ヴァンダル=ヴァルサス=ブラックホーク、その1~獣人の部隊~
カランカラン……と店への来訪を告げる呼び鈴がなる。だが日は天に高く、この酒場が営業するにはまだ時間が早い。最近は昼食もやってみようかなどと店長は考えているようだが、なにせ人手が自分と店長、厨房のデントしかいない。これ以上働かすなら絶対に賃上げしてもらうんだ、などとウルドがテーブルを磨きながらぼんやりと考えていた矢先のことだった。
「お客さん~すみません、まだ営業してないんですよ」
ウルドには珍しく、ややだらけ気味の返事である。それがいけなかったのか、
「ああ? 飯じゃねぇよ!」
「なんだこの犬っころ。喰っちまうか⁉」
「どけや小僧」
「ひ、ひぇぇ?」
殺気立った返事がウルドに向けられた。店に入ってきたのはひどく柄の悪い獣人たち。全員どこかしらに傷があり、しかも種族が多様な獣人たちだった。オオカミ、クマ、トラ、カメ、他にも多種多様。獣人といえど、普通は異種族ではあまり群れないのだ。さっき自分を喰うとか言ったのは、同じ種族じゃないかとウルドが怯えている。
共食いとか最低の死に方だな、などと一瞬考えたせいでウルドは怯えながらもそのまま突っ立っていたらしい。先頭にいたトラの獣人に胸倉をつかまれる。
「邪魔だってんだ、どきな小僧!」
「ひいぃ! すみません旦那、ただいま!」
「あたしゃ、女だ!」
「えぇっ、紛らわしい!」
「んだと!?」
トラの獣人がぐわっと口を開く。それだけ筋肉隆々だったら男か女かなどわからなくてもしょうがないとウルドは思うのだが、とりあえず本音が出る自分の口を本気で恨んだ彼である。
「この犬っころ、言いやがるぜ」
「だがミーニャにそれを言ったら、死亡確定だな」
口々に獣人たちが囃し立てるが、ウルドはその言葉を聞いているうちに、どうしても言いたくなった一言がつい口から漏れる。
「なんで名前だけそんな可愛いんスか! 外見と合ってないし」
「こいつ、まだ言うか!」
どうやら今のセリフはミーニャ以外の獣人にはツボだったらしく周囲は大爆笑となったが、当のミーニャはカンカンだった。真っ赤になって青筋を浮かべるミーニャを前に、「辞世の句が浮かばない、さらば俺の人生」などとつまらない考えがウルドの頭をよぎる。だがその時、一筋の鋭い声が店内に響いた。
「やめねぇか、てめえら!」
その一言でぴたりと獣人たちの笑いが止まった。声を出したのはこの中にあってかなり小柄なリスの獣人だった。戦いとは無縁なウルドよりも、さらに頭一つは小さい。リスは温厚で戦いを嫌う種族のはずだが、この男は片目に大きな刀傷があり、顔も一片の油断も無く引き締まっている。
彼が一歩前に出ようとすると自然と獣人たちが道を作ることからも、彼がこの中のボスなのだろう。そして彼が先頭に来てミーニャをじろりと睨みつけると、ミーニャが怯えた猫ように手を離した。
「まったくミーニャ、てめぇはよ。だから男女なんて言われるんだろうが? すぐに手を出すその短気、なんとかしやがれ!」
「す、すみませんでしたラッシャさん……」
ミーニャは怯えたように手を離し、ラッシャと呼ばれたリスの獣人に詫びる。
「詫びるんなら俺じゃなく、こっちだろうが。若いの、すまねぇな。うちの衆は喧嘩っ早いのが多くてよ。このとおりだ」
ラッシャと呼ばれた獣人は、ウルドに深々と頭を下げた。ウルドは慌てて手を横に振る。
「そ、そんな! 俺こそお客様に生意気言ってすいません」
「む。そのことだが、俺たちは客じゃなくてよ」
「ではどういった御用件で?」
ラッシャがぽりぽりと頭を掻く。何か言い出しにくいことでもあるのだろうか。
「ああ、オオカミのおやっさん……ゼルドスさんに用があってな。ゼルドスさんはいるかい?」
「ゼルドスはたしかにうちの店長ですが、お先に用件だけでも伺えますか? どこのどなたかわからないうちは、大切なうちの店長に会わせるわけにはいかないんで」
そのセリフを聞いて後ろの獣人たちがまたなにか文句を言おうとするが、ラッシャは鋭い目で彼らを睨み、制した。ラッシャは内心感心していた。この目の前の若い獣人は武術の心得があるわけではないだろうが、それでもこれだけ柄の悪い面子を前に引き下がらない。先ほどまで怯えていた様子が嘘のようだった。単純に力があるから肝が太いと勘違いする奴、いつも無鉄砲で肝が太く見える奴は沢山いるが、肝の据えどころを知ってる若者はそうそういない。
ラッシャは態度だけではなく、考え方も改めた。
「これはもっとも。リス族のラッシャが来たと言っていただければ通じるでしょう。要件はここでは軽々しく言えるようなことではないので」
「わかりました。店長が帰り次第取り次ぎますので、どこでお待ちになるかを――」
