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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第二章~手を取り合う者達~
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愚か者の戦争、その35~交渉不可能~

「キ、サマ。一度ならず、二度までも」


 驚いたことに、虫は女の声で喋ったのだ。起こっている現実に頭が追いつかず混乱する獣人達。レイファンもまた気が遠くなるような思いだったが、彼女は必死でその足を踏ん張っていた。その中で、ドライアンと獣将達だけは冷静に物事を見極めようとしていたのだ。

 対するラインは冷静そのものであった。


「許さん、許さんぞ!」

「許さねぇのはこっちだクソ虫が。よくも俺のダチをやってくれたな? 死にやがれっ!」


 ラインの剣が一閃、虫を真っ二つにする。その虫は絶命間際、確かに笑いながらこう言った。


「く、くくく・・・哀れだな。私は死なない、この程度では決して。そしてお前達は知ってしまった。これからは気を付けるがいい。お前達の友人、家族、恋人・・・そのどれにでも私はなることができる。せいぜい懐疑心を抱きながら、日々に怯えて過ごすがいいさ。言っておくが、今さら許しを乞うても受けつけぬぞ? 貴様達が怯え、泣き喚き、もがくさまを腐るほど見せてもらうとしよう。アハハハハ!」

「うるせえぞ」


 高笑いをする虫を、ラインの剣が目にもとまらぬ速さで八つ裂きにした。今度こそ虫は何も語らず、虫がとりついていたウーラルは崩れ落ちるようにその場に倒れた。ラインはダンススレイブを人型に戻すと、ウーラルの見開かれた目をそっと閉じてやる。彼女もまた被害者であることを、ラインは知っていた。魔術ならともかく、肉体的に乗っ取られた者はおおよそ元には戻らない。

 そして我に返った獣人達が、慌ててラインを取り囲む。ラインは両手を上げて反抗の意志をない事を示した。


「もうやることはやった。何もしねぇよ」

「・・・どうしますか?」


 ロッハが幾分狼狽気味に、しかし務めて平静に見えるようにドライアンに問うた。ドライアンはしばし目を閉じていたが、やがてある者を呼んだ。


「ゴーラ爺、いるか?」

「もちろんおるぞ」


 屈強な獣人達の間からひょっこりと姿を現したのは、小さな狸の獣人だった。だいぶ年老いたように見えるが、その足取りは正確で、ゆっくりとウーラルに向かって行った。彼は手をウーラルにそっと当てると、何やら彼女の体を多少調べているようだった。


「ふむ」

「どうだ?」

「その騎士の見立て通りじゃな、この姫は確かに操られておった。体は先ほどまで生きておった兆候があるが、脳が既にスカスカじゃ」

「俺の頭でもわかるように言ってくれ」


 聞いたのはヴァーゴ。その言葉は、怒りと悲しみに満ちていた。その彼を見てゆっくりとゴーラは頷く。


「ウーラルという人物はとっくに死んでおったという事じゃよ。もっとも死という言葉の定義にもよるが、その者の人格・意志などが損なわれたのを死とするなら、この姫はとうの昔に間違いなく死んでいる。それはさておき、重要なのは」


 ゴーラが一度間を置く。


「この虫はこの大陸の虫ではないのう」

「どういうことだ?」


 ドライアンがゴーラに問う。ゴーラは長い顎髭をさすりながらゆっくりと答えた。


「この大陸には凶暴な生物はあまりおらんからの。まあ南の大森林にはそれなりに危険な生物はおるが、これほどではないよ。そこの騎士が予想した通り、この虫は人に寄生する種類じゃの。ただし」

「ただし?」

「人の意識を乗っ取るような代物ではない」


 もってまわった言い方に思わずラインが聞き返したが、ゴーラはやはりゆっくりと答えた。その言葉を聞いて、ラインはますます混乱した。


「わかんねぇよ、要するにどういうことだ?」

「この虫は使い魔の様なものじゃ。母体の命令を伝える、末端のようなものじゃな。それがこの姫を操っていたのじゃよ。それにどうやら乗っ取った本人の記憶も読みとれるようじゃな。ただ、まだ乗っ取って日が浅いのか、本体と分身の記憶を使い分けることは上手くなかったのじゃろう」

「ってことは、魔術の一種だと? 本体は人間なのか?」


 ラインの質問にゴーラはしばし悩んだが、首を振った。


「いや・・・仮に人間じゃとすると、歴史上でも類を見ないほどの魔術士じゃ。むしろ人間よりも、そういう能力を持った魔獣や魔物と考える方が自然じゃろうな。確か、南の大陸にはそういった類の魔物がおると聞いたことがあるがの」

「南の大陸? あの人跡未踏の地か」

「左様。あそこは魔物や魔獣が強すぎて、人間は住めんからな。まあ住んでおるのも一部、いるにはいるが」

「へえ」


 ラインが感心する中、彼はさらにこのゴーラと呼ばれる獣人に聞いてみたいことがあったが、それはドライアンによって遮られた。


「とりあえずその辺にせぬか。事情が事情だ。今日の所は会見もこれまでにし、明日仕切り直すとせぬか。レイファン王女もそれでよいか?」

「え、ええ。さすがに今日このまま続けるのはいかがなものかと。ウーラル姫の弔いも必要でしょうし」

「お心遣い、痛みいる。では我々は簡易ではあるが、この姫の葬儀を執り行うとしよう。ヴァーゴ、やれるか?」

「あ、ああ。大丈夫だ」


 ヴァーゴは何とか返事をして見せたが、彼に動揺があるのは誰が見ても明らかだった。筋骨逞しい大きな体が一回り小さく見える。それでも彼は自らが喪主を務めると言い、準備に動き始めた。

