愚か者の戦争、その30~交渉に臨む~
「なぜこの世から戦争がなくならないのか」
その一言に、全員が爆笑した。それは人間の性だから仕方ないと。それに戦争がなくなったら、俺達はおまんまの食い上げだから、ちょうどいいじゃあないかと。
だがその一言を言った傭兵は思いのほか真面目な顔をしていた。そのせいか、ラインも飲むふりをしながら真剣に聞いてしまったのだ。
彼が言うには、大戦期にあれほど戦争が止まらなかったのはそれを裏で操っていた奴がいるからだと。弱小国が突然強くなったり、農民の謀反が起こったり。戦争を起こすのに何が必要か、知っているかと彼はその場の者に問うた。
ある者は金だと言った。他の者は兵力だと言った。優れた指導者だと言った者もいた。だがその傭兵は首を振った。「武器さえ手元にあれば人は殺せる」と。ラインはその答えに賛成だった。獣人ならいざしらず、人間が人間を素手で殺すのは難しい。ラインの様に訓練された人間でさえ、人間を素手で殺すのは難しいのだ。何より素手で人を殺すのは、あまりに手ごたえが生々しすぎて先に心が死んでしまう。
彼が言うには、武器を常に供給し続けるような集団があるのではないかということだった。いわゆる戦争屋である。戦争を起こすことで、生業を立てる者達の事である。その話を聞いて、「自分達だって同じようなものだ、戦いがないと稼げないのだから」と言った者がいたので、その話は笑い話で流れてしまった。だがその話を持ち出した者の表情はどこか深刻だったのを、ラインはしっかりと覚えている。
「(あいつは、何か知っていたのかもな・・・)」
ラインが詳しく聞いておくべきだったかと悔むも、後の祭りである。だがもし仮にそのような連中が存在するのなら、ギルドを介さず独自に武器防具を輸送する経路があってもおかしくはない。
「(まあそうなると、話がでかくなりすぎるな。俺一人じゃとてもじゃないが手に負えない・・・誰に相談するのがいいか。ディオーレ様か? だが、あの人が自国以外のために動くことなどあり得ないし、それに今はそれどころじゃないだろうし、連絡方法もない。ましてうかつな人物にこの話は持ち込めないし・・・さて、どうしたものか)」
そんな考えに没頭するラインを、二つの茶色い瞳が見上げていた。レイファンが心配そうにラインを見ているのだ。
そんな彼女の頭を無遠慮にラインはわしゃわしゃとこねくり回すと、彼女に彼なりの優しい言葉をかけた。
「そんな事よりも、お前には当面心配する事があるだろ?」
「それはそうですが」
「これからグルーザルドのドライアンに会うんだろうが? 大変だぞ?」
そう、レイファンがこれから向かうのは、ザムウェド中腹にあるグルーザルド本陣である。トラガスロンを結果として蹴散らしたグルーザルドだったが、当のトラガスロンはムスターによってとっくに攻め滅ぼされていた。
ザムウェドのウーラル姫は、ならばなお良しとしてトラガスロンまでの進軍を提唱したが、さすがにロッハ達獣将が反対したため、進軍がそこで止まっていたのだった。そこに届いたレイファンの書簡。内容は、「これからの両国の関係について、グルーザルドと話す準備があります。ザムウェドは、お望みならば全面的に返還いたしましょう」との事だった。
この書簡を見てロッハは唸った。レイファンが一筋縄ではいきそうにもない人物だと、書面だけで悟ったのだ。
まず第一に。直接グルーザルド本国に書簡を送らず、前線に届けたこと。もちろん本国にも書簡は届けているのだろうが、グルーザルド首都はかなり遠い。それにドライアンは王のくせに風来坊で、しょっちゅう首都を留守にしているのは他国も知るところである。それを知って前線に書簡を送りつけたのだ。相手が交渉の用意があるにも関わらず戦争を仕掛けるわけにもいかず、時間稼ぎになる事をレイファンが知っているとロッハは見て取ったのだ。
さらに、『ザムウェドを返還する』とあった。これはザムウェドの統治権が自分達にあり、侵略戦争を先に行ったのは自分達でも、今はグルーザルドが侵略戦争をしているとのことで、立場を対等にした会見を行いたいとのことだったのだ。
ロッハとしてはクルムスと戦争をして負ける気はさらさらしなかったが、さすがに一軍人が独断で一国を滅ぼしては体裁というものがある。それに少しだがレイファンという人物に興味も湧いていた。そうして何度かのやり取りを交わす中、ついに彼らはザムウェド中腹にて交渉を行うことになったのだ。むろんドライアンにもロッハが連絡を取りつけたのだ。
ただし、グルーザルド首脳陣は全て知った上でドライアンが出てくるが、クルムスからはレイファンとお供が一人の予定であった。極力グルーザルドを刺激したくないというレイファンの考えでもあるが、一つ間違えればレイファンは首を落とされた挙句、クルムスは滅びるだろう。ドライアンはそんな話の出来な様な野蛮人ではないと聞くも、真実はわからない。これはレイファンの賭けである。
レイファンは会見が秘密裏に決まった7日前から緊張のし通しである。果たして自分が生きて帰れるのか、交渉は上手くいくのか。ドライアンは賢王とも聞くが、その真実は人間の世界ではほとんどわからない。ラインの事もあいまって、ここ最近はほとんど寝ていない。だがここにきて、ラインが傍にいる事はレイファンにとってこの上ない安堵感をもたらしたのか。レイファンは程なくしてラインの胸の中で眠り始めた。その様子を見て、やや呆れるライン。
「大した女だ。命と国を賭けた交渉の前に居眠りし始めたぞ」
「・・・お前がいるからだよ」
「何か言ったか?」
「何でもない」
