伝わる思い、伝えられない思い、その29~アルドリュースの手記よりその⑮~
緑が芽吹く月の2日目
私は昨夜、夢を見た。夢に出てきたのは、漆黒の長い髪のアルフィリース。今よりもさらに成長し、彼女は美しい女性に育っていた。その輝きはますますもって磨かれ、私は彼女を見るに耐えられなかった。ふと自分の姿を見ると、醜く黒ずんでいるではないか。私は自分の醜さに辟易し彼女から遠ざかろうとするが、彼女は私の前に回り込むと、優しくこう告げたのだ。
「あなたに、感謝を」
アルフィリースは私を抱きしめると、不思議と私の心は穏やかになった。これほど穏やかな気持ちになったのは、生まれて初めてかもしれない。私の心を満たす物とは、一体何なのだろうか。続けてアルフィリースは告げる。
「あなたのおかげで運命は変わります」
「何? それはどういう・・・」
「あなたの運命は変わらないかもしれない。でも・・・」
アルフィリースの言葉は途中までしか聞こえず、私はその事を考える前に、十全の満足感に深い眠りについたのだった。
目が覚めれば、目の前には穏やかに眠るアルフィリース。彼女はもともと寝坊助なので、いつも私の方が早起きである。婚前の娘が寝顔を男に晒すのはいかがなものかと私は口うるさく彼女に注意したのだが、彼女は一向に聞き入れなかった。こういうところだけは妙に頑固だが、一体に誰に似たのやら。
そして私は昨夜の満足感を思いだせず、逆に寂寥感に捕らわれていた。充実感があった事だけは覚えている。だがその感覚がない。なんとも皮肉なものかと、私は自嘲した。それならいっそ、幸福などないものだと思えれば良かったのにと、私は運命を呪ったのだった。
それからしばらくして目を覚ましたアルフィリースは、昨夜のことなど何も覚えておらぬようだった。彼女のお気楽さに少し不安と不満を覚えつつも心のどこかで安堵する私に、反吐が出る思いだった。
緑が芽吹く月の9日目
明らかに体調がおかしくなった。朝食を食べる気が起きなかったのだが、その後私は激しい吐血をした。慌ててアルフィリースが駆け寄るが、私は彼女を制した。万一感染する類いのものだったら困るのだ。私は彼女にグウェンドルフの元に行くよう告げ、その間に彼女に手紙をしたためた。遺書である。
また他の何人かにも手紙をしたためた。これから先アルフィリースの歩く道が輝けるものであるように。私の力がどこまで彼女を守ってやれるか、非常に不安だった。外の世界に出れば、危険も多数待ち受ける。呪印を使う必要性に迫られる時もあるだろう。その時彼女はどうするだろうか。彼女の周りは? 彼女を支える事のできる者は? 不安は尽きない。
娘を送り出す親はきっとこのような気持なのだろうと私は想像すると、ふっと笑みがこぼれた。そうこうするうちにアルフィリースが戻ってくるようだ。この手記も書けて後1~2回だろう。その後は、トリュフォンにでも送ってやるかな。彼が一番無害そうだ。それに正しい判断もできるだろう。それに私の理論の一端も語ったことだし、真竜であれば呪印の調整もできるかもしれない。少なくとも知恵は貸せるだろう。さて、アルフィリースの前では、最後まで師匠らしくあらねばな。子どもを育てるのは大変だ。
緑が芽吹く月の13日目
アルフィリースと二人で月を見た。この世界には青と白の二つの月があるが、そのどちらも私は好きではなかった。満ち欠けをする白い月はうつろうこの世界の様で憎たらしく、常に見える青い月は変わらぬ私の性癖の様で見るに耐えなかった。だが今日だけは違った。アルフィリースと二人で見る月はとても美しかった。私は思ったよりも、世界も自分も嫌いではなくなったのかもしれない。なぜなら、これほど素晴らしい娘が私に微笑みかけてくれるのだから。
