表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第三幕~その手から零(こぼ)れ落ちるもの~
422/2685

閉ざされた大国の悩み、その3~毒婦~

「アンネか。いかに娘とはいえ、先触れもせぬとは失礼であろう。ここをどこと心得る」

「そうですよ、姫殿下。王様はお楽しみの最中なのですから」


 王の隣にしなだれかかる女の言う通り、スウェンドル王はお楽しみの最中だった。隣には妖艶な女性。王のお気に入りであり、正妻亡き後後宮でもっとも権勢を振う妾、オルロワージュがいた。周囲には膝まづくようにして、頭の上に酒を捧げる女中達。彼女達は一様に肌を曝け出し、中には完全に裸の者もいた。加えて、王の大きなベッドの上では金属の鎖を巻きつけただけの様な踊り子が二人、これまた薄布を使って舞い踊っている最中だった。陰部などは当然丸出しであり、その光景に将軍達は思わず眉間に皺を寄せ、アンネクローゼは呆然としていた。

 だがそこは気の強いアンネクローゼ。すぐに我を取り戻す。


「父上、ここがどこかは重々心得ております。ですが、王が執務もできぬほど体調を崩されたと聞き及び、心配になって見舞いに来て見ればこのあり様。これをなんと弁明いたすか、伺ってもよろしいでしょうか!?」


 アンネクローゼの口調こそ丁寧だが、語気は喧嘩腰である。その事を察した女中達は酒瓶を持つ手が震え始めた。王の不興を買って打ち首になった者は、王が健勝な頃から一人や二人ではないのだ。スウェンドル王は優秀だが、その気性の激しさでも有名であった。一触即発の緊張が走るかと思われたが、王がふっとアンネクローゼを嘲笑うかのように口元を緩めたので、周囲は拍子抜けした。対して当のアンネクローゼは怒りのあまり、顔を朱に染めたが。


「弁明も何もない。私は必要な指示は出しておる。その他の事は些末な事よ」

「些末、些末とおっしゃるか? 三日前、城下町で火事が起こり12人が焼け死にました。燃えた家屋は19軒、焼きだされた住民は33人。焼けた建物のうち、2軒は国の施設です。代わりの建物が見つからず、その機能が停止したことに対する代替案を作成しましたが、王の決がないため動きが取れません。そのことを些末とおっしゃるか?」

「些末ではないか。何のために宰相や内政の大臣達がいるのだ。そのような決議にいちいち私の指示を仰ぐ必要はないと、昔から何度言えばわかるのだ」

「ではこちらで処理してもよろしいのですね?」

「無論だ」

「ではそれはそれで良いとしましょう。これからは一定以上時節を経過した案件は、こちらで勝手に裁可を下させていただきます。ですが、必要な指示とはなんですか?」


 アンネクローゼも一歩も引かない。さらに王に食ってかかるが、王はやはり薄く笑いを浮かべるのみだった。


「それは国家の一大機密だ。まだいかにわが娘といえど、教えるわけにはいかぬな」

「私も王族であり、一つの師団を預かる身。それでも教えるわけにはいかぬと?」

「そうだ。人にはそれぞれ分というものがある。とく、わきまえよ」

「・・・わかりました」


 完全にお角違いだと王に暗に言われ、アンネクローゼはこれ以上父と話すことに意義を見出せなかった。彼女は毛皮のマントを翻しながら、最後に捨て台詞を残した。


「我が王よ。誰のせいとは申しませぬが、不摂生もほどほどになされませ。目の下にくまが顕著に出ておりますぞ。とても御年相応の見た目に見えませぬ」


 その言葉に対し王は不敵に笑い、隣のオルロワージュは逆に微笑んでいた。アンネクローゼは有無を言わさぬほどの勢いでそのまま王の部屋を出、足早に歩き去ってしまった。その後に将軍達が王に向けて一礼をした後、慌てて続く。彼らの言いたいことはアンネクローゼがほぼ伝えたし、アンネクローゼが言ってもどうしようもないものを、臣下がさらに追及することはできなかった。少なくとも、機会を別にせねばなるまい。王の不興をかわぬうちに早々に退散するのが賢いやり方だった。

