難題、その9~最高教主の悩み後半~
「仮に、の話だが。私が彼の弱みを知っていたとして、教えると思うかい?」
「いえ、簡単にはいかないでしょう。ですが、こちらも仮にの話をしましょうか。オーランゼブルの計画が発動した時に、貴方の手に既に負えないものだとしたら・・・あなたは五賢者として、また真竜の長としてあるいはオーランゼブルの友人として、どう責任を取るおつもりで?」
「これは痛いところを突く」
グウェンドルフは苦虫をかみつぶしたような顔をした。その点は彼も気にする所であり、最も恐れるのはオーランゼブルをどうやっても止めることができなくなることであった。気にしていた点を指摘され、怯むグウェンドルフにミリアザールが追い打ちをかける。
「何も私は、真竜である貴方を脅すつもりはありません。ですが、既に私達は後手に回っている。手遅れになることだけは避けたいのです。我々は坐して滅びを待つだけの存在であってはならない。そのためにはグウェンドルフ様、貴方の力が必要だ」
「・・・だが」
「申し訳ないですが、私も手心は加えられぬのです。そんな余裕は私にはもうない。この体が満足に動くうちに、何としても決着をつけねば」
そう言ってグラスに手を伸ばす彼女の手は震えていた。その手を見てグウェンドルフははっとする。
「ミリアザール、君は・・・」
「さして長くもないでしょう。以前ミランダには1000年も生きぬと言いましたが、実際には100年もたないでしょう。この前アルネリアにきた子鬼を追い払おうと戦った時に、既に意のままに動かぬ自分の体を悟りました。元々私の種族は100年も生きぬもの。私だけが長く生きすぎたのです。もう十分。幸せも、絶望も、十分すぎるほどに味わいました。ですが」
ミリアザールがキッとグウェンドルフを睨む。
「オーランゼブルは放っておけません。おそらく、これが私の最後の仕事になるでしょう。奴の目的が人間の支配や絶滅ならまだいい。命ある者はいずれ滅びる。弱肉強食も自然の理。ただで負けてやるほど私もお人好しではないが、私も相手を駆逐し、踏みにじって生きてきた者。自分達だけがその掟から逃げられるとはおもっておりませぬ。
ですが、私の直感ではオーランゼブルの計画はそんなものでは収まらぬのではないかと思うのです。もたらされるのが絶望以上だとしたら--もしそうだとしたら、私は刺し違えてでも奴を止める」
ミリアザールの決意を前に、しばしの沈黙が二人の間に横たわる。そしてやがて口をゆっくりと開いたのはグウェンドルフ。
「ミリアザール、君の決意はわかった。私としても、オーランゼブルの目的について何かわかり次第君に伝えることを約束しよう」
「では」
「だが残酷な事実も同時に伝えなくてはならない。何を君に伝えた所で、君がオーランゼブルと刺し違えるのは無理だ」
「なんですと?」
ミリアザールが気色ばむ。侮られたと思ったのだ。
「確かに勝てぬまでも、刺し違えるくらいは・・・」
「できないだろう。なぜなら、向こうにはブラディマリアと呼ばれる少女がいるから」
そう聞いて、ミリアザールは以前アルネリアの結界を素手でこじ開けた少女を思いついた。あの時ミリアザールがライフレスの交渉に乗ったのは、ライフレスを恐れてのことではない。ブラディマリアの底知れなさを恐れてのことだったのだ。何の準備もなしに決して戦ってはいけない。それがミリアザールの戦士としての直感だった。
だがどうやっても無理だとまで言われるのは心外だった。ミリアザールが少しむくれる。
「どうしてそこまで言われるのです? 奴は一体何者だと?」
「以前君には話したと思うし、君が生まれた時代には神話として魔物の中には伝承があったのではないかい・・・遥か昔、空を火で覆い尽くす戦いがあった事を」
グウェンドルフの口調は重かった。それは真竜にとって苦い記憶であると同時に、地上の者に語るのをはばかられる禁忌でもある。ミリアザールに話している段階で、既にグウェンドルフはかなりの危険を冒しているのだった。
「東と南の大地が元はこの大陸とつながっていて、凄まじい戦いの最中大陸が割れてしまったという話ですか? 聞いたことはありますが、何かの比喩だとばかり」
「あれは事実だ。と言っても、私ですらまだ幼い竜の時代で、私は巣の中で空を焼き尽くす戦いを見上げるばかりだったがね。あの戦いは実際にあった出来事なのだ。そして私達真竜はからくも勝利した。実に、その九割以上の仲間を犠牲にして」
「なんですって!? 真竜をそこまで追い詰めるとは、相手は一体・・・」
「魔神」
グウェンドルフから放たれた言葉は、不吉な響きでもってミリアザールを拘束した。立ちあがりかけたミリアザールが、その言葉の重さに負けたようにすとんと席に座る。
