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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第二章~手を取り合う者達~
404/2685

冬の訪れ、その24~人知れぬ戦い⑥~


***


「ふぅ、ふぅ」


 ミナールは走っていた。利き腕を犠牲にし、一瞬の隙をヒドゥンに作ったのである。ここまでしても、彼には最後まで戦う気はさらさらなかった。戦闘を一度行ったのも、逃げるため。ミナールはこの任務において、戦闘の必要性を全く感じていなかった。


「もう少しか」


 ミナールは出口に向かうのではなく、さらに奥に向かっていた。このまま工房を脱出できるとは考えてなったし、何より彼には狙いがあった。今のままで勝てる相手ではない。さりとて無視もできぬ。逃げるのも困難。そうして彼が出した結論は一つである。

 この施設と、なるべくなら敵を二人道連れにする。どの道この施設に仕掛けた魔術はミナールでなくては発動できないのだ。どうせ助かる見込みが少ないのなら、一つの工房でも破壊しておきたかった。もう潜入は既にばれている。他の工房の警備も強化される、あるいは放棄されるのは目に見えており、今さら同時攻撃を一斉に行うのは意味が薄いとミナールは判断した。


「失態だな。これで先手を打つことができなくなった」


 ミナールが唇を噛むが、今はどうする事もできない。それよりも目の前の事に集中すべきとミナールが考えた矢先、左足の足首に熱い痛みが走り、彼はその場に崩れ落ちてしまった。


「な、なんだ!?」


 ミナールが自分何が起こったのかと自分の足を確認すると、彼の左足首から下は既になかった。すぐには激痛が走らないが、足がないという現実は彼に痛み以上の衝撃を与えた。その彼にさらに追い打ちをかけるように、地の底から声が聞こえる。


「だから油断するなと忠告したのだがな。人の言葉は聞くものだ」


 地の底だと思ったのは、ミナールの影だった。影から這い出る体は、先ほどの敵の姿にすぐ変わる。ミナールを持ってしても信じられないといった様子で、ヒドゥンを見つめていた。

 そんなミナールをヒドゥンは見下ろしながら彼の腹を蹴り飛ばし、たまらず彼はふっ飛んだ。血を吹きながら転げ回る彼を何度も繰り返し蹴り飛ばしながら、勝ち誇ったように彼に語る。


「驚きが隠せない哀れな貴様に教えてやろう。これも転移の一種でな。影から影への転移を可能とする魔術だ。『影縫い』という魔術があるだろう? あれの応用で、印をつけた影への転移を可能とする魔術なのだよ」

「ぐ、ふ・・・なるほど、先ほどの血の攻撃は」

「そう、貴様に当てる気があったのは最後の軌道を変えたものだけ。後は乱れ打ちながら、貴様の影へと打ちこんでおいたのだ。貴様は機転が効くから、保険をかけておいて正解だった。ああ、ちなみにこの魔術は貴様が死ぬか、私が解除するまで消えることはない。もはやどうやっても逃げる事は不可能だ。私と相対したのが間違いだったな」


 ヒドゥンは勝利を確信しながらも、周囲を確認した。彼が述べるほどにこの魔術は便利ではない。転移先を知ることはできないからである。もし影が例えば水の上に発生していれば、彼は転移直後にいきなり溺れる羽目になる。通常の転移よりも、さらに危険がつきまとう魔術ではあった。

 そしてヒドゥンが周囲を確認すると、そこは工房の廃棄場所だった。行き止まりのこの場所には、ミナールの後ろに大穴が開いている。その中には、アノーマリーが放った悪趣味な魔獣とも言える醜悪な生き物が蠢いているのだ。大型のミミズのようなそれらはいつも腹をすかせており、なんでも食べて消化する。アノーマリーは「餓鬼」と命名したそれらは、工房の掃除役である。彼らに食べられれば、まさに骨も残らない。

 この場所にミナールを蹴り飛ばしたのはヒドゥンだが、なぜ侵入者がこの方向に向かっていたのかはよくわからなかった。ここには何もないはずだったからだ。出口とは反対方向だし、何よりアノーマリーが魔王を製作している培養の区画はもう少し離れている。ヒドゥンはミナールを睨み直した。