ダンススレイブのぼやきは、ラインにはとどかなかったようだ。ラインもまたレイファンが自分に好意を寄せている事は知りつつも、それがどの程度の物なのかまでは知らないのだろう。おそらくは、一時の子どもの恋、くらいに思っているのだろうが。
そして彼らは会見場所近くの上空まで接近した。時はちょうど太陽が中天に差しかかる時間。そろそろレイファンを起こそうかとラインが考えると、既にレイファンは目を覚まし、自分が望むべき交渉という名の戦場を見据えていた。ラインにしがみつく手にわずかに力がこもる。
「ライン、聞いても?」
「ああ、いいぜ」
「なぜ私にここまでしてくれるのですか?」
レイファンの瞳が再びラインを捕える。ラインの方は相変わらず変哲のない表情をたたえている。
「前にも言ったじゃねぇか、俺は女を見捨てない」
「前回よりはるかに危険かもしれません。相手はドライアンと12獣将ですよ?」
「関係ねぇよ。いざとなったら、ドライアンなんぞ俺がケツを蹴り飛ばしてやる」
ラインがその言葉と共にニヤリとしたので、思わずレイファンも吹き出してしまった。そして先ほどよりさらに表情の和らいだレイファンがさらに質問する。
「もし無事に帰れたら」
「ん?」
「貴方にどんな報償が必要になるでしょうか?」
「さあな。今のクルムスじゃ大したものも払えねぇだろ? ある時払いでいいよ、ツケにしとく」
「利子が高いのではないでしょうね?」
今度はレイファンがいたずらっぽく微笑む。ラインもまたニヤリとして返した。
「もちろんカラスだ」
「せめてトイチにしていただけませんか?」
「王女が口にする交渉じゃねぇな」
ラインは大笑いした。このような下々の民が口にするような俗語に、何の障害もなくついていける王族などはいないだろう。
「(なるほど、頭が良いな。ダンサーの言う通りか)」
ラインは初めてレイファンが自分の傍にいる時の事を想像した。確かに何をするにしても、仕込み方次第で十分な働きをするだろう。もしかすると、武術の類いもムスターを見る限りでは使えるようになるかもしれない。
「(相棒、ねぇ・・・)」
ラインはそのような事を一瞬本気で考えてしまった。それは自分が最も考えてはならぬ事だと知りながら。
そして彼らはグルーザルドの本営を遠目に見る事の出来る場所にまで飛来した。その手前には煙を立てて、着地点を知らせる軍人達がいる。ライン達は大人しくその誘導に従うと竜を着地させ、ラインが先に降りてダンススレイブとレイファンを手を引いて誘導する。いつの間にかダンススレイブは女官の服装を身にまとい、ラインは面体を上げていた。地面に降りたレイファンは獣人達に向かい、凛とした声を発する。
「責任者は誰か?」
「私です」
答えたのは精悍なオオカミの獣人であった。獣将のロッハである。
「グルーザルド12獣将の一人、ロッハと申します。ここからは僭越ながら、私が我が王の御前に至るまで案内を務めさせていただきます」
「天下に名だたる12獣将の一人に先導していただけるとは、こちらとしても頼もしい限り。ではよろしくお願いいたしましょう」
「その前に、失礼ながらお共の剣を預からせていただきましょう。よろしいか」
「もちろん構いません。役目、大義であります」
レイファンの許可の元、ラインは剣を差し出した。獣人はその体そのものが凶器であるので、人間としては獣人との会見では帯剣するのもやむなしとするのが世の理であるが、レイファンはロッハの求めに応じた。レイファンとしては一切の敵意が無い事を示したかったからでもある。
ロッハとしても儀式上の求めであることは知りつつも聞いたわけだが、レイファンがあっさりと受けたので逆に驚いた。こういう時は持ってまわった言い方で断るのが通常なのだが、どうやらレイファンには敵意が一切ない事をロッハも感じとったらしい。そして余計にやりにくい相手だと、ロッハは感じる。
「(剣を持っていなくては、最悪無礼打ちにした事にもできんか。まあでっちあげればいくらでもできるが・・・ふふ、俺も狡いことを考えるようになったものだ)」
ロッハが内心で苦笑すると、彼は大人しくレイファンをドライアンの元に案内した。途中ではグルーザルドの軍人達が一糸乱れぬ整列をしていた。そのさまを見ながら、ラインは内心では感心している。獣人達はどうしても我が強く頭脳も弱い者が多いとラインは思っていたのだが、ここにいるのは人間の大国の騎士団と変わらず整列して見せる獣人達だった。
「(こんな奴らが戦術を用いて突進してくるなんざ、間近に見たらぞっとするな)」
ラインの偽らざる感想である。この威圧感の中ではさぞかしレイファンも緊張しているだろうとラインは思ったが、レイファンは悠然とこの中を歩いていた。どこか余裕すらうかがえる、堂々たる態度で。
ドライアンの元に辿り着くまではかなり長かった。1/4刻近く歩いたかもしれない。夏の日差しの中そろそろ一行が歩き疲れる頃、レイファン達は城の万幕が見える位置に辿り着いた。
「クルムス公国王女、レイファン=クルムス=ランカスター殿が参られました!」
ロッハが大声を張り上げる。すると、するすると万幕が左右に押し広げられ、中の様子が明らかになった。中には獣人の主だった将達。テーブルの左右を固める彼らは12獣将そろい踏みとはいかないものの、それなりの頭数が揃っている事は雰囲気でもわかる。いかにも歴戦の古強者といった面構えだった。
そして彼らの中央に座し、レイファンとは対角の席に片肘をついた状態で座るのは、金色の体毛に覆われた一層精悍なオオカミの獣人だった。
続く
次回投稿は、8/31(水)21:00です。