冬の訪れ、その34~たった一人~
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誰もいない洞窟を歩く者がいる。壁はぼうと薄く青白い光に包まれ、歩くのにはさほど苦労せぬほどの明かりはあった。だが洞窟内は静寂に包まれ、生きている者は彼以外には虫一匹とて見当たらぬ。彼の名はオーランセブル。真竜と並びこの大陸の叡智を司る種族であったハイエルフの族長であり、同時に現在魔王を大陸に解き放った張本人でもある。
かつて彼は真竜グウェンドルフ、古巨人ブロンセル、有翼人イェラシャ、獣人ゴーラと共に大陸の様々な種族に知恵を授け、繁栄を喜び、苦楽を共にした。彼は知恵に優れたから賢者と呼ばれたのではない。人々は彼を尊敬するがゆえに、賢者という尊称を送ったのだ。だが時は経ち、彼は変わってしまった。少なくとも、そう思われていた。当時のオーランセブルを知る、グウェンドルフをもってしても。
だがオーランゼブルの本質は、いかほど時を経ても変わっていない。そう、恐ろしいまでに変わっていないからこそ、彼は魔王を作り出したのだから。
「(後世、人々は私をなんと呼ぶであろうな)」
オーランセブルはそのような事を考えながら、洞窟の中をやや足早に歩いていた。彼の足音が嫌に洞窟に響く。やや荒くなる息遣いに、自分の歳を感じざるをえないオーランゼブル。
「(ふふ、後世の事などどうでもいいか。せいぜい生きても後1000年、私も随分と年老いた。それでもゴーラに言わせればまだまだひよっこなのだろうな。彼は私の事をなんと言って罵るだろうか。だが誰になんと言われようとも、体の動く内にやっておかねばならないことがある)」
決断と目的が揺らぐわけではない。だが、それでもふと湧き上がる疑問に悩まないわけではない。この行動を起こすまでに、千年にわたる議論がハイエルフの一族でなされた。その逐一をオーランゼブルは見てきたのだ。
そして意見を統一し、計画を練り、仕掛けを施し、行動に起こすまでさらに長い時を要した。気が付けば、大陸からは戦火が消えかけていた。あれほど激しく、決して止まぬと思われた争いの火種。虚しい争いを止めるため、かつて五賢者と呼ばれた者と、その弟子たちは苦心した。そして争いを止めるために蒔いた種が、まさに芽吹いたといえた。なんとも都合の悪いことに。
だがかつて蒔いた平和の種を全て刈り取ることになろうとも、オーランゼブルは行動を起こした。生半な覚悟ではない。それにもう後戻りはできない。全ては始まってしまったのだから。
「(悪しき者達の手を借り、心優しき者達の命を削る。いや、良しも悪しきも、構わずその命を奪っている。なんとも醜くあさましきことかな。誰がこの罪を贖うことができようか。きっと精霊にすらできはすまい。かつてこの世界に存在したと言われる、『神』と呼ばれる者達ならば我が罪を焼き尽くすことはできるだろうか? グウェンドルフよ、ゴーラよ。お前達が私の立場ならなんとする?)」
いつもの自問自答。答えのないことは知りつつも、決して止めることのない思考。それを繰り返しつつ、オーランゼブルはやがて開けた空間に出た。幾重もの対侵入者排除用の罠、結界に守られたこの部屋。そしてそもそも入り口自体が存在しないこの洞窟。オーランゼブルは普段何もせずに指示を飛ばしているわけではない。むしろ、彼こそがこの計画の鍵を握る部分を担っているのだ。所詮他の者は傀儡。ヒドゥンですら、その計画の全貌は知らない。むしろ私憤で動くような小物に、この重要な計画の要であるこの場所を知らせるわけにはいかなかった。
彼らは知らない。何のために魔王を作り、なんのために人を殺し、なんのために争いを起こすのか。手段に溺れ、目的意識に欠けている。そうなるように魔法による洗脳を調整したのは自分とはいえ、誰もが大人しく従ったのは彼にとって幸運だった反面、この大陸の生き物の脆さを知る事となった。あの魔人であるブラディマリアですら大人しく従ったことで、彼は少々この大陸の生きとし生けるものの将来を憂えることに疲れたのだった。
それでも、オーランセブルのやることに変わりが出るわけではない。そういったことまで考慮しての行動なのだから。もはや彼の行いを止めることは、誰であろうと叶わないだろう。オーランセブルは既にどんな説得にも応じる気はなく、止まるとしたら、それは自分が死んだ時だけ。だが彼が志半ばで死んだとしても、もはや計画自体が止まることはない。
そしてオーランゼブルの計画の要はもう一つ、アルフィリースだった。いや、正確にはアルフィリースのような存在である。アルフィリースの生誕をオーランゼブルが予見したのは約300年も前の事。それから占星術を重ね、生まれる場所、日付、性別、名前。全てを知ったうえでオーランゼブルはある仕掛けを施した。その時をもってオーランゼブルは計画の発動としたかったのだが、その目論見はアルドリュースという予想外の因子によって延長されることとなる。
アルフィリースはオーランゼブルにとって主たる要素ではない。だが自分の計画が何らかの形で破綻した場合、保険は必要だった。そのための人材だった。それが理由も知らぬただの人間によって阻害された。オーランゼブルも最初は怒りのあまり、アルドリュースを殺すつもりであった。だが計画の修正を検討するうちに、アルドリュースはシュテルヴェーゼやグウェンドルフと知り合ってしまった。殺すに殺せなくなってしまったのだ。
