少年達、その13~温床~
「怖いことがあったのか?」
「・・・まあね」
「いつでも言ってるだろう? 何かあったら俺に相談しろって。俺達『兄弟』の間に隠し事は無しだ」
「大したことじゃないのよ」
エルシアは短めのスカートを翻しながら、オブレスに背を向ける。強気な彼女はオブレスが自分を心配してくれることが嬉しかったのだが、同時に弱みを見られたようで嫌だった。また多忙なオブレスに、余計な心配をかけたくもない。
最近のオブレスは忙しいのだ。盗賊団を始めたせいもあるのだが、そのほかにも、彼は色々な活動を行っているようだった。盗賊団の頭領は、彼の一面を表す記号に過ぎない。彼は実際には商人としても色々活動をしているし、この裏路地を仕切る頭領としての顔もある。同時に、『兄弟』と呼ばれる浮浪児達のリーダーでもある。
ここはその『兄弟』の隠れ家の一つ。荒廃の進むビュンスネルにおいて、ここ裏路地の一画は浮浪児達の絶好の隠れ場であり、天国でもあった。毎日のように隠れ家を変えるだけの空き家、集合住宅がこの土地には存在し、彼らは活動拠点を自分達にしかわからないように変える。彼らは本当の兄妹ではない。『兄弟』の構成員は百名近くにも上るが、その中核はオブレスを中心とした数名の年長者である。エルシアやレイヤーは、比較的年下の部類だった。
この裏路地には他にも色々な組織がある。窃盗を専門に行う連中、恐喝や強盗を行う連中。中には売春や、人殺しを受ける連中もいるとか。オブレスがこの集団を作る数年前までは、裏路地は実にひどいありさまだった。
だがオブレスは少年による少年のためだけの組織を作り、無用な大人や協力的でない者は排除した。結果として彼は子供たちが自分の身を護れるだけの場を作ったのだが、同時に裏路地で最大勢力になりつつあるこの集団は、おおよその犯罪の責任をなすりつけられる対象になっている。
そこでオブレスは一計を案じた。軍の上層部に逆に取り入り、軍の汚れ仕事を請け負う代わりに自分達の身の安全を保証させた。その手並みは見事なものであり、そういったオブレスは少年達の尊敬を一身に受けたが、鋭いエルシアだけはなんとなく気が付いていた。この出来事には、さらに裏があると。『兄弟』では隠し事は無し、というのが彼らの掟だったが、明らかにオブレスは隠し事をしていた。たとえそれが必要な事であったとしても、エルシアは寂しかったのだ。だからエルシアは盗みなどという恥ずべき行為を始めたのかもしれないと、自分への言い訳にしていた。
エルシアはどこからか拾ってきて直したソファーにどっかりと座ると、脚を組んでオブレスを睨む。ソファーの中の素材は既に傷んでおり、多少尻が痛いほどの固さになっていた。
「それよりも、今日もオブレス兄さんと晩御飯は一緒に食べられないの?」
「ああ、今日も出かけるところがあってね」
「つまんないわ。最近ゲイルくらいしかいないんだもの。上の人達は皆忙しそうで」
「仕方がないさ、皆それぞれに仕事があるんだ。今日はレイヤーもいると思うけどな」
「あんな無愛想な奴! 一緒に育ってきたはずのに、何を考えているかわかりやしないわ。一緒にいても、うんともすんとも言わないことが多くて、楽しくもなんともないの。この前なんか一日一緒に動いていたのに、自分からは一言も発しなかったのよ? いてもいなくても一緒よ、あんな奴!」
「ひどい言いようだ」
オブレスは仕方なさそうに笑うと、外に出ていく身支度を整えている。自作の背負い袋に、何かの書類を詰めているようだった。それにいくつかの割符のようなものも。オブレスが出かけるときのいつもの内容に見えたが、今回は鍵を懐にしまうのが見えた。めざといエルシアが見逃すはずがない。
「オブレス兄さん、今の鍵は?」
「これか。これは秘密の箱の鍵だよ」
「秘密の箱? 何が入っているの?」
「それを言えないから『秘密』なんだろう?」
「兄弟の間では隠しごとは無しって言ったのに、ずるいわ。教えてくれたら今日の下着の色くらい教えてもいいのに」
エルシアがスカートをめくり上げるふりを見せる。するとオブレスの顔が難しいものに変わる。
「エルシア、年長者をからかうもんじゃない」
「あら、からかってなんていないわ。本当に兄さんになら見せてもいいと思っているのに」
「なおさら悪い。まさか本当にそんなことをしているんじゃないだろうな?」
「冗談はよして!」
エルシアが癇癪を起こし、その辺に落ちていた枕をオブレスに放り投げた。オブレスは難なくそれを受け止めるが、彼は「しまった」という顔をせざるをえない。エルシアが癇癪を起こすと、機嫌を直すのに非常に時間を要するからだ。
案の定、エルシアは凄まじい剣幕で怒りはじめる。だがオブレスからしてみればそれは可愛いものだったが、エルシアの癇癪を指摘すれば火に油を注ぐだけなので、ここはぐっと我慢をするオブレスである。
「どんなことをしても身は売らないのが私の意地よ! 飢え死にしたってやるものですか。だいたい・・・」
「わかったわかった。俺が悪かったよ。だけどもう行かないといけない時間なんだ。続きは帰ってから聞くから。な?」
