シフクの時、その4~巡礼者達~
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そうしてアルフィリースがアルネリアに赴いた時、深緑宮の雰囲気はいつもよりも張りつめていた。神殿騎士団達もいつもと違い、慌ただしそうに動いているのである。アルフィリースはすっかり馴染みとなったロクサーヌを捕まえると、彼女に理由を問いただす。
「ねぇロクサーヌ。何かあったの?」
「ああ、アルフィリースか。今忙しくてな。傭兵団の依頼の事は聞いたから、とりあえず要点を文面にして残しておいてくれないか。後でミリアザール様に届けよう」
「文書はもう作って来たわ。それより、これは戦準備ね?」
「さすがにわかるか」
ロクサーヌは多少渋い顔をして、アルフィリースからの手紙を受け取りつつ答えた。
「ジェイクを含めた、クルムスへの魔物討伐隊が出撃したのは知っているな?」
「ええ、もちろん」
「その他に、大草原への討伐隊も編成されることになった」
「大草原? 何のために」
「・・・魔王が大草原から溢れて来た」
ロクサーヌがやや声を顰めながら答えた。その答えにアルフィリースの目が見開かれる。本来なら部外秘の情報。ロクサーヌはアルフィリースが無関係ではない事を知っているからこそ、彼女に話すのだ。
「アルフィリースは知らないことかもしれないが、大草原はアルフィリース達が抜けてから魔王の闊歩する土地となった。生態系は壊れ、多くの生物が殺されている。今回助けを求めてきたのは、大草原に住まう部族達の一種。正確には、大草原から逃げてきた部族が大草原沿いの町で略奪を行ったのが発端だ。彼らを捕えたアルネリアの部隊が事情を聞き、我々の所に報告が来た。時を同じくして、さらに大草原沿いの別の町から魔王らしき魔物の襲撃を受けたとの報告があった。アルネリア教として、見過ごすことはできない事態だ」
「確かにそれは一大事だわ。で、誰が指揮を執るの?」
「ミリアザール様直々に」
その言葉にアルフィリースはさらに驚いた。だが同時に納得もできる。
「そうか、ミリアザールの姿は通常のアルネリア教の兵士は誰も知らないから、深緑宮の神殿騎士団を出撃させるのね?」
「そう、私やベリアーチェも出撃予定だ。留守はモルダードに預けるし、ラファティはジェイクの側の指揮官だ。明らかに人出が足りん」
「アルベルトは?」
「ミランダ様と共に留守を任せるつもりだったが、そちらもまた別の仕事があるらしくてな」
「?」
アルフィリースはこの状況に置いてさらに展開されるべき任務があるのかと不思議に思ったが、ロクサーヌが「詳しくはミランダ様に」と言ったので、アルフィリースは仕方なく彼女の元に向かう事となった。
ミランダがいると言われた講堂に行くと、入口には楓が立っていた。アルフィリースが近づくと楓は静かにするようにアルフィリースに促した上で、のぞき窓を少し開いて中の様子を見せてくれた。そこは大司教などが説法を行う場所らしく、演台を一番下にして放射状に席が広がっていた。後ろにいくにつれて席が高くなるあたり、グローリアの講義室にもそのような場所がある。カザスが抗議するトリアッデ大学にも同じような教室は多数あるが。学校に通ったことのないアルフィリースはそのような光景を見るのは初めてなので、物珍しく眺めるのだった。
そして演台にはミランダ。その傍にはアルベルト、エルザ、イライザ。多数の席を埋めるのはシスター、神官、そして騎士達だった。アルフィリースの場所からは全景が見渡せるわけではないが、少し見えただけでも曲者達の集団である事は明らかだった。アルネリアのシスターや神官は皆優しげな者がほとんどだが、ここにいる者達はほとんどが強面。顔に傷のある神官、顔の半分に仮面をつけたシスター、片腕のない騎士など。どう見ても一般的なアルネリアの関係者とはかけ離れた外見だった。
その中で何やら彼らに語りかけるミランダ。煌々とともされた暖炉の火にゆらぐ彼女の横顔。その光景を見て、アルフィリースは声を顰めながら楓に質問する。
「楓、あの人達は?」
「・・・アルフィリースならいいでしょう、教えて差し上げます。彼らは巡礼の任務に就く者達です」
「巡礼。ならミランダと同じ?」
「他にもエルザ様などですね。ちなみにエルザ様の実績は、巡礼の中でも十指には入らないとおっしゃっておいででした。後輩育成などを含めた実績はともかく、戦闘力では遠く及ばない人達がいると」
「ちょっと待って、エルザって今度大司教になったミリアザールの秘蔵っ子でしょう? それが上の十人じゃないって」
アルフィリースがぽかんとする中、冷静に楓は答えるのだった。
