冬の訪れ、その18~変化~
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時間は多少さかのぼる。ここはアノーマリーの工房の一つ。その場所に苛立ちを隠せない足音が一つ、足早に動いていた。
「アノーマリー、どこだ!」
足音と怒声の主はライフレス。姿も成人に戻っており、大股で歩く彼がそこにはいた。彼は次々に部屋を開けながら、しまいには苛立ちが限界を超えたのか、片っぱしから扉を魔術で吹き飛ばしてアノーマリーを探していた。
そこに何があったと、アノーマリーが顔を出す。
「何? 何なの? ボクの工房を壊す気・・・ぐえっ!」
「貴様、俺の下僕をどこにやった?」
アノーマリーが潰れたカエルのような声を出す。それほどの勢いでライフレスがアノーマリーを締め上げたのだ。当然彼らには身長差があるわけで、アノーマリーは完全に宙に吊りあげられる格好になった。
「く、苦し・・・」
「さあ、さっさと出せ! 俺は自分の持ち物を人にいじられるのが死ぬほど嫌いでな!」
「しゃ、喋れないって・・・」
アノーマリーが限界とばかりにライフレスの手をばんばんと叩いたので、ライフレスはその手を突然放した。するとアノーマリーが派手に咳をしながらその場に崩れ落ちる。
「げほっ、げほっ! いきなりひどいな、君は」
「貴様こそ俺の持ち物に手を出して、当然覚悟はできているんだろうな!?」
「勘弁してくれよ。君のペットだって知っていたら、誰も手を出しませんって」
「ペットではない、下僕だ」
「はいはい、ボクにはどっちでもいいよ。それより付いてきな、こっちだよ」
そう言いながらライフレスを案内するアノーマリーだったが、彼はライフレスに背を向けながら、舌をぺろりと出していた。そう、全ては確信の上の行動だった。
前回アノーマリーの工房をライフレスが訪れた時、彼が拾ってきたブランシェはエルリッチの手を離れ、一人でどこかに行ってしまったのだ。それにライフレスは気付かず、エルリッチも探すうちに急ぎの用で工房を離れてしまった。当然、工房をさまよっていたブランシェはアノーマリーに捕まり、ブランシェがライフレスの下僕と知りつつアノーマリーは手を出した。当然アノーマリーが元凶なのだが、エルリッチの監督不行き届きであり、ライフレスがまともな判断をできる状態であればエルリッチは殺されていただろう。
だがそれ以上にライフレスは自分の持ち物に手を出されるのが嫌いであり、今は完全に逆上している状態だった。なぜそれほど彼が逆上するのかは、彼自身も忘れてしまっているのだが。
そしてアノーマリーに案内されるまま、ライフレスは一つの部屋に辿り着いた。戸を開けると、そこには血と臓物の匂いが充満していた。思わずライフレスも反射的に鼻を押さえるほどの異臭。天井に吊り下げられ、あるは壁に打ちつけられ、おそらくは人や魔獣であったろうその夥しい肉の山は、まともな人間であれば見るだけで気が触れそうなほどの無残な光景であった。その中を鼻歌交じりに歩くアノーマリーと、その後に続くライフレス。
「くっ・・・なんだ、これは」
「新型の魔王の実験場。薬物一本でどうにか生き物を魔王に変身させられないかと、苦心した過程だよ」
「また恐ろしい事を・・・待て、過程だと?」
「ああ、もう完成したよ。前回クルムスでも試したけど、あれからさらに進歩している。もう魔王の材料はそれほど必要ないよ、今まで材料集めご苦労様。これからは人間に一発薬を注射するだけでなんとかなるだろうから。
あー、正確に言うと材料はこれからも必要だけど、手間暇は明らかに減るね。ただ即席で魔王を誕生させると、これまでみたいな召喚は無理かなぁ。あれはちゃんと魔王と下僕を契約させないといけないからねぇ。まあその分は魔王の個体数で補えるかもしれないし。じゃあ捕まえたオークやゴブリンの連中はどうするかなぁ。奴らの餌代だって馬鹿にならないし・・・」
