伝わる思い、伝えられない思い、その2~宰相ハウゼン~
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「ここだ・・・」
アルフィリース達はターシャの先導でハウゼンの屋敷正面まで来た。その正門の発する威容と佇まいに、思わず唾をごくりと飲むアルフィリース達。何もハウゼンの屋敷は豪奢な造りというわけではない。比較的身分の低い貴族から爵位を得て宰相にまでのし上がった彼だが、成り上がりにありがちな過剰な自己主張はなく、むしろ慎ましやかな人となりとして知られる人物である。彼の屋敷が大きいのは、彼の元に訪れる各国の身分の高い人物を迎えるために増築を繰り返したせいなのだ。
そして屋敷も彼の人柄を示すかのように、質実剛健な造りではあるのだが、その正門に集まる人々の豪華さ、その多さにアルフィリース達は圧倒されたのだ。大国の宰相ともなれば賓客が多いのもある程度当たり前のことなのだが、そこもかしこも華やかに着飾り、また身分の高いことを示すかのような飾り付けの馬車に乗っていれば、嫌でも威圧感・威容は醸し出されようというものだった。
そんな中、場違いな事に徒歩でハウゼンの屋敷に出向いたアルフィリース達は既に気後れしていた。彼女達を見るそこかしこの視線が冷たく感じられる。
「アルフィ、我は嫌な種類の視線を感じるぞ?」
「私もよ、エアリー。完全に場違いよね、私達って」
「まったくよ。こんなところには普通、伯爵以上の身分しか来ることができないわ。それも会見の申請をして、何カ月も待って、それでわずかな時間だけ謁見を許される。謁見を申し込む申請書に不備があったりあるいは興味を引くものでなければ、そもそも却下されることも当然。だからこそ東では限られた時間で自己主張をする弁舌家なる者が活躍し、また職業としても成り立つのだけれど。特別な紹介や賄賂もなく、会うまで何カ月もかかるとは思わなかったの?」
「うう、面目ない・・・」
アルフィリースがしゅんとしたのでターシャも多少言いすぎたかと思ったが、事実を正確に述べただけでもあるので、謝りようもなかった。
後ろからついてくるラキアといえば、アルフィリース達のやりとりを無表情に見るだけで、特に何の意見をするわけでもない。それは真竜が多種の生業に口出しをするものではないという掟が存在するからでもあるが、それ以上にラキアはマイアの言い付けを守っているのだった。
「アルフィリースの行動を傍で身守りなさい。きっとあなたを退屈させないから」
マイアが優しく微笑みながら言う時は、かなりの確信があるのだといつもラキアは思っている。こういう時の姉の言葉は、ラキアとしても真剣に受け止めることにしている。まだマイアの真意をラキアはわかっているわけではないが、とりあえずは素直に聞いてみようと思うのだった。
そうでなくとも真竜と聞いて、対等に話をしようとする人物は種族を問わず珍しい。特に真竜の背に乗るなど、真竜を崇拝する者達なら一生額を地にこすりつけて感謝しそうなものだが、アルフィリースは昨日の寝際に「乗り心地がイマイチ」などとのたまった。おかげでちょっとした口喧嘩になったわけだが、ラキアが真竜の仲間以外に口喧嘩をしたのはこれが初めてである。
「まあ・・・たしかに面白くはありそうね」
ラキアがぽつりと呟く間にも、アルフィリースはハウゼンの屋敷の正門前をうろうろしており、完全に不審者と化していた。来訪者の要件を聞き、整列させる者達も、身分の証を立てようとしない者へ接するかどうか迷ったが、その内のまとめ役であろう上品な男性が一歩、アルフィリースの方へ進み出る。
「もし、来訪者の方。我が主人の屋敷に何か用でございましょうか?」
「あ、え~っと・・・用って言うか、私はここの屋敷の主人に会うように言われたのよね」
「会うように言われた。それはどちら様に」
来訪者に失礼のないように、執事の正装に身を包んだ上品な男性は聞き違えのないよう、アルフィリースの言葉を反復しながら確認するように話していく。とても優しい物腰であり、アルフィリースも多少緊張がほぐれるのだった。
