深くに住まう者達、その4~邂逅①~
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「・・・ここは?」
一瞬目の前が光に包まれたかと錯覚したアルフィリースが目を開けると、そこは庭園の中心だった。目の前には白い上品なクロスのかけられたテーブルがあり、椅子が2つ向かい合って置かれている。周囲には色とりどりの花が咲き誇り、噴水は水を柔らかに噴き上げ、鳥の鳴き声もゆたかに聞こえる。冬も近いと言うのに、なんともそこはのどかな場所だった。
「どうぞ、こちらへ」
「・・・」
少年がアルフィリースをエスコートするように椅子を引き促したが、アルフィリースは警戒心も露わにその誘いを断った。その様子を見て少年はため息をつき、自分が先に席に着いた。
「ふむ、エスコートの方法を間違えたか? 現代ではこのような方法が主流とは聞いたが」
「そういうわけじゃないわ。ただ・・・」
「ああ、そういうことか。心配するな、別に取って喰いやしない。そのつもりならとっくにそうしている」
「・・・それもそうね。あんな芸当ができる人なんだから。さっきのはまさか時間を止めたの?」
「御名答」
やや諦め気味に席に着いたアルフィリースに、少年が平然と答えて見せた。
「種明かしをするとだな、一定範囲空間の時を止め、同時に周辺部へ認識阻害の魔術をかける。これで中の人間は時が止まり、かつ外からはその事を認識されない。時間が停止した空間へ侵入した者は同時に時が止まるし、正確に時間を知るすべがなければ、わずかな時間時を止めた事にもまず気づかれないさ」
「とても簡単に話しているけど、『非常に難しい』なんてレベルの話じゃないわ。そんな事は理論上は可能でも、実際にはできないと私は思っていた。完全に魔法の領域なんじゃないの?」
「そうでもない。魔術を極めていけば、やがてできるようになる。理論上は可能なことなのだからな。それに魔法などという概念は、時間と共に変わりゆくものだ。今では魔法と呼ばれるものも、百年後には当たり前のように一般人が使うかもしれない。時間の流れとはそのようなものだろう」
「言うわね。あなた何者? 先ほども聞いたけど、無駄だとわかってもやはり答えて欲しいわね。そうでなければ、私と話すのにも失礼だと思わない?」
アルフィリースが珍しく不満を口にした。あるいは不安だったのかもしれない。だがテーブルに備え付けられた酒を注ぐ少年は、歯切れの悪い答えを返した。
「何者か、ね・・・それは私も知りたいところなんだが」
「? どういうこと?」
「こっちの話だ。とにかく私は自分の名前も持たない者だ。だからその程度の扱いで良い。これを最後に、お前とは一生会わない可能性もあるのだから」
「ちょっと。人を無理矢理連れ出しといて、その言い草は何? あなた、私を馬鹿にしてるの?」
「いや、そんなことは」
「いーえ、してるわ!」
今度はアルフィリースが怒り始めた。その態度に少年は少し困ったような顔をする。
「なぜ怒る? たしかに突然転移でこんな場所に連れ出したのは、不躾であるとは思うが」
「そこじゃないわ。貴方に名前もないのは不憫だし、不便だと思っているの! 貴方が名乗らないなら、私が名前をつけちゃうわよ?」
「ほう、それは面白い。どんな名前にするんだ?」
「じゃあ、ポチとかどう?」
そう言うアルフィリースは、なぜだか表情が生き生きとしていた。だが対照的に少年の顔はどんどん冷めて行く。元々無表情だからあまり変わったようには見えなかったかもしれないが。
「特に名前にこだわりなどないが・・・その名前は御免こうむるな」
「なんでよ、名乗らないんだから何でもいいじゃない」
「その名前は、東の諸国で家畜につけられる一般的な名前じゃないのか? さすがに家畜と同列なのは冗談にしても、タチが悪い。それにアノーマリーの悪趣味な下僕と同じ名前はさすがに好かんよ」
「? よくわかんないけど、嫌なのね」
「当たり前だ。人の名付け親になるのなら、もっと真面目に考えろ」
少年がやや不機嫌な顔をしたので、アルフィリースは少年が無感情なわけではないと考え、少しほっとした。もちろんアルフィリースは、わざと少年を怒らせる方向に話をもっていったのである。無表情では少年の背景が一切読めない。ただでさえ得体の知れぬ相手にどこともわからない場所に連れてこられたのだから、せめて相手の性格くらい把握したいとアルフィリースは思ったのだ。
それでも少年のことはよくわからないものの、少なくとも話の成立しそうな相手であることはわかった。だからアルフィリースとしては真面目に彼の名前を考えているわけだが、彼の姿を見てふと心に浮かんだ言葉がある。どこから来たのか、どういう意味を持つのかアルフィリースは知らない。だが、その名前が自然と心に浮かんだのだった。アルフィリースは言うべきかどうか躊躇ったが、これ以上待たせるとそれはそれで相手を怒らせそうなので、素直に口に出してみる事にした。
「・・・ドラシル」
「何?」
「ユグドラシルなんてどうかな? ふっと心に浮かんだのだけど」
アルフィリースが躊躇いがちに言った名前に、少年の目が仰天したように見開かれていた。その様子に慌てるアルフィリース。
「き、気に入らなかった!?」
「いや、そうではない・・・そうではないんだ・・・」
少年は目を伏せ、唇を噛みしめているようだった。しばらく沈黙が二人の間に流れただろうか。アルフィリースには少年の心情を理解するべくもなく、少年は何かの感慨に浸っているようだった。アルフィリースにしてみればあまり気分の良い時間ではなかったが、少年は何かの答えを出したかのように顔を挙げた。
「済まない、少し驚いただけだ。だがその名前で良い。それにしよう」
「いいの? じゃあユグドって呼ぶね?」
「なぜ省略する?」
「だって、呼びにくいじゃない」
全く悪びれもなく言い放つアルフィリースに、ユグドラシルは少しため息をついた。
「やれやれ・・・自由な娘だ」
「駄目?」
「いや、それでいい。だからこそ良いのだ」
「? 褒められてるのかな」
「まあな」
少年は目の前の酒を飲みながら答えた。その表情にはどこか満足そうな笑みがある。少年はグラスの酒を飲み干すと、今度はいつの間に召喚したのか、水で構成された手だけの使い魔に注がせながらアルフィリースに向き直る。
続く
次回投稿は12/11(日)10:00です。




