少年達、その8~少女~
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「さて、成果はどうかなっと」
アルフィリースの懐からとった封書のようなものを少女は広げ、中を確認した。
「なにこれ、ただの紙切れじゃん。こんなの懐に入れて、何がしたかったんだか。それとも重要な紙なのかな?」
少女は紙きれを広げると、間に硬貨でも挟まってないかとぱさぱさとふるって見せた。だがその中には少女の期待するような物は何も無い。
少女は文字が読めなかった。もし文字が読めれば多少なりともこの契約書の価値に気が付くだろうが、だとしてもどうしようもない代物ではある。だが少女は一応その紙を懐にしまった。手ぶらで帰るのは面白くないと思ったし、ひょっとすると大事なものかもしれないからだ。彼女は自分のリーダーにその紙を見せることにした。彼なら文字が読めるからこの紙がお宝かどうかわかると思ったのだ。
少女が自分の塒に帰ろうとすると、後ろからカツカツと足音が聞こえた。少女の嫌いな音。高い足音は靴が堅い事を示す。それは自分達の様な貧民では決して買えない、高級素材でできた靴を履いている証拠。またその高らかな足音は自分に対する自信の現れ。貧民である自分達には、同じく無縁のものだった。
「盗んだ物を返しなさい」
少女の後ろからかかる凛とした清らかな声に、少女は舌打ちと共に振り返った。もちろん既に懐に封書は仕舞っている。
少女は自分を追いかけてきた者が騎士然としている事を悟ると、より一層腹を立てた。「国とその国民を守ることこそ我らが務め」などと声高にほざきながら、自分達貧民に対して堂々と暴力を振るうその連中が、少女は反吐が出るほどに嫌いだった。自分達は人間ですらないと言われているような気がしたからだ。少女の声は、自然と苛立ちを募らせて、背後にいたイライザに向けて汚言を呈した。
「私が盗んだっていう証拠でもあるのかよ!?」
「複数の人間が目撃しました。それで十分でしょう、返しなさい。今なら盗んだことは不問に処しましょう」
「はっ、お偉い騎士様は言う事が違うねぇ。だけどこちとら盗んでいない物を出すなんて、無理なのさ。どうしてもって言うのなら、私を殺してでも調べてみるかい?」
「そんなことは――」
少女との問答にイライザが詰まり、その隙をついて少女は逃走を図った。イライザもすぐさま追いかけるが、ここは既に裏路地。辺りにゴミや人が散乱し、身軽な少女はそれらの隙間をぬうように、飛び越えるように走る。対するイライザも必死でついて行くが、鎧姿ではいかんせん動きにくかった。
それでも大人と子供の足の違いか、はたまた脚力の鍛え方の違いか。徐々にその差は詰まっていった。少女の表情に焦りが見える。
「ちっ、しつこいなぁ」
「観念なさい。私からは逃げられません」
「はん、そいつはどうだか」
少女は懐に手を入れると、中から何か取り出しているようだった。後ろから追いかけるイライザにはそれが何かは見えない。そして少女は不敵に笑うと、自分のぼろきれのようなマントをイライザに投げつけた。イライザは反射的にそのマントを剣でもって切り裂いたが、一瞬視界が遮られる。
その一瞬で少女は体を反転させ、イライザの方に向いた。そしてその左手には、指先ほどの小石が握られている。
「飛礫――」
イライザが反射的に、少女が指先で弾いた石を斬り落そうとする。そして確かにイライザは石を叩き落とした。だが、
「あうっ」
イライザは自分の右目に焼けつくような痛みを感じ、思わず動きを止めた。見れば足元にはやはり指先ほどの大きさの小石。そう、少女は腰袋に入っている石を取り出し、同時に二発の小石を放っていたのだ。左手は目立つように体の前に突出し、右手は意識が逸れるように体を半身にし、さらに体の後ろから放っている。イライザは反射的に一つを叩き落としたが、彼女をもってしても二つ目までには反応できなかった。
