冬の訪れ、その19~人知れぬ戦い①~
「何をやっているんだ、奴らは・・・」
物陰から認識阻害やらなんやらの魔術を同時にかけながら、アノーマリーの様子を観察する者が一人。誰であろう、アルネリアの大司教であるミナールだった。彼はアノーマリーに張り付いてその行動を観察するようになってから、既に二月が経過していた。
普通ならアノーマリーを見ているだけでもつらいはずである。彼は見た目のみならず体臭もひどいし、その動きは人をいらいらさせる。人格そのものはドゥームほど人をイラつかせるものではないかもしれないが、他人を不快にさせるということでは、彼はドゥームよりはるかに上であった。
また彼の行う実験の狂気はおよそミナールの想像を超えていた。ミナール自身残酷な決断を幾度となく行ってきたし、異常者の相手も一度や二度ではない。その彼をもってしても、明らかにアノーマリーは異常、いやそれ以上であった。ミナールが思うに、アノーマリーの真の恐ろしさはその実力ではなく、思考なのではないかと思う。ミナールは彼を観察するうちに、真っ先に殺すべきはアノーマリーだという考えを明確に持つようになっていた。
そんな人物をミナールはたった一人で二月近く観察しているのである。恐ろしい忍耐力と言ってよいだろう。そしてその潜伏能力も大した物だった。先ほどのライフレスですらも、ミナールの痕跡に気付かず出ていったのだから。これはアノーマリーが鈍いのではなく、ミナールの潜入が完璧なのだった。
そして彼は既に工房の場所を10カ所特定していた。報告したのは6カ所。さらにここ最近で新しく4個。それらは先ほど連絡しておいたから、次の報告はさらに二つ程見つけてからにしようかと思っていた。
だがそんな彼にも焦る要因はある。
「く、一体こいつらは工房をいくつ持っているんだ」
ミナールは彼に珍しく、焦っていた。彼の目論見では工房はせいぜい5~6個程度であり、後は開発している最中だと考えていたのだ。それがたかが二月ほどの潜入で、次々と新しい工房の手掛りが発見される。全容が見えないこの状況はまるで自分を嘲笑うかのようだと、ミナールは段々と苛立ちを隠せなくなってきていた。
「どうする・・・このまま潜入を続けていても、きりがない。展開に変化が無ければ、現時点でわかっている物だけでも破壊するか? そうすれば未発見の工房における配置の規則性も見えるだろうし、奴らも何かの行動を始めるかも・・・いや、それを契機に警備を強化されたり、地下に潜られる方が厄介か。だいたい工房自体は、どうやって作っているのだ? やはり攻撃するなら全てを同時に行うのが原則だな。それなら潜入は続行すべきか」
ミナールがそのような事を思考する。そんな中、ミナールはこっそりと使い魔を放つ。彼の使い魔は蝿。ほとんど羽音もなく飛び回る彼の使い魔は、潜入、盗聴などに最適だった。また同時に十数体を扱えるので、ミナール本人の情報収集能力は相当高い。唯一の欠点と言えば、使い魔の射程距離だろう。視力と聴力を使い魔全てに同調させることができる分、射程を犠牲にせねばならなかったが、これはミナール本人が潜伏に適した魔術を得意とするせいで、さしたる問題にならぬと彼自身が考えていた。
その彼は使い魔を今も十体同時に操りながら、アノーマリーの観察を続けていた。加えて、自分の背後などに歩哨代わりの使い魔を飛ばしている。さらに自分には認識阻害、防音、光屈折など考え得る限りの魔術を施しているのだから、どうやっても見つかりっこないと彼は考えていたのだった。事実、アノーマリーはこの二月で自分に気がつく気配すらないのだから。
万全の防御策を敷いた上で、ミナールは観察を続けている。アノーマリーはエルザの報告通り、何体も存在した。その中でミナールは魔力が充実した個体を見つけると、次々にその個体の監察へと移って行った。どれが本体などとミナールは見分ける術を持たぬため、魔力が高い者がより本体に近いと判断するしかなかったのだ。少なくとも、自分より強い分身など作りだすはずがないとミナールは考えていた。そして、その発想は当たっていたのである。
そうして彼に張りつく中で、ミナールは敵の顔触れを何体も見た。ライフレス、ティタニア、ブラディマリア、サイレンス、ドゥーム。オーランゼブルこそ見ないが、他の名前もまた一致しつつある。ドラグレオ、ヒドゥン、カラミティ。そして名前の上がらぬ者がもう一人いるようだが、その者については誰も言及せず、またその者が何をしているかは誰も知らなかった。それでも名前と特徴が一致してきただけでも、随分な収穫だと彼は考える。
ミナールが気付いた事はもう一つ。彼らは決して仲が良いというわけではなく、首魁であるオーランゼブルの命令で動いているだけだった。それなら何とかつけいる隙があるのではないかと、ミナールは考えるのだ。
「連携が良くなければ、分断して確固撃破という手段が取れる。それに任務の間はお互いの位置を詳しくは知らぬようだし・・・個別行動中に、なんとか撃滅は無理でも、封印などできないだろうか。魔術協会にそう言った方法に詳しい連中がいたな。奴らの手を借りるのはしゃくだが、それも一案か。テトラスティンに連絡してみるか」
ミナールが小さな手紙にメモ書きの様なものを残すと、書簡を四足歩行の小さなハ虫類のような生き物に彼は変化させた。そうして生物に変化した手紙は、自分の意志で外に出て行く。これは変化の魔術の応用で、外には伝令鳥が待機している。そうして伝令鳥のところで手紙に戻ると、今度は鳥が運ぶという寸法だ。
