閉ざされた大国の悩み、その2~不穏な動き~
「口実、だと」
「はい、口実でございます。知っての通り、我々ローマンズランドは属国に駐在大使を派遣しております。彼らがもし属国の手によって不幸な事件に会えば・・・」
「・・・一体何を言っているのだ、貴様は?」
アンネクローゼはいつの間にか、自らの剣を抜き放っていた。いかな皇女とはいえ、王の領分で殺人を行う事は許可されておらぬ。もし殺生あらば、たとえ王族の血縁でも重罪は免れなかった。その事をもちろんアンネクローゼは知っているが、その事を忘れるほどの怒りと、そして恐怖をヴォッフに覚えていた。ヴォッフに威圧感を感じたわけではない。あまりに非人道的な事をいともたやすく口にしたその男に、言いようもない恐怖を彼女は覚えたのだ。
そのままアンネクローゼがヴォッフにじりじりと近づくのを、彼は黙って受け入れていた。まるでその展開を望むかのように。だがすんでのところでアンネクローゼの手を掴む者がいた。
「姫様、そこまでになされませ」
アンネクローゼははっとして自分の手を掴んだ主を見た。それは将軍の一人、オズワルドであった。陸戦第6師団を預かる将軍である。その横には、同じく陸戦第3師団を預かるシェパールと、空戦第5師団の師団長クラスターであった。いずれもこの国を預かる将軍として、諸国に名の通った豪傑である。特にオズワルドはアンネクローゼの教育係であったという経歴もあり、彼女にとっては抗いがたい人物でもあった。
「じいか。なぜ止める」
「一つはそれが掟ゆえ。文武百官の規範となるべき王族が自ら掟を破れば、以後誰も掟に従わなくなりましょう。また一つはこのような下賤の輩、姫様の手を煩わす事は御座いません。ご命令とあらば、私が即座にでも切って捨ててみせましょう。たとえその場で王に自害を命じられようとも、やり遂げてみせましょうぞ」
「・・・そこまで言われて、誰がじいに命じることなど出来ようか。国の宝をこのような下賤と引き換えにするのは、あまりに損失というもの。私が引けば済むことだ」
「おお、さすがは賢明な姫君。御英断に感謝いたしますぞ」
オズワルドが少々大仰に感動して見せたので、隣のクラスターとアンネクローゼまでもが苦笑して見せた。昔からこのオズワルドはローマンズランドの軍人には珍しく、愛嬌に富んだ人物であった。国の一大事の閣議の折にも、冗談で場を和ますことを忘れない。彼はその性格を持って貴賎を問わず好かれる人物であった。だがシェパールのみは笑うことなく無表情のままであった。
怒りを収めたアンネクローゼが再びヴォッフを睨む。
「よいか。今回はじいの顔に免じて許すが、次にそのような不吉な言動をしてみよ。私が素っ首叩き斬ってくれよう」
「は、ははー。しかと心得ましてございます」
「当然だ。これからは国と民のためになる提案をせよ」
アンネクローゼはそれだけ言い残すと、今度は三人の将軍を伴って歩き始めた。後には地面に額をこすりつけて平伏するヴォッフが残されていた。
アンネクローゼは歩きながら、将軍達に話しかける。
「ところで国の重鎮が三人も揃ってどうした。ここに立ち入る許可は得たのか?」
「は、いささか乱暴な手段ではございましたが。妙な噂を聞きつけまして」
「妙?」
アンネクローゼには嫌な予感があった。その不安を察するかのように、オズワルドがすぐさま話し始めた。
「先ほどのヴォッフが話した事は現実味を帯びております。既に軍内では動きが」
「何だと、どの師団だ?」
「陸戦第1、5師団。それに空戦の第2、4師団でございます」
「馬鹿な、四つもだと!? それに第1、2が動くとは・・・」
陸戦、空戦共に第1、2は王族が率いることになっている。陸戦の第1師団は皇太子である長兄アウグストが。空戦の第2は叔父であるドニフェストが率いている。アンネクローゼの師団は空戦第3師団。王族だからこその師団長拝命だが、同時にそれだけアンネクローゼの力量が認められた証拠でもあった。
つまり王族が率いる師団は5つ。それらのうち2つが動くとなれば、それは実に数十年ぶりのことだった。魔物討伐や周辺の内乱平定なら、普段は他の師団しか動かない。王族直下の師団を動かす時は、自国が本気であることを他国にも示すことになる。もしそうなれば、この戦争は歯止めが効かない恐れもあった。アンネクローゼも他の将軍も、もちろんその事は知っている。
「それで。どの国へ攻め込む準備が始まっているのだ?」
