冬の訪れ、その28~後進~
「そのディオーレの元でラインは何年か修行をしているな。まさに地獄のような特訓じゃったらしい。だがその拷問にも等しい訓練に耐えたのは、長いアレクサンドリアの歴史の中でもラインくらいじゃったそうな」
ミリアザールはリサが聞きたいことを先回りして言ってしまった。リサは少しつまらなそうにしたが、だいたいの話は呑み込めたようだ。
「それで? その先は何かありますか?」
「いや、まだ細かいことはわかっておらん。ワシからの要求は・・・」
「わかっています。もしかするとラインには刺客が差し向けられる可能性もあったわけですが、その可能性は低いこと。だが万一に備え、事情を知るものが傭兵団に一人は欲しい。そんなことですか」
「・・・相変わらず察しが良すぎて可愛くないのう。ジェイクに」
「嫌われません。そんなことは、太陽が落っこちてくる以上にありえません」
リサがぴしゃりと言い切ったので、ミリアザールは次の言葉を口の中でもごもごと言いごもってしまった。これ以上何か言っても、叩き斬られるだけだと。口だけの言い合いなら、リサならオーランゼブルにも勝てそうだと、ミリアザールはひそかに思うのだった。
だが口ごもったのがよかったのか。リサとの会話にかまけて思わず忘れそうだったが、ミリアザールが自分の言いたかったことを思い出す。
「ああ、他にも要件はある。おぬしがミランダに頼んでおいた薬じゃが」
「できたのですか?」
「一応な。だが、ミランダは勧めることはできないと言っておった。それはワシも同じ意見じゃ」
「知っています。リサだって、どうして好きでこんなものを頼みますか」
「ならばなぜ」
ミリアザールは、リサに小さな袋を渡しながら問いかける。リサもまた袋を受け取り、それを大切そうに握りしめた。
「正直なところ、リサは戦いが嫌いです。ですが生きるためにやむをえない戦いであれば、逃げるつもりもありません。その脅威がチビ達や友人に及ぶのならなおさら。そしてリサは足手まといも嫌なのです」
「外法に頼ってもか」
「外法など今さら何を恐れましょう。リサは日陰の存在でいい。ジェイクもアルフィリースもきっとこれから光輝く道を歩むから。私は彼らを支える影でありたい。そのためなら、いかほどの汚名もリサは気にしない覚悟です。欲しいものはもう、この手の中にあるのですから」
リサの目には迷いがなかった。ミリアザールはその目を見据えながら、やっと彼女らしく凛とした威厳を取り戻しつつあった。
「仕方ないのう。では用法・用量はしっかり守ること。反動はミランダだからこそ抑え込めるものじゃが、副作用を考慮して容量は減らしてあると言っておった。まあ何かあればワシを頼れ。これでも回復魔術は大陸でも有数の使い手じゃからな」
「ありがたいことです。ですが、その辺はミランダを信頼しているので」
「うむ。そのワシからも一つあるのじゃがな」
「?」
ミリアザールが一つ咳払いをする。
「おぬしの目、治せるかもしれん」
「・・・は? いや、しかし・・・」
「しかしもへったくれもないわい。あくまでワシの見立ての話じゃがな。どれ、見せてみぃ」
ミリアザールはずかずかとリサの方に歩み寄ると、少し戸惑うリサの顔を動員に捕え、その目の周りを触り始めた。ミリアザールは何らかの魔術を行使しているのか、目の周りが少しぼうっと暖かくなるリサ。しばらくして、ミリアザールがほっとしたような顔をした。
「やはりそうか。おぬしの目はほとんど傷ついておらぬ」
「え? ならなぜ」
「心の問題なのじゃろうな。目に薬品を被ったのは所詮きっかけにすぎぬ。見えるか見えぬかは、もはやおぬしの気持ち次第じゃ。ワシなら少し後押ししてやれるがのう。さて、どうする?」
ミリアザールは純粋な好意で申し出たのだが、以外にもリサは首を横に振った。
「いえ。非常にありがたい申し出なのですが、リサは遠慮させていただきます」
「む、なぜじゃ」
「おそらく、リサのセンサー能力は盲目がゆえ。この大切な時期に、リサの能力を失くすわけにはいかないのです。もし私が能力を必要としない時が来たら――」
リサはその先は言葉にしなかったが、彼女の表情が全て物語っていた。リサは幸せな将来に思いを馳せ、その時を楽しみに待っているのであろう。ミリアザールもそのことはよくわかっているため、あえて何も聞きはしなかった。
ミリアザールはしばしリサを幸せな思いに浸らせた後、彼女を促して部屋を出た。リサは最初どこに行くのかとミリアザールの後ろをついて行ったが、そこはいつもミルチェなどが遊んでいる部屋だった。
「ここは別室ですね?」
「うむ、今では半ばあのチビ共の遊び場だな。先ほど別室が使えないと言ったが、ある理由がある」
「何があるのです?」
「見えないおぬしにはわかるまい。どれ、一瞬だけワシの目を貸してやろう。百聞は一見にしかずじゃ」
