伝わる思い、伝えられない思い、その27~アルドリュースの手記よりその⑬~
緑が芽吹く月の39日目
今日目覚めるとアルフィリースが見当たらなかったわけだが、どこに行ったのかと探してみると、なんと竜の頭の上で遊んでいた。恐れを知らない娘だとは思っていたが、これはあまりに恐れ知らずだ。さすがに竜族ともなると、相手によっては私の力は及ばない。本来なら慎重に私は様子を探る所だが、相手はとうに私の存在に気が付いており、私は逃げ出せない事を悟った。幸いにも相手は非常に知性の高い竜であり、アルフィリースや私に害意のある相手ではなかった。
そして彼の竜と話すと、驚いたことに真竜の長グウェンドルフだと言うではないか。つくづく私は竜という者に縁がある。トリュフォンといい、シュテルヴェーゼといい・・・これこそ運命というのだろう。運命は一体私に何をさせようというのか。一生涯で3頭もの知恵ある竜に出会う者などそうはいまい。運命を切り開くものと思っていた私も、より強大な何かの御手の存在を感じずにはいられなかった。
陽の月の20日目
あれから私には楽しみが増えた。アルフィリースに様々な事を教える傍ら、私自身はよくグウェンドルフの元を訪ねるようになった。彼の知識は非常に深く、いまや書物に残らぬほど過去の事を私は直に知ることができた。シュテルヴェーゼももちろん同様だったが、彼女と話す機会は限られてしまったため、時間の制限なく話し合えるグウェンドルフとの出会いは、万の書物の読破に勝る経験といえた。
私は彼との出会いを非常に感謝している。そんな事を考えるだけでも、私は以前より謙虚になったのだろうか。最近は、大地に対する自分の矮小さを強く感じるようになった。どう背伸びしても、私は所詮人間でしかありえぬ。それが王だの、神だのと、なんともおこがましかったものだ。私はその事をグウェンドルフに正直に告げると、
「そんな事を言ってしまえば、私も一頭の真竜にすぎぬ。大地や空に対して、いかほどの者であろうか。私がいなくとも、世界は明日も変わらぬのだよ」
と言われてしまった。真竜でさえそう考えるのだから、私の悩みなどなんともちっぽけで、抱いても仕方のないものだろう。そういえば同じようなことをトリュフォンが言っていたのを思い出した。私はその事をグウェンドルフに話したのだが、彼は聞くやいなや渋い顔をした。どうやらグウェンドルフはあまりトリュフォンことノーティスが好かぬようだが、同時に彼に一目置いているらしい。私も彼が竜であるとは知りつつ、まさか真竜だとは思っていなかった。まさか伝説に語られる英知の結晶、絶対者とも呼ばれる存在が、腹の出っ張った中年の恰好をして酒場で飲んだくれているとは、さしもの私も想像できない。
そして私は自分の運命について考えるのを止めた。所詮私は王にも神にもなれぬ者だ。だが、魔王になる可能性があるとはどういうことだろうか。だが今はどうでもいい。今はただ心静かに、アルフィリースを育て、グウェンドルフと語らう時が楽しい。』
「腹が出てて悪かったな!」
そこまで読んで、誰もいない部屋でトリュフォンが一人吐き捨てるように叫んだ。時にアルドリュースの口が悪い事は知っていたが、自分の事を言われるとさすがに苛立つものだ。誰がデブの中年ハゲかとトリュフォンは腹を立てていた。いや、そこまではアルドリュースは言っていないのだが。
だが腹を立てつつも、ダンと酒瓶を乱暴にテーブルに置き、トリュフォンは頁をさらにめくる。手記はまだまだ続くが、そこからは平和な時が長く続く。アルドリュースがアルフィリースの誕生日を祝い、その度に彼女が嬉しそうな顔をしたことが何よりの宝物だと、アルドリュースは述べていた。間違いなくこの数年の間、彼は幸せであったことだろう。
トリュフォンはそれらを淡々と見つめ、やがて数年分の手記が経過した。外は既に真夜中であった。そして手記の時節は、アルフィリースが14歳の時。
『夜長の月の11日目
どうも最近体調がおかしい。一月に一度微熱が出るようだし、以前ほど体力もなくなってきた。筆を取る手も、時に振るえる。体格を増し、本格的に剣力を増してきたアルフィリースの武芸の相手に付き合うのもつらくなってきた。どうやら私はそう長くもないかもしれない。
結局アルフィリースの事は何もわからない。グウェンドルフの知識を持ってすら、彼女の事は理解できなかった。彼の5000年の知識を持って当てはまる事例がないとは、アルフィリースの謎はますます深まるばかりだ。結局、私が知る彼女が全てという事か。
だが私の知るアルフィリースは優しく、賢く、非常に奔放な魂を持っている娘だった。それでも私の言う事は素直に聞くし、私はできた娘か妹を持ったような気分だった。私の知識のほぼ全てを授けた娘は、今料理を作っている。だが芸術的才能には欠けるのか、彼女が作る料理は男の粗野な料理と大して変わらない。
少しずつ大人びてきたし、多少慎みを持つようにと私は事あるごとにいうのだが、彼女の性格に合わないようだ。どうやら貴族の生活は私と同じで、相応しくないだろう。まあこんな山奥で人目も気にせず、私と二人きりで魔獣や魔物に囲まれて育てば当然か。
アルフィリースはミューゼとはまるで似つかないが、一緒に生活する分にはこういう女は楽だと思う。ミューゼでは何をするにも儀式ばってしまうから。おっと、そうなるように私が彼女を育てたのか。彼女には悪い事をしたかもしれないな。
私はアルフィリースの背中を見ながらそんな事をぼんやりと考えていた。そしてその後ろ姿を見ながら、非常に女性としての輝きを放ち始める彼女を見て、将来はさぞかし美しくなるのだろうと考える。教養も高いし、多少のつつましさだけ覚えれば、どこに出しても恥ずかしくない女だろうと思う。
一方で、この女をどこにも出したくないと思う私がいる。出来るならば、永久に私の手の中で・・・いや、何を馬鹿な事を。私は寿命が短いことなどわかっているし、私の死後も彼女が困らないように騎士としての手ほどきや、様々な知識を叩きこんだのだから。ハウゼンにも貸しにかこつけて彼女の事を頼むつもりだし、アルフィリースの輝く未来を私が閉じ込めていいはずがない。いかに私がそのような性向の持ち主だと言えど、そのような事をしては私は人間ではなくなるだろう。
・・・そうか、そういうことか。私が魔王か人間かの境目はこういうことか。これが最後の運命だというわけか。一時期は運命に感謝しもしたが、やはり運命などクソ喰らえだ。まるで私を嘲笑うかのように、どうにも意地の悪い仕掛けをしてくれるものだ。
今日はもう寝よう。夜が長いとロクな事を考えない。きっと疲れているんだ。明日もう一度考えれば、またまっとうな考えが浮かぶことだろう。』
続く
次回投稿は、11/29(火)11:00です。
 