幸いにもアルドリュースは短命であったため、オーランゼブルは計画の修正を行うことができた。アルドリュースの選択によってはもっと早くアルフィリースを手中に収めることもできたのだが、アルドリュースそういった意味では非常に厄介な選択をしたともいえる。アルドリュースの選択を監視しながら、何度オーランゼブルが歯がゆい思いで彼らを見ていたか。
だが事態はオーランゼブルにとって、想像の範囲を超えるほどではなかった。いまだアルフィリースはオーランゼブルにとって、想定の範囲内の行動をとっているのである。むしろ傭兵団を結成したなどは、オーランゼブルにとっては望ましいことだった。
「(監視にもライフレスをつけた。奴がアルフィリースに負けることはありえないだろう。もし不利になるようなことがあっても、アルフィリースの牙は決して私には届かない。負けるはずのない戦だ、これは。いや、負けてはならない戦なのだこれは。全ては私の、我々の手の中になければならぬ)」
そのことを思った時に、ふと自分が仲間に引き入れた少年の顔が浮かぶ。名前も知らぬ正直得体のしれない少年ではあったが、その魔力と使う魔術の種類に惹かれた。魔力はアノーマリーやサイレンスよりもやや上、ライフレスなどには遠く及ばぬ。そして使う魔術の種類は、世にも珍しい『促進』の魔術。元の形に治すのではなく、さらにより優れた形態への変化。その魔術の特性をオーランゼブルは好んだのだ。
そこで精神束縛を施し、自分の傀儡としたはずだったが、どうやら彼には一切の魔術が作用しておらぬ様子だった。そうなると、彼は最初から自分の前で演技をしていたことになる。あるいは魔術や魔力すら演技なのかもしれない。何のために、あるいは何を知っているのか。疑問は尽きぬがとりあえずは自分に敵対はしないらしい。もし敵対したとしたら、はたして今の状態で自分は勝てるのだろうかとオーランゼブルは不安になった。そんな時にグウェンドルフやゴーラが傍にいない事の不便さを感じてしまう自分が、なんとも打算的まな自分にやや幻滅しなくもない。
だが少年は自分の計画に賛同すると言っていた。その一言を信頼すべきかどうかはともかく、ならば誰にも知られぬようにした策の全貌を知っているというのだろうか。そのような者はハイエルフの一族にすらいないはず。たった一人を除いては。
計画に今の所大きな支障はない。ほぼ全ての出来事が想定された筋道通りに進んでいる。一つ不安なのは、その少年の言葉。
「(いつか、お前が取るに足らぬと思っていた者に足元をすくわれる)」
他の生物より優位に立ったつもりはない。この大陸の生き物はいつでもオーランゼブルにとって愛でるべき存在だったし、今もそのために動いている。可愛がりこそすれ、なぜに自分が他の生き物を見下さねばならないのか。オーランゼブルは少年の言葉にやや腹立たしさを感じつつも、気にかかってはいた。
だからこの場所に足を運んだのかもしれない。全てを始めた、約束のこの場所に。開けた空間の中央まで進んだオーランゼブルは、その中にある青白い水晶にそっと手を触れる。
「娘よ・・・」
オーランゼブルが呼びかけた水晶の中には、金の髪をしたハイエルフの女性が眠っていた。その顔は穏やかに、だが少し悲しそうに何かを待っているようでもある。今にも起きて歩き出しそうな、ガラス細工の様な美しい女性。オーランゼブルがそっと手を添えると、彼の手に答えるように水晶はぼうっと光ってみせるのだった。そして彼女の眠る水晶からは、細く青白い線が、放射状に伸びていた。その線は洞穴の壁をつたい、天井に伸び、各所から外に伸びているように見える。
「状態は・・・問題ないな。私の愛しい娘、サーティフルーレよ。お前に不便をかける私を許しておくれ。だがもう少し、もう少しで目的は達成できる。その時はまた二人で暮らそう。誰にも見つからぬ、深い森の中でひっそりと・・・」
オーランゼブルはそう告げると、額を水晶につけてしばしの安息を得ようとしていた。だがそれは、別の者が見れば許しを請うようにも見えた。
オーランゼブルは知らない。人知れず彼の懺悔にも等しい独り言を聞く者がいることを。
オーランゼブルは知らない。既に計画には綻びが生じていることを。
オーランゼブルは知らない。目に見えぬほど小さな綻び。だがそれは深く、深く根を張っており既に取り替えしがつかぬことを。
オーランゼブルは知ることができない。自分に心ある言葉を捧げる者が既に誰一人としていないことを、それが何を意味するかも。
ただ青白く光る水晶のみでは、自分の孤独の影はより深さを増すだけということを、オーランゼブルはまだ考えもしていなかった。
第二幕、終
第三幕へ続く
これにて第二幕終了です。次回投稿は、2/21(火)12:00です。感想・評価などなど待っております。
第二幕サブタイトル、色々な意味を込めましたがいかがでしたでしょうか? 第三幕も盛り上げてまいりますので、これからも呪印の女剣士をよろしくお願いいたします。サブタイトルもお楽しみに。