冬の訪れ、その31~悪党~
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「くそう、くそう!」
男は森の中を、悪態をつきながら一人走っていた。年は30も過ぎ、肉体の全盛期を過ぎたのがよくわかる。以前のように女を抱けなくなったからだ。若い頃は一晩に10人でも女を抱くことができたが、最近では5人も抱けばもう十分だと思ってしまう。そろそろ年かと、彼も色々と諦めようとしていた。何より彼の顔は元々醜い部類に入る顔だったが、最近はとみに酷くなっていた。彼の父親は少し頭の足りない男だった。元々はそうでもない。小さい頃にかかった病で、頭も体も上手く成長しなかったのだ。まともな職につけず、彼の父親は村の邪魔者だった。
そんな父親にも優しくしてくれる女はいた。美しい村長の娘。小さい頃野犬から娘をかばったのが原因で、娘だけは父親の事を庇った。村長も娘の頼みだからと、父親の事を無碍には扱わなかった。自分の家の下働きとして、食事と最低限の衣服を買えるような生活だけは保障した。
だが父親はそんな生活の中でこう思っていた。娘が自分を庇うのは、自分の事が好きなのだからと。昔の恩をいまだに感じていて、自分に抱かれたがっているのだと。だが父親は何もしなかった。今の生活に比較的満足してたからだ。いずれ娘は自分の元にやってくると信じていた。彼の劣等感がそうさせたのか、はたまた病の後遺症だったのかはわからない。少なくとも、彼の独りよがりな妄想だったのは疑いがなかった。
だがその妄想はいとも簡単に崩れた。娘には恋人がいた。父親は見てしまったのだ。隣町の青年。彼らが人目につかぬところで愛を囁き合っているのを。男は娘を抱こうとしたが、娘は断った。明日父親の所に結婚を報告に行くから、その後にしようと。彼らは明日も会う約束を交わして、その場で別れた。父親の中で自制心が崩壊した瞬間だった。
父親の行動は早かった。夜、その青年が呼び出していると娘を誘いだし、その頭を殴りつけて娘をさらった。御丁寧に村の馬に全てに毒の水を飲ませ追撃が出来ぬようにし、村長の家に火を付けた。これでしばらくは追手がかからないと思ったのである。足らぬ頭でそうさせたのは、妄執のなせる業か。思いつきの行動であったにもかかわらず、果たしてその目論見は上手くいってしまった。
父親は棲みついた樵の山小屋に娘を監禁し、泣き叫ぶ娘を何度も何度も犯した。彼は既に狂っていた。娘の泣き叫ぶ声が嬌声に聞こえていたのだ。娘は喜んでいると、心底思っていた。
だがその行為は当然のごとく知れ渡る。小屋にやって来た樵は二人を見つけたが、その樵も酷い男だった。黙っていてやるから、代わりに自分にもその娘の相手をさせろと。父親は嫌がったが、腕力でかなうはずもない。だが女が樵に抱かれて泣き叫ぶのを見て勘違いをしてしまった。この女は喜んでいる、と。その時点で父親は娘に対する興味を失ってしまったが、娘は既に身籠っていた。
やがて父親と樵はその娘に飽きると、今度は娘を使って商売を始めた。近くを通りがかる旅人や、仲間の樵に娘を抱かせて金を取った。その行為は娘の腹が大きくなっても変わらず行われたという。なぜ娘がそんな事を受け入れたのか。娘は殴られてしばらくしてから「頭が痛い」と訴えていた。だが当然医者を父親が呼ぶはずもなく、またその金もなく。アルネリア教会を頼るなどという知識は父親にはなかった。
やがて娘は徐々に反応が鈍くなっていった。命に別条はない。食事も食べれる。だが人間として大切ないくつかが欠落した。まともに便所にも行けない。話しかけても反応が無い。だが、娘は相変わらず美しかった。それだけで男達には十分だったのだろう。
子どもは無事生まれた。娘も無事だった。だがその後繰り返される行為に、娘は正常な妊娠はできなくなっていた。だがそれは逆に男達にとって幸いだった。その方が都合がいいと、彼らは娘を一層歓迎した。
男が物心ついた時、母親は沢山の男達に犯されている最中だった。それが彼の日常。父親の手引きで母親が名も知らぬ男に穢される。それは彼にとって当たり前だった。やがてある程度成長した彼は、母親で女を覚えた。罪悪感は、微塵もなかった。
男はある日金を父親にせがんだ。だが断られた。だから父親の頭を力一杯こん棒で殴った。地面に倒れ伏した父親は驚いた顔で彼を見たが、その言葉はこうだった。
「お前も、成長したな」
男は父親にとどめをさした。執拗に、執拗に、なんども頭を潰した。父親がそうして虫を潰す場面を良く見たから。
そして男はその小屋を離れようと決意した。最後に母親を抱いて行こうと思った。どうせ殺すのだから。殺す時に、犯しながら殺すことにした。何か意図したわけではない、ただの思い付きだった。すると女の具合がいいことを、男は初めて知ったのだ。彼はその後、女に飽きてくると殺しながら犯すことにした。
