愚か者の戦争、その36~思いの丈~
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「レイファン、明日からの事だが」
「きゃああ!?」
ラインが夜に天幕に戻ると、レイファンは着替え中であった。獣人が用意した天幕は一つ分である。広さは十分なのだが、元より獣人に男性と女性を分けて天幕を張るような習慣はない。よく言えば男性と女性を戦士として同格で見ていることになるが、ニアの懸念はその部分であり、悪く言えば女性は女性として権利を全く保護されないのである。
もっとも獣人にそのような点を気遣う者はごく少数なのだが、もちろんレイファンなどは人間な訳であり当然恥じらいを知っている。ラインもまた決まりの悪さに夕涼みに出掛けて頭の中を整理するついでにグルーザルドの陣立てを見たり、自分の見張りと話して色んな情報収集をしながら時間を潰して天幕に戻って来たのだ。
彼の思惑では自分がいない間にレイファンはとっくに寝る準備を済ましていると思ったのだが、彼の計算は完全に外れたのである。実はラインが帰ってきそうな時間にレイファンが着替える状況を準備したのはダンススレイブであるが、まさかここまで上手くいくとは彼女も思っていなかったであろう。ダンススレイブの悪戯は本格的過ぎて、既に悪戯の域を超えていることを誰も注意しない。注意できるとしたら、せいぜい同じような思考をしたルースくらいかもしれない。もっとも、彼ならダンススレイブの悪戯を手伝ってしまうだけかもしれないが。
ともあれ、ほとんど服を着ていない姿をラインに見られ、激しく動揺するレイファン。慌てて自分の服で大切な部分を隠すも、投げつける物も今回は近くになく、ただラインを睨みつけるだけだった。ラインもまた「なんで毎回こうなるんだ」と思いつつも、段々とこういった状況に慣れたせいで、下を向いてため息をつくだけだった。そのため息がレイファンをさらにがっかりさせることを彼は気が付いていない。というのも、ラインがレイファンの裸体に興味が無いといえば言い過ぎだが、少なくとも彼は少女を女性として見るような趣味ではなかった。
「何を焦ってやがる。俺がそんな幼児体型を見て欲情すると思ってんのか?」
「お、女には恥じらいというものがあるのです!」
「そりゃ重要だ。確かに恥じらいが無い女は最低だな」
ラインが納得したような顔をする。そしてラインは大人しく後ろを向いた。
「お前に恥じらいがあるのはわかったから、早く服を着な」
「・・・私の裸を見ても、何とも思わないのですか?」
「思わないね。まあ後5年経ったら別だがね」
「・・・わかりました」
ラインとしても照れ隠しも幾分かはあったのだが、事実レイファンがもう少し年上であったなら我慢できるかどうかは甚だ疑問であった。つややかな髪、けがれを知らない瞳、瑞々しい唇、きめ細かい肌、すらりとした四肢。そのどれもが庶民とは違う輝きを発していた。
もちろん貴族だ、平民だという差別意識はラインにはない。自分とて平民の出なのだ。だが、レイファンのもつ美しさは娼婦や踊り子などの美しさとは違う。彼女達は生き生きとした美しさを持つが、レイファンのような貴族が持つのは完成された造形美だった。ラインは仕事の関係でターラム随一の娼婦フォルミネーや、フリーデリンデの部隊アフロディーテの隊長であるカトライアといった世界に名だたる美女を見た事はあるが、彼女達と比べてもこれからのレイファンは、もしかすると彼女達に匹敵する美女に成長するのではないかという期待感を抱かせる。
それにレイファンと過ごすうち、間違いなくこの子は賢い人間だとラインは確信していた。自分の相棒であれば、この上ないほど機転を利かして自分のフォローをしてくれるだろう。ラインの中にも一生涯剣で食べていく自信はない。ある程度歳を取った後、自分が作ったツテなぞを利用して、いずれは自分が商売を始めたり、何かしらを動かしてみたいという案がないわけでもない。そうなると、レイファンのように機転が利く女が自分の傍にいればどれほど助かるかと、彼は思うのだ。