「侵入者よ。なぜこの方向に来た? ここに何も無い事は知っていたんだろう?」

「ふ、ふふ。さて、なぜだろうな」

「ふざけるのはよしてもらおうか」


 ヒドゥンの血の弾丸がミナールの右の太ももを直撃した。たまらず悶絶するミナール。


「があ、う」

「さあ吐け。せめて楽に死なせてやろう」

「・・・がいいからだ」

「何?」


 ミナールの声はかすれて聞き取れなった。ヒドゥンが聞き返そうと耳を済ませた時、洞穴の空気がひんやりとした気がした。


「・・・風?」

「都合がいいと言ったのだよ、ここは行き止まりだからな」


 ミナールがはっきりと言い、彼の左手の掌を見せた。そこには左の太腿を押さえた時の血がべっとりとついていたが、彼の手には何らかの紋様が血の形でついていた。それを見てヒドゥンは気がついた。ミナールが戦いの時にほとんど左手を使っていなかった事に。使う時はほとんど逃げる時。彼の体の支えにするのは、ほとんど左手だった。ヒドゥンはそれをミナールの癖だと思っていたが、思えば体術を扱う者が、それほど露骨な癖を残すはずがないのだ。近接戦闘において、拳は左右均等に使えなければ意味が無い。


「おい、貴様。まさか最初から・・・」

「さんざん、仕掛けさせてもらったよ。ああ、そうだ。最初から仕掛けていたんだよ、私は。どうやら間抜けは貴様だったようだな」


 ミナールの左手の紋様が光ると同時に、工房の中に風が吹き始めた。広大な洞窟の、奥深くにも関わらずである。


「こ、これは」

「さて、貴様はこれからも逃げることができるかな?」


 ミナールはくくっと笑うのであった。


***


 その頃洞穴の入り口では、ミナールの掌と同じ形の巨大な紋様が宙に発動していた。周囲の大気を収束し、それらを洞穴に送り込む。やる事は単純だが、規模からいえばかなりの高等魔術に分類される魔術であった。その傍らには、ミナールの腹心であるエスピスとリネラが立っていた。二人とも僧服とシスター服のフードを深くかぶっており、その表情はうかがえない。共通点はといえば、彼らの手には大きな麻袋がいくつも握られていた。


「準備はいいな?」

「ああ、打ち合わせ通りに」


 彼らは袋の口を縛る紐をほどき、中身を洞穴の中にばらまき始めた。袋の中身は粉であり、それらは風に乗ってあっという間に洞穴の中に運ばれていく。一粒一粒がいかに小さな粒子といえど、普通なら届きはしない。だがこの風は普通の風ではなく、ミナールが魔術で発生させたものである。また洞穴の中にも多数の中継点ともいえる魔術発動の場所があり、洞穴の中で粒子がどこかの場所に停滞してしまう事はなかった。

 人が入れるほどの袋の大きさだったが、それらを次々にばらまく二人。袋の色は青と赤。そして全ての袋を播いた後、エスピスが手に火を灯した。


「大司教、御武運を」


 エスピスの火は風の中で粉に引火して大きく弾け、業火となって洞穴の中に入って行ったのであった。


***


「何の音だ!?」


 ヒドゥンが中では事態を掴めず緊張している。彼は耳を澄ませて音の出所を探ったので、ほどなくして事態を呑みこんだ。


「おい、貴様。何をした?」

「すぐにわかるさ」


 今度はミナールが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。そうして彼は身を餓鬼の中へと躍らせた。あっとヒドゥンが思う頃には、彼の背後には火の竜が迫っていたのである。


「ち、転移で逃げ・・・」


 ヒドゥンが転移で逃げようとすると、彼の頭上で突然爆発が起きた。ヒドゥンの一瞬の隙を付いて、ミナールが飛び込み際に天に向けて爆弾を放っておいたのである。ヒドゥンは突如として起こった風に、まだミナールが懐に爆弾を隠し持っている可能性を忘れていたのだ。たとえあったとしても、自分は練成魔術でどうにかなるだろうと。なまじ先ほどの爆弾を防げてしまった分、先ほどの爆弾より威力が大きいと事は想像できていなかった。加えて、練成魔術と転移は両方同時には使えない。これはミナールにとっても賭けであったが、彼予想は見事当たっていた。頭上で起きた衝撃に、彼は集中を乱された。ヒドゥンは転移を発動させる前に、炎の竜に喰いつかれたのである。

 そしてそれはアノーマリーも同様であった。彼は自分の研究に没頭していたので、身に危険が迫っている事は、研究室の扉が吹き飛ばされた時に初めて気づいた。アノーマリーもまた、なすすべなく炎の海に呑まれていったのだった。



続く

次回投稿は、2/11(土)18:00です。

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