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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第二章~手を取り合う者達~
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冬の訪れ、その23~人知れぬ戦い⑤~

 以後ミナールはそのエルザの前に姿を現し、なんとなく仕事を与えるようになる。それらはどれも一癖ある任務ばかりだったが、エルザはおおよそ満点に近い答えを出した。だが、決して満点ではない箇所を、いつもミナールは責めた。満点でない回答など、零点と大して違いがないと。その度にエルザとは口論になったが、上司である自分にもはっきりと意見を言うところをミナールは気に入っていた。

 ある時エルザが中々任務が上手くいかないと塞ぎこんでいるという報告を部下から受け、こういった時には気分転換なるものも必要だと知っているミナールはエルザを食事に連れ出した。その段取りをすることに慣れないミナールは、思いのほか時間を取られたわけだが。だが誘いを受けたエルザの方が仰天顔であり、またそれなり以上の料亭に連れ出したため、貧困層育ちのエルザは緊張のあまり余計顔を青くしていたのが印象的だった。エルザは顔を青くしながらも、無口なミナールになんとか話しかけようと、会話の糸口を探していたのを覚えている。


「(よくこんな料亭を予約できましたね)」

「(こう見えて私は、アルネリアの大司教だからな。職権を使えばそれなりに融通はきく。あまりあると非難されるから滅多にやらんがな。それより食べないのか)」

「(はあ、滅多にやらないのですか。このような高級な食事は初めてなので、どうしたらよいのかわからなくて)」

「(未熟だな。必要があれば娼婦の所作すら覚えるのが隠密というものだ。我々には口無しがいるが、巡礼をやるなら貴様もある程度はこなせるようにしておけ。貴族や娼婦の簡単な所作程度、覚えていないと困るぞ)」

「(そのようなものですか。では、ミナール様も色目の一つも使えるので?)」

「(その気になればな。やらせたいのか?)」

「(丁重に断らせていただきます)」


 そんな風に、必ずエルザはミナールにやられっぱなしというわけではなかった。無愛想できつい物言いのミナールだったが、エルザは負けじと言い返してくるのだ。そんな所もミナールは気に入っていた。


「(ミナール様はここでよく食事を?)」

「(いや、食事はあまり贅沢を必要としない。腹が満たされれば、内容にはこだわらんな)」

「(ではなぜ、私をこのような高級な料亭に?)」

「(ふむ、なぜだろうな)」

「(?)」


 そういえばなぜ自分は、女性をエスコートするつもりで料亭を選んだのか。ただの気分転換なら、もっと他にやりようもあったろうに。雰囲気の良い店の方が、女は喜ぶと思っていたのだ。なぜ、エルザを喜ばせたかったのか。当時のミナールにはわからなかった。


「(何と言う事はない。あれに惚れていたのか、俺は。今さらそれがわかった所で、どうにかなるものではないがな)」


 自分の気持ちなど、彼女には邪魔なだけだろうとも思う。親子にも近いほど年の離れた男女だし、彼女は前途有望なシスターであり、また放っておいてもいずれは大司教についてもおかしくない人材だった。見た目も非常に美しくなったし、部下にも男女問わず人気がある。そんな女にとって嫌われ者の自分は邪魔なだけだろうと、ミナールは自分を納得させた。

 それに、まず目の前の強敵がどうにもならないだろうと、ミナールは思うのだ。


「気が逸れているぞ?」

「むっ!?」


 ヒドゥンの蹴りを、ミナールは無意識に出した右腕で防御する。ヒドゥンの蹴りがミナールの腕深くにめり込み、彼の右腕の骨が砕ける音を両者がはっきりと聞いた。

 にもかかわらず、ミナールは今が戦闘中なのも忘れて自らの回想に耽っていた。どうしてそんな事になったのか。ミナールにはもはや、この戦いがどうにもならないことがわかったからなのか。


「(それともエルザがそれほど大切な事だからか? いや、違うな)」


 覚悟を決めるために、自らの大切な物を確認したかったのだとミナールは気がついた。そういえば、エルザとは帰ったら茶を共に飲む約束をしたのだったか。その事を思うと、ミナールの体からはまだ力が湧いて出るような気がする。


「ふ、ふふふ」

「どうした、頭でも打ったのか?」


 ミナールの口から自然に出た笑いに、ヒドゥンが声をかける。だがミナールの笑いは消えなかった。


「いや、おかしいのさ。こんな私も、ただの人間だと思ってな」

「そうか、不憫な事だ。ただの人間は弱く脆い」

「本当にそうだろうか?」


 ミナールがきっとヒドゥンを睨む。その迫力に、とどめをさそうとしたヒドゥンの足が一瞬止まる。


「私は人間が嫌いだが、人間であることに誇りを持っている。貴様は見た目こそ人間だが、その中身はもはや人間とは言い難いものだ。もっとも先ほどの血を操る魔術、それは吸血種固有のものだが、貴様はどちらでもないようだな。いや、どちらにもなれなかったのか」


