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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第二章~手を取り合う者達~
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伝わる思い、伝えられない思い、その28~アルドリュースの手記よりその⑭~

 だが、彼の手記はそこから段々と狂人のそれへと変貌を遂げている。表向きは変わらない。だが、明らかにアルドリュースはおかしくなりかけていた。あるいは何かの病魔に蝕まれていたのかもしれない。アルドリュースはそれを悟り、自分がおかしくなりそうな時は、適当に口実をつけて家を離れていた。

 アルフィリースの方はといえば、そのような事には気付いていなかったのか。きっと鈍いのではなく、アルドリュースを絶対的なものと信じ切っていたのだろう。アルフィリースには、実はある程度の当時の記憶が戻っていた。自分が暴れた事もだいたい覚えているし、自分を魔術協会に売ったのも実の親だと知っている。

 もちろん全てではなかったし、特にアルドリュースとの出会いの場面などは、彼の口から聞いて初めて知ったくらいだった。ただ一方的にやられて気絶させられた事だけは覚えているようで、その事をアルドリュースが問い詰められて困っていた記述が残っている。だが、だからこそ彼女はより一層の信頼をアルドリュースに置いていた。そのアルフィリースにとって、アルドリュースの死はその訪れを感じつつも、認めたくない事実というところだったのだろう。

 そんな事だから、徐々に二人の生活は綻びを見せ始めていた。いや、人間の生活だからこそ、やがて訪れるべき変化だったのだろう。アルフィリースはそもそも、生まれてから死ぬまで一所に留まるほど、大人しい気質でもなかったのだから。

 そして時はアルフィリースが16歳になった春の事。アルフィリースの成人の祝いを済ませた後、アルドリュースは寿命が近い事をアルフィリースに告げた。その言葉を可能な限り淡々とアルドリュースは語り、アルフィリースは可能な限り無表情でそれを聞いた。だからこそ、彼女達の生活は終わりを迎えようとしていたのかもしれない。そのことに互いに気が付いた時、アルドリュースは正常な判断を失くしかけていた。


『緑が芽吹く月の1日目


 季節は記した通りだが、運命という奴はとことん皮肉にできているらしい。私はもう半月と持つまい。だが時期は今日をもって緑が芽吹く月へと入った。一年で最も生命の躍動に大地が満ち溢れるこの月に、私の命が失われるとはなんとも憎らしいではないか。運命は私の事が嫌いなのだろう。どうあっても大地や精霊に祝福を受ける事ができぬ人間らしい。

 私の頭がまともに働くうちに、この記述を残しておきたい。最初は書くべきか躊躇われたが、ここにだけは素直に全てを記したいと思った。でなければ、手記の意味が無い。自分にまで嘘を付くようになっては、生きた意味さえ失うだろう。

 ところで、私は先ほどまで何をしようとしてたのだろうか。私はここにおいて、死にたくないと本気で考えてしまった。あれほどシュテルヴェーゼの元ではその血を受けて不老を得るのを嫌がったのに、今になって死にたくなくなるとは、なんとも愚かしくあさましい。

 だが今さらシュテルヴェーゼを頼るわけにもいかず。彼女は今もピレボスの山頂でこの大地を見下ろしているのだろう。私の事も見ているだろうか。だが彼女が私のために山を降りる事はあるまい。あれはそのような女だ。彼女が山を降りるとしたら、この大陸の運命が動く時だけだ。

 だから私は自分が生きるのは諦めた。もはやこの体では再生なぞ望むべくもない。だからこそ、先ほどまで私は恐ろしい妄執に捕らわれていた。私はもっとも手っ取り早い方法を取ろうとしていた。目の前には年頃の女。私は事もあろうに、娘のように育てたアルフィリースの中に私の生きた証を残そうとしたのだ。なんとも下衆な思考回路と欲望ではないか。

 実際に私はアルフィリースの夕餉ゆうげに睡眠薬を仕込んだ。ある程度毒薬の知識も彼女には仕込んであるのだが、私の事を疑いもしない彼女は何のためらいもなく食事を口にした。そして、私の目の前に無防備な寝姿を晒したのだ。