ミリアザールは自分の背後にリサを回らせると、自分の頭の上にリサの手を乗せた。するとリサの手から熱い感覚が手の神経をさかのぼるように伸びてきて、彼女の腕、首、頭へと伸びていく。熱くて我慢できないような温度ではないが、じっとしているものまた無理なような、そんなじりじりする感覚。熱湯とはいかぬほどの熱い湯を血管の中に注がれたような魔術に、リサが身じろぎする。
「ミリアザール、これは」
「じっとしておけ。視覚の融合はできて数瞬じゃ。見逃すなよ?」
「何を見せたいのです?」
「この世の宝じゃ」
そして高温がリサの目に達した時、リサは確かに見た。壁一面に広がる、理想の世界を。中心には子供たちを守るように立つ慈愛に溢れた聖母のごとき女性と、彼女を護る屈強な騎士が。その陰に隠れるように子ども達がたくさん描かれていたが、彼らの顔は一様に笑顔で穏やかだった。何かと戦っているのではなく、彼らは家族としてそこに集まっている。そんな印象をリサは受けた。また周囲に描かれる背景も見事。葉の一枚一枚さえ忠実に描かかれたその絵の迫力は、まるでそのまま絵の中に飛び込んでいけそうなだけの立体感に富んでいた。リサはわずか数瞬の間だが、その世界に確かに引き込まれていたのである。
だが目の前の光景が再び暗闇に戻ったことで、リサは我に返った。
「はっ!?」
「どうじゃ、しっかり見えたか?」
「・・・ええ、しかと。今の絵はまさか」
「そう、ミルチェの作画じゃ」
ミリアザールが力強く頷いた。彼女は語る。
「最初に気が付いたのは梓かのう。ミルチェが壁に落書きしたのを発見し、とりあえず消そうとしたがあまりにもったいないとな。それでしばらく好きに書かせてみたところ、このような絵が出来上がったとのことだった。ワシもまた初めてこの絵を見た時、心奪われた。あの堅物の梔子ですら同様にな。あまりにもったいないと思ったので、ワシの知り合いで有名な芸術家の批評者を呼んでみたのだが、その男も唸っておったよ。リサ、これが何かわかるか?」
ミリアザールはリサにあるものを手渡した。リサはそれを手に取って確かめてみる。
「木彫りの彫刻ですね。モデルはミリアザール、貴女でしょうか? それにしては少し大人びた格好のような・・・」
「うむ、それはワシが成人の姿に戻った時の恰好じゃな。だがその姿をワシはミルチェには見せておらん。つまり、奴はその目でワシの真実の姿を見抜き、想像して掘ったということになる。これは偶然かな?」
「何が言いたいのです?」
「ワシにもわからん。だが、少なくともミルチェは天才じゃ。何十年、いや、百年に一人の芸術家かもしれん。批評家はそう言っておったな。そしてこの彫刻についた値段は、1000万ペンドじゃ」
「いっせ・・・なんですって!?」
リサの口があんぐりと開いていた。さしものリサも信じられなったのか、自分で自分の頬をつねっている。ミリアザールもついでにつねってみたが、当然夢であるわけがない。
「リサの今までの稼ぎ全ての十倍以上と匹敵するのですが」
「という額を、ミルチェはノミと木槌だけを使って半日で稼いでみせた。平和な世じゃから芸術も付加価値が高まっておる。ミルチェの作品は、これから飛ぶように売れるじゃろうな。だがそれだけに話はとどまらぬ。
トーマスはこの前読み書きを覚えたのじゃが、それからわずか数日。簡単な加法・減法を覚えたかと思えば、それから一月でグローリアの算術過程を全て終えてしまった。グローリアの教師に問い合わせてトリアッデ大の専攻課程の教書を取り寄せたが、もうすぐ終了するそうじゃ。今後さらに学びたければ、トリアッデ大の研究室に行くほかないとの事。本人の意思次第では、トリアッデに寄越してもいいのではないかと思っている。
ネリィはどうやらシスターとしての適性があるようで、マナディルに見せた所大層気に入ってな。自分の直弟子として育てたいと希望があった。学業も優秀じゃし、順当にいけば将来の幹部候補じゃな。またルースもあれでいて経営学の才能がある。最近では学校の教員を論破して暇つぶしをするという、なんとも迷惑な子どもに育ってきておるわ。
他のチビ共も、自分達の才能を発揮し始めておる。おぬしは大した子ども達を育てているな」
ミリアザールが我が事の自慢のように得意げに話したが、リサ本人は落ち着いていた。そしてこんなことを言うのである。
「ミリアザール。リサとしてはチビどもがどのような才能を発揮するかより、彼らが健やかに育つことの方が余程重要なのですよ。貴女が太鼓判を押し、本人達が望むのであれば止める権利はリサにはありませんが、どうか無謀な事だけはさせないようにしてください」
と。ミリアザールはその言葉を聞いてはっとし、思わずリサと絵の中の聖女を見比べた。そして彼女は気が付いたのだ。ミルチェは何より、リサの本質をよく見ていると。
続く
次回投稿は2/15(水)17:00です。