冬の訪れ、その1~平穏な日常~
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「まずい、まずい」
新しくできた傭兵団の建物の廊下をばたばたと走るのは、普段着のアルフィリース。首まである上質の羽毛作りの上着に、なめした革のズボン。冬用の出で立ちに加え、手には外出用の外套を持っている。その彼女があたふたと廊下を走っているのだ。
そして玄関ではなく、窓を開けて飛び出すアルフィリース。そして窓を閉めると、その場に尻もちをついて一息いれるのだった。
「何をしているのです、アルフィ?」
声をかけたのはラーナ。彼女はちょうど外で洗濯物を入れていたのだが、その帰りに団長らしからぬ、自分の根城から逃げるようにして出てきた彼女と遭遇したというわけだった。
そのラーナに向けて、アルフィリースは「しーっ!」と口に指を当て、声を出さないように促した。ほどなくしてつかつかという苛立ちを隠さない足音と共に、アルフィリースの頭の上の窓が再びバン! と開かれる。その瞬間アルフィリースは窓の下の壁に貼りつくような、なんとも不細工な姿勢を取るのだった。
「ラーナ、アルフィリースを見ませんでしたか!?」
苛々した声の主はエクラ。彼女はラーナに向かって、怒鳴るような態度でアルフィリースの行方を聞いた。
「いいえ。私は見ていませんよ?」
「くっ、あの大きな図体で逃げ脚だけは早いのだから! アルフィ、アルフィリース! どこですか!?」
対してラーナは柔らかい笑顔で返し、平然と嘘をついた。だがラーナの人物像を把握しきっていないエクラは、ラーナの言葉を信じてその場をあっさりと去って行った。窓の下では、アルフィリースが壁で潰れたカエルのような格好で青くなっている。
「アルフィ、もうエクラは行きましたよ」
「はーっ、助かったぁ」
アルフィリースが体の力を抜き、ずるずるとその場に崩れ落ちる。その彼女にラーナがしゃがみ込むように話しかけた。
「アルフィ、仕事をまたサボったのですか?」
「だって、しょうがないじゃん。エクラったら予想以上に優秀でさ、仕事がなくてもどこからともなく仕事を発掘してくるんだもん。ただでさえべグラードから来た騎士達の対応に追われているのに、片づけても片づけても、全然仕事にきりがなくて。それに『仕事が遅い!』とか、『間食し過ぎ!』とか本当に口うるさくてさぁ。あの子と同じ仕事場にしたのは失敗だったかなぁ」
「ふふふ、アルフィも苦労していますね」
「本当よ、これからちょっとミランダの所に行って気分転換してくるわ。そういえば他にもね・・・」
アルフィリースは余程鬱憤が溜まっていたのか、エクラに追われている事も忘れその場で愚痴をこぼし始めた。一方でアルフィリースの言い訳が可愛らしかったのか、ラーナはにこにこしながら彼女の愚痴を聞いていた。すると、そこにエクラが遠くから叫びながら走ってくるではないか。
「あっ! アルフィ、そこにいたのですね!?」
「げっ、見つかった! じゃあ後でね、ラーナ!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
エクラが追い、アルフィリースが走って逃げる。これはアルフィリースの傭兵団の名物と最近はなりつつあるが、大抵はエクラの勝利で終わる。エクラは勘が良くアルフィリースの逃げ先をだいたい把握しているし、仮にアルフィリースが逃げ切っても仕事の量が減るわけではないので、帰って来たアルフィリースは逃げる前と変わらぬ仕事の量に加え、エクラのお説教がついているだけというなんとも悲惨な状況なのであった。
最初は面喰った団員達もこのやりとりに慣れたのか、最近では指笛まで吹いて彼女達を冷やかす者もいた。何せ魔王の首を一刀で叩き落とす女傑が、自分の胸ほどの背しかない少女に一方的にやりこめられているのである。これほど面白い見世物もそうないだろうと、団員達は楽しんでいたのだった。
「待ちなさい、アルフィリース!」
「誰が待つか!」
「くっ、今日こそは・・・きゃあっ!」
全力で駆けようとエクラが足に力を入れた瞬間、エクラはずっこけてしまった。見れば足元には一部だけ地面が抉れたようになっている。
「なんでここだけ草がないの?」
「さあ、なんででしょうねぇ?」
もちろんラーナが魔術で一部の草を枯らし、芝生に段差を作ったからエクラがこけたのだが、この時のエクラはラーナがそのような事をできるとは知らない。笑顔で差し出されるラーナの手を、感謝しながら取るだけだった。
そしてエクラが打った鼻を押さえている横で、ラーナは小さくアルフィリースに向けて手を振るのだった。
***
「アルフィ、邪魔」
「うわーん!」
アルフィリースがべそをかきながら部屋を出ていく。ここは深緑宮の執務室。その場では梔子と楓がせっせと運んだ書類を、ミリアザールとミランダが必死で処理しているところだった。
「くそっ、なんでこんなに忙しいんだ!」
「ミナールに加え、ドライドがアルネリアを空けておるからな。ああ見えて、内部案件はほとんどミナールとドライドが片付けておったでな」
「そのドライドのハゲはどこに行った!?」
「そのハゲはアルネリア400周年祭の再調整をするため、各国と協議中じゃ。ワシはどっちでもええんじゃが、言い出しっぺはアルネリア教ということになっておるからのう。ワシらの都合で延期したものを、なし崩し的に無しにするのは体裁が悪いとの事じゃ」
「なんだってそんなめんどくさい事を・・・」
ミランダがぶつぶつと文句を言いながら高速で書類に目を通しし、次々と判を押して行く。
「マナディルは? あいつはほとんどアルネリアにいるだろう?」
「そうじゃが、奴には後進の教育を主に任せておるからな。グローリアも神殿騎士団も、表面上はマナディルの管轄じゃ。それがアルネリアの襲撃やらグローリアでの魔獣騒動で、奴も管理能力を突きあげられておるんじゃよ。その後始末も兼ねて、最近ではあっちに出ずっぱりじゃ」
「自分の不手際じゃねぇか」
「そう言うな。ああ見えて奴に落ち度はまずないよ。どちらも相手が上手じゃったのじゃ」
ミリアザールがマナディルをかばう発言をするが、ミランダはそれどころではなかった。ただでさえ一つの部門を任されてアルフィリースの所に遊びに行く時間すら取れないのに、協会の他の書類仕事まで手伝わされてしまい、やりたい事の半分もできていない状況がミランダは続いていた。
だから先ほどアルフィリースが遊びに来た時も、内心では彼女を非常に歓迎しながら、アルフィリースが「仕事をサボってきちゃった」などとお気楽な事を言ったせいで、彼女の堪忍袋の緒が切れたのであった。アルフィリースも非常に間が悪いと言わざるをえない。
そして書類があらかた片付く頃には、既に陽は天高く。ミリアザールとミランダの髪は汗やらなんやらで乱れ切っていた。
「お、終わってないけど休憩しない?」
「そ、そうじゃのう」
「では小休止としましょうか」
そう言いながら梔子が指を鳴らすと、楓が簡単な食事とお茶を持って入って来た。なぜか今日に限って梔子は優しい。普段は厠に行くことすらまともに許可してくれないのに、ミリアザールはやや訝しむ。だがそんなことよりとにかく疲れ切っていた二人は書類を一度避け、簡単な食事をむさぼるように食べた。そしてお茶を啜りながら、やっと人心地がついていた。
続く
次回投稿は、1/12(木)20:00です。