 そしてレイファンがラインを伴って会見の場を離れ、用意された天幕に行くため場所を去る。他の獣将や部下もその場を離れ、それぞれの準備へと走った。残されたのはドライアンとゴーラ。ドライアンはいまだに酒の残りを煽っていた。


「飲むか、ゴーラ」

「ワシは歳じゃよ。お主の様な坊やと違ってな」

「ふん、5000年を生きる伝説の獣人にかかれば、さしもの俺も坊やだろうよ。それでもゴーラは、まだあと5000年は生きるのだろう?」

「当然じゃ。おぬしのオシメを変えた事もあるワシじゃからな。お主の末の末までちゃんと面倒を見てやろう」


 ほほほ、とゴーラが穏やかに笑う。その笑い顔を見て、ドライアンも穏やかにふ、と笑みをこぼす。


「まあ俺のボンクラ息子がちゃんと嫁を捕まえれば、の話だがな」

「ではお主と同じように武者修行に出すか?」

「それもいいな。ただ世の中が予想以上に不安定なのが気にかかるがな」


 ドライアンがグラスで飲むのは飽きたのか、直接瓶から飲み始めた。


「あんな虫まで出る始末だ。ゴーラ、お主の予見は当たっているのかもな」

「ここ数十年の平和が偽り、とうことかね?」

「人間も獣人も争わねば生きていけぬ生物よ。我々は生きるために他者を殺す。食物として、あるいは生活のために必要だとして。殺生を否定はせん。だが殺し過ぎは良くないし、どのような生き物にも平穏は必要だ。だからこそグルーザルドは過去、大戦に終止符を討つためにアルネリア教の提案に真っ先に乗ったし、他の国にも侵攻をすることは止め、内政と魔獣の征伐に重きを置いた国策を敷いてきた。だが無差別に殺戮を愉しむ様な者がいては、俺の努力も焼け石に水かもな」

「無駄ではないとは思うが、確かにお主がグルーザルド国内に留まっておるのはもはや意味があまりないかもな」


 ゴーラが頷くのを見て、ドライアンが酒をさらに煽る。その中身が無いのをドライアンが確認すると、彼は酒瓶を無造作に放り投げた。


「ならばどうする? 俺が大陸の支配者にでもなるか?」

「それも一案ではあるが、ワシに同意を求めるのは違うであろう?」

「まあ伝説の五賢者は中立だからな。もし俺がそう望めばゴーラはどうする?」

「グルーザルドの中には住んではおるが、ワシは手は一切貸さぬよ」

「グルーザルドの中に住んでいるだけでも、本当は問題になるだろうが? 俺は国を破壊竜などに焼かれるのは御免だぞ?」

「その辺はワシがグウェンドルフを上手い事説得するわい。あの竜めは喧嘩っ早いが、人の話に耳を傾けるくらいの度量はしっかり持っておるからの」


 ゴーラが出っ張った腹を叩いて、自分に任せろと主張する。その姿を見てドライアンは笑うのだ。


「くっくく・・・相変わらず変なジジイだ」

「よく言うわ。歴代の王でも、ワシをジジイ扱いするのは貴様くらいのものよ。ちっとは敬え」

「俺にとっちゃ、貴様は五賢者である以上に家族の様なものだ。貴様の出っ張った腹を叩きながら、正拳突きを覚えた俺だ。まあこれからどうするかはゆっくり考えるさ。どうもローマンズランドの方がきな臭いらしいからな。 必要があれば大陸を制覇する事も厭わぬが、どのみちローマンズランドとはいずれ事を構えることにはなるかもしれぬ。そうなれば、ここでクルムスと戦うのはより上手くないということだ。ローマンズランドに至るまでの敵が増えるからな」

「ほほ、昔と違って建設的な考えができるようになったの。昔のそなたなら、目の前の全ての障害を叩き潰す気構えであったろうに」

「古い話を」


 そう言ったドライアンに、昔自分の本陣に剣一本で乗り込んできた傭兵が思い出される。万を超える軍隊に500人程度で斬り込み、自慢の獣将を斬り伏せ、ついに自分にすら手傷を負わせた人間。ドライアンが戦う時に恐怖を覚えたのは、あれが初めてだった。

 それまでは戦いとなれば血が騒ぐだけで、他には何の感情もなかった。だが父王には「戦う者は『恐怖』を知っておかねばならぬ」と言われるも、実感が湧かなかった。自分より強い者など、この大陸にいないと思っていたから。だがあの剣士と出会ってより、ドライアンの中では確かに何かが変わった。一言でいえば、『謙虚』と『慎重さ』を学んだかもしれない。


「(引退した父とゴーラの言う事を聞いて国政を行っていたが、自分で何かを動かしているという実感は何も無かったな。そう考えると、自分の頭で色々と物ごとを考えるようになったのはあの時からか。あの剣士は今頃どうしているのか。確か『ブラックホーク』とかいう傭兵団の団長となっているのだったか? 大陸が戦火に覆われれば、また戦うことになるかもな・・・)」


 血が騒ぐのは獣人である以上止められない。だが無意味な戦争はしたくないともドライアンは思う。戦火の中で妻となる女性と出会い、また戦火の中でその愛し君を失った。戦いは好きだが、戦争と戦いはまた別物だとドライアンは常に考えている。


「(敵を・・・見定めねばな。本当の敵を)」


 そう考える彼は、戦闘中のように真剣な顔つきだった。



続く


次回投稿は、9/8(木)21:00です。

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