男は小屋を離れた時、近くを騎士達が通るのを見た。噂には聞いていた。騎士とは、「真面目で頭の足らない馬鹿ばかり」だと。彼は騎士達に言ってみた。この近くで悪い樵がいて、彼らが僕の父親と母親を殺したんだと。騎士達は是非もなくその場に急行した。男は御丁寧に樵の槍で母親を殺していた。彼が兵士をしていた頃に、報償としてもらった槍なのだという。そして都合のいいことに、騎士達がかけつけた時にはちょうど樵はその槍を持って呆然と立っていた。
騎士達は剣を抜いて樵を捕えようとした。だが状況のわからない樵はついに自分の悪事がばれたと、その槍で抗戦した。樵はあっさりと殺された。騎士達は男に告げた。もう大丈夫だと、悪い奴はやっつけたと。自分達は正義で、悪は必ず滅ぶと。騎士達は自信満々に答えたのだ。だから男は思った。正義とは馬鹿の事を指すのだと。
男は馬鹿が嫌いだった。父親が馬鹿だと樵に言われていたからだ。自分は馬鹿になりたくなかった。だから男は正義でない者になろうとした。
男はあらゆる悪事をこなした。窃盗、強盗、放火、強姦、人殺し。およそ思いつく犯罪行為は全てやった、どんな残酷な事もできた。だが男に罪悪感の欠片も湧かなかった。むしろ相手が泣き叫ぶ時、自分の優位を確認できて快感だとさえ思った。誰も彼に道徳心を説かなかった。彼に説教をしようとしたものは皆死んだ。
男はやがて自分になびく仲間を集めて傭兵団を作った。傭兵団の名前は「槍に絡む蛇」と言った。彼らは戦場でどんな汚れ仕事も請け負う役として、一部の雇い主からは非常に重宝された。だが、おおよその雇い主、また傭兵仲間からも彼らが忌み嫌われる存在だったのは言うまでもない。
それから時は経った。元々周囲には多くの仲間がいたが、天馬に乗った女たちに追われ、その数は一人、一人とと減って行き、ついには自分一人になってしまった。彼は傷つき、自分の身を守る剣もどこかに落としている。左腕は既に使いものにならぬほどの怪我を負っており、血がとめどなく流れていた。すぐにでも血を止めてしまいたいが、その時間もないほど彼は追い詰められていた。
「あの女、あの女っ! あんな奴がいなければ!」
突如として自分達が過ごしていた宿を襲ってきた女。大きな仕事も終わり、団をそれぞれの方向でバラバラに解散させたばかりだった。その翌日の明け方、突如として自分達の宿に転がり込んできた仲間の一人。
「こ、殺される!」
その一声の直後、自分達がいた宿に殴りこんできた美しい死神達。女は喰い物だと思っていた自分達の概念を覆す、凄まじい殺し方。解散したばかりでまだ100人はいたであろう自分の仲間は、建物ごと殺され、いや、破壊された。先陣を切る死神達はどれも素晴らしい戦士だったが、特に先頭でハンマーを振るう少女は別格だった。
「貴様が団長か?」
その一声が自分に向けられた瞬間、その男は剣を抜くことすらせず、隣にいた部下をその死神の方に突き飛ばして逃げたのだ。突き飛ばした部下が粉々に弾けて死ぬ音だけを、彼は聞いた。
そこからどう逃げたかは覚えていない。町からは随分と離れた所にある森だと思っていたが、そこまで何人も共に逃げたはずだった。奴らは森に入れない。そう思っていたはずなのに、死神は森の中まで追ってきたのだ。木々の間をぬって空から飛来する白い死神達は、美しいというよりも彼にはこの森に出没する死霊にも見えた。
森の奥へ、奥へ。死神が追ってこれないほど奥へ。男はその一心で逃げた。体は自分に引っかかる木々でぼろぼろであり、あちこちが痛い。空気を吸う肺は限界をとうに迎えており、酸欠で眩暈がとまらない。心臓は早鐘をさらに乱打されたような鼓動を刻み、全身の筋肉は限界を迎えていた。
男はついにその場にうずくまった。水が欲しいと思うが、手元にはない。ふっと男は思い出す。この森は死霊が巣くうとして、開発が止まってしまった森なのだ。不吉ゆえ、誰も立ち入らないと。近々アルネリア教が大規模に浄化作戦を行うとかなんとか噂されている森だった。死神達の追撃が止まるはずだ。昼でもろくに光のささないその森からは、生物の気配が全くない。木すらその形が歪。まるで呪いか何かでその形をねじ曲げられたようだった。ここは生きている者の住処ではないのだ。
「ヤバい、逃げ・・・」
男がくるりと振り返った時、その場には少女が立っていた。ぼろぼろの布切れ、がりがりに痩せた体、生白い表情。唇だけが血のように赤く見えたが、実際に血が滴っていた。男はその少女を見るやそれが死霊の類いだと理解し恐れたが、その一方で非常に冷静でもあった。
続く
次回投稿は、2/18(土)17:00です。