伝わる思い、伝えられない思い、その26~アルドリュースの手記よりその⑫~
そこからしばらくは、平穏な日々がアルドリュースにも訪れたようだった。アルドリュースは頭にある封印術の内容を少しずつ書物におこし、定期的に受け取りに来る征伐部隊の者に渡していた。しばらくしてアルドリュースが完全に雲隠れを果たし、自分からその書物を征伐部隊ではなく魔術協会に届くように手配したのはいうまでもない。
魔術協会もまたその成果に満足し、公式にはアルドリュースに何があったのかを詳しく問いただしはしなかった。もちろん各派閥の長は事情を掴んでいたし、暗黒派閥もまた自分達の不始末を表面化させたくなかったのか、事を公にはしなかった。これは封印術の独占を諦めると同時に、アルフィリースに関して手を出しにくくなった事を示すものだった。
そしてアルドリュースは自分達が落ち着ける場所を捜し出すと、その場所に居を構えた。人跡未踏に近い深山の奥に、彼らは生活場所を定めたのだ。その近くに真竜の長であるグウェンドルフが昼寝場所を作っているとは、さしものアルドリュースにとっても知らない事だった。
さらにアルドリュースはアルフィリースと生活する中で彼女が非常に賢い人間であることに気が付き、彼女に教育を施すことにしている。自分の事は「師匠」と呼ばせ、師弟の関係として彼女に接する事に決めたのだった。そこには実に様々な感情が渦巻いていたのである。
『静寂の月の2日目
一つ幸いだったのは、アルフィリースに詳しい記憶が残っていないことだ。なんとなく魔力に目覚めてからの記憶が曖昧の様で、彼女には後悔と罪悪感だけが残っているようだった。夜中にうなされては私がなだめに行く日がしばしばあった。だが、それだけで済むなら良しとすべきだろう。一番よかったのは、彼女には征伐部隊の人間を殺した記憶が無い。彼らを倒したという実感だけは伴っているのだが、殺した記憶は不思議なことにすっぽりと抜け落ちているのだった。だがそれでいい。このような幼い子どもに人殺しの記憶など必要ないだろう。
それにしてもそろそろきちんとした住居を考えないといけないだろう。私はともかく、幼いアルフィリースには屋根のない生活は厳しかろう。
静寂の月の13日目
居を構えてから10日ほど経っただろうか。このような山深くでありながら、この山には生活に必要な全てが揃っている。今は全ての命が息を潜める時期だというのに、食べ物に困らぬほどの豊かさがこの土地にはある。人がいないからこその豊かさなのかもしれない。
その分危険な魔獣も多いが、私にとってはさほど苦にならない。魔獣や魔物も基本的には人間と同じで、自分の生活圏を荒らされれば怒る。だが自分達が敵意を抱いてない事を示し、また重複する生活圏では物を分け合う事を約束すれば決して無用な争いは起きなかった。それに争ったところで、私がそうそう負けるはずもなく、また真竜の長であるグウェンドルフの生活圏を荒らす馬鹿な魔物や魔獣はいなかった。またグウェンドルフと交流がある事が魔獣達にも浸透してからは、私はこの一帯の主のように扱われた。
その私が守っているからなのか、アルフィリースに手を出そうとする魔獣もいない。この前など、魔獣にじゃれつくアルフィリースを見つけてしまった。ところが魔獣の方もそれほどまんざらでもないようで、少し困ったようにアルフィリースを見ていた。魔獣が私を襲わないから怖さも知らないのだろうが、彼女にはもう少し魔獣の怖さも教えておく方がいいのかもしれない。
静寂の月の17日目
当座の食料も確保したので、時間のできた私は自分で持ちこんだ書物などを読み返してみる。この山奥に来る前に、新しい書物を仕入れていたのだ。だがアルフィリースは文字が読めぬのか、最初は私の本に興味を示したが、すぐにつまらなそうに私の膝の上で寝てしまった。
まあ当然か。農家の娘が文字など読める必要はないのだから。そうだ、彼女に文字でも教えてみるか。どうせ時間は腐るほどあるし、文字一つ読めぬでは、私が死んだ後に彼女は困るだろう。
静寂の月の19日目
今日はアルフィリースに文字を教えてみた。だが驚いたことに、たった一日で基本的な共通言語を覚えてしまった。書くのはまだ怪しいが、読みとりはほぼ完璧である。どうやらこの子は本当に頭の良い子らしい。
かのミューゼ殿下もお転婆の割に中々頭の良い女性ではあったが、アルフィリースの吸収速度は比べ物にならない。私は教える楽しみを見い出していた。決してミューゼ殿下に対する後ろめたさを覚えたわけではない。そう、決して。
静寂の月の26日目
驚いたことに、アルフィリースは古語も含め、一日一つの速度で言語を学んでいく。これで私の持っている本はほぼ全て読めるだろう。試しに読ませてみるが、恐ろしい速度で読破してしまった。内容を理解しているのかといくつか質問してみたが、彼女は見事に答えてみせた。恐ろしい才能だ。何が恐ろしいかというと、この本の内容は最新の国家経営論なのである。その実をアルフィリースが理解できるはずもなく、なんと彼女は本を一冊丸暗記したのだった。
私は決めた。アルフィリースに正式な教育を施すことにした。一体彼女がどれほどの事を学べるのか、私もまた楽しみでならない。将来は学者にでもなるだろうか。
静寂の月の35日目
アルフィリースの学ぶ速度は相変わらず超常的だった。今まで水を吸わなかった布が水を吸うように、彼女は私の言った事を仔細漏らさず吸収していった。このままでは私の教えることがなくなってしまう。
そこで私は武芸の訓練も施してみることにした。私自身が超一流の使い手とは言い難いが、それなりに何でも使える人間だ。教える武器の種類には事欠かないだろう。多分。
春の月の13日目
今日恐ろしいことが起きた。私はこの前魔術の基礎を教えたのだが、それはあくまで魔術を使う人間への対処法を考えてのことだった。
だが、アルフィリースは自ら魔術を使ったのだ。私は慌てて呪印の状態を確認した。だが、呪印の状況に変化はみられなかった。つまり、彼女は封呪の呪印を施された状態で魔術を行使したことになる。一体どれほどの魔力をその体に保有していると言うのか。この大陸でおそらくは最強の封印術の使い手の一人であろう、私の魔術で封印しきれぬ魔力とは。
最近アルフィリースとの生活が楽しくすっかり忘れていたが、改めて思う。彼女は一体何者だろうかと。私の興味は尽きない。
春の月の42日目
最近ではアルフィリースも私との生活にすっかり慣れたようで、まるで本当の親子か兄弟のようだ。私には親も兄弟もいないが、仮に家庭を持つとしたらこのような感じだろうか。アルフィリースは賢い子だが、いささかやんちゃが過ぎる。頼むからトレントなどの植物の魔物のうろで、かくれんぼは止めて欲しいものだ。
緑が芽吹く月の13日目
アルフィリースは時々夜にうなされている。まああれほどの経験をしたのだ、無理もあるまい。むしろここまで明るく振るまっているのが奇跡だろう。彼女が元々心優しく私に心配をかけまいとしているのか。なんとも健気な事だ。
そんな時は優しく頭を撫でてやると、寝息が安らかになる。私にはあまり経験がないが、人とはそのようなものだろうか。あるいは私も・・・いや、馬鹿な話だ。私が安らぎを求めているなどと。
続く
次回投稿は、11/27(日)11:00です




