侵攻、その1~突然の襲来~
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「モルドレッド、ガラハッド。状況を報告してぇん」
「イエス、マドモアゼル。敵軍の戦力はおよそ7割が減少。間もなく全て鎮静化するかと。殲滅まではもはや時間の問題です」
「ただ敵の首魁とその周囲を固める部隊はそこそこの実力でして、しばし拮抗しております。突破には多少時間を頂くことになるかと」
「えぇ~。そんなんじゃマリア、拗ねちゃうぞ?」
山と積まれた鬼族の死骸の上で優雅に座り、場違いなほどはしゃぐのはブラディマリア。傍に控えるのは彼女の執事と呼ばれる腹心達である。その中のモルドレッドとガラハッドが現状報告のために彼女の元に前線から帰還したわけだが、彼らは背中に冷や汗をびっしょりとかいていた。なぜなら、彼らの主人の機嫌が口調ほどに良くない事を知っているからである。
東の大陸に住まう鬼族へ、黒の魔術士達の侵攻作戦が始まってから7日。ブラディマリアは自分の受け持ちである敵の本拠地に到達していたのだった。ブラディマリア達は頭数も多いため、同時に進行したティタニア、ドラグレオとは別に鬼族の最大勢力をといわれる種族を担当したわけだが、これが思ったより手強い連中だった。侵攻に時間がかかったせいで当初の目的だった殲滅はもはや不可能に近くなり、なんとか敵の首魁を追い詰めはしたものの、ここで2日近く時間を取られているのである。
もっとも、この本拠地に立て籠る鬼族はざっと10万ほどであり、その半分を既に殲滅しているだけでも凄まじい戦果に違いない。しかもそれらの出来事を、ブラディマリア達はその手勢のほぼ300人でやっているのである。鬼族にしたらたまったものではないだろう。
それでもブラディマリアの機嫌は直らない。他の場所ではとっくにティタニアもドラグレオも仕事を終えたとの報告が入っており、残すはここだけなのである。自分達こそが一番の武力の持ち主と自負していたブラディマリアは、体面を潰された格好になっていた。昨日は迂闊にも彼女に意見した執事が、首をその場でねじ切られた。以降、執事達は彼女の命令に忠実に従い、無謀とも思える突貫を繰り返さざるをえない状況に陥っていた。そのおかげで執事たちにもいくらかの損害が出ていたので、なおさらブラディマリアの機嫌は悪いと言う寸法だった。
その状況にひやひやしながら戦う執事達だったが、モルドレッドとガラハッドが報告を終えた途端、彼女は自分を扇いでいた扇子を閉じ、その場を立った。
「時間切れね、前線の執事達を撤退させて」
「は? しかしそれでは・・・」
「わからないのぉ? 巻き添えを食らうって言ってるのよぅ」
ブラディマリアが前線を見ながら口惜しそうな表情を浮かべる。
「仕事を終えたティタニアとドラグレオが乗り込んできたわ。もう奴らは全滅よ」
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「一体、何が起きた・・・」
燃え盛る業火、崩れ落ちた岩壁、原形を留めぬ仲間であったもの。その中に一人佇むのは、名を黄剛という見事な体躯を誇る鬼族の戦士であった。いや、見事な体躯を誇っていたというべきか。左腕が無ければ、見事というのはやや憚られる。
だがその戦士が強いのは誰が見ても明らかだった。たとえ片腕であろうと、人の胴周りほどもある鍛え上げられた腕。殴れば鎧を付けた人間を三人まとめてへしゃげさせ、その体はいかな名刀も通さないと言われた鋼の体を誇る鬼。彼もまた鍛え上げた自分の体そのものが、何にも勝る武器だと信じていた。目の前にとても長い黒髪の女と、鬼よりも鬼らしい大男が現れるまでは。
その鬼族達は宴をしていた。最近、長らく争ってきた鬼族を一つ滅ぼしたのだ。彼ら、『千弦の谷の一族』は、人間などまるで恐れない。人間よりも、鬼族の中でどのような位置にあるかこそに彼らの興味は注がれた。そのために彼らは自らを鍛え上げ、富を蓄え、武器を磨き、常に戦の体勢を取っていた。勝つためとあらば、人間との取引も厭わなかった。それだけ彼らは『強さ』というものに貪欲だったといえる。
その中でも一際目立つ剛の者達。明らかに他の者達より大柄な彼らは『真鬼』と呼ばれ、戦士として崇め奉られる存在であった。彼らもまた先代の真鬼達に憧れ、自らを鍛えたからこその真鬼である。この種族の鬼達には他の鬼族には無い、『尊敬』という概念があった。特に彼らの尊敬を集めたのは王。真鬼達が束になっても敵わぬ王は、絶対的な存在として彼らの信頼を一身に受けていた。
