伝わる思い、伝えられない思い、その13~呪印の秘密~
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だがその頃のアルフィリースはと言えば、それどころではなかった。
「・・・今、なんて?」
「二度も言わせるんじゃねぇよ。脱ぎな」
「え、ええええ!?」
アルフィリースが素っ頓狂な声を上げる。今まではそれは何かにかこつけていかがわしい行為を仕掛けてこようとした輩がいないでもなかったが、ここまではっきりいわれるたのは初めてである。
「ぬ、脱げって。全部?」
「まあその方がいいわな。脱がせてやろうか?」
「結構です! って言うか、脱がないからっ!」
「着たままか? まあそれもいいが」
トリュフォンがのそりと立ち上がってこちらに寄ってくるので、思わずアルフィリースは反射的に戸に手をかけたが、戸はびくともしなかった。
「あ、開かない?」
「そりゃそうだ。ここからの行いは、互いに誰にも知られたくないだろうからな。当然鍵を魔術でかけて、防音も施してある。だからどんだけ騒いでも聞えないって寸法だ」
「ほ、本気なの?」
「当たり前だ」
アルフィリースがここにきて身の危険を感じ身構え始めたが、トリュフォンはといえば、目の前に指で丸を作り、その丸を通してアルフィリースをじっと観察していた。
「な、何してるのよ!」
「透視に決まっているだろが」
「透視ですって!? この変態―!!」
「う、わわ。やめろっ!」
アルフィリースが突然拳骨で殴りかかって来たので、トリュフォンが慌ててその腕をつかむ。十分に殺気のこもったその拳に当たれば、青痣くらいではすまないくらいの威力はありそうだったのだ。だがその腕を掴んだ瞬間、アルフィリースの顔色が変わる。
「なんで私の前には変態ばっかり・・・あれ、あなた?」
「勘違いすんじゃねぇよ! こちとら人間の女の裸になんぞ、興味はねぇんだ」
「・・・なるほど、真竜なのね」
アルフィリースはトリュフォンに右腕を掴まれた瞬間、おおよその事情を察知した。イルマタルと常に触れ合っているアルフィリースにしかわからない感覚というものがある。イルマタルは見た目こそ幼い人間だが、実際には身の丈は既にアルフィリースよりも大きい竜であり、見た目とは異なる威厳や圧迫感なども既に備え始めていた。だからこそアルフィリースにはトリュフォンの正体がわかった。肥満の小男の見た目とは裏腹な、その正体に。
「そうならそうと早く言ってくれればいいのに。紛らわしいわ」
「真竜が自分の正体をほいほいと明かすのもどうかって話しなんだよ。こっちにしてみりゃ、俺の言う事を大人しく聞けってことよ。アルドリュースにゃお前さんの呪印の事を頼まれてんだ。さっさと見せな、透視じゃ限界がある」
「そ、そういう事なら・・・でも、恥ずかしいなぁ」
アルフィリースがしょうがないとばかりにトリュフォンに背を向け、服を脱ぎ始める。彼女の呪印は腕のみならず背中にもあるので、上着は全て脱がないと仕方がないのだ。トリュフォンがいかに真竜とはいえ、人前で服を脱ぐことなどなかったアルフィリースには抵抗があってしょうがない。彼女も、妙齢の女子には違いがないのだから。
そしてアルフィリースの背中が見えるようになると、トリュフォンがまじまじと呪印の観察を始める。トリュフォンが無言なのもアルフィリースには恥ずかしかったが、どうしようもないので脱いだ服で前を隠すようにして、そのまま背中を見せるようにアルフィリースは立っていた。
そしてアルフィリースの背中の呪印を見ていたトリュフォンが見立てを始める。
「お前さん、今何か症状はあるかい?」
「たまに痛かったり熱かったりするけど、どうってことないわ」
「魔術を使った時かい? それとも剣なんかを振るった時かい?」
「魔術が主ね。最近はほぼ使ってないからほとんど何も無いけど、たまに痛むかしら」
「たまにね・・・」
アルフィリースに質問をしながらトリュフォンが見立てをしていたが、彼はアルフィリースの呪印を見れば見るほど奇妙と驚きに捕らわれていた。
