冬の訪れ、その17~繰り返される憎しみ~
「・・・・・・は?」
エルザは何を言われたのかわからないといった顔で、ミリアザールに聞き返す。
「ミリアザール様、今何と?」
「大司教ミナールが死んだ。後任は貴様だ、エルザ。年が明けて早いうちに正式な就任を公表する。準備をそれまでに・・・」
「じょ、冗談はやめてください!」
エルザが突然大きな声を出してミリアザールの言葉を遮る。エルザは困惑の表情を隠さず、ミリアザールは一層険しい顔になった。
「ミナール様ですよ? どれほど一大事でも表情一つ変えず、いつも淡々と仕事をしている。あの人がしくじったのを見たことがない。今回だって・・・」
「ふん、これでもか?」
ミリアザールが一通の手紙を放って寄越す。エルザはそれを手に取ると、開いて読んだ。そこには短く、
『後は任せた。工房を全て破壊しろ』
ただそれだけが血文字で書きなぐってあった。その手紙を見て、エルザは手がわなわなと震えていた。
「確かにタチの悪い男だが、それが演技に見えるか?」
「じゃあ・・・じゃあ」
「敵の方が上だった。それだけの事だ」
ミリアザールはわざと乱暴に、自分の椅子にどすんと腰掛けた。そして冷たく言い放つ。
「貴様もアルネリアの暗部に就く者。明日は我が身じゃ、心しておけ。そして貴様の後釜はまだ育っておらん。自分の命の重要性を理解しろ。貴様が死ねば路頭に迷う者、そしていらん犠牲者が出る事もな。理解したら下がってよい。後の事は追って伝える」
その言葉にエルザはふらふらとしながらも外に出ていった。エルザが出た後、ミリアザールが一言。
「ふん、こんな役目をワシにさせよって。本当にタチの悪い男よな、ミナールの奴め」
ミリアザールもまた机に伏し、手を組んだ上に額を乗せ、口惜しそうに唇を噛んでいるのだった。
***
ミリアザールの執務室を出たエルザはしばらくそこに呆然と立ち尽くしていた。そこにエルザを探してミランダが歩いてくる。
「あ、いたいた。エルザに相談したいことがあってさ」
「ミランダ様・・・」
そうして虚ろな目で振りかえったエルザに、ミランダがただ事でないと察する。
「エルザ、どうしたの!?」
ミランダの言葉に、エルザは黙って手に握りしめた手紙を差し出した。
「これ・・・」
「見せなさい!」
ミランダもひったくるようにその手紙を見たが、エルザの様子とその内容で事情を察したようだった。
「そうか、ミナールが死んだんだね?」
「やめて・・・やめてください!」
するとエルザが突然大きな声を出し始めた。
「ミランダ様までそんな冗談を言うんですか!? あの人が死ぬわけないじゃないですか! だってあの人は私なんか子ども扱いするくらい強くって、それで仕事も信じられないくらいできて、油断もないし、この上ないくらいに頭も回って・・・そりゃあ見てくれは大したことないですけど」
「待ちなさい、ここでは人が多いわ。こちらに来なさい!」
ミランダはエルザの手を取って、人気のない部屋にまで誘導した。そこでエルザの肩を強く握り、顔を無理矢理自分に向けさせる。
「ここならいいでしょう。確認するわ。ミナールは死んだのね?」
「いえ・・・いや、わかりません。ただこんな連絡を寄越してきたのは初めてで」
「言い方を変えるわ。彼は自分の仕事を、他人に押し付けるような人間?」
「いえ、それはありえません。あの人は自分の仕事は、きっちり自分で片付けますから・・・あ」
そこまで言ってエルザは自分で気がついたのか。ぽろぽろと涙を流し始めた。その彼女をミランダは優しく宥める。
「エルザ。あなた、ミナールが好きだったの?」
「わかりま・・・わかりません。随分と年は上だし、そんな誘いをかけてくれたことは今まで一度もなくて。私の心を確認する前にあの人は逝ってしまった。帰ったらお茶を一緒に飲もうと・・・変なの。あの人、私の入れたお茶はいつもまずいって言っていたのに。ああ、一度だけ褒めてくれたな。『まずいが、前よりマシになったな』って。相変わらずの無愛想で。でも、それがちょっと嬉しくて、私・・・」
「もういいわ。もう何も言わなくて・・・」
ミランダはそこまで言うと、エルザを抱きしめた。しばらくエルザはミランダの胸の中で震えていたが、やがてミランダの手を握る力が徐々に強くなってくる。