「その必要はねぇ、ウルド」
厨房からのっそりと店長のゼルドスが姿を現した。その瞬間獣人全員が片膝をつく。その仕草でウルドはわかったが、彼らは柄こそ悪いが全員軍人、あるいはそれに準じる者たちなのだ。
「こりゃまた懐かしい面々だが、昔を語らいに来たってわけでもなさそうだな」
「残念ながら。今お時間をいただけますか、隊長」
「それも懐かしい呼び名だな……客もいないし、いいだろう。奥に来な」
「おい、お前らは少々ここで待っときな」
全員が無言で頷いたが、ウルドだけは助けを目線で求めてくる。この柄の悪い連中の中に一人残すのはかわいそうかとゼルドスは思ったが、他にどうしようもないのでほったらかしておいた。まさか店を空けさせるわけにもいくまい。そして、ラッシャを促してゼルドスは奥の個室に行く。
***
「で、なんの用だラッシャ。今更グルーザルド絡みじゃあるめぇ、鷹の方か?」
「ええ、現四番隊が全滅しました。ヴァルサスの頼みで、ブラックホークに戻ってくれないかと」
その報告に、ゼルドスは全滅した隊を思いやるのではなく、やれやれとため息をついた。
「おいおい、俺は十年前に引退した身だぜ? 今さら鈍って戦えねぇよ」
「俺にはそうは見えませんがね」
ちらり、とラッシャがゼルドスの体つきをみる。たしかに歳は以前よりとったが、体の衰えがあるようには見えない。ただ居酒屋をやるだけではなく、密かに鍛えているのだろう。
そんなラッシャの視線に気付きながらも、ゼルドスはいかにも気だるそうに話を続ける。
「たしかに部隊の全滅は珍しいが、昔から全くなかったってわけでもねぇ。傭兵やってりゃ一度や二度は経験するこった。ブラックホークだって無敵じゃねぇんだ。今さら騒ぐほどのことか?」
「たしかに。次の依頼の内容を聞きましたが、現行の団員だけで十分すぎます。ですが……」
「ですが?」
「ヴァルサスがね、『不安だ』って言ったんですよ。あの狂獣がですよ? 戦場を血みどろになりながらかけずり回った俺たちが――グルーザルドで一番凶暴だって言われた俺たちが、恐怖で凍りつくほどの戦いをして見せるアイツがね。それがなにを意味するか」
「……それはたしかに一大事かもしれんな」
その言葉に、ゼルドスは指でテーブルを叩きながら考え込んだ。ゼルドスがブラックホークの前身であった傭兵団を引退したのは、そもそもヴァルサスの実力が自分よりも遥かに上に到達したからである。ゼルドスは自分がすることはなにも無いと思い、新天地を求めて各地を放浪したのだ。そして、縁あってこのミーシアで居酒屋の店主などをしている。ラッシャはなおも続ける。
「アイツは今回の戦いにいつもと違うなにかを感じてるんです。昔からあの男はそうだった。どれほど混乱した戦場でも、アイツの指示に従っていれば安全な場所に行けた、生き延びられた。二十年前に一度傭兵団は全滅して解散しましたが、その時の面子を再び集めるなんて普通じゃない。それに俺たちは全員アイツに恩があります」
「ふむ」
ゼルドスは腕を組んでしばらく考えていたが、ややあって考えをまとめたようだ。
「まあいざって時は力を貸す約束だからな……だが、約束を反故にするわけじゃねぇが、俺たち程度で役に立つのか? さっき見たが、元の俺の部隊だって減ってたようだが」
「さすがに二十年前の面子はそのまま集まりませんや。ですが、俺たちに要求してるものは武力ではないかもしれません。たしかに新人共はまだ使い物にならんかもしれませんが、それはおいおい鍛えましょう。それに俺たちはともかく、ゼルドス隊長は確実に右腕でしょうよ。なんせグ
ルーザルドのドライアン国王と一騎打ちして生き残ってる、数少ない戦士なんだから」
そう語るラッシャの口はどこか自慢気だったが、ゼルドスにとってはどうでもいいことらしい。
「いつの話だよ。今じゃ俺はただの酒屋のおやじだ。それにブラックホークにはベッツもいるだろうが。あれの方がよっぽど化け物だと思うがな」
「さすがにベッツは歳だと思いますけどね。いや、強いのには変わりがないんですが」
ラッシャが苦笑いをする。
「んで、今の一番隊は誰なんだ?」
「マックスです」
「あんのスケコマシのガキが⁉ 世も末だな」
「まあ俺らが知ってる頃はただのひよっこでしたが、今じゃなかなかの男に育ちましたよ」
「つっても、もうオッサンだろうよ」
「まあ本当にヘタレてたら、ぶちのめしたらいいだけでしょう」
「それもそうだ。で、あいつらなんだか騒がしくないか?」
ゼルドスが部屋の外を気にする。ラッシャはまたかと頭を抱えた。
「あいつらまた――あのイヌの若いの,大丈夫ですかね? 肝っ玉はなかなかでしたが」
「心配すんな、ウルドは肝っ玉だけじゃねぇよ」