少女がイライザの様子を見て、得意気な顔をする。
「ざまぁみろだ。じゃあな、お偉い騎士様」
「そういうわけにはいかない」
うずくまるイライザの後ろから、今度はルナティカが颯爽と現れた。足音もなく出現した彼女に、少女が面倒そうな顔をする。うずくまるイライザも残った左目でルナティカを見上げたが、ルナティカはイライザにはまるで興味がないようだった。あるいは大した怪我ではないと思っているのか。ルナティカは義務的な口調で少女に話しかける。
「紙を返してもらおう。お前には必要の薄いもの」
「やだね、これはもう私のだ。それともさっきのデカ女の名前でも書いてあるっていうのか?」
「書いてあるだろうな、そういう代物」
少女は目をぱちくりとさせた。字の読めない少女には、そこに名前が書いてあるかどうかすらわからない。
少女は自分の不明を悟られ恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしたが、すぐに癇癪を起したかのように吼える。
「だけど私の手にあれば、これはもう私のモノだ! お前達には返さない。それに大事な物なら、盗まれる方が悪いんだ!」
「それは同感だが、返してもらわねば困る。こちらとしては穏便に済ますつもりだが、そちらがその気なら多少荒っぽい手段を使う事になる」
「やってみろ!」
少女が再び石を指で弾く。正面からの石など軽くさばくルナティカだが、
「(良い速度と連射だ)」
それがルナティカの正直な感想であった。自分がやればもちろんもっと威力のある一撃が放てるだろうが、走りながら急所のみを的確に狙う精度は、ルナティカもはたして真似できるかどうかはわからなかった。
だがルナティカが苦にするほどの攻撃ではない。そしてルナティカがあっさりとその攻撃を避けることに、少女は焦りを感じていた。
「(なんなの、こいつ!)」
少女の放つ石を避けながら、彼女に徐々に接近してくるルナティカ。格の違う相手だと少女が理解する時には、ルナティカが急激にその踏みこみを深くし、一瞬で少女の目の前に飛び込んだ。
「!」
「大人しくすれば、むやみには傷つけない」
「どうだか!」
だが少女もさるもの。ルナティカの手が少女に伸びると同時に、再び石を放ったのだ。それも、今度は5発同時に。散弾となった石に、反射的にルナティカは身を守った。実際にそのうち二つは正確に目をめがけて飛んで来たからだ。
そしてその一瞬の隙をついて、少女は猫のように身軽に壁際に積んであった木箱に飛び乗り、集合住宅の二階の窓枠に飛び移ると、その反動を利用してさらに隣の窓枠に足をかけ飛び乗った。しかもご丁寧に、木箱は崩れるように蹴ってあるのだ。そしてその上には、ちょうど窓の開いた部屋がある。少女はその場所からルナティカとイライザを見下ろし、得意げな顔をした。
「じゃあな、お偉いお姉さん達。もう会う事もないだろうさ!」
「いや、そうはいかない」
ルナティカが無表情に壁に向かって走り出し、彼女はその勢いそのままに壁を駆けあがったのだ。壁を走るルナティカに、唖然とする少女。ルナティカは三階の窓の廂に立つと、そこから少女を見下ろした。
「うそ・・・」
「嘘ではない。訓練すれば誰でもできること」
「私にはできそうな気配がないのですが」、とイライザが言おうとすると、突如として路地から何かが飛び出し、道端に積んであったごみの山に突っ込んだ。ぐしゃり、という音と共にごみが飛び散る。生ごみやら屑やらがそこらじゅうに捨ててあり、回収する者がいない段階でかなり不衛生な都市だと言わざるを得ないが、そこに突っ込んだ何かがいるのだ。ごみに群がっていた鳥や虫が慌てて四散する。
「え?」
「何だ?」
驚く少女と、状況を冷静に分析しようとするイライザ。それより早く、ルナティカは既に相手の気配を感察知していた。
「来る・・・」
ルナティカは路地のすぐそこにいる、邪悪な者の気配を感じていたのである。
続く
次回投稿は、3/15(木)13:00です。