「(大したもんだ。まずここまで複雑な呪印の半分をこんな若い娘が自分で施した事もそうだが、この呪印は精神だけでなく物理的に肉体にも食い込んでやがる。これは焼けた火箸で内臓を引っかき回されるようなもんだ。こいつを自分で施すだけでもまともな神経しているとは思えねぇが、誓約ってやつは、代償が大きいほどに効果が高い事が多いからな)」
トリュフォンは初めてアルフィリースに興味を覚えていた。アルドリュースからの手紙でなんとなく事情を聞いてはいたものの、彼にはさしてアルフィリースの事に興味を持てなかった。むしろ全ての人間が羨んで仕方ないほどの物をあっさりと放り投げるアルドリュースが、どうして一人の少女のためにそれほど甲斐甲斐しくするのか、そちらの方が不思議でならなかった。
だが今なら少しわかる気もした。アルフィリースは不思議な人間だった。もちろん育ちが特殊だから、おおよその人間と何かしらかけ離れているのは当然だが、それを差し引いても何かが違うのだ。だがその原因はトリュフォンをもってしてもわからなかった。
「(アルドリュースよ、お前はこの違和感の正体をわかっていたのか・・・?)」
「ねぇ、まだ?」
「ん? ああ」
いつまでも晒した上半身を見られる事に抵抗があるのか、アルフィリースが不満を漏らす。だがトリュフォンは上の空だったので、慌てて彼は元の目的に戻り始めた。
「で、どうなの? 私の呪印」
「まあ一言でいえば、手遅れだな」
「え、ええ? そんなにひどい?」
その言葉にアルフィリースがうろたえる姿を見て、どうにもトリュフォンは意地悪をしたくなった。多くの人間がアルフィリースに対してそうかもしれないが、これはトリュフォンの元の性格である。
「ああ、ひどいな」
「どこが、どのくらいひどいの?」
「肌荒れがひどいな。この若さでこれは、処置なしだ。このままじゃ一生男が寄りつかん・・・む?」
トリュフォンの言葉の途中でアルフィリースがわなわなと震え始めたので、トリュフォンは首をかしげる。だが。
「真面目にやれぇ!」
「いや、女にとっては一大事だろ?」
「そんな事を言われるために、私は大陸を横断してきたんじゃなぁい!」
「やかましい女だな。このべグラードの女達なら、次にどうやって手入れをするか気にするもんだが・・・まあ田舎娘ならこんなものか」
「田舎って言うなぁ!」
ますますアルフィリースがじたばたし始めたので、トリュフォンはニヤニヤと笑いながら、その様子を眺めていた。
「アルフィリース」
「何よ!」
「見えてるぞ」
「! きゃああ!」
アルフィリースが慌てて前を隠してうずくまる。その半ば涙目になりながらトリュフォンを睨む彼女を見て、トリュフォンも流石に真面目な話題に変えた。
「んで、真面目な話をするとだな。手遅れってのは本当だ。その呪印をはがす事は俺にもできん」
「いいわよ、そんな気なんて元からないんだから」
「いいのか? 苦痛を取るにはそうするしか・・・」
「制御不能の私の魔力を解き放つよりましよ」
アルフィリースが苦い顔をしながらそう言ったので、トリュフォンははっとした。この娘は自分の力を恐れているのだ。だが同時に不思議でもある。いくら呪印で封をしていようとも、目の前の娘にはそれほどの魔力が内臓されているようには感じられないのだ。
また種族による限界というものがある。いかに努力しようと人間が竜族のように火や氷を吹くことが適わぬように、鱗や翼を得ることが適わぬように。人間という種族では、突発的に強大な力を持つ者が出現したとして、到底ハイエルフや真竜の魔力には太刀打ちできぬのが世界の理である。英雄王であるライフレスが絶大な魔力を備えているとは言っても、やはり真竜のそれと比べてしまえば少ないと言わざるを得ない。
確かにアルフィリースの魔力は強大だ。だがこの呪印を外した後に想定される魔力程度なら、魔女ならば何人でも彼女の魔力に到達しうるだろう。アルフィリースの本能は、実際の所何を恐れるのか。トリュフォンの興味はそこにあった。
続く
次回投稿は11/3(木)13:00です。




