伝わる思い、伝えられない思い、その6~水の都~
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アルフィリースは一通りイーディオドの正規軍の訓練を見ると、次は街に足を向けた。イーディオドの街は景観も非常に有名であり、何より有名なのはその治水の安定度合いである。
街を作るにおいて、多くの統治者が苦労したのは水の流れである。人の生活に水は不可欠。ゆえに多くの人は川の傍に街を作り、大きな河ほど多くの命を養った。だが大河の傍に街を作るという事は、同時に常に氾濫の危険にさらされるという事でもある。嵐が来るたび、命の源であったはずの水は牙を伴い、その歯を容赦なく人間に突き立てた。
ゆえに大都市ほど安全な水源を確保し、その技術に秀でた国から先に発展したといえる。このイーディオドの首都であるべグラードは、諸国に先だって治水が上手くいった土地でもある。だがその構想は決して完璧ではなかった。
増える人間、広がる土地。治水工事は人口の拡大に追いつかなった。新たに作られた居住区では水の流れが行き届かず、そうなると疫病が流行り始める。排泄物の運搬が上手くいかなかったのだ。
その問題を解決したのが、アルドリュースの下水工事である。彼は生活用水とは別に、町の下に下水を流すことで安全な水の流れを確保した。この用法は以後長く各国で採用されることになるが、この時代に実際に街に取り入れられているのは、べグラードの領土内と聖都アルネリアくらいである。そして景観まで考えられて作られた街に、アルフィリースは見入るばかりであった。
「綺麗・・・」
「ああ、大草原に花が咲き誇る時期の雄大さにはかなわないが、また別の美しさがあるな」
「こういうのを造形美っていうのかしらね」
アルフィリース、エアリアル、ターシャの三人はそれぞれが感心しながら連れだってこの街を歩いていた。その後ろでは、ユーティとラキアが別の感想を抱きながら歩いている。
「水の精霊も喜んでいるわ。素人にはわからないだろうけど、魔術的な要素まで考えて作れられている。この町を作った人間は魔術士ね。それにしても完璧だわ」
「ええ、余程魔術に詳しいのでしょうね。とてもではないが、人間とは思えないほど。だけどこれほどの景観を作るのならば、人間も捨てたものではないわね」
精霊と真竜らしい意見を出しながら、二人は歩いていた。そして前ではヴェンがアルフィリース達に街の解説をしながら案内をしていた。
「右手に見えるのがこの街一番の繁華街です。水神通りと名付けられたあの場所では、年に一度、夏に治水のための祭りを行います。実際に水神を祭っているわけではないのですが、今年の治水の感謝と、来年の期待を込めて行うわけですね。まあ、少々恥ずかしくはありますが・・・」
「恥ずかしい?」
ヴェンの意外な言葉に彼が多少赤面したので、アルフィリースは聞き返してしまった。
「はあ。実はその祭りでは主に水のかけ合いなどをやるもので・・・衣服がその、ですね」
「あ、聞いたことある。皆頭から足までびっしょびしょになる祭りよね? そりゃあ夏の薄着なわけだから、服も何も全員裸みたいなもんだって聞いたわ。でも不思議と変な雰囲気にはならないのよね?」
ターシャがうんうんと頷いて見せる。その様子が可愛らしくて、思わずヴェンは微笑んだ。
「まあ最近では。ハウゼン様がきちんと取り締まっておられますからね。以前はやりすぎる雰囲気などもあったのですが、まあ最近ではしれたものです。夜には水の代わりに、酒の浴びせ合いになりますけどね」
「酒か、それは楽しみだな」
酒の味をすっかり覚えたエアリアルが舌なめずりをした。イーディオドは酒の産地としても有名である。水神祭ではその酒を存分に振舞っての祭りになるので、盛り上がりは甚だしかった。まあ言ってしまえば乱痴気騒ぎなのであるが、そこは比較的大人しい東の民の特性か、節操というものはわきまえていた。
