冬の訪れ、その22~人知れぬ戦い④~
ミナールが用いた毒は、筋肉の収縮を止める。つまり、心臓の動きを無効にすることで死をもたらす毒である。だがヒドゥンはその毒を盛られて、かつ笑ったのだ。これはおかしな話であった。
「(毒の効きが弱いのか? なら念には念を、だ)」
ミナールはさらにヒドゥンを刺しに行った、今度は柔らかい喉を狙って。だが、ミナールの小刀は見事にはじかれたのだった。
「な?」
「ふ、ふふふふ。ぬかったよ、貴様もな!」
ヒドゥンがゆらゆらとしながらも立ち上がりはじめる。ミナールは思わず小刀で人体の急所とおぼしき柔らかい場所を連続で刺しにいった。だがその全ては、ことごとくヒドゥンによってはじかれたのである。
そしてミナールの小刀が欠けた所で、彼は攻撃の手を止めたのだった。
「貴様、いったい何者だ。いや、その魔術はなんだ?」
ミナールの疑問は純粋な好奇心からだった。彼はけっしてヒドゥンに屈したわけではないが、彼は疑問のあまり戦闘中の相手にすら聞かざるをえなかったのだ。無論明確な答えを期待したわけではない。だが、ミナール本人の性質がそうさせたのだ。
対して、ヒドゥンも彼の問いに答えた。決して自らの能力を誇りたかったわけではない。だが、彼の中の何かがミナールに共感するのだろう。ヒドゥンはいつになく饒舌であった。
「私が何者かはさして重要ではないし、触れたくもない。だが、私の魔術についてはヒントをやってもいい。私の魔術は、分類すれば『錬成魔術』ということになる」
「錬成魔術。何を錬成するというのだ? ・・・おい、まさか貴様」
ミナールが渋い顔をした。彼の表情に、満足そうなヒドゥン。
「ふふ、やはり貴様は勘も頭も良い。答えがわかったようだな」
「おそらくな。体格に見合わぬ力、俊敏性、皮膚の硬度、さらに毒への耐性。いや、解毒の速度と言った方が適切だな。貴様、自分自身を魔術で強化しているのか」
「その通りだ」
ヒドゥンは意を得たりばかりに、自分のローブを翻した。その下にある彼の体は、黒光りしていた。いや、さらに黒から茶へ、そして灰色へ。その性質は鉄から銅へ、そして岩へと変化しているのだった。それも高速で。
その様子を見ながら、ミナールは冷や汗を垂らす。
「考えていたより、はるかに恐ろしい奴だ。その魔術は使い方によっては魔法にも等しくなる」
「そうだな。だが、私がこの魔術を使おうと思ったのはほんの偶然だった。私は昔、自分の事など何一つ好きにはなれなかった。吸血種という最強に分類される種族の血を引きながら、人間であった母に似てしまった私は、その能力が非常に中途半端だった。寿命は人より長く、血を欲する衝動にかられるくせに、その筋力も魔力も並みの吸血種の半分にも満たぬ。私は人間でもなく、吸血種でもなく、両方の種族から迫害の対象になった。
だから私は考えたのだ。自分が駄目なら、別の何かになればいいと。私はそのための研究を必死に繰り返した。一時は魔術協会に所属してまで、外法と言われるものまで徹底的にな。そして見つけたのだ、自分にもっとも適した魔術を。そうだ、ままならぬ自分なら、最初から自分を理想通りに作ってしまえばいいのだと」
「なるほど、それが人間を練成する魔術なのだな」
ミナールが大きく息を吐いた。錬成魔術は、魔術協会においても扱いが特に難しいとされる魔術である。簡単な物では素材が存在する場所から、その構成を変化させる。たとえば蹉跌から剣を作るなどである。だが高度なものになると元素変化を起こし、何もない場所から新たな元素を作ることも可能となる。フェンナの一族に伝わる秘術がその類である。だが一歩間違えれば世界のバランスそのものを壊しかねない危険も孕む魔術は、歴史の中で魔術協会を中心とした魔術士達本人の手により闇に封印されていった。
ヒドゥンが得意とするのは、その中でも最大の禁忌とされたもの。追求すれば人間を作り出す事も可能かもしれないと考えた魔術協会は、自らの手でその存在を封印した。ヒドゥンの能力をもってすらそこまでには至らないが、いずれ到達する極みなのかもしれない。現在の魔術協会では、使用しようとしただけでも抹殺対象となるほどの禁忌である。魔術協会に出入りのあったミナールも、色々と探る上で知っていることであった。
