伝わる思い、伝えられない思い、その15~アルドリュースの手記より①~
トリュフォンはアルドリュースの手記を一枚めくる。そこには日々の出来事が日記のように綴られていた。まめな男だとは思っていたから日記くらいあってもおかしくはないと思うが、同時に自分の心理を人に知られるのをアルドリュースは極端に嫌がったので、これを自分に残した事自体がトリュフォンには意外だった。アルフィリースとの生活の中で、彼にも変化があるいは訪れたのかもしれないとも思う。どちらにせよ、その答えはこの手記の中にあるのだろうとトリュフォンは思った。彼は手記を読み進める。
『私は今年20歳を迎えた魔術士だ。時期は春。大陸を長年包んだ戦火はまもなく終息するだろう。これから平和な時代を迎えるだろうが、私の心は一向に穏やかにならない。私は自分の生まれなど知らぬ。親の顔も知らぬ。私は戦争孤児だったから、春が来るたびに自分が一つ年を取った事を知った。そしてその時期を春にしたのは、大地が冬の眠りから覚め、命が咲き誇る時期に私自身が何かの期待感を抱いたからだろうか。この事を非常に馬鹿馬鹿しいと思ってしまう私は、やはりくだらない人間なのだろうか?
私が抱いた疑問こそ、多くの人間にとって非常にくだらないものなのだろう。だが私は自分という人間がいかほどのものかを見定めたくなった。そのために、私はこれから魔術協会を出奔しようと思う。私に目をかけてくれた会長には悪いが、私は魔術協会の勢力争いはうんざりだ。どうせ私のように何の後ろ盾がない人間に出世など見込めないし、妬まれれば暗殺されるのがオチだ。会長のような例外もあるが、あれは不老と、あれほどの実力をもって初めて成しえることだろう。私のように直接攻撃向きではない魔術士では、威圧感には欠けるだろう。
私がこの魔術協会で修めたのは、実に多岐に渡る魔術だ。私に使えぬ属性のものなど存在しなかったし、その事実は最初は魔術協会を騒然とさせた。それはもう一大事で、私などが伝説の英雄王と比較されるほどに。だが私の使用できる魔術はどれも初級から中級にとどまった。学びこそ早かったが、伸びしろがなくすぐに打ち止めとなった。途中から自分でもわかり始めたことだが、それは先のないことが分かっている梯子を上り、「ああ、やはりないのか」と確認するような作業だった。なんでもできる、同時に何もできないというのが私に対する周囲の最終評価だった。いかに研究を積み重ねて興味深い理論を構築しようと、追従する仲間に乏しい私では、妬まれこそすれ、一大勢力とはならなかったのだ。
そんな私が唯一評価されたのは、封印術だった。閉じ込める。この一点において私の才能は発揮された。というより、私が封印という分野に興味を抱いていたからかもしれない。私は昔から鳥かごの鳥を見ると落ち着いた。可愛らしいという理由ではない。無論可愛らしいとも思うのだが、それ以上に羽を持ち、自由に空を飛びまわる鳥を閉じ込めることができるという事実に対する優越感。この20年で私の心を慰めたのはそれだけだった。いずれは世界をこの手に閉じ込めてみたい。そんな大それたことすら思うことがあった。そのくせに、自分はこの閉じた世界から自由でいたいと思うのだから、なんとも人我欲とはままならぬものだ。
この思いが歪んでいることは知っている。だが私という人間はそのようなものなのだとようやく納得した。それを非難する資格は誰にもないし、させない。だからこそ私はいかにも常識人としてふるまえるようにあらゆる礼儀作法を学んだ。敵を作らぬように、誰にも疎まれないように、いや、好かれさえするように。友好術を、恋愛の術を、交渉術を、人の心理の機微を。やがて周囲は私の意図した通りに反応を示すことになる。それは一種の快感でありながら、地獄の始まりだった。
そんな私の事を会長は見抜いていたのかもしれない。魔術協会を辞める意思を伝えた時に、「好きにやれ」とただ一言背中を向けながら言ってくれた。魔術協会からの追手もなく、研究結果の強制回収もなく、制約すらかけられなかった私は非常に恵まれていたのだろう。私などを大切にしてくれる者がいるなど、やや後ろ髪をひかれない気がしないでもなかったが、元々感謝の念が薄い私の心を占めるのは、これからどこに行こうかという期待である。
昔、私の事を王侯貴族になる相があると言った占い師がいた。別の者は歴史に名前を残す大悪党になると言った。あるものは英雄になると言った者がいた。おべんちゃらにも等しいことだろうが、期待しないでもないではないか。そうなると向かうべきは大都市か、あるいは辺境か。目の前の木の枝を放り投げて、今日は行き先を決めるとしよう』
初日の日記はこれで終わっている。以降連日彼の日記は綴ってあったが、時間がなかったのか、たまに日が抜ければその理由まで添えて次に書いてある。非常にまめな彼らしいと、トリュフォンは自分の感じたアルドリュースが、全て嘘というわけではないと思ったのだった。