アノーマリーが何やらぶつぶつと不吉な事を喋り始めたので、さしものライフレスは徐々に不安になってきた。いかに必要だとされた事とは言え、アノーマリーの研究内容は自分達が想定したよりも遥かに不吉な方向に走っているのではないか。この事を、最近姿を見せないオーランゼブルは知っているのだろうかと、ライフレスは不安になって来た。
だが今はそれよりも。このおぞましい実験場で、一体ブランシェが何をされたかという事の方が重要だった。
「それで、俺の下僕はどこだ!?」
「あそこの台の上だよ」
アノーマリーが指す方向の台の上には、一人の女が裸で横たわっていた。体には色々な管の様な物がついているが、非常に美しい女だった。だがその容姿は・・・
ライフレスは自分の目を疑った。それは髪の白い、アルフィリースに瓜二つの女だったから。
「待て、これは誰だ?」
「ああ、原形はとどめてないけど間違いなく君のペットだよ。ブランシェだっけ? ボクも自分でびっくりしたんだけどね。あの子に魔王になる注射をしたら、こうなっちゃたのさ。一体どういう契機かはわからないけど、余程この姿に思い入れでもあったのかなぁ? その辺はぜひとも研究を・・・ダメ?」
「死にたいのか、貴様」
ライフレスがじろりとアノーマリーを睨んで炎を掌に形成したので、アノーマリーは精一杯の卑屈さで壁際に走り寄り、怯えて台の影に隠れてしまった。
そうしてライフレスがブランシェの近くによると、ブランシェが目を覚ます。目を覚ました彼女は体に色々な管がついているのが嫌なのか、思うように動かない体ながらも暴れ始めた。
「待て、今外してやる」
ブランシェの体の管をライフレスは手づから一つずつ外していく。腕、足、股間、胸と来て、最後に口の管をはずすと、ブランシェはげほげほと咳込んだ。
「大丈夫か」
ライフレスが声をかけたのは何の気ない事だったのだが、その返事は意外なものだった。
「ダ、ダイジョウブ・・・」
「何だと! ブランシェ、お前言葉を喋れるのか!? おい、アノーマリー!」
「は、はいっ」
人語で返事をしたブランシェに驚き、ライフレスはアノーマリーを怒鳴りつける。だが、彼もまた困惑していた。
「これはどういう事だ!?」
「だからボクにもよくわかんないって。だって、どうしてその姿になったのかすらもよくわからないんだから。とりあえず生かしておくのに必要な処置はしてたけど、管をはずすのも初めてなんだよぅ」
「ち、使えん奴め」
ライフレスは舌打ちをしながら、まだ朦朧とするブランシェに自分のマントをかけると、彼女を包んで抱きかかえた。
「ここは大人しく引き下がってやる。だが俺の下僕に何かおかしな点があれば、貴様をとびきり残酷な方法で殺してやる。覚えていろ」
「ボクが驚くくらい残酷な方法ってのも楽しみだけど、殺されるのはまっぴらだから、具合が悪くなったら先に相談してよ。出来る限りの事はするからさぁ」
「ふん、治せなかったら同様だ。覚えておけ」
「わかってますって、アフターサービスはボクにお任せ・・・ひゃあっ!」
軽口を叩こうとしたアノーマリーを、ライフレスの放った火球が襲う。もちろん警告程度の威力だが、台を軽く吹き飛ばすくらいの威力はあった。アノーマリーが慌てて抗議する。
「な、何すんだよ!」
「軽口はやめろ、下衆が。俺は貴様が嫌いだ」
「ちぇっ。わかりましたよ、おっしゃる通りにいたします」
「それでいい」
ライフレスが部屋を出て行く。そして転移でいなくなったのを察すると、アノーマリーは ぶつぶつと文句を言うのだった。
「全く。美人に仕立てたってのに、何がそんなに不満なんだか。よくわかんないな、やんごとなき人の考えは」
そう言いながら、アノーマリーはライフレスが放った火球によるぼやの後始末に追われるのだった。そして、その様子を見ていた者がもう一人。
続く
次回投稿は、2/5(日)18:00です。