 だが彼らは憮然としたアンネクローゼに続きながら、ひそひそ声で話し合う。


「どうしたものか」

「ああ、王の様子は明らかにおかしい。あれほど聡明であられた王が、まるで別人のようだった。このままではあの毒婦に・・・」

「滅多な事を言うな。まだここはその毒婦の勢力圏だ」


 シェパールがオズワルドとクラスターを制す。その声にはっとした二人はあたりを見回したが、幸いにも周囲に人影はない。三人はさらに声を潜める。


「とにかく話し合いは次の機会だ」

「ならば三日後の晩に」

「うむ。ならばそれぞれ信用できる仲間を連れて集まらぬか?」


 オズワルドの提案に、シェパールとクラスターは顔を見合わせた。


「どういうことだ、卿よ」

「このままでは国は腐るばかり。これからの対応を本格的に検討する必要があるだろう」

「本格的に、な。ならば姫殿下は巻き込めぬな」

「さすがにシェパール殿は話がよくわかる」


 シェパールの言葉に満足したオズワルドは、そのままそこで別れて行った。アンネクローゼは三人のやり取りに気付かずその場を離れて行った。残されたのは考え込むシェパールと、話についていけなかったクラスター。


「おい、シェパールよ。オズワルド卿は何が言いたかったんだ?」

「要は必要があれば、反乱を起こすと言いたかったのだろう」

「は、はんら・・・」

「声を出すな」


 シェパールが軽くクラスターの腹を小突いたので、彼は最後まで声を出すことはできなかった。だがその顔は動揺が隠せない。さしもの彼も事の重大さに声をさらに潜めた。


「(正気か?)」

「(冗談を言う人物ではない。だが、対象はあのオルロワージュとかいう毒婦だけだ。ご老体の忠誠心から言って、王をどうこうするつもりはないだろうし、そうなればさすがに協力する者はこの国にはいないだろう。私とてそうだ。王への忠誠心を失ったわけではないからな)」

「(それはそうだ。私もいかに王が堕落したと言えど、その手にかけるなどもってのほかだ)」

「(うむ。だからその毒婦だけを殺す算段をつけるのだろうさ。さて、秘密裏にやらねばな。詳しくは三日後だ。それまでに私も調べることが色々ある。クラスター殿は嘘が下手だからな。準備はそこそこに、せいぜい気取られないようにしてくれ)」

「(う、うむ。私は陰謀など無縁の人間だからな。その辺りは二人に任せる。ああ、こんなことなら10万の軍勢に向かって突貫しろと言われる方がまだましだ)」

「(反乱を起こさねば、それは現実味を帯びてくるだろう。ローマンズランド対、周辺諸国。もしくはそれ以上という形でな。アルネリア教会が動き出す前に片をつけねばなるまい)」


 それだけ言うと、この二人も別れて行った。彼らを後において、先を歩くはアンネクローゼ。彼女もまた複雑な心境であった。

 彼女の母親、つまり前皇妃がなくなったのは10年近く前。妹であるウィラニアを産んだ後、体調をすっかり崩した彼女は徐々に弱り、そのまま帰らぬ人となった。彼女の死に衝撃を受けたのは王族、文官、武官はおろか国民もそうであったが、一番はやはり国王スウェンドルであった。

 彼は国王には珍しく生真面目で一途な人間で、後宮にはほとんど近寄らず、また決して愛妾達との間には子供をもうけようとはしなった。それは愛妾との間に子をもうけると後々後継者争いの火種になることも考えられたし、何よりスウェンドルは自分の正妻をこの上なく愛していた。その彼の愛に応えるべく王妃は子作りに励んだわけだが、その結果として彼女は命を落としてしまった。一時期王は妻を亡くした原因を自分だと責め、それはみるからに痛々しい様子であった。家臣たちはそんなスウェンドルに後妻を取るように勧めたが、王は頑として聞き入れなかった。

 だがその後、彼の前にはある女性が召し出される。それは彼の身の回りを世話する下女であり、王妃とも仲の良かった下女オルロワージュであった。卑しい身分の出でありながら気立てがとてもよく、ついに王妃の身の回りの世話をするまでに至った彼女は、下女でありながら王妃の友人でもあった。そんな彼女は王とも言葉を交わす機会があり、王も彼女を気に入っている様子だった。

 王妃亡き後スウェンドルを陰ながら支えたのは他ならぬオルロワージュであり、そのことは後宮ではしっかりと噂になっていた。またその逸話が宮廷に流れるにつれ、徐々にオルロワージュはスウェンドルの愛妾としての地位を確立していったのだ。アンネクローゼを始めとした子供たちは非常に複雑な気分でその流れを見守っていたが、スウェンドルが溌剌はつらつとした姿を取り戻していくのを見れば、誰もその流れを止めることなどできなかったのだ。そう、全ては上手くいっていたはずなのに。