「私の師匠に言われたのよ」
「なるほど。失礼ですが、その方のお名前を伺っても?」
「アルドリュースと言うわ」
「アルドリュース!」
その名前に、男性の目が見開かれる。その表情は意外そうな、しかし徐々に嬉しそうな表情へと変化した。
「失礼ですが、アルドリュース=セルク=レゼルワーク殿で間違いないでしょうか?」
「ええ、確かそんなフルネームだったわね。私も時々忘れそうになるのだけれど」
「これはこれは」
男性は楽しそうに笑った後、部下であろう男達に手で合図をする。すると、順番を先頭で待っていた貴族に侍従達が詫びながら、その順番をアルフィリースに譲ろうとしているのだ。わけもわからず待つアルフィリース達だったが、まもなくその前には王侯貴族を迎えるのと同等に、赤の敷物が足元まで転がされてくる。
驚いたのはアルフィリース。
「え、ええ!? 何これ!」
「ふふふ、驚かれるのも無理はない。実は我々はアルドリュース殿より言伝を受け取っておりまして」
「どんな?」
「『私の弟子を名乗る黒髪の女性が現れたら、王侯貴族の待遇で出迎えよ』とのことです。ちなみに、『おそらくは入り口でまごまごしているだろう』とも言われていました」
男性は楽しそうに笑うと、アルフィリース達を赤い絨毯の道へと誘う。その出来事に肝を抜かれたのは他の仲間達。
「アルフィ、これはすごいな。我でさえ、少し違うもてなし方をされているのがわかるぞ」
「アルフィ、やめときなよ~。こんなところで一生分の運を使うのは~」
「まったく、私は凄い所に研修にきたわね」
それぞれの感想はあったが、当のアルフィリースはまた別の方向で悩んでいるようだった。その表情が一瞬変化し、また元に戻ると、
「ま、いっか」
と言ったアルフィリースは遠慮なく、すたすたと男性の誘導に従って絨毯の上を歩き、ハウゼンの屋敷へと向かうのだった。その後を慌てて追う仲間達。
「お召物を変えられますか?」
「いえ、結構よ。このままが慣れていてやりやすいわ」
「わかりました、ではそのように。よろしければ武具の類はお預かりして、磨かせていただくこともできますが」
「それも結構。預かるのは仕方ないにしても、手入れは武人なら自分でするわ。武器屋ならともかく、見ず知らずの人に手入れさせた武器なんて、危なくて実戦じゃ振るえないもの」
「失礼いたしました」
執事らしき男性は恭しく頭を下げると、以後出来る限り余計な事を話さぬようにアルフィリースを先導した。時に屋敷の説明などをすることはあったが、それも必要最低限のみ。非常にわきまえた男であった。
そしてその男性の先導で、アルフィリースは大きなテーブルのある間へと通された。円卓になっているその場所には既に食事の用意ができており、山海の珍味に居並ぶ調度品は明らかに庶民の生活水準を逸脱したものだった。単純に金銭に例えるなら、一つ一つの調度品が庶民の一年の所得に相当するものなのだが、そういった感覚に鋭敏な者はこの場ではターシャくらいである。そのターシャとて年若く、まだ目も肥えてはいない。生涯で初めて見るであろう、ただきらびやかな光景に目を奪われるばかりであった。
ここはイーディオドの宰相、ハウゼンが最上級の客をもてなす時に使用する間。そんな場所に通されたとはアルフィリース達は知る由もない。そして突然の展開と明らかに場違いな場所に落ち着かないアルフィリース達の前に、一人の男性が現れた。
「お待たせした、アルドリュースの弟子よ。執務直後ゆえ、堅苦しい恰好なのを許していただきたい」
悠然とその間に現れたのは、少し長めの茶色の髪と豊かな髭を蓄えた、落ち着いた雰囲気の中年の男性が現れた。明らかに上等な絹の服に身を包んだ男は、優しい目でアルフィリース達を見る。男はその雰囲気そのままに、アルフィリース達に語りかけた。
「私はハウゼン=サジェス=リントリウム。この国の宰相をしています。以後お見知りおきを」
「はい、こちらこそ」
