少年達、その11~路地裏の異形~
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「何?」
少女は思わず呟いていた。自分に迫る銀髪の女性をどうしようかと考えているところに、突然何かが転がり込んできた。普通ならこの隙をついて次なる脱出の手段を探すのだが、少女にしては珍しく、何が飛び込んできたのかを確認する方が優先だと思われたのだ。
「何が飛んできて――」
少女はそこまで述べて口を閉ざした。ゴミの山に何かが突っ込んだのは確実だが、ゴミの山は赤く変色が始まっていた。ほどなくごみの山の一部が崩れ、何が突っ込んで来たのか一部が見える。それは人の体の一部。足首から先がない、おそらくは脚だった。
少女の勘が危険を告げる。今この場にいては危険だ、と。だが、どこに逃げるべきかはまだ確定していない。脱出する方向を間違えれば、それは同じく致命的だと少女は考えていた。このような判断をするあたり、この少女がいかに修羅場をくぐってきたかがうかがえる。
少女がどこに逃げるべきか周囲を見渡すと、ふっと目の前に痩せた少女の顔が見えた。互いにきょとんとした顔を見合わせ、首をかしげる。先に口を開いたのは、痩せた少女。年のころはまだ10歳にも満たないだろうか。盗人の少女よりはいくつか年下に見える。
「お姉さん、だあれ?」
「わ、私? 私は――」
少女はそこまで答えようとしてはっと気が付いた。自分は今二階の窓枠に手をかけているのだ。高さから考えて、少女の顔が自分の正面にあるはずがない。ふっと少女が痩せた少女の首から下に目を向けると、そこにあるべきはずの体はなく、顔だけが家の角から覗いているのだ。
少女が目線を正面に戻そうとすると、痩せた少女の顔が突如として目の前にあった。互いの息がかかる距離。家の陰から窓までは体一つ分はあったはずなのに、痩せた少女の顔は目の前まで接近していた。接近し過ぎというわけではなく、やはりまだ体は見えない。それになんだか、痩せた少女の口は生臭かった。盗人の少女は察する。これは尋常ではないと。
「首が、伸び――」
「誰でもいいけど・・・食べていい?」
痩せた少女が口をかぱりと開く。その小さな顔に似合わぬほど大きく開いた口は見る間に裂け、なんと首まで口の端が裂けるように伸びていくではないか。開いた口からは、確実に人のものではない鋭い歯が除く。口の中にまでびっしりはえたその歯は、拷問器具を連想させた。
その時少女は生臭さの理由を悟った。痩せた少女の歯の間には髪が無数に挟まっていた。その唾液は血の色をしていた。その口の中には、無念そうにこちらを見る目が残っていた。
「い、やああああぁ!」
少女は逃げるのも忘れて悲鳴を上げていた。逃げたくても手が硬直して動かない。頭の中では逃げないと死ぬことが分かっているのに、体は緊張と恐怖のあまり言うことを聞いてくれなかった。その瞬間、世界のすべてがゆっくりと動いた。首まで裂けた痩せた少女の口がゆっくりと自分に向かって閉じてくるのがはっきりと見える。
少女は恐怖のあまり目を閉じようとしたが、それすらもかなわない。だがゆっくりなはずの世界で、瞬間、視界が変化した。少女が見たのは斬り飛ばされた痩せた少女の首と、自分を抱いて飛ぶ銀髪の少女の美しい横顔だった。
「大丈夫?」
「え、ええ」
「これは返してもらう」
いつの間にかルナティカは、少女の懐から封書を抜き去っていた。だがそんなことはどうでもいいとばかりに、少女はふらふらとルナティカに促されるままに地上に着地したのだった。まだ少女の足元はおぼつかない。
そんな少女を見てもルナティカは無表情のままだったが、多少なりとも気遣いはしているのだろうか。一応その挙動を見守ってはいる。だが封書が帰ってきた以上、ルナティカはこの少女に用はなかった。そしてイライザも自分で回復魔術を目に施し、既に復帰していた。