話が長くなると思ったオブレスは適当なところで無理矢理話を中断し、そそくさと逃げていく。たとえエルシアの話を最後まで聞こうと聞くまいと、結末にそう大して違いはないからだ。最後にはエルシアに贈り物をすれば、だいたい彼女の機嫌は直る。それだけ彼女がまだ幼いとも言えるかもしれなかった。
そして足早に出て行ったオブレスの後で、エルシアは一人部屋に取り残されさらに癇癪を爆発させるのだった。
「~~兄さんはいつも都合が悪くなるとああやって逃げる! まださっきの成果も見せてないのに!! ちょっと、レイヤー! ゲイル! どこにいるの!!」
そしてエルシアは、自分が遠慮なく当り散らせる相手を探し始めた。ずかずかと怒りも露わに歩き回る彼女に二人がつかまるのは、その数分後の事である。
***
アルフィリース達は休息を取っていた。ルナティカが用意した隠れ家は予想外にもビュンスネル一高級な宿の部屋であり、彼女はその場所を最適な隠れ家に選んだようだった。ルナティカ曰く、そういった場所の方が、多数での潜伏には逆に目立たないとのことだった。
その宿であれば食料の手配には困らないし、ある程度アルフィリース達の姿も表に出ない。それに宿の者達も礼儀をわきまえ、余計な事は話さない。ここからアルフィリース達は数名の集団に分かれ、それぞれの活動を開始するのだった。
まず今夜の密会の現場を押さえるのはエルザ、イライザ、リサ、ルナティカ、ユーティである。潜入にはもってこいのメンバーであった。本当ならラーナも欲しい所であったが、あまり本隊の戦力を分散させるのも好ましくないとアルフィリースは判断した。その間にアルフィリースとラインは先に壊滅された盗賊達の報酬を受け取る手続きをし、余った仲間で報酬を運びつつ、さらに潜入した五人の脱出の手伝いをするつもりだったのだ。
だが予想外の事が起きた。ルナティカがしくじったのである。
「ごめん。この失態、なんとしても取り返す」
ルナティカがエルシアから取り返した書状は、半分しかなかった。エルシアが何かあった時の保険に、半分に書状を裂いておいたのである。さしものルナティカもエルシアの懐からかすめ取る時に、そこまで確認する余裕はなかった。
ルナティカは余った時間でエルシアの逃げた痕跡を追おうとしたが、ルナティカは追跡に失敗した。全員が意外な事だったが、それはルナティカにとっても予想外の出来事だったようであった。ルナティカが珍しく、悔しそうな表情を見せていたのだ。ルナティカが追跡すべき相手の痕跡を見つけられないなど、初めての出来事だったのだ。ルナティカはふと思う。根拠はないが、あの時の少年が痕跡を隠したのではないかと。
だからと言って今夜の密会の相手は待ってくれはしない。ルナティカはまんじりともしないまま、その密会の現場に臨むことになった。そのルナティカをリサが慰める。
「まあ気落ちしない事です、ルナ。リサがなんとしてもその生意気なガキンチョどもに、お仕置きをかましましょう」
「それは無理。この町は見た目こそ荒廃しているが、首都らしくそこかしこにセンサー妨害用の魔術は施してある。正確にはその残滓。いくらリサでも、ここではその能力を十分に発揮できない」
「ふっふっふ、その考えはククスの濃縮果汁より甘いのですよ、ルナ。リサの底力を舐めたらあかんぜよ」
「?」
リサの自信満々の言葉と奇妙な言い回しに、ルナティカは首をかしげるのだった。やがて彼らはルナティカによって密会の現場となっている場所に案内されるのだが、そこは意外な場所であった。
「え、こんなところで密会が?」
「ああ、間違いない。こんなところで密会が行われる」
ルナティカが案内したのは、国賓を招待しての晩餐会が行われる、スラスムンドで最も立派な迎賓館だったのだ。
***
「うぅええええ」
吐瀉物をばたばたと吐き出している少女。誰であろう、マンイーターである。少女はその見た目だけは可愛らしい容姿に見合わず、大量の吐瀉物をまき散らしていた。
「盛大にやっているねぇ」
「ド、ドゥーム」
悪霊でありながらスキュラという魔獣に乗り移り半分肉の身を持つマンイーターにとって、生き物であれば逃れられない生理現象というものがある。だからこそ彼女は腹を空かし、その本質でもある欲求を満たすことができるのだが。
現在は嘔吐に苦しむマンイーターである。だがこれをドゥームは彼女の成長とみていた。
「ただの消費者から生産者へ。いいことだよ、マンイーター」
「そ、そうかなぁ」
「そうだとも」
ドゥームがマンイーターを抱きしめようとすると、そのドゥームに向かって思いっきり吐き出すマンイーター。真正面から彼女の吐物にさらされ、ドゥームがその歩みを止める。
ドゥームはその歩みを止めると、どこから取り出したか白い布でその顔を冷静に拭いた。
「マンイーター、次からは吐く前に一言――」
「うぅえええええ」
「言うわけないよね」
ドゥームが悲しそうな顔をしながら、マンイーターが吐き出すその先を見る。彼女が吐いているのは、生活用の水を引く井戸。ここいらの住人の飲み水ともなっている。その中に、常人には見えぬ吐瀉物を吐き出すマンイーター。もちろん多少は固形物があるのだが。
その閉鎖された井戸の底という空間で育つ何かをドゥームは眺めながら、卵から孵る雛を見るような目で楽しそうに笑うのだった。
続く
次回投稿は、3/21(水)12:00です。