ぱらぱらと頁をめくりながら、トリュフォンは日誌を読み進めていく。どうやら一年近く、アルドリュースは各地を放浪していた。生活費を稼ぐために傭兵のようなこともしているし、商人の真似事、さらには詐欺まがいのことまでやっている。女を口説き落としてその厄介になっていることもあるし、追手のかからぬ程度に人間がやれることは一通りやっているといった様子だった。
ハウゼンや多くのベグラード市民、あるいはアルフィリースが知れば軽蔑ものの行動も多かったが、ただ彼は自分の楽しみのために誰かを陥れることだけはしていなかった。それは彼なりのけじめのつけ方だったのか。その理由は手記に書かれてはいなかったが、やはりアルドリュースは根っからの悪人というわけではなさそうだと、トリュフォンは少し安心もするのだった。
そして一年近く放浪を続けた後、アルドリュースには転機が訪れる。
『今日で旅を続けて一年近くなるだろうか。相変わらず私は自分の道を見つけられないままだ。現在立っている大地にはこれ程にも道が分かれているのに、私にはそのどれもがひどく不安定に見えてしまう。土地に縛られる農民や、血や契約に縛られる貴族や騎士に比べればなんとも贅沢な悩みかもしれないが、今の私にとってはその悩みが全てである。
あてどなく旅をするうち、私は一人の老婆に道端で出会った。どうやら占い師のようだ。どうせやることもなし、久しぶりに占ってもらうこととした。だが、その言葉は私にとってこれからの人生を変えるものになるかもしれないものだった。
その老婆の第一声はこうである。
「ようやくこの婆の前に来たか、坊主」
その言葉自体は大したことはない。多くの占い師が自分の予知能力をいかにも大きく見せつけるために使う常套文句だ。私は笑顔で返した。
「ええ、ようやく。あなたにこれから先の事を占ってもらうために」
こう返せば、多くの占い師がすぐに占いを始めてくれる。そこから粗を探し、論破していったこともあるがまあ今回はその気もない。だが老婆の反応は意外だった。
「占ってもよいのかえ? 一つ言っておくが、この婆は良い占いなどできはせぬ。貴様の運命は、これからどうあろうと惨めになるだろうからな」
この言葉には私は驚いた。普通、占い師はより多くの金を相手からせびるために、良い内容ばかりを占う者が多い。多少勿体つける輩はいるものの、基本的には相手の事を褒める。確かに詐欺の手口として、相手を散々脅したうえで、どうすれば不幸に陥らずにするかをさらに別途の手数料で占おうとする輩もいるが、老婆の表情は真剣だった。おそらくは本気で私の事を考えているのだろう。ならば、なおのこと興味をひかれる私がそこにいた。
正直、私は自分の能力には自信がある。この一年で自分が並よりはだいぶ優れた人間であることはよくわかった。流浪の身にしては、それなりの財も築いた。腕もそれなりに立つ。そして知恵と魔術を駆使して周囲を意のままに操ることも吝かではない私に、何の不幸が訪れるというのか。知りたいと思うことは、久しぶりだった。
「ならばなおの事、占ってもらいましょう。不幸な出来事は予め知ることで、避けることができるでしょうから」
「普通はの。だがそなたの場合は事情が違う、間違いなく訪れる不幸なのじゃ。じゃが、どの不幸が良いかくらいは選択できてもいいじゃろうて。そのための占いのみなら行うが、どうするかえ?」
「・・・いいでしょう、そこまで言われては逆に引き下がれませんよ」
私はいささかその老婆に不気味さを覚えながらも、彼女の言葉を受け入れた。彼女は懐から何やら輪っかにした何色もの紐をくくりつけた大きな紐を取り出すと、それを手の中で揉みしだきながら呪い言葉をつぶやいていた。そしておもむろに紐を放り投げ、そこにまたしても懐から取り出した様々な色の石を放り投げ、収まった場所をまじまじと見ていた。
「掌を見せな」
「・・・」
老婆はひとしきり紐と石を眺めた後、今度は私の手を眺めた。私は彼女が何をしているかなど皆目見当もつかなかったので、彼女のなすがままだった。だが彼女が私をどうにかしようとしているわけではない事だけは、はっきりとわかっていた。
やがて彼女は私の手を放すと、残念そうに首を振ったのだ。
「どうした、お婆」
「やはり運命は変えられないのかねぇ・・・少しあんたにゃ期待もしたんだが」
「どういうことだ?」
あまりの老婆の落胆ぶりに、さしもの私も気になった。この老婆は何を伝えようとしているのか。私の知的好奇心がくすぐられ始めていたのだ。だが老婆の言葉は素っ気なかった。
「あんたに直接伝えることはできないよ。そういうことになっているのさ」
「それはないだろう。そこまで思わせぶりなことを言っておいて」
「まったくもってその通りだがね。だが本当に言ってはならない事なんだよ言えば本当にどうしようもなくなるからね。あんたに関わる人間の運命も決まっちまう」
「そう言っておいて、実は全てが適当ではないのか? よくあるイカサマというやつだ」
「なるほど、そうきたか。信じる信じないはあんたの勝手だが、ここでこの婆の話を信じないってのも癪だね。こちとらあんたのような人物を探して数十年も各地を放浪したんだ。この婆の力を見せてやろう」
そういうと、お婆は先ほどの紐と石を再び見始めた。
続く
次回投稿は、11/6(日)12:00です。