「魔神・・・」
「そう、魔神だ。少なくとも我々はそう彼らの事を呼んでいた。彼らは強く、ハイエルフを上回る程の魔力と、古巨人を凌駕する肉体と、そして絶大な生命力を持っていた。非常に個体数の少ない種族だったが、真竜よりはるかに秀でた戦闘力を持つ種族だったのは間違いないだろう。
私の知る限り全滅したと思っていたのに、彼女が最後の一体だ。いや、彼女がいたからこそ、魔王がこの世にはびこったのかもね。彼女の血を受け継ぐ生物が各所で魔王と呼ばれていた可能性がある。魔人は個体数が少なくとも、眷属を沢山作りたがるから」
「どうしてそのような者がこの今の世に・・・いや、それよりも。どうして彼らに真竜は勝つことができたのでしょうか」
「不思議なことにね。君達が魔王に対してそうしたように、我々もまた種族を越えて協力したのさ。ハイエルフ、古巨人、翼人族、真竜などがね。魔神は強かったが、協力なんて縁遠い種族だったから。最後の最後で彼らは手を結んだけど、既に時は遅かったよ。我々はからくも勝ちを拾った。もしあそこで我々が負けていたら、人間はこの世にいないかもね。いや、いても一生涯彼らの家畜として飼われているだろう。彼らはそういう種族だから。
彼らにとっては力が全て。それ以外のものは価値がないのさ」
グウェンドルフの言葉は重く響くものの、ミリアザールにはまるで実感の湧かない世界の話だった。ミリアザールとて自分が修行で身につけた力には自信がある。だがそれは真竜を頂点とした時の話であって、それ以上の上位種など考えが及ぶべくもない。
しばらくミリアザールは思いを馳せた後、考えるのを止めた。今の手駒ではどうにもならない話だと思ったからだ。もし自分が全盛期の体を取り戻すとしても、きっと遠く及ばない次元の出来事。そういった敵を倒すために、ミリアザールは今まで考えもしなかった非人道的な手段のいくつかを思い直し始めていた。どれが最も確実に倒せて、最も犠牲が少なく、最も実現しやすいか。ミリアザールの頭脳は全力で回転していた。
ある程度考えて、ミリアザールは突然思考を止めた。既にいくつかの方針を練ったからである。
「なるほど、貴重な情報を感謝します。他に何か私に言えるような情報はありますか?」
「いや、今はこれだけだね」
「わかりました。ではオーランゼブルの件に関しては、また引き続き情報を互いに収集するという事で」
それだけ聞くと、ミリアザールはこれ以上の情報をグウェンドルフから得るのは無理だと思ったのか、あっさりと引きさがった。果てしない数の駆け引きを経験したミリアザールならばこそ、引き際を察したのである。そしてグウェンドルフもまた、これ以上話すことはないとでもいいたげに、その場を後にした。そのグウェンドルフと入れ違うかのように部屋に入ってくるミランダ。
「早かったねマスター、もういいの?」
「まあの。こちらも忙しゅうてな」
それだけ言うと、ミリアザールはミランダを座るように促し、肘をついて手に顎を乗せ、ため息をつき始めた。その目には迷いがありありと見て取れる。
「どうしたのさ、なんとも歯切れの悪いことだね。マスターらしくないじゃないか」
「ワシとて迷う事はある。特に今回はの」
そしてミリアザールが、ミランダに聞く事を躊躇うかのように、のろのろと目を上げた。
「のう、ミランダ・・・お主、アルフィリースと旅をして、どうじゃった?」
「どうって・・・漠然とした質問だね」
だがミランダは考えるまでもなく即答してみせた。
「まあ一言で言うなら『楽しい』だね。あの子の傍は退屈しないよ。運命も、その過程もね。普通に語らうだけでも飽きない子だ。できれば一生彼女と共に生きていたいと思う自分がいる。変かい?」
「臆面もなく、よくぞそこまで言い切るものよ。そう言い切る根拠はあるかの?」
「根拠ねぇ」
今度はミランダは少し悩んだが、それも一瞬だった。
「そうだね、なんだかあの子は放っておけないって言うか。でも頼りになると気もあるし、つまらない話をしていても楽しいし・・・いじりがいもあるし、一緒にいて嫌なことがあっても嫌な思いをしたことはないって言うか・・・」
「わかったわかった。それだけお主はアルフィリースの事を大切に思っておるのじゃな? まあそれはよかろう。じゃがそれを知ったうえでなお、ワシはお主に話をせねばならん」
ミリアザールが苦笑しながらミランダの言葉を遮った。一昔前のミランダならば決してこんな言葉を発しなかったであろう事を想像し、ミリアザールは内心ではとても嬉しかった。そして同時に、だからこそ残酷な事を言わなければならないことも。
「ミランダよ。お主、ワシの代わりに最高教主をやるつもりはないか?」
続く
次回投稿は、9/28(水)17:00です。




