伝わる思い、伝えられない思い、その8~説得~
「馬鹿は死ななきゃ直んないか」
「あ・・・嫌あああっ!」
エクラが死を覚悟し目を閉じたが、いつまでたっても痛みは訪れなかった。エクラがおそるおそる目を開けると、アルフィリースの左腕には捕り物で使われる縄が巻きついていた。その仕掛け主はヴェンである。そしてその後ろからハウゼンが現れ、アルフィリースを制した。
「アルフィリース殿。そこまでにしてくれないか」
「ハウゼン宰相がそうおっしゃるなら」
アルフィリースは刃をしまい、戦う意志が無い事を示すために全身から力を抜いた。同時に掴み上げていたエクラが、どさりと地面に力なく落ちる。
「ユーティ! 治療してあげて!」
「はいはーい」
その声と共に、ユーティが木陰から文字通りすっ飛んでくる。そしてエクラに素早く治療を施し始めた。その傷を直しながら、ユーティがぶつぶつと不満を言う。
「全く、本当に殺すんじゃないかとひやひやしたわよ」
「まさか。手加減はちゃんとしたわ。頬の傷は非常に浅いし、傷跡が残るようにはやってないわ。イーディオドに追われる身にはなりたくないもの」
「おいおい、確かに増長する娘を躾けて欲しいとは頼んだが、ここまでやれとは言ってない。本来ならこのヴェンに命じて、既に手打ちにしている所だが」
さしものハウゼンも不機嫌かつ不安が入り混じった表情で、ため息をついた。
「まったく、事前に簡単な打ち合わせをしてあるとはいえ、本当に君は遠慮が無いな。もう少ししていたら堪忍袋の緒が切れて、ヴェンをけしかけていたぞ?」
「確かに私も心苦しかったけど、どうせやるならしっかりやらないと。中途半端が一番いけないわ。それに、ヴェンさんが乱入してきても、私は止まらないわよ?」
「冗談の上手い子だ。ヴェンはこう見えて、この国でも有数の剣の使い手だ。私に無礼な口を聞いた将軍と決闘をし、打ち負かしたこともあるくらいだからな。そのヴェンを打ち負かせるとでも?」
ハウゼンがやや自慢げに言うのを、アルフィリースは笑顔で流した。そして、息の整い始めたエクラに向かってしゃがみ込むと、アルフィリースは少し申し訳なさそうな顔をする。
「御免なさいね。でも私じゃないと、貴女にこんなことをできそうな人はいないから」
「・・・」
エクラは恐怖にびくりと怯えながら、俯いていた。だがどうやらアルフィリースの言う事を聞いてはいそうなので、アルフィリースも続けた。
「貴女は自分の腕前に自信があるようだったけど、それはとんだ勘違いだわ。公爵家令嬢で宰相の娘の貴女に、全力で剣を振るえる騎士がいると思う? 全員手加減してたのよ。それに気付かず自分が強いつもりでいては、貴女は将来的に何人もの部下を殺すわ。だって貴女は・・・」
「知っているわ、そんな事!」
エクラが突然大きな声で叫んだので、彼女の治療をしていたユーティが後ろにこけてしまった。そのユーティを起こしながら、今度はアルフィリースがびっくりした顔をする。
「え、だったら」
「だったらどうしろと言うのです? 私は公爵家の者だ。私は強くあらねばならないが、誰も方法を教えてはくれなかった! 自分が大して強くもない事なんて知ってる。でも誰も私に本当の事を言ってはくれなくて、私は、私は・・・」
ユーティの治療の終わらぬまま、鼻血もロクに止まらぬまま嗚咽にまみれたエクラ。周囲の者は言葉もなくその場に立ちつくしたが、そのままその場にどさりとエクラが倒れ込み、はっと我に返る一同。
「エクラ!?」
「大丈夫、鼻血と過呼吸からの酸欠で気を失っただけよ」
アルフィリースとハウゼンが心配する中、ユーティがエクラの容態を確認する。娘が泣きごとを言う姿を初めて見たのか、ハウゼンも心中穏やかならない様子だった。
「・・・アルフィリース、私は娘を追い詰めていたのだろうか?」
「なぜそう思うのです?」
答えるアルフィリースの口調も、いつになく真摯である。
「私は娘に『公爵家の者は優雅たれ』と教えてきた。だが私とて人間だ。欠点もあれば、失敗も犯す時はある。だが私はそのような場面は可能な限り娘に見せないようにしてきた。娘の前では理想の父親でいたかった。娘はそういった私の姿だけを見て育ったのかもしれない。それは間違っていたのだろうか?」