「アルフィリース。400年、いえ、それより以前から続く我々の組織を舐めてもらっては困ります。アルネリア教会には、直属の関係者だけでも30万を超える人間が従事している、大陸最大規模の集団。小さな国家より規模も大きいのです。その中には、魔王と単独でやりあえるだけの逸材も多数存在しています。人材は非常に豊富。エルザ様は指導者としても才能を発揮するため大司教となりましたが、こと戦闘に関してはエルザ様より多才な者は掃いて捨てるほどいるのです。
そしてこの私も、アルフィリースの前では披露した事のない力を持っています。あなたを大草原から逃がす時、ライフレスを単独で足止めしたのは私なのですよ?」
「あ・・・」
「そしてミランダ様は、その巡礼の頂点に立つお方。それはすなわち、戦闘においてあの方に勝てる者がこの百年いなかった事を示します。ミリアザール様は公平なお方。もしミランダ様の実力が足りなければ、素直にその事を伝えるでしょう。
アルフィリースも、ミランダ様が全力で戦っている姿は見たことが無いはず。ミランダ様がご自分でおっしゃる通り、あの方が全力で戦ったら周囲への被害が大きすぎます。それにご本人いわく、『あまりにえげつない』とのお言葉でした。どのような手段を使うのかだいたい想像はつきますが・・・」
楓はちらりとアルフィリースの方を見たが、彼女は楓の言わんとしていることがあまり分かっていないようだった。それならそれでいいかと、楓もまたその話はそこで止めることにした。なんのかんの言っても、アルフィリースは純粋な『殺し合い』は経験していない。楓もまた経験不足ではあったが、それでもアルフィリースよりは汚い戦場を知っているだろう。
そうするうちにも、講堂の中の話は穏やかに行われてはいないようだった。声は防音の魔術で遮断してあるのかアルフィリース達には聞こえないが、次々と席を立って激昂する人間達はアルフィリースにも見えた。だがミランダはまだ平然としている。中で起こっている出来事がわからないアルフィリースは、ミランダが純粋に心配だった。
「楓、中では何の話し合いが?」
「魔王に対抗するための新部署の立ちあげですよ、アルフィリース。ミランダ様が貴女のために始めたことです。このために、あの方はミナール様の代わりの大司教の選定から外れました。もっともミリアザール様の腹積もりではミランダ様は最高教主の候補なので、表向きの大司教にするつもりはあまりないようでしたがね。代々最高教主はその存在を秘匿とする事に、形式上なっていますから。
ともあれ、巡礼の任務に就く者達は癖者揃い。一筋縄ではいかないでしょうが、ミランダ様は『ねじ伏せる』とおっしゃっていました」
「じゃあ、そのためにアルベルトを傍に?」
確かにミランダの傍にいるアルベルトは騎士の正装で帯剣をしている。彼がいれば確かに心強いだろうが。
「いえ、アルベルト一人では土台無理です。巡礼の者達はそんな甘い連中ではないですよ、アルフィリース。でもそれ以上に怖いのはミランダ様。私の考えでは、もう既にミランダ様は仕掛けているはずです」
「?」
「まあ見ててください」
楓とアルフィリースが再び視線を講堂の中に移す。そしてその中では――
「納得がいきません!」
「我々ほぼ全員をこの中に集めて何の話かと思いきや、今まで不在だった巡礼の頂点がいきなり姿を現し、自分の言う事を聞けと言う。だからと言って、はいそうですかと聞けるわけがない」
「その通り。我々は任務を途中で放って来た者もいるのです! それが急な呼び出しを受けたかと思うと、我々に新設の傭兵団の援助をしろですと? 我々の神聖な任務を、なんと心得る!」
「うん、なるほどね」
ミランダが説明を始めてからまだわずか10分余り。ミランダの説明が終わりきらぬ間にも方々から出る文句に、ミランダは穏やかに対応していた。それはもう、彼女にしては不気味なくらいに。その事に気が付いているのはアルベルトと、そしてイライザにエルザと他数名だった。
ミランダは前にこそ殺気を飛ばさず我慢していたが、ミランダの足元の埃が徐々に殺気で後ろに流れてくるのを見て、エルザは背中がぐっしょりと濡れはじめていた。ミランダの我慢が徐々に限界に達しつつある証拠だったのだ。笑顔がいつ反転するのかと、エルザは気が気ではない。こういう時にどうしてイライザやアルベルトは無表情でいられるのかと、エルザは不思議でならない。生まれた時もきっと、ラザールの家の者は仏頂面で生まれてきたに違いないと、エルザにそんなくだらない考えがよぎった直後である。ミランダが大きなため息をついた。
続く
次回投稿は2/29(水)15:00です。