伝わる思い、伝えられない思い、その25~アルドリュースの手記よりそ⑪~
落葉の月の10日目
少女と出会って三日経ち、やっと少女の容態は落ち着きを見せ始めた。私はほとんど不眠不休でへとへとだったが、少女が安らかな寝息を立てるようになったのを見て、充足感を得られずにはいられなかった。これで余計な来訪者さえなければ完璧だったのだが。
「失礼する」
そう言ってこちらが返事をする前に戸をあけて入ってきたのは、ごく普通のおとなしそうな青年だった。だが後ろにひきつれた陰険そうな男と、焦点の合わない目をした大男が、青年の爽やかな印象を台無しにしていた。青年もよくよく見れば、その目つきが常人のものではない鋭さを帯びているのがわかる。
そして何より重要なのは、その少年が魔術士ということだった。身に纏う魔力の質以外は、一見何の変哲もない青年。だが、私だからこそわかった。この男は只者ではない。何より、私と同じ種類の人間だと。私は疲れた意識を整え、青年に相対した。
「何の用かな?」
「アルドリュース=セルク=レゼルワークとお見受けするが、いかに」
青年は最初から私の問いかけなどなかったかのように質問をした。私は面食らい、そして正直に話すべきかどうかを悩んだ隙に、青年は私に向けて手をかざした。
「聞くだけ時間の無駄だな」
「!?」
青年の手からは風の刃が放たれていた。無詠唱だけに威力は小さいが、一般人を殺すには十分な威力の魔術。私はその刃を封印術で咄嗟に抑え込んだが、青年は満足そうに頷いただけだった。
「やはり本物か」
「何をする! 人違いだったらどうするつもりだ?」
「別にどうも。証拠隠滅をして引き払うだけだ」
「何?」
平然と答える青年に、さしもの私も一歩後ずさりをした。これほど危険な言葉を平然と述べる人物には出会ったことがない。私は警戒心を引き上げたが、逆に青年は警戒を解いた。私はそのことに逆に間を外され、肩透かしをくらったような気分になった。
「お初にお目にかかる。私は魔術協会征伐部隊、『プランドラー』のイングヴィルと申す者だ。私の名前を知っているな?」
「『略奪者』だと? おかしなことを言う。魔術協会の征伐部隊など、名前が無い者の方が多いだろうが。私が知るわけがない」
「それは異なことを。こそこそと我々の事を探っていた癖に。貴様が魔術協会にいた頃から私は隊長だ。知らぬはずがあるまい」
その言葉に、私はわずかに記憶に引っかかっていた名前を思い出した。魔術協会のイングヴィル、確か私が魔術協会を去る少し前、わずか10歳で征伐部隊の隊長となった天才がいると聞いた。その男が成長していれば、確かにこれくらいの歳だろうかと私はふと思った。
だがこれほど危険な人間だとは知らなった。知っていれば、こんな場所に無防備に招きはしない。少女の呪印を調節することが精一杯で、感知や阻害の魔術を一切宿に張っていなかったことが悔やまれる。何の目的があって来たのか。私の疑問を察するかのように、イングヴィルは先に述べて見せた。
「何、大したことはない。私はそこの娘に用があって来ただけだ。貴様に何をするつもりもない。魔術協会を出奔したことも、既に過去の事だ。責には問うなとのお達しも出ている。ああ、先ほどの魔術も挨拶代わりだと思ってくれ。もっとも、アレで死ぬような輩には私が口を聞く価値もないがな」
「なんてやつだ。だがそれほどの男が、何をしに来た?」
「そこの娘を回収に来ただけだ、何をわかりきったことを。魔術士の管理を適切に行うために我ら魔術協会は現在の形になった。魔術教会の基本理念を忘れたわけではあるまい? そこの娘の魔力は強すぎる。放置すればいかなる災厄をもたらすかわからんぞ」
「確かに正論だが」
