少年達、その19~ビュンスネルの司祭~
オブレスは重苦しいその扉を開けた。救済の教義なのだから、もう少し開けやすい門戸にすればいいのにと思うのだが、この扉を重いと感じるのはあるいは自分だけなのかもしれない。
中に入るとそこは説法などが行われるための椅子が並んでいるのが普通だが、この教会では椅子は取り払われ、代わりに敷物が並べられそこで何人もが転がされていた。彼らは一様に病人であり、あるいは飢えたり栄養失調で倒れた者達だった。
彼らを看病するのは僧侶や騎士達。シスターはこの土地にはほとんどいない。それは当然治安があまりにも悪いということで志願者も少なかったのだが、アルネリア教会が危険性を加味してシスター達の派遣を取りやめたのである。そして僧侶や騎士に交じって、包帯や食事を持って走り回る少年がオブレスには見えた。既に夜遅いというのに、少年はいそいそと働いている。
「レイヤー」
オブレスの声に反応し、レイヤーは手に持った荷物を患者の所に置くと彼の方に歩いてきた。
「オブレス、仕事?」
「ああ、まぁね」
「司祭様は奥の部屋だよ。ソールと一緒にいるはずさ」
「・・・アレの最中か?」
「多分ね。でも一刻は経ったから、もう終わっていると思う」
「ゲイルは?」
「その辺でサボっていると思うよ。あるいはエルシアに愚痴られているか、どっちか」
それだけ言うとレイヤーは再び荷物を取りに走って行ってしまった。オブレスは彼を呼び止めることもなく、教会の奥へと歩みを進める。
そうしてやや暗がりの中、奥には彼の仲間が何人かいた。ここには僧侶や騎士達は滅多に立ち入らず、また立ち入れないように少年達が固めていた。オブレスは彼らが寄ってくるときの渋い表情を見て、状況を察する。
「俺がいない間、何かあったのか?」
「まだわからないが、貴族の財産を管理している連中からの連絡が遅れている。何かあったのかもしれない。オブレスの方はどうだった?」
「ああ、あいつらには死んでもらった」
オブレスの言葉に最初仲間達は驚き、そしてその次に彼らは「してやったり」といわんばかりの表情になったのだ。明らかに喜んでいるのである。
「ついにやったのか。ざまぁねぇな」
「ああ、散々でかい面しやがって。誰のせいで俺達が苦しんでいると思ってやがる」
「だがそれで大丈夫なのか? 俺達はこの先どうしたら」
「今回の事で貴族の財産は俺達の物になる。在りかを知っているのは俺達と、後は直接あの場所で財産を管理している連中だけ。そいつらを上手く始末したら――」
「全部俺達の物ってことか」
仲間の誰かが口笛を吹いた。オブレスもしっかりと頷く。
「ああ、そういうことだ。その金を使って俺達はこの土地を離れよう。そして新天地で暮らすんだ。もうこんな国は皆まっぴらだろう?」
「ああ、未練はないよ」
「それならさっそく仲間に知らせてくる。行動は早いうちがいいだろ?」
「そうだな。片さえついたら、もう何日も待たなくていい。だが相手は正規の軍人だ。あまり連絡がないと相手も怪しむし、できれば今夜のうちにでも片を付けてしまいたい。そのためにここに来たんだ」
「なるほど。なら早いところ動きたいな」
「それはそうだが――終わったか」
部屋の中で人が動くのがわかる。そしてしばらくすると、ソールという少年が出てきた。彼は金の巻き毛をした愛らしい少年で、大人しい顔つきはまだ少女に見えなくもない。声変わりもまだだし、その気になれば少女でも通るだろう。ソールはオブレスの方を見もせず、うつむいたままその場を足早に去って行った。その手首には、青黒い跡が残っているのが見えた。
それを見た仲間の一人が、唾を吐きながら罵りの言葉を上げる。
「色情狂の小児愛好家め」
「よせ、そいつのおかげで俺達は生きている」
「だからこそ一刻も早く俺達はここを離れる必要がある。あんな奴の言う事なんかこれ以上聞くものか」
「ああそうだ。これから成長する連中には、余計な気苦労をかけたくない。そういう土地に行こう」
全員が頷き、そしてオブレスは一歩前に出た。オブレスは扉をノックする。
「司祭様、失礼します」
「オブレスか。入りなさい」
中からは落ち着いた声が聞こえ、オブレスは促されるままに入って行った。中ではゆったりとした法衣に身を纏った初老の男性が、イスに座って温めたミルクを飲んでいた。目の前にはアルネリアの教書と、他にも医術の本がいくつか。彼は司祭であるばかりでなく、医者としての心得もある人間で、非常に見識豊かな男であった。その性格は温和で慈悲深く、ここの僧侶達は彼の事を素晴らしい司祭だとあがめていた。