ミナールはアルネリア教会だけでなく、実は魔術教会のテトラスティンにも連絡を取っている。ミリアザールだけに伝える事、またテトラスティンにだけ伝える事もある。それらは全てミナールの采配で行われており、二人の最高教主もそれは承知の上の行動であった。それだけミナールの采配は絶妙であり、二人の最高責任者に信頼されていると言う事もある。ただし、彼の行動の基本理念は、全てがアルネリア、ひいてはミリアザールのためというのは疑いない所であった。二人の大司教は、やはりその事も承知しているのである。
魔術協会に出向した経験のある彼だからこそ、アルネリア教会のためにテトラスティンに接触し、独自のパイプを作っていた。世の中には魔術協会の方が解決に適している案件など、いくらでもある。そうして彼は魔術協会を上手く利用しながら、今日もミリアザールのために尽くしているのだった。だがそんな彼の事を理解してる者は、アルネリア教会においてさえ非常に少なかった。また自らの実績などを誇るミナールではなかったから、余計そうなったのだろう。
そうしてミナールが引き続き観察を続けようとしたところ、彼はこの潜入で一番緊迫する場面に遭遇した。彼の使い魔は、いつの間にか視界に新たな男に出現を捕えていたのだった。出現の気配すらなく、突然視界に収まるその男。使い魔である蝿は研究台に止まり、彼らの様子を窺った。
「アノーマリー」
「うわっ!? ・・・なんだ、ヒドゥン兄弟子様か。脅かさないでよ」
「いい加減慣れろ、お前も。仕事はどうだ?」
「そんな事を言うためだけにここに来たの? 暇人だねぇ」
アノーマリーが多少小馬鹿にしたような態度を取ったので、ヒドゥンの額に青筋が浮かんだ。
「貴様が資金繰りに困っている事が多いから、気にかけているのだろう!? 仕方ない事とは言え、貴様の研究を自由にさせていては、資金がいくらあっても足りぬわ!」
「はいはい、確かにそうですねっと。そういえば貴方の財布も空にしちゃったもんねぇ。怒ってる?」
「どうやら貴様には本格的にお仕置きが必要なようだな」
ヒドゥンから殺気が立ち上ったので、アノーマリーは目を泳ぐようにそらした。
「やぶへびだったか。今日はよく怒られる日だなぁ・・・まあ、いいや。とりあえずその金を使った成果だけど、前回東の大陸で新型の魔王を投入してみて、成果は上々だった。ドラグレオがあらかたふっ飛ばしちゃったせいで全てのデータは残ってないけど、生き延びた魔王は今までの魔王と違って数日で死亡が確認された。種々の汎用性を注射や投薬一つで実現するけど、寿命は短い。即席の魔王ってところかな」
「戦闘能力は?」
「種の多様性は確保したから、様々な状況に応じて使い分けられる。生きている間の戦闘能力は従来と代わり無し。まあ変身する過程でブッ飛ばされたらどうしようもないけど、突然隣の人間が魔王に変化するような状況で、人間は友人の首なんか斬り飛ばせない愚かな効き物だろう? そう言う点では従来の魔王より強いかもね。生産費用は安いし、何より手間がかからない。今までの魔王とは運用方法が変わるんじゃないかな?」
「ふむ。そうなると魔王という名称は適当とはいえないかもしれないな」
「その辺りはお任せしますよ。僕は呼び方なんて興味ないし。前回の試作品は『バーサーカー』って呼んでたけど、新しい名前でも考えますかね」
アノーマリーが自分の研究材料を整頓しながら適当に答える。先ほどライフレスが怒りに任せて放出した魔力で、いろいろな物が吹き飛んでいるのだ。
そしてアノーマリーが何枚かの紙をヒドゥンに渡すと、彼はそれを興味深そうに読んでいた。そのうち、ヒドゥンが全てを読み終えると、その紙は彼の手の中で燃えて消えたのだった。ヒドゥンはそのままの無表情でアノーマリーに話しかける。
「時にアノーマリーよ」
「はいはい?」
「うるさい蠅がいるな」
「へ?」
ヒドゥンがぎろりと台の上の蠅を睨む。使い魔を介して目線があったミナールはどきりとするが、その瞬間にはヒドゥンが目にも止まらぬ速度で蠅を指先に捕まえていた。人間には真似できない速度である。
「(速い!)」
「ふむ、使い魔のようだな」
「小型だね。遠隔操作かな?」
「さて」
アノーマリーの質問にヒドゥンは生返事をしながら、蠅を指で潰した。そして周囲をくるりと見渡す。
「本体はどこだ・・・?」
ヒドゥンがゆっくりと動き始める。ミナールは反射的に使い魔の蠅を全て隠したが、同時に観察も怠らなかった。各所に隠れた蠅は、4箇所からヒドゥンの動きを観察しているのである。
「(まだ見つかっていないはずだ・・・このままやり過ごせるか?)」
ミナールはこのような事態も想定して、逃げる手段は確保している。だが、まだそれを発動させる時期ではないと踏んだ。この部屋には出入り口が4箇所あり、そのうちの一つにミナールは座るように待機していた。扉のせいで彼は直接アノーマリー達の姿をとらえることはできないが、話し声はかすかに聞こえる程度の位置にはいる。
そうしてヒドゥンが扉を一つ一つ開けて行った。部屋の中にある明かりが、廊下にも差し込んでくる。岩肌でできた廊下にも明かりはあるが、部屋の中ほどではない。ヒドゥンは戸を一つ一つ開けて廊下を確認すると、
「ここから調べるか」
と言って、そのうちの一つから出て行ってしまった。一体の使い魔からしか彼が出ていく様子を確認することはできなかったが、自分のいる廊下ではない。当面の危機は去ったようだと、ミナールは少し警戒心を下げた。それがいけなかったのか。
続く
次回投稿は、2/6(月)18:00です。