確かにイングヴィルの発言には納得できるが、この男の直接の上司が厄介なのだ。公式ではないが、この男を直接操っているのは暗黒魔術派閥の会長、フーミルネだろうと私は目星をつけていた。別に暗黒魔術に偏見があるわけではなく、どこの派閥の長もそれなりに腹黒いのは重々常置だが、フーミルネはまごう事なき悪党の類だった。いや、悪党というよりは派閥拡大と魔術研究のためなら犠牲を厭わないというだけで、いたって魔術士としては普通なのかもしれないが。世間の感覚ではそれを悪党というのだろう。
もしそんな男の元にこの少女を行かせれば、どんな教育を施されるかわかったものではない。教育を受けるだけなら良いが、下手をすれば実験対象になるのではないか。私の運命となるかもしれない少女を、そんな場所に放り込むなど考えられなかった。
私は一つの決意をする。以前までの私なら、考えられないほど危険な賭けだ。勝負する時には、先に脱出経路を作っておくのが私だったのに。だが、今度ばかりは何の保証もない勝負だった。
「断ると言ったら?」
「貴様を殺して少女を頂く。それもまたわかりきったことだろうに」
「それは上手くないな」
「?」
ここで初めて、イングヴィルは意外そうな顔をした。そこで私はたたみかける。
「私を殺しては、私の封印術のすべては闇の中だ。それでは魔術協会の損失になるだろう?」
「ほう。では貴様の研究成果を差し出す代わりに、少女を見逃せと。そういうことか?」
「そういうことだ。どうだ、受けるか?」
「ふむ・・・その封印魔術の一部を寄越せ。話はそれからだ」
イングヴィルの提案はもっともだったので、私は自身の研究を書物にしたものを、一部イングヴィルに見せた。その書物を見ながら、イングヴィルの顔色が変わっていく。
「貴様・・・よくもこんな複雑怪奇な魔術を今まで操っていたものだ」
「お褒めに預かり光栄だ。どうだ、嘘偽りはないだろう?」
「ち、確かにな。だが解読と使用者の育成に何年かかるか。しかも書物はこれだけではあるまい?」
「ああ、同じものがあと7冊。もっとも、それらは私の頭の中だがね」
「やってくれる」
イングヴィルは面白そうに私を見た。やはり私たちは同種の人間だ。イングヴィルは書物の内容だけではなく、私とのやりとりにも満足したのだろう。
その後、イングヴィルは書物を持って私の元を去った。結果は後日通達するとのことだった。ふう、と安堵のため息を漏らした私が振り返ると、少女が目を覚まして上半身を起こし私を見ている。その瞳には、何日か前の危険な光は見られなかった。
「ありがとう、私を助けてくれたのですね」
「・・・誰だ、お前は」
私は少女の口調にまたしてもおかしなものを感じ、思わず睨み返してしまった。だが少女のふりをした何かは、穏やかに笑うのみだった。
「アルドリュースよ、私を守るなら末永く守ることです」
「待て、だから貴様は誰だと・・・」
「頼みましたよ」
それだけ言うと少女は気を失うように倒れ、穏やかな寝息を立てて再び寝始めた。いったい今のはなんだったかのか、先立っての戦いの時の危うさはなく、むしろ威厳さえ放っていた。封呪を施してしまったが、まだ何か別の存在が封印されていたというのか。この少女の正体はなんなのだろう。
私は疲れた体をおして、しばらくの間考え込んでいた。
落葉の月の11日目
今日朝少女が目を覚ますと、あたりをきょろきょろと見回しながら、「ここはどこ?」と問いかけてきた。どうやら記憶が曖昧らしく、なぜ自分がここにいるかもよくわからないらしい。
私は自己紹介をし、ここに至るまでの経緯を少し説明した。するとぼんやりと思い出すことがあるのか、少女は今の状況をある程度飲み込んだようだった。少なくとも、自分は村人に取り返しのつかないことをし、もはや故郷に帰れないことは理解したようだった。
行き場を失くした少女は途方に暮れたようで、私が「一緒に来ないか」と声をかけると、遠慮がちに上目づかいをしたが、やがておずおずと差し出した私の手を取った。こうして私と少女、アルフィリースの生活が始まったのだ。』
続く
次回投稿は、11/25(金)12:00です。