だからこそオブレスは吐き気がする。この司祭が変わらぬ笑顔で行う下卑た行為を知った時、彼は人間の笑顔を信用するのを止めた。人は笑いながらでも他人を殺せることをオブレスは知ったのだ。現に先ほどまで、目の前の司祭は下劣極まりない行為をソールに行っていたに違いないのだから。
オブレスは扉をしっかりと閉めると、司祭の後ろに歩み寄った。一見無防備な背中だが、こう見えてグラスライブは相当な腕前である。アルネリアの司祭が只者でない事はなんとなく父親から聞かされていたオブレスだが、以前グラスライブが教会に侵入してきた暴漢を5人まとめて叩きのめした時に彼の実力を知った。一見たるんだように見える腹も、その下にはしっかりと鍛えた体が隠れているということだ。おそらくはオブレスが襲い掛かったとて、あっという間に組み伏せられるだろう。オブレスは正直、目の前の男が怖くてしょうがない。この高貴だと考えられている司祭が、人の皮を被った魔物にしか見えないのだ。
オブレスはグラスライブの後ろに立つと、彼の言葉を大人しく待った。その彼に対し、グラスライブはことりとミルクの入ったコップを置くと、彼の方に向き直る。
「その表情を見るかぎり、どうやら私の言った通りになったようだね?」
「ええ、その通りです。やつらは貴方の存在をたてにこちらをゆすろうとしたので、言いつけどおり始末しました。それで今後の事ですが」
「ふむ。彼らの財産に興味はないが、あれは有効活用できるだろう。君はこの国を離れたいのかな?」
「・・・ご存知でしたか」
オブレスは自分の心中が見抜かれていたことに多少の動揺をしたが、できる限り感情は押し殺した。目の前に司祭に弱みを握られると、彼のやり口は極めて陰湿になる。グラスライブは直接弱みを突くようなことをしない。相手が気づかぬように少しずつ、少しずつ絡め取って行くのだ。まるで真綿で弱みを包み込み、締め上げるように。
オブレスは慎重に言葉を選ぶ。
「俺としては貴方にお世話になった恩は忘れていませんが、対価は払って来たかと。この土地はもう終わりです。こんなところにはもう住んでいられない。国の上層部すらその先を見限るようでは、俺達も今脱出しなければいずれ飢えて死ぬだけだ。だから――」
「皆まで言わずともよい。私も、この国がどうにか立ち直りはしないかと苦心してきた。軍や国の上層部と関わりと持ったのもそのためだ。だが彼らはこの国の事など憂いてもいない。それどころか私物化しようとすらしているではないか。私もこのスラスムンドに来てから10年近くが経過したが、もはや打つ手はない。正直心苦しくはあるが、私ではこの国を変えられなかった。非常に後悔が残るよ」
その言葉に偽りはないのだろう。司祭は真実苦しそうな表情をし、手のひらに顔をうずめてため息をついていた。オブレスはこの司祭が確かに多くの人間を救ってきたのを見た。この司祭がいなければ事実多くの人間が死んでいただろうし、彼の仲間は10人も生きていなかったろう。その点はオブレスも心から感謝している。
だがこの司祭がオブレスにとって、反吐が出るほどの下衆野郎である事に変わりはない。オブレスは何も彼の言葉には同意せず、自分の意図だけを伝えた。
「司祭様、あなたのおっしゃる通り俺達はこの国を出ようと思います。そのためにはあいつらが集めた資産が必要ですが、それにはまだ彼らの残党が守っています。ですから」
「私の力が必要なのだね? いいだろう、彼らは国賊だ。討伐することに躊躇いは必要ないだろう。私の部下をこっそり貸すとしよう。20人もいれば足りるかね?」
「ええ、相手は30人程度。神殿騎士が20人もいれば、十分すぎます」
「いいだろう。ではいつやる?」
「今夜にでも」
その言葉に司祭は手元の鐘を鳴らし、彼の従者を呼んだ。間もなくして背の高い、しっかりとした体つきの男が入ってくる。
「いかがされました、司祭」
「このオブレスが君達の力を借りたいそうだ。20名に夜間戦闘の準備をさせて、街の東側に集合。以後彼の指示に従うように」
「了解いたしました」
男は一礼するとすぐさま去って行った。オブレスもたまに顔を見るが、彼はグラスライブ付きの神殿騎士の隊長である。彼直属の兵士が20名、他にもこのビュンスネルに勤務する神殿騎士が役30名。いずれも相当のつわものである。他にも一般兵士などを合わせれば、それなりのアルネリアの戦力がこの都市にはいることになる。
司祭は指示を出し終えると本を閉じ、椅子を立った。その顔は多少なりとも疲れているように見える。
「さて、これでいいかね。他に何か話があれば聞くが」
「いえ、別に」
「そうかね。それにしてはすっきりとしないような顔をしているが」
グラスライブの指摘に、オブレスはどうしようかと悩んだが、彼が疑問に思っていたことを聞いてみた。
続く
次回投稿は3/31(土)11:00です。