 その言葉はヒドゥンにとって禁句である。本気で怒ったヒドゥンの両目が、かっと赤く染まる。ミナールの挑発は的を得ていた。


「・・・人間であることの定義を、たかが数十年程度しか生きていない若造が私に語るか。それこそ愚かな行為と知れ」

「貴様が知らずとも、私が知っている事も沢山ある。それが認められぬ年長者こそ、真の愚か者よ」

「ほざけ!」


 ミナールが構える。砕けた右腕はろくに言う事を聞かないが、それでも彼は激痛を押して構えを取った。だがその構えは、全快の時に比べれば心もとない。

 そんなミナールを嘲笑うようにヒドゥンも構え、また間を置かず突進してきた。先ほどよりもさらに速い突貫。この分なら、まだまだヒドゥンは余力を残しているのだろうとミナールは予測する。であるにもかかわらず、ヒドゥンは非常に慎重だった。ミナールがわずかに届かぬ位置からの拳撃。削るように、削ぐようにわずかずつミナールの命を奪ってゆく。その執拗とも陰険ともとれる攻撃は、傍目で感じる以上にヒドゥンがミナールを警戒してのことだった。この男にはまだ何かある。そう思わせるだけの雰囲気を、ミナールは兼ね備えていたのだから。


「(しぶといな)」


 ヒドゥンもミナールが防御一辺倒の作戦を取ることに疑問を抱いていた。それにこのまま攻めても倒せるが、時間がかかる事は否めない。時間経過で何かが起こるのを狙っているかもしれないと考え、ヒドゥンは短期決戦を決心した。ヒドゥンの攻め手が止まる。


「・・・どうした」


 ミナールが血をぼたぼたと落としながら、か細い声で問いかける。だがヒドゥンは無感情な声で、ミナールに応えた。


「私には予定がある。あまり貴様にかまけているわけにもいかんのでな、一気に決めさせてもらおう」

「ほう、まだ奥の手があるのか」


 ミナールが掠れた声で答えるのを既にヒドゥンは聞いていなかった。彼の言う通り、ヒドゥンにはやることが多い。既に予定はおしているのだ。こんなところで好敵手とはいえ、費やす余分な時間は一刻もないはずだった。

 ヒドゥンが自分の手の平を、瞬間的に伸ばした爪で切り裂く。血が流れ出る手をヒドゥンが一振りすると、そこには軽く血飛沫が飛び散った。ミナールは先ほどの魔術を行うのかと警戒したが、果たしてヒドゥンの血は自ら意識があるように、生まれたての獣のようにふるふると動くではないか。そして飛び散った血は徐々に適度な大きさの塊にまで集まると、ふわふわと宙に浮かんでくる。


「なるほど。魔術を発動させずとも、そのような芸当ができるのか」

「私の体の一部なのでな。言語による魔術の発動は、威力を上げるための儀式に過ぎん」

「ならば不意打ちの方が効果があったのではないか?」

「その通りだ。だが、貴様が慌ててどのような反応をするか見たくてな」

「悪趣味だな」

「よく言われる」


 互いにふっと笑った後、ヒドゥンが指でちょいとごつごつとした岩を指し示すと、血の塊の一つがそれに目がけて高速で激突した。そして、子どもの胴体ほどもある岩は、粉々に砕けたのだった。


「・・・威力もさほど変わらぬか」

「その代わり発動時間に制限がつくがな。理解したか? ならばいくぞ!」


 ヒドゥンが掌をミナールに向けて突き出すとともに、一斉に宙に浮いた血の塊がミナール目がけて一斉に飛来した。ミナールはそれらを器用に躱すが、ヒドゥンが掌を振り下ろすたびに新しい血弾が形成される。

 限られた空間の中で次々に飛来する血の魔術をミナールはかわし続けるが、反撃する余裕もなかった。それに時間制限があるというが、まったく効果が切れる様子が無い。そもそも、制限時間があるのも本当かどうか怪しかった。


「くっ」

「良く躱す。だが」


 ヒドゥンが掌を自分の方に向けて握り込むと、ミナールがかわしたはずの血の塊が軌道を変えて戻って来た。背後からの攻撃にミナールも身をよじって懸命に対応しようとするが、それはさすがに無理だった。血の中の一つが、ミナールの右肘を吹き飛ばしたのだ。

 ヒドゥンは悶絶する敵を期待したが、ミナールの反応は全く意外なにも悲鳴一つ上げず、それどころかちぎれた右腕をヒドゥンの方に蹴り飛ばしてきたのだった。そう、まるで予めそれを狙っていたかのように。


「なっ」


 ヒドゥンは咄嗟に自分の頭部を守ると共に、無意識に体の硬化を一瞬で行い、守りの体勢に入った。なぜなら、ミナールが蹴り飛ばしてきた右腕の切断面には、なんらかの札が仕込んであったのが見えたから。

 轟音がヒドゥンの耳をつんざき、彼の鼓膜が容易に破けるほどの衝撃波が彼の至近距離で発生した。防御したにも関わらず彼は激しい衝撃に視界を塞がれ、めまいは彼の思考を妨げた。完全に、無防備に近い状態が何秒か発生したのである。当然、彼はこの隙に敵が攻撃してくるものと考えていた。だが、


「くっ・・・符術か。東の方術まで使うとはな。なんと節操のない男だ」


 衝撃波と一部が崩れた洞穴により舞いあがる土煙りが少し収まる頃、ヒドゥンは敵の姿が無い事を知った。ミナールは右腕を犠牲にして、またしても逃げたのである。


「逃げもここまで徹底すると見事。だが」


 ヒドゥンの姿は影の中に、とぷりと沈むように消えていた。



続く

次回投稿は、2/10(金)18:00です。

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