「間違いかどうかは私にはわかりません。ですが、この子はきっと鋭い子なのでしょう。おそらくはそういったハウゼンさんの気遣いもどこかで理解しつつも、もっと上を目指した。ただそれだけでは? 少々不器用かもしれませんが」
アルフィリースは地に伏せ、ユーティとヴェンに看病されるエクラを見ながら優しげな目で呟いた。そしてヴェンに抱きかかえられて運ばれるエクラを見て、アルフィリースの意志は固まった。
「ハウゼンさん、お話が」
アルフィリースの目は、彼女が重要な決断をする時の強い輝きを放っているのだった。
***
「う・・・」
「目が覚めたかしら?」
エクラがゆっくりと目を開くと、そこは彼女の私室のベッドの上だった。ベッドの傍にはアルフィリース。また部屋の隅にはヴェンが控えていた。エクラが目を覚ますと彼女の家の典医が彼女の容態を確認し、何事もないとわかると彼は助手を連れて出て行った。
そのベッドの上で、虚空を見つめるエクラ。その視界に、突然アルフィリースの顔がぬっと出てくる。
「わっ!」
「・・・何か?」
「驚けとは言わないけど、ちょっとは反応してよね」
エクラを驚かそうと思ったアルフィリースがいかにも不満そうにむくれたが、エクラが面白くなさそうにしているのを見ると、すぐに真面目な顔に戻った。
「エクラ、話があるわ」
「なんでしょうか?」
「貴女の性格だから単刀直入に言うわね。貴女、私の傭兵団に来なさい」
その言葉にエクラは驚くかとアルフィリースは思ったが、エクラは全く動じずに答えた。
「それは、私に傭兵になれと言っておられる?」
「そうじゃないわ。さすがに宰相の娘を傭兵にもらうのはねぇ・・・だけど、私の傭兵団は立ちあげたばかりで、まだまだ人材が不足しているの。でも、宰相の手伝いをする貴女なら、傭兵団を取り仕切る事務仕事なんかはお手のものだろうと思って。どうかしら? あ、もっとも本当に傭兵になりたいと言うのなら止めないわ。ハウゼンさんは怒るだろうけど、私が全力で援助するから」
そこまで言って全く悪びれないアルフィリースに、エクラはやや呆れていた。まず言葉そのものが、エクラが自分の仲間にならないことを想定していない。それに先ほどまで鬼の形相で殴った相手が、どのような印象を自分に抱いているか、想像もしていないと言うのだろうか。父の依頼で増長しているであろう自分を止めるために一役買ったのだとしたら、当然恨むのは筋違いではあるが、それでも抱いた恐怖は本物である。あれが演技なら、一流の役者になれる。
だがエクラは呆れつつも、毒気を抜かれるようなアルフィリースの笑顔を見ていると悪い気はしなかった。この女性は自分と違って本当に得だと、エクラは思うのだった。
「(私もこうなら、もう少し色々と上手くやれただろうか・・・?)」
「何? 私の顔をじろじろ見ちゃって」
「別に。面白い顔だと思っただけです」
「んなっ」
エクラのその言葉にアルフィリースが今度は呆気にとられた。その様子があまりに可笑しかったので、ヴェンも失礼だと思いながら笑い、エクラもついに笑ってしまった。よく考えれば、自分が笑うのはいつ以来なのかとエクラは思う。
「ふふふ・・・あははは」
「そ、そんなに面白いの。私の顔?」
「え、ええ。とても」
本当はそうではないのだが、エクラは思わず笑ってしまった。彼女の内心は既に決まっている。彼女は既にアルフィリースに興味を抱いていた。公爵の娘とて遠慮しないその性格。強さもそうだし、愛嬌のある性格がなにより羨ましくて、エクラはアルフィリースになんとなく魅かれていたのだ。何度も晩餐を共にしたのだ。彼女が実は教養ある女性であることも、とうに気付いている。だからこそ、エクラはより一層アルフィリースが腹立たしかったとも言える。自分にはない物を、全てアルフィリースが持っているように思えたから。自分がもっと素直だったら、こんな経験を経なくてもアルフィリースに師事したいと思っただろう。
二人に笑われて赤くなるアルフィリースに、エクラは穏やかに声をかけた。
「アルフィリース殿。その話、ぜひとも受けさせていただきます」
続く
次回投稿は10/26(水)14:00です。