真竜を前にしても怖じないアルフィリースであるが、場違いな場所に通されれば緊張もする。だがハウゼンの優しい雰囲気にほだされて、その緊張も一瞬のうちに解けていた。アルフィリースはハウゼンと握手を交わすと、促されるまま席に着く。
「しかし、よくアルドリュースの弟子が私だと、一目でわかりましたね?」
アルフィリースは、ハウゼンが仲間ではなく自分の元に一直線に歩いてきたことに驚き、素直に彼に問うた。その問いにハウゼンはやはり余裕のある態度で優雅に答える。
「アルドリュースとは時に便りが着ていてね。彼の住処に関してはさっぱりだったが、一方的に連絡をよこすところは実に彼らしい。その中の便りの一つに、『黒髪の少女を引き取って、これから育てる』とあったんだよ。実に意外なことだった、私にすればね。
だが、君が黒髪であることを差し引いても、すぐにわかっただろうね」
「それはなぜ?」
「そっくりだからだよ、私と出会った頃のアルドリュースにね。彼も興味深そうに、この街を見学し、落ち着かない様子だった。すぐに慣れて我が物としたがね」
ハウゼンは給仕に差し出された果物の実を一粒取ると、口に運んだ。その言葉を聞いて、アルフィリースはさらに彼女の中にある疑問をハウゼンに投げかける。
「失礼ですが、我が師アルドリュースとはどういったご関係で?」
「軍の同期であり、親友だ。もっとも親友だと思っているのは私だけかもしれないが」
その言葉と共に自嘲気味に笑うハウゼンを、アルフィリースは不思議な目で見る。ハウゼンは言葉を続けた。
「私はそこまで身分の高い貴族の出自ではないのだが、士官として入ったしばらく後、軍にとんでもない新人が入って来たという噂がたった。その若者は軍に設けられた文官の採用試験を首席で突破しながらも、武官として軍に入隊したというのだ。そして一兵卒から始めて、わずか一月で三階級も昇進したと。一兵卒の噂がここまで出回ることなど、普通はない。興味を引かれた私は、彼と同じ任務につくようはからったんだ。階級は当時私の方がはるかに上だったからね。
そしてその時はたまたま、さる貴族が近くの町を視察の日だった。その折、魔獣がその貴族の一団を襲ったのさ。そしてその魔獣の群れのボスを倒し、貴族の危機を救ったのはアルドリュースだった。その時の彼の活躍は目覚ましく、貴族の覚えも良かったが、私が彼を気に入ってね。ぜひとも部下に欲しいと言ったんだ。ところが彼はその申し出を断った。『もっといい案があるんだ』と言ってね」
ハウゼンが楽しそうに話す。彼は懐かしい青春時代思い出したのか、少し遠い目をしていた。
「アルドリュースの考えはいたってシンプルだった。彼は私が貴族であることを利用して、社交場への出入りを申請してきた。名目上は私の従者だったが、常に主導は彼だった。アルドリュースはどこで学んだのか、女性のエスコートも完璧だった。作法、話題、流行り、言葉遣いに至るまで上流の貴族よりも、より完璧。そして造形も悪くない。瞬く間に下級貴族の社交場では彼は有名になっていった。そして彼の素晴らしい所は、男の貴族にも嫌われなかった所だ。貴族達の悩みを聞きだし、上手く助言を与えていった。ほどなくして興味を持ったさらに上の貴族から我々はお呼びがかかるようになったよ。そして上流階級の社交場で、彼はついに目当ての人間と出くわすことに成功したんだ」
「それ、聞いたことあるかも」
話の途中で、突然ターシャが口を挟んだ。突然の発言に全員がターシャを見たが、その事も彼女は気にしていないようだった。それよりも、彼女には気にかかることがあったのだろう。
「伝説だと思っていたけど、イーディオドには一兵士と王女がその昔恋をした逸話があると先輩から聞いたことがあるわ。私はそんな上手い話があるわけないと思っていたけど、まさか・・・」
「ああ、全ては真実だ。我が国の王女は、昔アルドリュースと恋仲だった。いや、そうなるようにアルドリュースが仕向けたと言うべきか」
ハウゼンが少し悪戯っぽくおどけてみせた。だがその顔に決して楽しさだけが浮かんだわけではないのを、アルフィリースは見逃していなかった。
続く
次回投稿は10/16(日)15:00です。




