少年達、その28~若き大司教~
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「さて、何から話したものですか」
エルザとイライザはグラスライブの私室に通された後、お茶を出されて椅子に腰かけていた。アルネリアの司祭らしく、また貧しい土地で務める者らしくその私室は質素だった。実務と私的な使用を兼ねた質素な机に、アルネリアの教書、医学書、政治学の本など学術書などを収めた本棚が二つ。後は薄紫の花を活けた花瓶だけという、なんとも殺風景な部屋である。
その部屋にはさらに続きがあるのか、奥に扉が一つあったがその部屋は閉じられており、中をうかがい知ることはできなかった。おそらくは寝室だろうとエルザは見当をつけたが、別段聞き出すほどの事でもないとエルザは判断したのだった。
それよりも今はグラスライブに聞き出すことがある。エルザはグラスライブに突然の訪問の理由について、彼に問いただすべきことがあると述べたのだ。
「司祭、若輩の身でありながら先輩でもあるあなたに問うことは失礼に当たると重々承知ながら、質問をしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです大司教。これが任務であるなら、あなたの問いかけに私が答えぬわけにはまいりません。なんなりとどうぞ」
グラスライブは笑顔でエルザの質問を促したが、エルザの表情は厳しいものだった。
「グラスライブ司教。あなたが務めたこの十年、ビュンスネルのみならずスラスムンド全体の治安は悪化の一方でした。このことについてどうお考えか。あなたの管理能力について、アルネリア本部では疑問視する声も上がっています」
「そのことですか。実の所私もこの十年、この国の現状には頭を痛めてまいりました。眠れぬ夜を過ごしたことも幾度あったことか。ですが、私がこの土地に赴任した時は既に全てが手遅れでした。作物は取れず物流は滞り、魔物や魔獣の出現に人々は駆り出され、国は疲弊しきっていたのです。
私も幾度となくこの国の現状について訴えましたが、官僚は腐敗し、私の声を聞き入れる人間はもはやおりませんでした。私の能力では悲しいことに、現状維持が精一杯だったのです。
ですから私は考えました。この国を根本から助けることはもはや不可能であり、この国が合併・吸収された後の手配が重要になると。私はこの国の惨状を訴え、同様の国がここまで落ち込まぬうちに打開する策をアルネリアにて広く訴えるつもりです。ゆえに今回スラスムンドでの任務を解き、アルネリアに帰れるように私は申請しました」
「なるほど。司祭の能力をもってしても、この国を救うことは不可能であると?」
「お恥ずかしながら」
グラスライブは恭しく頭を垂れ、エルザはその様子を渋い表情で見た。そして次に、グラスライブが保管するこの国での活動の記録を請求して目を通し、一通り自分が気になる点を見終えた段階でとりあえず書類をとじた。
その様子を見てグラスライブが丁寧に、しかし堂々と問いかける。
「いかがでしょうか。私の行動におかしな所でも?」
「いえ、私の受けた報告となんら違う所はありません。また疑うような場面も見当たりません。むしろ、よく持ちこたえているとすら思います」
「ですが、それは何の自慢にもなりません。私は飢えて死ぬ人間達を助けられず、今でもこの町には路上にその日の食事にも困る人達が溢れているのですから」
「私もこの国の現状はその目で確認しました。ここまでひどい状況の国はそうないでしょう。和がアルネリアも内政干渉はしないといえど、これは特例措置を設けて然るべきかもしれません。だからこそ、私が直接出向いたのですから」
エルザの言葉に、グラスライブはその皺のよった目を少し見開いた。
「特別措置・・・と申しますと?」
「この国が崩壊すれば、この土地は無政府状態になります。それでは他国がこの国に進出し、戦争のきっかけとなるでしょう。ですから私は最高教主にこの国の現状を訴え、特別措置として一旦この国の全権を我がアルネリアが預かる事にしようと思います」
「!」
その言葉にグラスライブの顔色が変わった。このスラスムンドに来てから、グラスライブが誰にも見せたことのない表情。それは彼が久しぶりに見せる、焦りというものだった。
その表情を見て、エルザがわざと不思議そうに問いかける。
「いかがされたか、司祭。何か私の言動に問題でも?」
「い、いえ。ですが我々アルネリアは、各国内政に不干渉の方針なのでは?」
「それは通常の場合です。アルネリアの歴史を紐解けば、アルネリアの創立以来何度も各国の財政再建を我々は手伝ってまいりました。たしかに『原則』不干渉であるものの、一切の不干渉を取らないわけではないのです。
何にでも例外は存在します。たとえば、国が直接我々アルネリア教会に助けを求めた場合。これに応じずしてなんのための我々でしょうか。また、国が既に正常の判断能力を有していない、国家として機能していない場合もそれに相当します。先ほど拝見した書類に、『現状スラスムンドにて行われるべき予算会議において各大臣の欠席が相次いでおり、また国王も体調不良にてその半数以上を欠席している』とありました。これは十分先ほどの条件に合致します。
いまからちょうど74年前、リーブステインという国において、我々が同様の状況で内政の干渉を行ったという歴史があります。勤勉な司祭ならご存知の事では?」
「む・・・確かに」
グラスライブもある程度の身分にあるからには、当然知っている史実である。確かにアルネリア教は内政干渉を行った歴史があるが、その条件が当てはまるかどうかまで詳細に検討したことはなかった。具体的な例示も少ないことだし、内政干渉が正当性を持つかどうかはこの件に関わる人間の審査能力によるだろうが、目の前の若く聡明な大司教ならきっとやってのけるとグラスライブは確信したのだった。
グラスライブは正直、エルザを侮っていた。いかに優秀であろうと、所詮20そこそこの若者だろうと。だが目の前の若く美しい女性は、グラスライブの想像をはるかに超える優秀さであったのだった。司祭とはいえ書類仕事の多いグラスライブだったが、エルザには若くして武闘派かつ巡礼を数々行ってきた経験がある。それは巡礼を行ったことのないグラスライブには、想像のできない世界なのだ。
その大司教エルザがにっこりとグラスライブに微笑む。
「司祭、貴方の詳細な報告にて我々はこの国を助けることができるかもしれません。あなたの行いに感謝を」
「は・・・ありがたき幸せ」
「つきましては、あなたのアルネリアへの帰都を私の権限にて認めようと思います。あなたの業績はアルネリアにて報告され、以後その救済措置はアルネリアにて広く参考にされるでしょう」
エルザの言葉はグラスライブが長く望んだことであり、グラスライブは思わず感動する自分を止められなかった。自分の行動が、ついにアルネリア教会で認められたと。これでより多くを助けられると喜びに打ち震えたのは、間違いなくグラスライブの真実であった。
だがそれも次の言葉を聞くまでの、ほんの刹那の出来事だった。エルザはさらに言葉を紡ぐ。
続く
次回投稿は、4/14(土)10:00です。