「まだそれはわかりません。ですが準備の規模を探らせた所、とても一国だけを侵略する物量ではなかったとか。そうなればおそらく――」
「多面同時進行だろう」
今まで黙っていたシェパールが急に発言したので彼らは驚いた。だがシェパールという男は無駄な言葉を発さない。陸戦の第3師団を預かる彼は、王族の次に軍内で発言権を持つ。それは取りも直さず、彼が軍内で最も優秀であることを示していた。彼は長らく続く、ローマンズランド名門軍人の長なのだから。
そのシェパールが語る。
「オズワルドだけではなく、私も秘かに探らせた。もっといえば、東に向けて進行する準備が進んでいるようだ」
「馬鹿な、それは地理的に無理ではなかったのか?」
「正攻法ならばそうだが」
シェパールの言葉に、顔を見合わせる面々。だがそれ以上彼は何も言わず、会話はそこで終わってしまった。シェパールは確信のある事柄しか口にしない。つまり、進行はもはや噂ではなく、現実味を帯びた問題という事だった。ますますもって、アンネクローゼは父王を諌めねばと決心を新たにした。もちろん他の将軍達も同じであったが、シェパールの目的だけは多少違っていたのだった。
アンネクローゼは将軍達を伴った事でさらに勢いづき、より力強い足取りで父王の私室へと足を運んだ。そこには警備の兵がいて、槍を交差する形でアンネクローゼ達の侵入を制そうとしたが、そこはローマンズランドが誇る将軍4人である。彼らに同時に睨まれて怯えぬ兵士などいない。兵士は睨まれただけで気合負けしてしまい、槍を持つ手に力が入らなくなってしまった。その兵士の槍を手づからどけて、アンネクローゼは扉を開く。
「父上、失礼いたします!」
アンネクローゼが戦闘で王の私室の扉を開く。勢い良く開け放たれた扉に中にいた女中達は驚いたが、王の姿はそこにはなかった。その部屋は王が執務を行えるような作りをしており、兵法書や経済学の本を好んだ王の書斎にも近い戸棚には、山のように本や書類が存在していた。同時に、王の執務机にも。アンネクローゼはその机に近寄って見るが、そこには埃がたまっていた。長らく使用されていないのだろう。
「そこの女中」
「は、はい!」
アンネクローゼの切れ長の目に睨まれた女中は、その身を強張らせながら返答する。
「王は長らくこの机を使っておられぬようだ。王はどこで仕事を?」
「そ、それは・・・」
女中はしどろもどろになった。仲間達に救いを求めるような目をしたが、仲間達はわざと彼女と目を合わせないようにしていた。それだけ彼女達が答えにくい事なのだろう。アンネクローゼもそれは気付いたが、だからと言って聞かねば話は進まぬ。
「貴様達を責めているのではない。はっきりと申すがよい」
「は、はい。それが非常に申し上げにくいことなのですが・・・」
女中はまたしても言葉を切った。だがアンネクローゼはじっと彼女の言葉を待った。以前のアンネクローゼなら、すぐに彼女を脅しつけていただろう。だがアルフィリースと出会って、彼女は一回り精神的に成長したようだった。我慢や、人に任せたり信頼したりと言う事を覚えたのだ。皆が自分の様に即断をできるような気質ばかりでないことも学んだ。
そしてアンネクローゼはできるだけ怒りを表に出さぬよう、平静を装って女中の返事を待った。その様子が功を奏したのか、女中はやっとその重い口を開いたのだ。
「あの、王様は、その・・・寝室からいつも・・・」
「何だと、寝室から国の一大事を決裁していると言うのか!?」
「ひ、ひっ」
その言葉を聞いた瞬間アンネクローゼの表情が怒りに染まったので、女中はすっかり怯えて他の女中の影に隠れてしまった。アンネクローゼは腹立たしいやら情けないやらで感情の行き場を失くしたが、その瞬間隣の部屋から王と女の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。そこは確か寝室だったはずだ。子どもの頃はよく遊びに来ていた記憶がある。
「父上、失礼いたします!」
その声を聞くや否や、アンネクローゼはその扉を突き飛ばすのに近い形で開けた。乱暴に開けられた扉に女中がぶつかるが、その事もアンネクローゼはもはやお構いなしだった。そのくらい彼女は頭に来ていたのだ。
だがそんな怒り心頭のアンネクローゼを迎えたのは、さらに彼女にとって信じられない光景だった。
続く
次回投稿は、2/24(金)16:00です。