「・・・ない」
「何?」
「許さない、あいつら」
エルザの手に籠る力はますます強く、爪が食い込んだミランダの皮膚からは血が流れ始めていた。ミランダは顔をしかめながらも、エルザを咎めたり、突き放すような事はしなかった。その内、エルザが低い声で呪いの様な言葉を吐き始める。
「許さない、あいつら。ミナール様を殺した。一体残らず、塵一つ残さずこの世から消してやる。皆・・・皆、殺し尽くしてやる」
「そうね。でもエルザ・・・」
「ミランダ様もそう思うでしょう!?」
エルザがかっとミランダを見る。その目は血走っており、とても正常の判断をできそうな人間に見えなかった。狂人のごとき表情のエルザに、だがしかしミランダは怯むわけでもなく、
「そうね、私もそう思うわ」
「そうですよね? ならこうしてはいられない。一刻も早くあいつらを殺す準備を始めないと。私は今から大司教就任のための準備を始めます。これで失礼!」
それだけ言い残すと、エルザは走って部屋を出ていった。そして誰もいなくなった部屋で、ミランダは天を仰ぐように立ちつくした。
「イライザ、いるわね?」
「はい」
ミランダの問いかけに、部屋の外から返事がある。
「事情は聞いたわね?」
「先ほどミリアザール様から」
「ならいいわ。貴女はエルザについていなさい。あまりに暴走するようなら、殴り飛ばしてでもその行動を止めるように」
「よいのですか、このままエルザ様を放置して?」
「そうね・・・」
ミランダは少し口ごもる。ミランダもまた自分の過去を思い出していた。自分にも彼女と同じような時期があったのだ。その自分をして、エルザを止めることなど出来なかった。その結果が、たとえ悲惨なだけだとしても。
「休暇を与えたとして、エルザが泣き暮らして立ち直る種類の人間に見える?」
「いえ、そうではないかと」
「私も同じ意見よ。時には怒りや憎しみも生きる原動力になるわ。ただ過ぎたる怒りや憎しみは自分の身を滅ぼす。それだけ間違えなければ、彼女は大丈夫よ。彼女の止め役は・・・」
「私ということですね。正直、自信がないです」
イライザが珍しく弱音を吐いた。ミランダは心配そうに部屋の外、イライザがいるであろう方向を見る。
イライザは続けた。
「私にはエルザ様の怒りを理解するような経験もなく、また私自身が怒りで戦っている人間です。あの人の怒りに引っ張られてしまうのではないかと・・・」
「甘えるのはよしなさい。貴女はもうすぐ大司教付きの神殿騎士になるわ。その肩にはこれまでとは比べ物にならないくらいの重荷がのしかかる。そんな弱気では彼女の助け役はおろか、自分の役目すらまっとうできないわよ。彼女の前に立ちふさがる敵だけでなく、怒りや悲しみまで斬り伏せるつもりで臨みなさい」
「・・・わかりました。詮無き事を申しました」
「励みなさい。今以上にね」
「失礼します」
そうしてイライザの気配は去って行った。そしてミランダはそのまま語りかける。
「自分の事は棚に上げて、やっぱりアタシって嫌な女。楓、いるわね?」
「はい、ここに」
部屋の天井から楓の声がする。ミランダはそのままの姿勢で、
「エルザ達をこっそり見守りなさい。アタシの事はそれなりでいいから。多分彼女達には梓がついているだろうけど、少し重点的に見て欲しいわ。少なくとも、彼女が大司教に就任してから数カ月はね」
「了解しました。それよりミランダ様の体調は大丈夫で?」
「不死身のアタシの何を心配するってのよ。いいから行きなさい」
「ご命令とあれば。ただミランダ様もご自愛下さい」
そして楓の気配も消えた。だがその言葉にミランダは苦笑する。
「あの子ったら、一言多くなってきたわね。誰に似たのかしら。将来的にやっぱり梔子みたいに口うるさくなるのかしら?」
ミランダもまた部屋を出て自分の執務室へ向かう。ミランダもまた人の心配をしている場合ではないのだ。やる事は山ほどあるのだから。そして彼女の最優先は、アルフィリースの力になることだった。そう、必要があればオーランゼブルやライフレスすら退けるだけの戦力を、わずかな時間で整えなければならないのだ。
ミランダも自分の決意を確認し、再び執務室へと向かうのだった。
続く
次回投稿は2/4(土)19:00です。




