愚か者の戦争、その28~戦い終わって~
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戦争は終結した。いや、わけのわからぬうちに終わったと言った方が正しかろう。この度の戦いで何が起こったかを把握している者は数少ない。仕掛けたアノーマリーですら、このような状況を想定していたとはいえ、全てが思い通りだったわけではない。ムスターの予定外の行動、想定外のラインの戦闘力、思いのほかレイファンに求心力があった事など。そもそも戦争など多数の思惑が絡む場合、最初にその構図を描いた者でさえ、描き上がれば思った物とは全く別の絵ができることなど珍しくもない。
ただ一つ思い通りにいく者があるとすれば。それは外から絵を描こうとする者ではなく、絵の中にいる当事者なのかもしれない。
場所はブロッサムガーデン。急ごしらえとはいえ、レイファンが執務を取り行う一画だけは威厳を取り戻していた。
先の戦いから既に一月が経過した。レイファンは休む暇もなく、帰順を申し出た諸侯や地方軍の司令官と謁見を行っていた。レイファンが国の実権を握るためには、彼らの力がどうしても必要である。そのために彼らの協力を取りつける事は最優先事項とされ、彼らと面接を行う一画だけは一日で完璧に準備された。
まずレイファンが行ったのは、ムスターに自主的に協力した有力者の処罰である。これはレイファンが提案したことではなく、ラスティやラインの入れ知恵であった。ムスターに協力した者はもちろん恐怖に屈した者たちであるが、間違いなく日和見主義者である。その存在はこれからもレイファンに利益無しと見て、ラスティがレイファンを半ば強引に説得したのである。彼らを一斉に処断することで、レイファンは自分の姿勢を国に示して見せたのだった。
処罰といっても実際に処刑するわけではない。その地位を剥奪し、財産を没収したのである。地位はこの度の戦いで功績を上げた者にある程度与え、また地位の空席をたくさん作ることで、地方でくすぶっていた者に出世の機会を示した。没収した財産は庶民や軍に分配され、民衆の人気取りや産業の活性化に役立った。
またレイファンをただの少女とたかをくくっていた地方貴族や将軍達はこの行いに驚き、中には手を叩いて称賛する者もいた。厳しい対応は結果として、彼女の名声を高めたのである。
もちろん貴族達は抵抗もした。だが、不穏な動きを見せる者には、人知れず暗殺者が派遣された。これはラインの差し金で、娼館長の手配によるものである。レイファンは知らない。つい一月前まで自分が過ごしていた娼館はただの娼館ではなく、半分以上が暗殺者の集団であった事を。彼らはギルドに属さない、この国独自の暗殺者。歴史の裏の立役者達である。レイファンは知らずしらず、クルムスの闇の部分を味方につけていたのである。彼女達が、レイファンの前に正式に武力として現れるのはまだ先の事。だが、その時にレイファンは本物の為政者としての資格を要求されることになるだろう。
それはさておき。今彼女は至急やらねばならないことがある。
「レイファン様、準備は整いましたでしょうか?」
「ええ、書状その他。考えられる状況を想定して、打ち合わせ通りの交渉材料は揃えました」
レイファンの執務室。豪華ではないが、必要最低限の執務が取り行えるように揃えられた部屋。中には元娼館長であった女性が傍に仕えている。今や、娼婦達の半数はレイファンの近侍となっている。それはレイファンなりの彼女達に対する報酬であるが、もちろん強制はしていない。だがレイファンとしても気心の知れたものを傍に置いておきたいという事もあり、ラスティは正直良い思いはしなかったが、レイファンの心細い心中も察する事はできたので渋々認めていた。実はレイファンの身辺警護を考えるなら、これは素晴らしい選択だったのであるが、ラスティもレイファンもその事を今は知らない。
そしてその中でレイファンが出立の準備を整えるべく、簡易な正装に身を包んでいる。簡易といっても、これから彼女が会見するのは一国の国王である。だが移動は飛竜で行うため、衣装は簡易にせざるを得なかったのだ。通常なら先触れを出しながら馬車での移動となるが、そんな事をしている暇は現在のクルムスにはなく、またレイファンが一人で乗り込むからこそ意味があった。
重臣達が猛反対する中、レイファンは強引に彼らを説得し、今回の行動に出たのである。もちろんラスティも反対したが、レイファンは頑として聞かなかった。確かに成功すれば最高の利益を得られるが、失敗すれば最悪、レイファンの命はない。
ラスティはこの数日、胃が縮む思いをしているのだった。
「しかし土地の分割まで考えずとも・・・」
「そうは申しても、トラガスロンの大地は現在我々に統治権があります。結果的にザムウェド、トラガスロン、クライアの土地を合わせて、国土は一時的にですが5倍近くなっています。これを全て維持するのは難しいことは、誰が考えても明らかな事。それは全員が同意したはずです」
「だからといって元々の我らの土地まで・・・」
ラスティの懸念はこうである。
トラガスロンを陥落させた時、ムスターは国境代わりになっているシュピレ連山を越えて進軍した。シュピレ連山は険しい山であり、トラガスロンとクルムスの間に防衛線を引く必要が無いほどであった。軍隊が通る事などもってのほかと考えられていたのだが、ムスターは軍が戦争前に減るのも顧みず強引にシュピレ連山を突破。最大限の戦果をあげてみせた。