そしてヴェンの案内で、アルフィリースはそれからも街の各所を見て回った。貴族に限らず、多くの民が婚礼を行う聖堂。また恋人達が語らうので有名な丘。何日か馬を走らせれば海が見える場所にまで行けるらしい。ここはほぼ東の最果てなのである。魔獣の影すらない平和な土地を見ながら、アルフィリースはあることを考え始めていた。その横でエアリアルが心配そうにその顔を覗きこむ。
「アルフィ、考え事か?」
「あ、ええ。ちょっとね」
「何を?」
「うん。世界は綺麗で、こんなにも平和な場所もあるのに・・・何が間に合わないんだろうって」
「え?」
アルフィリースはグウェンドルフが伝えた言葉をずっと考えていた。敵の首魁、オーランゼブルの目的。彼と戦う事もそうだが、アルフィリースは別の可能性を検討していないでもない。戦うだけが全ての解決方法だとは、アルフィリースは露ほども考えていないのだ。
ミランダが知っているより、リサが思うより、アルフィリースは様々な事を考えている。アルフィリースの中でいまだ形にならぬその思いは、彼女より他の人間に伝わるはずもなく。アルフィリースは町を見下ろす丘の上でただそっと佇んでいた。エアリアルはアルフィリースの思考はわからないものの、今彼女の邪魔をすべきではないと思い、黙ってその傍に寄り添っていた。
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それから数日、アルフィリースは様々な事をして過ごした。ハウゼンに頼みごとを一つされたのだが、どうすればいいか考えながら、自分のやるべきことを先に片づけようと思ったのである。ハウゼンに許可をもらってイーディオド最大の図書館に出入りするアルフィリースが真っ先に求めたのは、東の諸国の地図だった。むしろこれを見るために、アルフィリースはこの図書館に来たとも言える。
だがそのあまりに膨大な量に、さしものアルフィリースも悲鳴を上げていた。
「ダメだ~無理だわ」
「何が無理なわけ?」
作業に疲れて背伸びをしたアルフィリースに、ユーティが話しかける。エアリアルとターシャはアルフィリースに言われたものを探す作業で忙しそうに図書館を探し回っていた。そんな力作業が無理なユーティはアルフィリースにまとわりついている。だがアルフィリースが何をやっているかはさっぱり分からず、つまらなそうにしているのだった。
「さっきから何をやっているのよ。地図を何枚も眺めちゃってさぁ」
「いや~団長になるからにはさすがに棒切れを倒して皆を案内するわけにもいかないし、正確な地図は中々手に入らないしでどうしようかと思ったんだけど、カザス曰くイーディオドの図書館には正確な地図があるって聞いたからなんとか覚えて帰ろうと思ったんだけど、さすがに量が多くて無理で。そろそろ限界かも」
「そろそろ限界って・・・」
アルフィリースの傍には地図がうずたかく積まれている。100とまではいかないだろうが、一枚一枚が相当な大きさだ。7~8人が同時に食事をとれるであろう大きさのテーブルに、ほぼ目一杯広げるのだから。
ユーティはそれを見て目を丸くしていた。
「まさかとは思うけど・・・ここまで全部覚えたの?」
「まぁだいたいは。でも流石にもう無理。そろそろ眠くて・・・」
「嘘でしょう? じゃあどこに何があるか試してあげるわ。じゃあ一番上の・・・」
「ぐー」
「もう寝てるしっ!」
ユーティがアルフィリースの頭をはたいたが、アルフィリースは意に介さず寝ていた。さらに数日して。ハウゼンの邸宅に長い滞在を続けるアルフィリース達の元に、ついにエクラがやってきた。
「少しよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
明らかに苛立った表情のエクラに、余裕綽々のアルフィリース。対象的な二人は、連れだって部屋を後にした。
そして庭に出ると、エクラはくるりと振り返って、長身のアルフィリースを下から睨みつける。
続く
次回投稿は10/23(日)14:00です。




