冬の訪れ、その27~調査報告~
そういった小難しい事情はさておき、今日は何もない平和な日である。時期としてグローリアも学園が休みに入り、年に一度の帰省を半数の学生達は味わうことになる。残りの半数は夏に。これはグローリアの都合というより、生徒という格好の人質を一斉に放すことがないようにとのミリアザールの触れだった。賢い学生はなんとなく気がついてはいるが、それらを口に出すことは決してない。彼らは自分がアルネリアにとって本当はどう思われようとも、確かにここには彼らの才能を見出し、教育を施し、立派な人物へ押し上げようとするだけの環境があったからだ。
半数の学生がいなくなり、それに付随する人間もいなくなり、そして時期は『休みの日々』という、五日あまりの商業を含めた一切の都市機能停止の時期に入る。この前に人々は日常品の買いだめをし、自由な時間を家庭で、あるいは誰かの家に赴き過ごす。各家庭から、町並からアルネリアの平和を謳歌する声が聞こえる中、深緑宮にはひっそりとリサが訪れていた。目の前には久方ぶりに仕事がないミリアザール。だがその目の周囲は黒ずみ、最近まともに寝ていないことが容易に見て取れた。
「どうやらお疲れのようですね」
「・・・ああ、三日ほど徹夜をしたからのう」
ミリアザールが気だるそうに返事をする。お茶をすする時も彼女はちょこんとソファーに浅く腰掛け、できる限り両手を使って行儀よく幸せそうに飲むのだが、この時ばかりはソファーに横ばいになり、頬杖をつきながら行儀悪くお茶をすするミリアザールが見れたのだ。口の横からお茶が多少漏れているのだが、それすらも気にかけない様子で。
「少々呆け過ぎにも見えますが、大丈夫ですか?」
「うぁー・・・別に構わんわい」
返事まで適当だった。だがリサはミリアザールのそうした態度を、大して気にかけていなかった。連日ここに訪れているリサは、昨日まで梔子にしごかれている彼女を見ているので、今さらといえば今さらである。ここ数日の二人のやり取りだけを見ていると、梔子こそがこのアルネリアの真の支配者なのではないかと思えるような光景だった。
リサとてミリアザールの仕事を無駄に邪魔するつもりはなかったが、今日彼女に声をかけてきたのはミリアザールの方なのである。
「それだけお疲れのところ申し訳ないのですが、何か用事があるのでは?」
「ああ、その通りだ。要件は三つほどある。まずはあのラインの話だ」
ミリアザールはやや真剣な面持ちでリサに話し始めた。だが、疲れ切った顔ではいまいち迫力もない。りさとしても、ミリアザールの気配からそこまで重要な話ではないのだろうと考えたが。
「ラインは最近どうだ?」
「どう、とは」
「団に馴染んでおるか? えーっと、インフィニート・・・」
「『イェーガー』でいいですよ。古語でもあるこの言葉を用いている傭兵団は、他にいないようですから。傭兵っていうのは教養なしと、相場が決まっているのですがね。古語を知っているなんて、やはりアルフィリースはそこらの人間より教養が高いです。デカ女で胸もデカイ癖に、頭にも栄養がいっているなんて、なんとも憎らしい話ですが」
「ほとんど嫉妬じゃな。それよりもラインの事だ」
「ああ、そうでしたね」
リサは一つ考えたように間を置き、話し始める。
「彼は非常に上手くやっているでしょう。生来明るい性格なのでしょうね。他の団員を飛び越して幹部になったのに、誰も彼を恨んでいません。それどころか、彼は仲間の中心にいつもいる。よほど人に囲まれる生活に慣れているのでしょう。彼の周りには男も女も関係なく集まってくる。最初はどうかと思いましたが、彼は良い男ですよ。むしろ、良い男過ぎて嫌いです」
「やれやれ、それならばおぬしに好かれるにはどうしたらええんじゃ。だがそれだけラインが目立つと、アルフィリースは影が薄くなるのではないのか?」
「それが、必要な時はラインが必ず一歩後ろに下がり、アルフィリースを立てるんです。そのため団はこの上なく円滑に運営されています。アルフィも、あれはあれで人を惹き付ける人間ですからね。新しく入団したドロシーなどは、既に彼女の信者のようなものですし。気持ち悪いくらい順調ですよ」
「ふむ。ならば取り越し苦労かのう」
ミリアザールが、お茶のカップを指の上でひょいとまわし始めた。リサは器用な事をするものだと感知していたが、これも自分達が気の置けない友人だからの行動なのだろうと、少し親近感を覚えていた。
だがミリアザールの言葉がリサには引っかかる。まるで質問してくれと言わんばかりの彼女の言葉だった。
「聞いてほしそうなので聞きますが、取り越し苦労とは?」
「ラインの素性を調べたのだが、第一報で非常に面白いことがわかってな」