だがトラガスロンの領地を奪ってみれば、シュピレ連山のせいでクルムスの領地と連携が取りにくいのである。ならばいっそザムウェドの統治権だけでなく、シュピレ連山が切れるまでの土地を移譲してはどうかと提案したのはレイファンだった。重臣達は度肝を抜かれたが、それでも主要な産業がその土地にあるわけではなく、むしろ明け渡した方が財政的にはすっきりするくらいの場所であった。クルムス側にとっては先の戦争に対する譲歩になり、受け取る側にしてみれば、断ればクルムスとの以後の関係の悪化を招く。たとえ、受け取る土地が不毛の大地だとしても。
重臣達はこの案に感心し、レイファンの炯眼を尊敬した。まだ幼くしてこの洞察力なら、成長すればいかほどの統治者になるのかと期待を持ち始めたのである。だが文官は納得しても、土地の切り取りをしていくらの武官達は少々納得するのに時間がかかっていた。ラスティも自分では武官のつもりだったので、レイファンの選択がもったいないような気がしてしょうがなかったのだ。
そんな彼を見てレイファンが笑った。
「ラスティは心配症ですね。万事私に任せなさい」
「いえいえ、万事任せるわけにはいきませんとも。私が貴方を支えてみせます」
「まあ! ではもう少しこの国に付いて、お勉強してもらわないとね」
「勉強はしていますとも」
「ふふ、ではこの国で最も農業が盛んであるウェスクル地方の主要産業である芋の生産は、何の種類が最も国外収益で利潤を生みだしていて、それは収入の何割でしょうか?」
「え? いや、はあ・・・」
レイファンの質問に答えられず、おろおろするラスティ。そのさまを見て、レイファンはくすくすと笑ったのだ。それでも何か答えようとラスティが答えたのは。
「確か・・・ヤマリ芋です!」
「は、ず、れ。正解はナロ芋ね。ヤマリ芋は内需は高いけど、対外的な収益では関税の関係でナロ芋が優勢になるの。ナロ芋は他の地方だとあまり取れませんからね。ナロ芋はクライアでは盛んに生産されているけど、彼らの出荷相手は主に東側だから。北部から西部にかけてナロ芋を出荷するのは主に我々だわ。それでも国家規模で見れば、ナロ芋の収入は全体の3%にも満たないの。
私達クルムスの収益は主に加工貿易。獣人の国や南部から入る毛皮や珍しい産物を加工した商品が収益の6割を上回る。だからこそ、我々は獣人の国とは密接な間柄でなくてはならないの。わかる? 南部からの珍しい産物は、必ず我が国を通るように仕向けるのが私の理想だわ」
「はあ・・・」
いつの間にこれほどの知識を身につけていたのか。すらすらと答えるレイファンの前で、しょんぼりとするラスティ。その彼を見てレイファンは楽しそうに笑った。
「ラスティ、困りますね。宰相になる気があるなら、もっと勉強してもらわないと」
「そうですね、それは確かに・・・は?」
ラスティが我が耳を疑った。先ほど、とんでもないような言葉が聞こえたような気がする。
「宰相・・・私が?」
「あら、不満ですか?」
「い、いえいえいえ! 滅相もございません!! ですが私の身分では、そのような事は畏れ多く・・・」
「その事でしたら、この度の功績で階級を上げておきました。元が子爵だから、公爵は無理でも候爵なら空きがありますので」
「侯爵! 私が!!?」
あまりの急展開にラスティの口が開きっぱなしになっていた。その背中を娼館長であった女性が叩く。
「なんて顔してるんだい! ちょっとはしっかりしなさいな、侯爵殿」
「は、はは・・・」
当のラスティは、乾いた笑をひきつった顔で行っていた。彼を見て、娼館長は手を彼の顔の前で振るも、ラスティは無反応だった。
「だめだこりゃ。こんなのが将来の宰相で大丈夫かい?」
「まあその辺はおいおい学んでいけばよいでしょう。ラスティは少なくとも、私が最も信頼できる人間の一人ですから。それに能力的には、十分満たしていると思うのですけどね」
レイファンが苦笑しながら答えた。そして彼女は肝心の要件を伝えるのだった。
「ラスティ、飛竜の手配は?」
「・・・はっ。ぶ、無事出来ております!」
「よいでしょう。同行する騎士は選べましたか?」
「はい。一名だけ適任者がいました」
「一名」
その言葉に、レイファンの顔が曇る。
「一名だけですか。それはいくらなんでも少ないのでは? いえ、確かに相手に敵対心がないことを示すのに、五名以下の少数でと言ったのは私ですが」
「その代わり最高の騎士がレイファン様・・・失礼、女王様を護衛いたします。どうか彼に万事任せてよいかと」
「私が安心して全てを任せられる者は、そういませんよ?」
「例えばラインなど、でしょうか?」
ラスティは無礼を承知でおそるおそる聞いてみた。だがやはりラスティの予想通り、レイファンの顔は沈んでいた。
ブロッサムガーデン奪還後、ラインはどこへとなく姿を消した。レイファンが気がついた時には、もう既に彼はいなかったのだ。
それから数日。レイファンは表面上に出しこそしなかったが、ひどく落ち込んでいたのをラスティは知っている。時に一人で泣いていた事も。
だがそれから数日してレイファンの雰囲気は一挙に変わった。まるで少女が急に大人になったかのように、レイファンは先頭に立ち、物事を率先して進めていった。その様は頼もしくもあったが、ラスティにとっては寂しげにも見えた。
とにかく、そんな彼女に対してラスティが問いかけたのは、残酷なほどの質問であったかもしれない。これはラスティが無粋だから聞いたのではない。聞く必要があると思ったから聞いたのだ。
続く
次回投稿は、8/29(月)21:00です。