくぐり、傍に遭った燭台を手にしてグラスライブに突撃しようとした。燭台に魔術で聖別をかけ、多少なりとも攻撃力を上げようとする。だが、彼の足は急激に何かにからめとられた。彼が足元を見ると、床から突き抜けた脂肪の塊のような手が彼を捕まえていたのだ。
騎士がその手を振り払おうと燭台を突き刺したが、あまりの脂肪の多さに燭台の方が弾き返されてしまった。脂肪は油でぬめっており、燭台を突き刺そうにも表面をすべるのだ。それに、脂肪自体の弾力もかなりのものである。
「うおお!」
騎士は何度も燭台を突き立てようと試みたが、そのうちに次々に伸びる手に掴まれ、動きを封じられるとグラスライブの口に運ばれた。ただ大柄な彼は一口には収まらなかったので、彼は多少体の各所をもぎ取られて小さくされた状態で口に運ばれてしまった。
その恐怖の光景を見て、他の騎士達は一目散に逃げ出したのだ。もはや誰もグラスライブを止められる者はいなかった。だが逃げようとした彼らの何人かは、グラスライブだったものに捕えられ捕食される。
やがて食べる者のなくなったグラスライブが、いまだに眠り続けるエルシアの方を振り返った。
「さぁ、今日の主食ですよぉ」
だがグラスライブがエルシアの方を振り返ると、そこには誰もいなかった。後に残るのは斬られた鎖だけ。そう、ベッドに彼女を括り付けていた鎖は外されたのではなく、斬られていた。
「おや?」
グラスライブが不思議に思ったのもつかの間、今度は彼の視野が半分歪む。グラスライブは左目で、自分の飛び出た右目を見ていた。右目が後頭部から剣でくりぬかれたのだ。
「だ、だれ・・・」
グラスライブは言葉をろくろく発する事も出来ず、脳天を貫かれて思わず前のめりに倒れ込んだ。巨体の転倒に埃が舞い上がり、グラスライブはベッドを壊しながら仰向けに倒れたのだ。
そして彼は見た。自分が知っている者が、見たこともないような速度で剣を振るうのを。それはまさに無数の光の筋であり、あまりの美しさにグラスライブは自らに向けられた剣筋である事すら忘れ、見惚れていた。同時に、それは彼が見た最後の光景でもあったのだ。
続く
次回投稿は、4/25(水)9:00です。