そんな彼らは長きに渡り戦力を徐々に伸ばし、ついに長らく続く因縁の鬼族との戦いに終止符を打ったのだった。一族の歴史上最高の戦士達を抱える彼らは、いずれ自分達が鬼族の世界を統一するだろうと信じて疑わなかった。そして彼らはこれから先の輝ける自分達の将来を肴に、敵を滅ぼした場所でその精鋭部隊は酒盛りをしていた。だがそんな宴もたけなわの折、彼らの本拠地で異変が起こった。彼らの本拠地近くの出城の一つが潰れたとの報告を受けたのである。
それは新たな敵の来襲を告げていた。彼らは先ほどまで浴びるように飲んでいた酒を一瞬で体内から追い出すと、風を巻いて走り、城に戻った。いかに主力がいないといえど、そうそう簡単に落ちる城ではない。そんな考えが彼らの中にあったが、彼らはそれでも全力で戻ったのだった。戦闘において油断という言葉は、彼らの一族には存在しなかった。
だが彼らが戻って来た時、城壁は打ち壊され、既に半数近い防衛を任された鬼が死んでいた。その現状に驚いた彼らだが、帰還して生き残りを集め、すぐに軍を再編成。改めて戦局を打開すべく出陣した。敵の数の少なさにまず驚いた彼らだったが、状況を冷静に分析。少しずつ適切な対応を始めていった。現に彼らが帰って来てからは、戦局は持ち直し始めていたのである。
そうしてさらに攻勢をかけようとした瞬間、先頭を行く真鬼の首から上が消えた。比較的後ろにいた黄剛はその様子に気付くことができたが、彼が反射的に頭の前に置いた左腕はあっけなく斬り飛ばされた。彼と共に数十年の鍛錬を乗り越えた左腕が、である。彼の後ろにいた者は彼の左腕のおかげで無事だったが、彼の左右に展開していた者はほとんど命がなかったのである。
「な、なんだと?」
黄剛の驚きも無理はない。先ほどまで相手にしていた連中は確かに見た事もないくらい強かったが、それでもまだ倒す方法はあった。自分達がきちんと陣形を組んで対応すればなんとかなると思ったのだ。だが、その強敵を倒すために組んだ陣形が全く無駄になる一撃。黄剛は失われた左腕も忘れ、この一撃を放った者の正体を見極めようとした。
そして彼の目に移ったのは、一人の可憐な女性。鬼である彼らは戦利品としての人間の女に興味はあるが、また同時に食料ともなりうる人間に同等の恋愛感情や、ましてや美意識などを抱く事はない。加えてこの黄剛は自己の鍛錬以外に興味を持った事のない鬼である。その彼をもってして、思わずため息をつかせるほどの美貌。それ以上の鍛錬を積んだことのわかる威圧感。
その女が黒と黄金の大剣を二つ携え、こちらに悠然と歩いて来るのだった。もちろん、足元に横たわる鬼の死体を踏みにじりながら。
「さすがに上位の鬼ともなれば、木の葉の様にはいきませんね」
女性がゆっくりと口を開く。その言葉に鬼達ははっとし、彼女を一斉に取り巻いた。だがここで彼らが飛びかからなかったのは、鬼達とても恐怖と得体の知れなさを彼女に感じたからか。
女を取り囲み見守るだけの彼らであったが、黄剛だけが前に一歩踏み出した。既に左腕を失った事は、頭の中からなくなっていた。それほど、目の前の女の正体が気にかかったのである。
「女、貴様は何者だ? 先ほどの一撃は貴様か?」
「後の問いから先に答えましょう。まぎれもなく私がやったことです」
女の答えに鬼達がざわつく。さしもかれらも、目の前の華奢な女性が先ほどの様な一撃を放てるとは思っていなかったのだ。いや、直感で彼女の強さを感じとる者はいても、目の前の光景は信じられないものだった。
さらに女は語る。
「先の問いにも答えましょう。我が名はティタニア、ただの剣士です。それ以上も以下もない。ただ私を倒した者には、これ以上ないほどの栄誉が名実共に贈られることでしょう」
「戯言を。考えれば貴様が何者かは関係ない。少なくとも戦場にあらわれた以上、我らが貴様を生かして返すと思うのか?」
「気持ちだけでは何もできません。実力の伴わぬ脅し文句など、惨めなだけです」
「何ぃ?」
黄剛がティタニアに掴みかかろうとしたその刹那。彼女を包囲していた鬼達の一部が吹き飛んだ。と、共に聞こえてきたのは、男の豪快な笑い声。
「ばーははははっはぁ! 強い奴はどこだぁ!」
「今度は何だ?」
「まったく、相も変わらず騒がしいですね・・・」
事態の変化に戸惑う黄剛と鬼達に、ため息をつくティタニア。そして吼えるのは、もちろんドラグレオ。
「おお、ティタニア! ここにいたか!」
「いて悪いですか」
「いや、いや。まったく悪くないぞ! ガハハハハ!」
「なぜそこで笑うのでしょう。まったく、訳のわからぬ人ですね」
まさに美女と野獣といった様相の二人のやりとりを、鬼達は大人しく聞いていた。一見他愛のない話をしているように見えるが、それでも彼らの圧力は鬼達をその場にとどめるのに十分であった。それが彼らの死を先延ばしにするだけという結果を、彼らが勘づいていたとしても。
そしてティタニアの鋭い目線と、ドラグレオの貪欲な目線が、同時に鬼達に向けられる。
続く
次回投稿は、12/19(月)10:00です。