「さっきのは一体」
「知らない。だけど、まだ去ったわけではない」
「え?」
イライザの返事と同時にルナティカはマントを脱ぎ棄て、懐から刃物を取り出していた。樵が山に分け入る時に使う、小枝を切り払うためのマチェットのような刃物を二振り。その目はますます鋭さを増し、先ほど少女のような化け物が出てきた路地の闇をじっと見据えていた。
すると、その闇から痩せた少女の顔がぼうと一つ浮かびあがる。イライザもまた、その痩せた少女の出現に合わせて剣を抜いた。
「さきほど切り落としたはずですが」
「・・・」
イライザの言葉にルナティカは答えない。そうするうちに、またしても顔が闇から浮かび上がる。その顔は先ほどまでと全く同じ。痩せて、血の気のない、だが飢えた獣の様でありながらも精気の感じられない瞳をした少女。
「え、二人?」
「いや、まだだ」
「ひっ」
盗人の少女の悲鳴にこたえるように、闇からすうっと顔が三つ、四つと浮かんでくる。次々に出現するそれらの顔は、同じように生気のない目で三人を見つめていた。計8本。斬り飛ばされた先ほどの首も合わせれば、9本の首ということになる。
イライザがその姿を見てぽつりと漏らした。
「スキュラ・・・」
「スキュラ?」
「北部、ピレボスの山奥に潜むと言われる九本首の化け物です。洞穴中に伸びるほど伸縮自在の首を持ち、洞穴に入って来たうかつな侵入者を食べるとか。長い事ギルドなどの懸賞対象になっていますが、出現を確認されてから200年近くの間において討伐の記録がありません。魔王ではないですが、相当に高位の魔物であることに違いはないでしょう。記録にあるそのスキュラに似た魔物ですね」
「それは厄介な相手」
ルナティカが呟いた瞬間、ゆらゆらと揺れながらルナティカ達を観察していた首が一斉に動き始めた。
6本がルナティカ、2本がイライザに向けて突進するのを、二人は身をよじって躱す。幸いにも少女には一本も首が飛んでいかなったが、ルナティカはその行動を読んだ上で魔物の攻撃を避けていた。万が一少女が狙われるようなことがあれば、優先的に少女を逃がさないといけないからだ。
正直ルナティカにとっては盗人の少女などどうでもよいことだが、リサとの約束がある。アルフィリースにとって不利になることは一切しない。それがリサとルナティカの約束だった。その中には一般人の保護も入っている。
だからルナティカは少女の行方を常に意識していた。なのに、ルナティカが見たのは意外な光景だったのだ。
「エルシア、こっちだ」
「レイヤー!」
ルナティカが見たのは、スキュラの突進によって崩れた建物の一部から少女を逃がそうとする少年。少年は少女の事をエルシアと呼び、彼はレイヤーという名前らしかった。だが、少年はいつの間にこの戦いの近くにまで来ていたのか。少なくともルナティカは、その気配に気が付かなかった。
ルナティカは思わずその少年の瞳を見ようとしたが、少年の目は長い金の前髪に隠れて見えなかった。ただその髪に隠れた目は、ルナティカの方を一瞬見て、そして少年と少女は消えた。
「(あの子供・・・)」
「ルナティカ、集中しなさい!」
イライザが首の一つを弾きながらルナティカの注意を促す。だがルナティカは明後日のほうを向いたまま、同時に二つの首を躱しざまに叩き落とした。ルナティカにとって、この程度の攻撃は目を瞑っていてもさばけるのだった。
油断なく構えるイライザと、自然体で構えるルナティカ。見た目は対照的な二人だが、二人とも相当の強者である事には変わりがない。そして二人は背を合わせるようにしてスキュラの方を見た。
続く
次回投稿は3/19(月)12:00です。