 私は明りを消すと、彼女の衣服に手をかけた。明りなどどうせ誰もいないのだから消さなくてもよかったのだが、私の後ろ暗さがそうさせたのか。だがそんな後ろ暗さもすぐに吹き飛ぶほど、アルフィリースに触れた私は心が高揚した。

 それは男性としての興奮だけではあるまい。確かにアルフィリースは美しく豊満な体の持ち主になろうとしているが、私は美しい女などターラムで山のように抱いたし、ミューゼと比べれば美麗さではアルフィリースはいまだ遠く及ばない。もっともミューゼには手を出していないが、あれは観賞用として、それはそれで私は満足していたのだ。どうにも肉体的な快楽よりも、私はやはり「閉じ込める」といった精神的な充足感を求める性質らしい。その私がアルフィリースを求めようとするのは、私が彼女を毒牙にかけることで、永久に彼女が私から離れられなくなる事を本能的に知っているからだろう。私はアルフィリースの衣服をはだけた。

 アルフィリースの肌が露わになったところで、ふと私の手はとまった。月の光に、アルフィリースの頬につたうものが反射したのだ。まさか意識があるのだろうか。それ以上に私には急に罪悪感が首をもたげていた。

 そのまま一刻も私は止まっていただろうか。月の光は変わらず差しこんでいたから、実際には一瞬だったのかもしれない。要はそれだけ長く感じたということだ。私はアルフィリースの衣服を元に戻し、寝床にきちんと寝かせてやった。その時である、アルフィリースがぱちりと目を覚ましたのは。その闇色の瞳が、ぎょろりとこちらを向く。私はその瞳を反射的に睨み返した。それは、昔見た覚えのある目だった。思わず私は息を飲んで話しかけた。


「久しぶりだな」

「あら、よくわかったわね」

「アルフィリースはそのような目をしないよ」

「『私の』が抜けていない?」

「その言葉を付けては、私という人間は終わりだな」


 私の答えに、アルフィリースを語る誰かはニヤリと笑った。


「よくわかっているじゃない。確かに色んな意味で終わりよね」

「ああ。老婆の言葉の意味が今、なんとなくわかった気がする。私は欲望に負けなかった。どうやら私は人間になれたようだな」

「人間は人間でも、実に下衆な人間だけどね。そのまま欲望に負けてくれれば話は早かったのに」

「どういう意味だ?」

「さあ?」


 アルフィリースらしき何かは陰険な笑みを浮かべた。その卑猥な口が動く。


「下衆ならいっそ、魔王の方がよかったのではなくて?」

「それも一興なのは認めるがな。だが、それ以上に私は安心しているのだよ」

「へえ?」


 挑戦的な笑みを浮かべる何者かに対し、私は穏やかに答えた。


「こんな下衆な私でも、大切に思い、守りたいと思える人間に出会う事ができた。それだけでも、私はもう満足だ」

「本当に? 嘘はいけないわねぇ」


 私の答えを小馬鹿にするように、アルフィリースの姿の者は笑う。


「なぜ嘘だと?」

「確かにあなたの言葉には真実がある。神という地位にすら満足できない自分に気が付き、地位や名誉、力以外に自分の幸福があることに気付いた。そこまではいいわぁ。でもね、それでもあなたは一度なりともそういった力に魅かれた者なのよ。そして手に入れるだけの努力が出来てしまう人。つまり、この上なく貪欲で、あさましく、愚かしいのよ。それはあなたの性癖も含めてね」

「・・・何が言いたい?」


 多少困惑する私に、その者は語る。


「もっと自分を知りなさいってことよ。あなたは今のままではやはり満足できないわ、きっとね」

「そんな! そんなことは」

「答えはすぐ出る。でも、あるいは・・・」


 女は何事かを呟こうとして、やはりすぐ止めた。私は聞きだそうと考えたが、彼女は意識が段々と霧散していくのか、その存在感が希薄になりかけていた。どうやら自由に顕現できるわけではないのだろう。あるいは無理をして出てきたのかもしれない。ならば無理をしてまで、何を私に伝えたいのか。私の胸にそんな疑問がよぎるが、私はついにその答えを聞く事はできなかった。

 そしてアルフィリースは再び眠りについた。私はその寝顔をただ見つめることしかできなかった。


続く

次回投稿は、12/1(木)11:00です。

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