二人が話を終えて店の方に戻ると、全員酒が入っていた。そしてさっきまでの険悪な様子が嘘のように、ウルドが輪の中心になって盛り上がっており、中には肩まで組んでいる者もいた。
「こりゃあ驚きましたね。あの柄の悪い連中と和んでやがる」
「ウルドの才能さ。アイツは誰とでも仲良くできる。んで一度聞いた名前は二度と忘れないっていう。俺じゃこうはいかんからな。俺の店にアイツは欠かせん。この店にアイツがいなかったら、今頃傭兵に戻っているだろうよ」
「やっぱりゼルドス隊長の人を見る目は確かですね。人材育成をさせたら軍にいるころから、天下一品だった」
「けっ、たまたまだ。たまたま」
二人はしばらくこの光景を眺めていたが、やがて割って入って話をした。ゼルドスが店を離れることにウルドは猛反発したが、ゼルドスの決意が固いことを感じると、渋々と納得したようだった。ただゼルドスがいない間、臨時の従業員を雇うことを納得させていた。そしてあらかた話が終わると、ゼルドスが獣人たちに声をかけた。
「じゃあ全員このまま出発だ。緊急招集ってことだから、出来る限り速くサードイドに行くぞ」
ゼルドスの声に獣人達が一斉に動き始めるが、何人かが動かない。明らかな不満顔を抱え、立ち上がってゼルドスの方に歩み寄った。
「ちょっと待てよ。なんでいきなりアンタがしきってんだ?」
全員が驚きの目で声の主を見る。最近入った新入連中のなかで一番威勢のいいクマの獣人だった。
「やめろ、オールー」
「ラッシャさん、俺達はアンタに口説かれてこの部隊に入ったんだ。元アンタの上司かなんか知
らないが、こんな酒屋で腹のたるんだおっさんの命令を聞く義理は俺たちにはねぇ」
若い連中がそうだそうだ、と唱和する。ラッシャは舌打ちと共に指を鳴らしてシめようとした
が、他でもないゼルドスが止めていた。
「活きがよくていいじゃねぇかラッシャ。えーと、オールーだったか? ならどうやったら俺を認められる?」
ゼルドスがラッシャを押しのけるように前に出、オールーもそれに応えるように前に出た。体格だけなら、オールーの方が二回りほどゼルドスより大きい。
「俺と勝負しな! 獣人の流儀はいつでもどこでも同じだろうが!」
「いいだろ。単純な殴り合いでいいのか?」
「ああ。言っとくが、俺はかなり強いぞ?」
たしかにオールーは獣人たちの中でも一、二を争う体格だった。だが、ゼルドスは子どもを前にするように柔らかに笑うと、肩をゴキゴキと鳴らす。
「じゃあやるか。ああ、一つ忠告しておくぞ」
「なんだよ」
「くれぐれも、撫でただけで死んでくれるなよ?」
「?」
オールーは一瞬なんのことかわからなかったが、ゼルドスと対峙した瞬間、オールーの全身の毛が自動的に逆立ったのだ。そしてゼルドスの体が急激に大きくなったかと思うと、また遠くなり、そして彼は気を失った。オールーは、自分が掌打一発で吹き飛ばされたことにすら気付かなかったのだ。
その光景が一番衝撃的だったのはウルドである。自分の店長が腕っぷし自慢だとは思っていたが、あの巨体をまさかみぞおちへの掌打一発で向かいの店の軒先まで吹っ飛ばすとは思っていなかった。しかもあの巨体にして、一瞬で間を詰める速度。喧嘩を吹っ掛けたオールーとかいう獣人は、三日は飯を受け付けないだろう。
「ありゃ? 思ったより飛んだな~。さてと……まだやるかい、若い衆?」
オールーに加担していた連中は一挙に顔面蒼白となり、無言で懸命に首を横に振った。それを見てニヤリとしたゼルドス。だがこの光景は馴染みの連中には見慣れたものであるのか、古参の全員がゲラゲラと笑っている。多くの者が昔こうやってゼルドスに立てつき、そして同じように吹き飛ばされたのだ。
「そういやミーニャも昔吹っ飛ばされたよな?」
「言うんじゃないよ!」
「そういやそんなこともあったな。悪い、俺もお前が男だと思っていて、全く加減しなかった」
「た、隊長まで……」
「「「ギャハハハ!」」」
全員が笑い転げている。どうやら一連のゼルドスの行為は、新人への洗礼というところか。
「だれかオールーの面倒を見てやれ。よし、じゃあウルド。店のことは頼むぜ! くれぐれも潰すなよ?」
「おやっさん……」
「ん、なんだ? 俺がいないと寂しいか??」
ゼルドスがウルドの頭を、ぽんぽんと撫でる。
「今壊した扉と、向かいの店の修理代はおやっさんの給料から引いときますからね」
その瞬間ゼルドスが石のように固まり、真っ白になった。それを聞いて他の連中はさらに笑い転げ、一番強いのは実はこのウルドという小僧なんじゃないかと思うラッシャであった。
続く
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