この手記を書くのも最後だろう。もう筆を取るのもつらい。あるいはこのまま床に入れば、そのまま目覚めぬかもしれぬ。だがそれでいい。私には出来過ぎた人生だ。全てを手に入れる事は敵わなかったが、私にはこの娘だけで十分だ。彼女は私がいなくなればこの土地を離れ、自由に羽ばたくだろう。その事を考えるのが楽しくてしょうがない。アルフィリースはどのような人生を歩むだろうか。せめて彼女が幸せであってくれればいいと思う。そうだ、今度生まれてきたら人を幸せにする魔術の研究をしよう。そうするのも、きっと悪くない・・・』
手記はここで途切れていた。おそらくここで力尽きたのだろう。トリュフォンはここで手記を閉じ、その本を自らの手で封印した。この手記にはアルフィリースが知らなくてもいいことが沢山ある。全てを知る必要はないだろうと、トリュフォンは判断した。それに、もう十分にアルドリュースが伝えたい事はアルフィリースに伝わっているはずだ。なぜなら、
「アルフィリースは良い娘に育っているじゃねぇか。友達も多そうだったしな」
トリュフォンはアルフィリースが連れていた仲間達の様子を思い出す。良い空気を纏った仲間に囲まれていると、トリュフォンは思ったのだった。
心配事があるとすれば、一つだけ。その時、彼の部屋に小鳥の様な者が飛び込んできた。
「ご主人様、ご主人様ー!」
「おう、ピー助。調べてきたか?」
「ちゃんと『ピートフロート』って呼んでくださいよう」
「お前名前が長いんだよ。ピー助で十分だ」
「うう、こんなのがご主人様だなんて、あんまりだ。しくしく」
トリュフォンの前でめそめそし始めたのは、ユーティと同じく妖精であった。彼は随分と前からトリュフォンに使える妖精であるのだが、さる妖精の里から彼に定期的に奉公に出る妖精である。真竜に仕える妖精ともなると本来は非常に名誉なことなのだが、トリュフォンはぐうたら過ぎて嫌がられていた。彼は自然とはほとんど触れあわず、人間の中で暮らしているからだ。人間の中で暮らす事は、妖精にとって自分達の修行になるとは全く考えられていなかった。ちなみに、誰をトリュフォンの元に奉公に出すかはくじで決められているとかいないとか。
まあそんなピートフロートであるから、常にいやいや彼の命令に従っているのだが、真竜に仕えてその恩恵を受けているだけあって、かなり優秀な妖精であることに違いはない。本人に全く自覚はないのだが。その彼にトリュフォンが聞く。彼にはアルフィリースが自分の元に来てから気になっていることがある。
「で、どうだ? 街の外にいるのは何者だ? こっからでも魔力の気配が伝わってくるんだが。巧妙に隠しているから普通の連中じゃ気づかんだろうが、俺はごまかせん。現在こんな魔力の存在がいるとは、俺は聞いたことがない。大魔王以上の魔力の持ち主じゃないのか?」
「ご主人様の言う通り、外には確かに強い気配の持ち主がいました。近くに寄ると気取られそうだったので、私も遠目に見ただけですが。その傍にはまたしても魔王級の者がいます。見た目は髑髏のようでした。後は魔獣が一匹。私が見たのはそれだけです」
「ふーむ、オーランがアルフィリースにつけた監視というところか。だが娘一人にこれだけの監視を付けるとはな。それだけアルフィリースを重要視していると言う事か」
一瞬考えた後、トリュフォンが膝をぱんと叩く。
「よし、そいつに会ってみるか!」
「ええ? そんな強い奴に会ってご主人様は大丈夫ですか?」
「任せろ、逃げ脚には自信がある!」
「な、なんて情けないお言葉・・・」
ピートフロートはがっくりしながらも、外に意気揚々と出て行くトリュフォンに続くのだった。
続く
次回より新しい場面です。次回投稿は12/3(土)11:00です。