「いつから・・・何がいけなかったのだ?」


 アンネクローゼにはわからなかった。オルロワージュと王の噂が流れることに娘であったアンネクローゼは何とも言えない気分になったが、父が幸せならそれでもいいかと思っていた。事実王は元気を取り戻していたし、オルロワージュも王の寵愛を受けてそれはそれは美しくなっていった。一種異様とさえ思えるほどの美しくなる彼女に、アンネクローゼは徐々に不気味とさえ思っていた。だが恋を知らぬ彼女は、恋する女とはそのようなものだろうということで、そのまま違和感を片付けていた。

 そんなアンネクローゼが最初にはっきりと意識したのは、王の住まう宮殿に見慣れぬ人が増えたことだった。いつの間にか人が少しずつ入れ替えられていた。無愛想で、王族である自分にもろくに敬意も払わぬ人間達。何か尋ねても、


「我々は王の僕ですので」


 答えはその一点張りだった。さらに時間が経ち、王があまり朝議に出なくなり、政務が滞り、宮廷の出納を司る担当官が収賄の容疑で糾弾された時には、既にこの事態になっていた。どうしてここまで悪化する前に、誰も気が付くことができなかったのか。いかに澄んだ水もやがて濁るが、その水に棲む魚が窒息するまで気が付かぬはずがない。だが、ローマンズランドの誰もが窒息寸前になるまで気がつかなかったのだ。自らの国が腐っていることに。

 一つには内政における人材不足が考えられた。それに国の機構も、中央に権力が集まり過ぎており、その体制は非常に古典的である事も彼らは最近まで気が付かなかった。いや、気が付いていても愚鈍なる王を輩出したことのない彼らでは、王が愚か者の場合国がどんなことになるのかという想像が不可能であったのだ。

 アンネクローゼはアルフィリースとの一件以来、今まで興味のなかった国の政務についてより本格的に学ぶようになった。ローマンズランドに女帝の歴史はない。だから自分は戦士である事に満足していたアンネクローゼだが、黙ってこの事態を見過ごすこともできなかったのだ。そうして調べれば調べるほど、自分達がいかに脆い制度の上に暮らしていたのか、よくわかった。


「砂の城、いや、さしずめ雪の城という所か。よくも今まで崩れなかったものだ」


 アンネクローゼは唸りながらも、国のためになるであろう検索を次々と彼女なりに王に向けて打ち出した。それらは専門家が見ればまだまだ稚拙ではあったが、ローマンズランドにとっては革新的なものが多かった。だがそれらのほとんどは無視された。何の応えもない事に不信感を抱いたアンネクローゼが調べたところ、それらを揉みつぶしている人物はオルロワージュであることがわかったのだ。アンネクローゼの献策は王に届いていなかったのだ。

 アンネクローゼは寒気がした。自分にも愛想の良かったオルロワージュ。母を失くした時も、彼女はアンネクローゼを気遣ってくれたのだ。アンネクローゼ自身その報告に耳を疑い、何度も調べ直させたのだ。アンネクローゼもオルロワージュの事を疑いもしなかった。その笑顔が、全て偽りかもしれないなどと。


「だがどうする・・・私はどうすればいいのだ」


 こういう時、アンネクローゼは自分と対等に意見交換できるものが欲しいと思う。帝王学の常識として、自分と並び立つ者は不要であるという決まりがある。だが、自分一人で出す結論には限界があった。彼女には臣下として彼女の問いかけに答える者はいても、彼女に進んで忠告をする者はいなかった。せいぜいオズワルドくらいだが、彼もアンネクローゼも今は将軍として同列、もしくはアンネクローゼが上の立場であり、教育役を解かれたオズワルドがさしでがましい真似をすることはなかった。

 ローマンズランドとは元来そのような国なのだ。よく言えば王を中心としてよく統制がとれている。悪くいえば、王の権力が強すぎるのだった。だから城下町の火事の裁可ごときに、王の調印までもが必要になってしまうのだ。


「なんとかしなければ・・・だがどうやって? 王をさらに説得する? オルロワージュを問いただす? 何が良いのか、私には判断が難しい・・・」


 アンネクローゼが悩み廊下を歩くのを見るのは、先ほど彼女に散々殴られたヴォッフだった。彼は自分の切れた口から滴る血を舐めとりながら、彼女をじっと鋭い目つきで観察していた。そこには、先ほどまでの卑屈な態度など一切見て取れず、ただ油断なくアンネクローゼの動きを観察する男がいたのだ。



続く


次回投稿は、2/25(土)16:00です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