少年達、その31~決意~
「あ、あの・・・失礼します」
「ソールだね。お入り」
戸を半分だけ開け怯える少年を、グラスライブは優しく招き入れた。扉の隙間からするりとすべるようにソールは入り、戸をそっと閉めるとその場で肩をすくめるようにおどおどする少年。まだ顔にそばかすの消えぬ少年は、入り口の所で小さくなって立っていた。その体は痩せ、くぼんだ眼はどこか病的に見えなくもない。何かの病でも患っているのかもしれなかった。
そんなソールにグラスライブは穏やかに語りかける。
「ソールや、今日はお前にお使いを頼みたいんだ」
「お、お使い・・・ですか?」
いつもとは違う用事に、ソールは戸惑ったように顔をさらにうつむけた。それを見てグラスライブはさらに言葉を続ける。
「ああ、ちょっと呼び出してほしい人物がいるのだよ。そしてこう言ってほしいんだ」
「・・・?」
グラスライブの告げる言葉を、ソールは黙って聞いているのだった。
***
「待っていろよ、エルシア」
オブレスは懐に忍ばせた物を確認しながら道を急ぐ。もはやオブレスの計画は完全に崩れた。苦心して築き上げた信頼も、幸福への道も、もはや遠いものとなってしまったのだ。
オブレスは、最初は自分だけが幸せであればよいと思った。父親が死んでから毎日を生きるのに必死だった彼は、他人を思いやるゆとりなどなかった。だが、パンのひとかけらで争う、飢えた大人達を見て気が変わった。彼らを横目で見ながら、自分だけは決してああはなるまいと心に誓ったのだ。
オブレスは楽園を夢見た。彼が生きる手段に長けていると知ると、彼を頼る人間が出始めた。最初こそそういった子供たちを邪魔に思ったオブレスだが、オブレスが少し知恵を出して彼らを助けると、皆が彼に笑顔を向けた。それは決して悪い気分はしなかったし、飢えた腹とはまた別に満たされる何かがあったのだ。
だがオブレスの目指すものは昨日までの理想とは程遠い。昨日までは自分の仲間達全員と幸せになれると信じていた。信じていたかった。だが現実は甘くない。彼は自分の無力さを痛感し、そして多くを救うためには誰かを犠牲にしなければならないと考え始めていた。その矢先、また別の道が開けたのだ。それは想像した道とは違ったが、今度は自分が体を張り、血にまみれることで全員を助けることができるものだった。オブレスには迷う理由など、もはやなかったのだ。
「助ける。エルシアも、皆も。俺が・・・俺が助けるんだ!」
オブレスには胸に秘めた決意があった。グラスライブを殺す。だがそのためには、一人で行動を起こすことが一番だと思った。エルシアが攫われた今、仲間を大々的に集める時間はないし、人を動かせば目立つ。それに作戦を立てる時間も、それを伝える時間も惜しかった。エルシアにだけは、自分が経験したような地獄を味わわせたくはなかったのだ。
「あんな変態野郎の慰みものにだけは、させるものか」
ある日貧民街で自分の服の裾を引いた少女。体中擦り傷だらけながらも、まるで痛がりも泣きもしなかった少女。自分の服の裾を引きながらも、ついに一言も助けてとは口にせず、涙を目にいっぱいに浮かべて立ち尽くした少女。その目を気高いと、何にも勝る宝石のようだとオブレスは思ったのだ。
元商人の息子として、宝石のような少女を豚に与えるわけにはいかなかった。諺の通り、豚に宝石の価値などわかるわけはないのだから。少なくともオブレスはそう思っている。
「上手くいってくれよ・・・」
オブレスは祈るような気持ちで教会前に到着した。日は既に傾き始めている。ここからの具体的な作戦など考えてはいない。エルシアがどこにいるのかも、どうやって助けるのかも具体的な作戦は何もないのだ。ただ、自分が別れを告げるために会うとさえ言えば、グラスライブは高い確率で応じてくれるだろうとは思う。その後の事は、野となれ山となれというところか。最低でもグラスライブを仕留め、エルシアを逃がす。オブレスは決意を新たにした。
オブレスは兵士達が使う通用口の所に来ると、その場所をコンコン、コココン、コンとノックをした。オブレスが用事がある時に使うノックの仕方であり、このノックの仕方以外でこの扉が開くことはない。オブレスの事はこの教会では一応秘密ということになっており、グラスライブとその配下以外は、彼の事を時々ここに出入りする小姓の少年くらいにしか思っていないのだ。
はたして扉はいつものように開いた。オブレスはいつもと違う緊張を持ってその場に臨んでいたのだが、顔を出したのはオブレスも良く知る騎士だった。彼はオブレスを確認すると、無愛想な顔で義務的にオブレスに話しかけた。
「お前か。何の用だ」
「用を言う必要はないな。グラスライブに会わせろ」
「ち、相変わらず愛想のない奴だ。まあいい、司祭様に問い合わせてやる。ここで待て」
オブレスはさらに厳しく問いただされると思ったのだが、この騎士とは顔馴染みなので、オブレスが滅多な事で要件を彼に言わないのも知っている。だがそのような人間の方が慎重だと思われるのか、この騎士は割とすんなりオブレスをグラスライブの元に通してくれることが多い。
オブレスがいつものように立ったまま待っていると、騎士はすぐに戻って来た。そのまま顎でオブレスに合図をし、彼を促すのだ。オブレスもまた黙ったまま騎士の横を通り過ぎて、グラスライブの部屋に向かう。その時、突如として騎士が呼びとめたのだ。
「ああ、そういえば」
「・・・なんだよ」
オブレスはいつにない騎士の行動に、何か自分がヘマをやらかしたのかと冷や汗をかきながら振り返る。だが騎士の方は何かの小瓶をちらつかせながら、オブレスの方を相変わらずの無愛想で見ていた。
「この前、お前の仲間が腕の骨を折ったろう?」
「ああ、ジュールだな。それがどうした」
「この前ここを引き払う準備をした時に、まだ使えそうな膏薬が見つかった。骨を折った後は熱が出るし、痛みが強いと寝るのにも苦労するだろう。よければ使え、痛みが和らぐ」
それだけ言うと騎士はぽいと瓶をオブレスに放り投げ、自分は後ろ向きに手を挙げて挨拶をしてその場を去った。何のかんので、それなりに気の良い人間なのかもしれない。彼は元々、アルネリアに使える神殿騎士なのだから。
「・・・今さらこんなものをもらってもな・・・」
だがオブレスは複雑な心境でその小瓶を懐にしまうと、グラスライブの部屋に急ぐのだった。
続く
次回投稿は、4/18(水)10:00です。