「ほほう」
リサは身を乗り出した。ラインの弱みを握れると思ったからである。
「早く述べるのです、ミリアザール」
「目が爛々としすぎじゃ、リサ。怖いわ。まだ分かったことは少ないが、ラインは平民の出身だな。アレクサンドリアの首都、イスカンダル近郊の小さな村。フィニとかいう村じゃったかの。それが彼の生まれ故郷じゃ」
「よくそこまで調べられましたね」
「当然じゃろう。奴は20歳の時に、アレクサンドリアの師団長一歩手前までいった男じゃからの」
その言葉に、リサが自分のカップを落としてしまった。お茶が白の絨毯にこぼれ、慌ててミリアザールがそのカップを拾い上げる。
「ああ、ワシのお気に入りの絨毯が・・・」
「師団長? あの騎士の国、アレクサンドリアで?? あのちゃらんぽらんな男が!?」
リサの声は、彼女らしからぬほど素っ頓狂であった。アレクサンドリアは国土こそ広くないため騎士団の数も限られるが、彼らは一度としてその国土を荒らされたことはない。さほど地理的条件に恵まれた国ではないが、彼らは大陸最強の騎士団を有しており、辺境の防衛も含めて国境を一度も割られたことがないのだ。彼らの信念は実力至上主義であり、貴族ならずともその腕前を認められれば、国籍すら問わず上の身分にのし上がることが可能だった。ただ現在、頂点に坐する者だけは決められている。というより、誰も勝てないという事だけは広く知られている。
ただその国で師団長といえば、他の国では将軍級の実力者である。平民がたかが20歳でそこまで認められるとは、普通はありえない。確かにそれだけの実力をラインが兼ね備えている可能性は、十分にリサも認めているが。
「師団長・・・ですが実現はしなかったのですね。なぜです?」
「貴族殺し、および国家反逆罪と言われておる。公的にはな」
「公的に。ということは、裏があると?」
「うむ。奴には当時恋人がおったといわれておる。その女もまた、師団長一歩手前までのし上がった女じゃ。ただ彼女は貴族だったようじゃ。二人は当時結婚間近だったと噂されていた。だがその女は突如として父親を殺し、燃える屋敷の中で自決したと記録にはある。ラインはその共犯者だとな。じゃがその理由がまだ何も見えてこぬのだ」
「ふむ、幸せ絶頂の二人。その二人が共謀して親を殺すなど考えにくいですね」
リサも真剣な面持ちだった。これはうかつなことを言い出せる話題ではないと、彼女も悟ったのだ。思った以上に、ラインの傷は深いかもしれないとリサは感じた。ひょっとすると、知るべきではなかったとさえ思う。だがミリアザールが自分にこの話をした以上、何らかの意図があるのだろうとリサは頭の片隅で考えた。
ミリアザールは続ける。
「ワシもそう思う。だからこそアレクサンドリアも国家反逆罪などという大罪にも関わらず、そこまで本格的に奴を国際手配をしていないのじゃろう。その気になれば、あの国には『ナイツ・オブ・ナイツ』と呼ばれる凄まじい手練れの暗部がおるからな。ライン1人を探し出して殺すことくらい、簡単にとはいわんが、確実にやってのけるだろう」
「手練れ。どのくらい?」
「深緑宮直属の神殿騎士団中隊と戦わせたら、双方全滅するくらいには」
「アルベルトも含めて?」
「奴も含めてじゃ」
「それは凄まじい」
リサもうなった。アルベルトも含めて全滅と言われれば、それは凄まじい手練れの集団だ。アルフィリースの傭兵団では、まだ太刀打ちすべくもないだろう。
リサが少し震えたのを見て、ミリアザールはさらに話を続ける。
「だが奴らは動かん。ナイツ・オブ・ナイツ直属の上司が、ラインの味方なのじゃろう」
「上司とは?」
「ディオーレ=ナイトロード=ブリガンディ。名前くらい聞いたことがあろう?」
「ええ、もちろん」
リサは頷いた。この大陸の者なら、そのほとんどが聞いたことのある名前。女性ならなおさらである。騎士の国にて、実に二百年間その手本であり続ける騎士の中の騎士、最強の女傑ディオーレ。若くして精霊に身を捧げた彼女は、国の永遠の護り手としてその人生を国に差し出した。以来二百年、精霊騎士であるディオーレが将軍職についてから、アレクサンドリアは外敵の侵入を一歩たりとも許していない。最強である騎士の国アレクサンドリアを体現する騎士だ。
同時に、マイスター称号を持つ現存する二人のうちの一人として、また大陸の女性の中でもっとも成功した人物として知られる彼女。女性であれば少なくとも一度は憧れる存在である。リサでさえ、機会があれば一度会ってみたいものだと考えている。
その女傑のお気に入りだったとは、いったいラインはどんな人生を歩んできたのかとリサは気になった。
続く
次回投稿は、2/14(火)17:00です。