言うなれば、レイファンは完全に文句なしの女性であった。それにラインとて、もはやレイファンが自分に好意を抱いていることくらいとうに確信していた。この年頃の子どもの成長は早い。成人を前に政略結婚などで結婚する事もある貴族なら、成人としてのしかるべき教育も早くから施されることはラインとて知っている。レイファンはラインと知り合った数カ月で、急激に大人びていた。背も少し高くなっているし、明らかに女性としての雰囲気を纏い始めていた。何より、ラインを見る目に女としての意識がありありと見て取れた。それに気づかぬほどラインも鈍感でもない。ダンススレイブの度重なる冷やかしにも気づかないふりをしていたが、ラインはとうに気がついていた。このままではノラの時に様に、自分はまたこの女の傍が居心地が良いと思ってしまうだろう。しかもレイファンの吸引力はノラの比ではない。およそ世の中の男が欲しがるものを、王族であるレイファンは全て用意できるようになるのだ。ラインがレイファンの元にいようとしないのは、レイファンが自分に本格的に惚れさせないようにするというよりは、自分が惚れないようにするためと言った方が正しかったかもしれない。
本当はもう会わないつもりであったが、ラスティのたっての頼みでつい引き受けてしまった。この仕事が終わったら今度こそ根性の別れにすべきだとラインは予め決心をしていたが、久しぶりに出会ったレイファンが輝き始めたのを見て、早くも仕事を受けた事を後悔していた。そんな彼の背中に、レイファンがぶつかった衝撃が届く。
「レイファン? お前・・・」
「はい、服は着ていません」
ラインの腰に手が回される。ラインは突然の出来事にどうするべきかわからず、ただ抱きつかれるがままだった。騎士としての任務と忠誠を優先すべきか、傭兵として義理を果たすか、男として欲望に身を任せるか。何が正解なのか、さしもの彼にもわからない。
「はしたない事をしているのは重々承知です。ですが、もう我慢できない」
ラインを抱きしめる手に力がこもる。
「この任務が終わればあなたは行ってしまうでしょう。そのくらい私にもわかります。だから・・・私は貴方が私から離れられなくなるようにしたい」
「レイファン・・・」
「ダンサーには外してもらっています。ここには私とあなたしかいません」
そういえばいつもならここで冷やかしが入るはずなのにとラインは思うが、余計な気遣いをする魔剣があったものだとラインは内心で舌打ちをした。
止める者のいない場で、レイファンは思いの丈をぶつける。
「貴方を引き止めるのに必要な物はなんでしょう? 地位、名誉、お金、それとも肉欲? 私は世の中の男性が欲しがるものを、おおよそ用意できるつもりです」
「おいおい、最後のは・・・」
「できます。確かにまだ幼い私ですが、貴族の世界ではこのくらいの年齢で嫁ぐ事もあるのです。もちろんこの年齢で20も年上の男性に嫁ぐような話もあります。そうなれば、男性が自分の元に来た女性を手つかずで育てて、成人を待つと思いますか? 私も貴族である以上、そのような覚悟はあるのです。早いけれども、早過ぎる事はないでしょう」
そのような言葉をレイファンが吐くとは思わなかった。望外のセリフに、ラインは言葉を失くした。
「貴方の要求であれば何でも私は答えて見せます。そのくらいの力は持っているつもりです。それに男性がどのような事を好むかは、あの匿われていた館でおおよそ聞きました。まあ・・・酔っ払った彼女達に無理矢理聞かされたと言った方が正しいかもしれませんが。でも、私は貴方が望めば彼女達ですら嫌がるような事を笑顔でやってのけてみせます」
「・・・レイファン」
「そのくらい私は貴方の事が好きなことに気が付いてしまった。もし貴族の世界が嫌だと言うのなら、このままどこかに姿を消してもいい。ううん、むしろこの場で貴方に奪って攫って欲しい。残酷な事を言うようだけど、クルムスは私がいなくなれば、追手を私に差し向ける暇もなく滅びゆくわ。数年逃げ切れば、後はクルムスが跡形もなく崩壊してしまうはず。そのために逃げ伸びる場所も私は考えてあるし、きっとそんなことはその気になれば貴方の方が詳しいわ。
もし私を妻にするのが嫌なら、愛人でも、仕事上の相棒でもいい。ただの都合のいい女でもいいの。庶民の生活でもきっと平気。色んな仕事も覚えてみせる。料理だってもういくらか覚えたもの。剣を取って貴方の背中を守る女が良いというのなら、人を殺すのだって厭わないわ。だから・・・お願いよ、私の傍から・・・離れないで・・・」
最後はしゃくるようにしてラインの背中で泣くレイファンの声を聞きながら、ラインの心は揺れていた。どうして自分なんかに惚れる女が現れるのかラインは理解ができなかった。だが彼も人間である。人に好意を向けられて嬉しくないはずがない。それも確実に良い女に育つ少女。正直言って、ラインとしてもレイファンは文句のつけようがないのである。剣を捨てるのであれば、今がその機会なのではないかとラインは思うのだ。
だがそれ以上に、今のラインには放っておけないことがあった。ラインはレイファンの手をほどくと、彼女に向き直り、そして抱きしめた。
続く
次回投稿は9/10(土)21:00です。