「なるほど、それならおよそ合点がいく。私の使い魔を捕えた正確な動き、異常なまでの力・俊敏性、皮膚の固さ。解毒も同様なのだろうな。だが、貴様が私の姿を捕えることができたのはなぜだ?」
「潜入、潜伏は私も得意とするところだ。自分が得意とするものならば、それらに対する対応策を準備しておくのも当然のことだ。光感知、温度感知、音響感知。それらすべてを逃れることのできる魔術は、今のところ存在していない。そんなことも知らなかったのか?」
くっ、とヒドゥンがミナールを嘲笑する。対するミナールは表情を変えず、じっとヒドゥンを見据えていた。ミナールに笑う余裕などない。なぜなら直接戦闘でも、潜入などの間接的な戦いにおいても相手の方がはるかに上であった。もちろんまだミナールには戦う手段がある。だが、自分の能力と相手の想定される能力を比較した時、非常に勝ち目が薄いことがわかったのだ。相手が自分と似ているからこそ、ミナールにはよりはっきりとわかってしまった。
この時点で、ミナールは一つの決断をせざるをえなかった。
「(もはや無事に帰るのは無理だな。せめて、最悪の事態は避けねばなるまい)」
ミナールは上に立つ者として、常に最悪の事態を想定しながら戦っている。今回、最善の事例とは相手の工房を全て暴き、かつ破壊の手段を確保できる事。彼にとって最悪の事態とは、工房を破壊する手段は愚か、場所すら特定できず、かつ自分が捕まり交渉に利用されてしまう事。万一に事があれば自分の存在は最初からなかったものと思えとはミリアザールに伝えてあるし、言わずとも彼女がそうしてくれるだろうという信頼感はある。だがミナールが真に恐れるのは、自分を切り捨てる事を一瞬たりともためらわないミリアザールではないからこそ、決断を迷ったり、またミリアザールが心を痛める事で出来る隙が致命傷にならないかという事である。
だから彼はアルネリア教で大司教という地位も名誉も十分に望める立場にありながら、親しい友もおらず、わずかな部下のみで行動していた。その方が、自分に何かあった時に周囲が楽だと思っていたから。むしろミリアザールが自分を大司教に据えたのは、失敗だとミリアザールに何度も進言したのだ。だがその度に彼女は、
「(ミナールよ。あまり周囲の人間を馬鹿にせぬ事だ。そなたにも後釜がいずれ必要であろう。そしてそれは、貴様が育てずとも、貴様が大司教というだけでいずれ勝手に育つだろう。貴様は自らが意識せずとも、良い手本となるのだ。ワシはそういった点も含めて、おぬしを大司教に据えたのだ。ま、貴様が困っておる姿を見たいということもあるが。はっはっは!)」
ミリアザールの奔放さにも呆れたものだが、ミナールには自分が手本に向いた人間だとは信じられなかった。それでも何年も大司教を務めていれば、他人と完全に無関係であるわけにもいかず。ミナールは渋々ながらも人付き合いを続けていた。
ある日ミナールは変わったシスターを見かけた。髪はぼさぼさ、やせた体に嫌に鋭い目が印象的だった。清楚なシスターではなく、町のチンピラが関の山という女。なんとシスター服の似合わない事かと、ミナールはふっと笑った事を覚えている。実際にその女の経歴を調べて見れば、少し前まで本当に町のチンピラだったという事だった。ただ随分と指導力のあるチンピラだったようだが、ミリアザールの目にとまり連れて来られたようだ。ミリアザールのめがねに適うならと、ミナールも少し気にかけていた。
それからなんとなくそのミナールの中で目立つシスターを、彼は無意識に気に留めるようになった。だがこれといって何をするわけでもなく、第一そのシスターは自らの手で難問を次々と片付けていった。鋭い目の光はそのままで、だがしかしその目からは攻撃的な光が消えていく。一定の時が立つ頃には、彼女は美しさすら兼ね備える立派なシスターへと変貌を遂げていた。残ったのは、目の輝きのみ。その時ミナールはなんとなく考えたのだ。自らの後釜はこの女にしよう、と。そのシスターの名前はエルザというらしかった。
続く
次回投稿は、2/9(木)18:00です。